Vol.5 『みかん神話 紀南の神を知ろう』トークショー ・テキストアーカイブ(前編)

2022年10月22日(土) 、みかんマンダラ展会期中に開催したトークショー「みかんダイアローグ vol.5」の動画&テキストアーカイブの前編です。

<開催日時>
日 時: 2022年10月9日(日)15:00〜17:00
会 場:Tanabe En+ 2階セミナールーム(オンライン配信)
参加費:無料
定 員:25名
ゲストスピーカー:山本 哲士 氏(文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター)
パネリスト   :坂本 このみ 氏(熊野古道のブログサイト「熊野ログ」を運営)、原 拓生 氏(江戸後期から続く紀州原農園の七代目園主)
モデレーター:藪本 雄登(「紀南アートウィーク」実行委員長)

<スピーカーのご紹介>

ゲストスピーカー:山本哲士
元東京藝術大学客員教授、元信州大学教授。文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター。ホスピタリティ環境学、教育社会学、政治社会学を専門としながら経済論、政治論、日本文化論、メキシコ研究など超領域的専門研究を拓き、大学アカデミズムとは異なるさまざまな新たな学術生産の活動に携わっている。

パネリスト:坂本このみ
熊野古道のブログサイト「熊野ログ」を運営。 京都から熊野への街道、淀川の道など、マイナールートも含めての古道歩きをライフワークにしている。 現在は、熊野本宮大社のある本宮町にて拠点「権現堂」準備中。

パネリスト:原拓生
江戸後期から続く農園の七代目園主です。大学卒業後、実家である紀州原農園に就農しまし、柑橘と梅を家族と数名のスタッフで栽培しています。特に柑橘の持つ多様性や深い歴史に魅了され、柑橘では約60品種を栽培しています。最新の品種だけでなく原種と呼ばれるような希少品種、地域に根差した古くからの品種なども積極的に栽培しています。それらを全国の柑橘ファンや飲食店へお届けし「柑橘とともにある幸せ」を拡大しています。地域の仲間とともに農産物直売所や農家レストランなどの設立運営にも携わっています。https://www.hara-farm.jp/

みかん神話 紀南の神を知ろうトークショー

目次

1.【レクチャー】「今、国つ神(場所の神)を考えることは、なぜ重要か?」
1)古事記と日本書紀と先代旧事本紀について
3)自分たちの場所の神様とは
4)熊野本宮の主神、「ケツミミコ」
5)天孫降臨とは
6)紀伊の神々
7)「千と千尋の神隠し」にあるニギハヤヒ
8)古代における橘の存在とは

撮影:丸山由起

藪本:
本日は足元の悪い中、お集まりいただきましてありがとうございます。本日のテーマは「みかん神話 -紀南の神を知ろう-」というマニアックなテーマですが、会場は満席ということで、非常に嬉しく思います。

まず、どうしてテーマが「みかん」なのかということですが、例えば「鏡餅」の上やしめ縄に「みかん」がついているのはどうしてなのか、ということを、私はずっと疑問に思っていました。おそらく回答のヒントは、「古事記」(※)や「日本書紀」(※)等の「神話」にあるのではないかと思っているのですが、今日はそういったお話ができればと思っています。

(※)古事記・・・奈良時代の歴史書。3巻。天武天皇の勅命で稗田阿礼が誦習した帝紀や先代旧辞を、元明天皇の命で太安万侶が文章に記録し、和銅5年(712)に献進。日本最古の歴史書で、天皇による支配を正当化しようとしたもの。上巻は神代、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説・歌謡などを含む。参考:コトバンク

(※)日本書紀・・・日本紀(にほんぎ)、略して紀とも。日本最古の勅撰歴史書。《古事記》とあわせて〈記紀(きき)〉という。天武天皇の第3皇子舎人(とねり)親王が勅を奉じて太安麻侶(おおのやすまろ)らと編纂(へんさん)し、720年に成立。参考:コトバンク

撮影:丸山由起

実は、田道間守(タジマモリ)という神様が、不老不死の薬として橘(たちばな)を持って帰ってきたのが、この和歌山県でして、橘本神社(※)という柑橘を祀っている神社が和歌山県の海南市にあります。そして、この神社の例大祭が本日10月9日、先ほどまで行われていました。

(※)橘本神社(きつもとじんじゃ)・・・海南市下津町橘本にある、柑橘や菓子業の祖として、また文化の神として広く崇敬される田道間守命を奉祀する由緒ある神社。参考:和歌山県神社庁

そして、神話を考える上で、これ以上ないゲストスピーカーとして、山本哲士先生に東京から来ていただいています。私は、山本先生の著書である『古事記と国つ神論 日本国の初まりと場所神話』(※)を読んで、古事記に対する考え方が劇的に変わりました。今日は山本先生から、柑橘と熊野、紀南の神様とはいったいどういうものなのか、というお話をいただきたいと思います。

(※)『古事記と国つ神論 日本国の初まりと場所神話』: 山本哲士 (著)文化科学高等研究院出版局 2022年6月発行 (Amazon)

そのあとは、パネリストとして「紀州原農園」の7代目園主の原さんに登場していただきます。原さんは、紀南地域で60種類以上の柑橘を育てられている農家さんです。(笑)。柑橘に関する文化や歴史など、多くの知識や知見を持たれており、いつも多くの学びをいただいております。このあとのお話が楽しみです。

もうお一方のパネリストは、坂本このみさんです。熊野古道をずっと歩き続ける熊野古道の専門家です。熊野古道を歩きながらどのような神々に出会っているのか、というお話をお伺いする予定です。

まず、山本先生からお話をいただきます。どうぞよろしくお願いします。

1.【レクチャー】今、国つ神(場所の神)を考えることは、なぜ重要か?

撮影:丸山由起

山本:
今年の春ごろ、南紀白浜で古事記をめぐる話をさせていただきました。そのあと本宮に行きまして、今日は田辺でお話しするんですけども、熊野は外の人間からは非常に気になります。

気になる根拠は、何なのかはよくわからない。恐らく内部の人間にもわからなくなっているのではないでしょうか。

例えば、ここは熊野の田辺という場所ですね。だけど皆さま、「大事にされている地元の神様」っていらっしゃいますか?

(沈黙……)

いらっしゃらないでしょうね。そのくらい神様は、日本人から遠ざかっているのです。熊野のように「神の国」だと言われていても、自分の場所における神様が誰であるかが、分からなくなっています。

これは、日本における相当な損失だと感じます。

そう感じたきっかけは、津波に見舞われた東日本大震災です。震災の時に福島の南相馬市にある「相馬野馬追」(※)という行事が行われている神社の鳥居が崩壊したんですね。でも、原発事故のせいで崩壊した鳥居が放置されたままだったんです。

(※)相馬野馬追・・・福島県の相馬地方で3日間にわたって行われる祭典で、国の重要無形民俗文化財(中略)。約400騎の騎馬武者が甲冑をまとい、太刀を帯し、先祖伝来の旗指物を風になびかせながらの威風堂々にして豪華絢爛な時代絵巻を繰り広げる。参考:相馬野馬追執行員会

私は、南相馬市から許可を得て視察に入ったのですが、神様が目の前で崩壊しているのに、その手助けができない、という状況である日本に、いったい何が起きているんだ?と、感じました。これは、原発事故だけの問題ではないな、と。

1)古事記と日本書紀と先代旧事本紀について

それからいろいろ調べ始めました。そして、乱暴な言い方で申し訳ないのですが、古事記研究家の方たちというのは、「古事記を読めていない」ということがわかりました。素直に古事記を読めばいいのに、古事記に書いていること自体を理解できていないんです。勝手に推察しているんですね。

一番気になるのが、熊野本宮の主神である家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ)、これがだれであるか誰もわからない、ということですね。宮司さんにお伺いしたところ、「須佐之男(スサノヲ)の気(け)がある」と言われました。主神が「スサノオ」になってるんですよね。でも、それなら「主神=スサノヲ」と書けばいいんですよね。でも書いていないわけです。

そうすると、「ケツミミコ」って誰だっていう話になります。探しても出てこない。

古事記を見てみると、神武天皇(イワレビコ)が河内で敗北して、南に下って、熊野から北上して奈良に入った、と書かれています。

奈良に向かって入っていった時に、すでに奈良を統治していた神がいました。その神は「饒速日命(ニギハヤヒ)」といいます。そのニギハヤヒが、神武天皇に統治を譲るわけです。ただ、これが非常に奇妙な話なんです。

長髄彦(ナガスネヒコ)という氏族は、ニギハヤヒを祀っていたのですが、神武に対して「お前は本当の神ではない。私が信仰しているニギハヤヒが本当の神だ」と言い続けたことで、逆にニギハヤヒが怒って、ナガスネヒコを殺したとあります。それによって、神武への移譲が可能になった、という話です。

これは、日本書紀にも古事記にも書いています。書いているのに、ほとんどの古事記研究者は無視するわけです。逆に在野(ざいや)の研究者の方たちが、そこを詳しく調べています。

「先代旧事本紀(せんだいくじほんき)」(※)という本が江戸時代に、「偽書」、つまり偽りの書であると言われて、放逐されたことがあります。ところが、本居宣長は、これはこれで一考に値する、と評価しています。

(※)先代旧事本紀・・・平安初期に編纂 (へんさん)されたと推定される歴史書。(中略)古代史の史料として重要である。参考:コトバンク

つまり、古事記と日本書紀と先代旧事本紀の3つが古代を示すうえで参考になる書になります。実は先代旧事本紀は、「ニギハヤヒ」の本なんです。ですから天皇家からすると、「偽りの書」だという形で捨て去られているのですが、読んでみたらわかりますけど、天皇家を否定などはしていません。

先代旧事本紀の一番面白いところは、古事記や日本書紀では、九州の日向(ひゅうが)に瓊瓊杵尊(ニニギ)の神様がアマテラスから命を受けて、日向に天孫降臨します。日向に天孫降臨したニニギの息子の息子、これが神武です。

これが日向から東遷して東に攻め込み、河内で負けて紀伊半島に入って、紀伊半島から奈良へ北上して、ニギハヤヒから統治を譲り受けて、初代天皇の系譜がひらかれる、という話になっています。

ただ、先代旧事本紀では、天孫降臨するのは、「ニギハヤヒ」です。河内の「斑鳩の峰」というところにおりてきます。そのときに10種の宝ものを手にして、自分が「神」であるということを、そこで表明しています。神武の方は、「3種の神器」なので宝を3つしか持っていませんが、ニギハヤヒは10個も持っています。

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

ただ、先代旧事本紀を研究しているうちに、古事記と日本書紀は「改ざんされている」「嘘だ」と言ってしまっている方がいます。ニギハヤヒこそが本当だと。極端な説では「ニギハヤヒが天皇としてすでにそこにいた」「天皇として譲位を神武に譲らなければ、神武は天皇にはなれなかったんだ」「だから、神武は天皇にはなれない」という論法もあります。私はこれを「でたらめ論法」と言っています(笑)。

「神武と対等な力を持っていたニギハヤヒという神様がいた」「ニギハヤヒは、神武を認めた」というこの2つの事実を現在にいたるまで継承して、生活の中でいかしている人たちが熊野の人たちだと、私は想定しています。つまり、ニギハヤヒ系列の人たちと、神武系列の人たちがここで共存しているのでは、ということです。

2)古代における氏族の争い

撮影:丸山由起

ニギハヤヒの世界に入っていくと、氏族の問題を考えなければいけなくなります。

なぜなら、「古事記」というのは神話を作り、「日本書紀」はそれが事実であるということを証明しているため、「先代旧事本紀」には、別の出来事の事実があるんだということを示しているからです。

そうすると、幻想の話ではなくて、もっと生々しい氏族がいた、ということになります。結論的に言いますと、それは「物部氏」(※)です。物部氏の系列の神様が「ニギハヤヒ」です。

(※)物部氏・・・古代の大豪族。古くから大伴氏と並んで大和朝廷の軍事、刑罰を司った。5世紀頃から大伴氏とともに大連となり、大伴氏失脚以後は、大臣蘇我氏と並んで朝政を牛耳った。崇仏の可否をめぐって蘇我氏一派と争って敗れ、物部氏の宗家は滅びた。参考:コトバンク

天皇家の方は特別だということで、氏族の神様とは関係ないと位置づけ、天照大神(アマテラス)から天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ)、伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)など全部の神様の新しい系統を作りました。

この天皇家が作った系統とその史実化、これに勝るものは日本にはないです。先代旧事本紀の方は、ちょっと乱暴で粗雑です。古事記が、系統体系を作り、日本書記でそれを正当しています。先代旧事本紀は偽りの書であるという説まで持ち出して、自分たちが正しいという歴史的な筋道を描き出しています。先代旧事本紀は乱暴ではありますが、物部氏の系列であるため、ニギハヤヒ系統の神様については、詳しく書いています。

これらの研究を今やっているのですが、ドツボにはまっています。わけがわからなくなっていて、全部ひっくりかえさないといけない?と。でも、ひっくり返したものが真実かといえば、そうではない。正直言って、頭の中が大混乱させられています。ただ、大混乱させられるほど、おもしろい。

3)自分たちの場所の神様とは

今日は、若い方が多くいらっしゃるので、大事なことをお伝えします。

自分たちが生活をしているところには、何らかの神社があって、その神社が古来から祀っている「場所の神様」は、「自分の存在」だということです。

自分のあり方、自分の祖先、自分の暮らし、自分の気持ち、それらを出したもの、それが「場所の神様」なんです。その神様がいないということは、「自分がいない」ということを意味します。日本人がおかしくなってしまったのは、大事に作り上げてきた神様を自分たちで捨ててしまったからです。神様を信じなさい、ということではありません。「自分を発見しなさい」ということです。

自分が暮らしている近所の神社でどんな神様を祀っているか。そこに必ず天皇家の神様が入っているでしょう。それはそれで、天にいる天つ神(アマツカミ)としてみとめてあげなくてはいけない。

天皇制批判をしている人たちは「天皇家は間違いだ」「天皇家をなくせ」なんていうことを言っているけれど、これは無意味です。大事なことは、「場所の神様」がなんらかの形式で「アマツカミ」を受け入れているということです。場所の神様である国つ神(クニツカミ)は、自分にとって何なのか、これを見つけなければいけません。もし、いないのならば、自分たちの歴史を踏まえてつくらなければいけない。それが「自分を作る」ことにつながります。

これからの話が一番のポイントです。天皇家がこの2000年近く、これほど長きに渡っているということは、民衆の心をちゃんとつかんでいる、という証拠です。そうでなければ、どこかで吹き飛ばされてしまいますよ。

何らかの形で民の心をつかんで、心に近づく形で描いたのが古事記です。

古事記を学校で教えていないということが、根本的な間違いです。「古事記を教えると右翼思想を教えることにつながる」とか、「荒唐無稽な噓八百を教えることになる」と言う人もいますが、そのようなことを言っている知性の貧困さが、日本のおかしさを生み出しているのです。

「古事記」というのは、ギリシャ神話、ローマ神話、メキシコのアステカ神話など、世界の神話を凌ぐほどのものがある、と私は思っています。それは日本人の心を表現しているからです。

ただ、それを鵜呑みにする必要はありません。「天孫降臨」という、神様が天から降ってきて、地上を支配するなんてことは、嘘だなんて、子どもでもわかりますよ。そうではなくて、どうして天孫降臨というような言い方をしたのか、ということを考えなくてはいけません。

日本書紀は、日向という何にもないところに降りた、と書いています。「何にもないところに降りた」というのはどういうことなのでしょうか。これは出雲に完全敗北して、山の中に逃げ込んだということを意味しています。「逃げた」ということを言うわけにはいかないから、「我々は天孫降臨した」と言ったわけです。

ただ、日向の岩があるところに降りたと言っているだけで、それ以上は、何も書いていない。神武の東遷(とうせん)といっても、大分の話と、播磨あたりの話から、急に河内まで話がとんでいます。

先代旧事本紀こそが事実だと言っている人たちは、それを「ウソの歴史だからいい加減なんだろう」と言ってしまいますが、そうではありません。そういうふうに言わざるを得なかった、ということです。

実際に歩く速度を考えたら、3カ月くらいで着くはずなのに、2年も3年もかかっているのはおかしいだろう、という言い方をする人がいますが、天皇家に協力していった各地方の部族が、天皇家を奉ったり、反発したりしながら、恐らく何百年もかかって東に到達しているんです。その歴史を日本人が忘れていることが問題なんです。そういうことを理解したうえで、天孫降臨を考えていかなくてはいけない、ということです。

ニギハヤヒは、河内にそのまま降りて来ていますからね。河内から奈良はすぐです。どうしてニギハヤヒがここに天孫降臨した、とわざわざ言ったかというと、ニギハヤヒのことを祀る氏族が、ここに拠点をもっていて、新しい統治を始めましたよ、というだけの話なんです。

そういうことを、ちゃんと神話から学びましょう、ということです。噓八百だったら、そういうものが浸透していくはずないんです。事実の根拠があって、ちゃんとふまえている。ということは、自分をそこに投影しているということなんです。

大事にして、子孫に受け継いで、何百年、何千年経っても、神社として日本に残っているわけです。神社では、何となく手を合わせている方が多いでしょうが、手を合わせるときもちゃんと神様の存在を知って、そこに敬いを感じることが大事です。

その時に祀る神様が、天皇家の神様なのか、物部系のニギハヤヒの神様なのか。それは自分の気持ちに合うものを選んでいればいいんです。私は、熊野はその両方を共存させていると考えています。熊野は、ニギハヤヒのことをたぶん捨てていません。

4)熊野本宮の主神、「ケツミミコ」

結論をここで言ってしまうと、熊野本宮の主神である「ケツミミコ」は、どう考えても「ニギハヤヒ」です。ニギハヤヒ以外に考えられない。ニギハヤヒとは言えませんから、ケツミミコという形で残しているのです。

熊野本宮は、天皇家の系列で全部神様を配置しているので、これはニギハヤヒということを出すわけにはいかないです。でも消すわけにもいかないから、ケツミミコとして残したわけです。さらに、ニギハヤヒは、名前を変えてこの近畿地方のあちこちに残っているだろうと推察しています。

大宮神社の大国主神(オオクニヌシ)、これも「ニギハヤヒ」と言う人がいますが、これはちょっと性質が違うと思っています。オオクニヌシはもっと出雲に近くて、「場所の強力な神様」です。「ニギハヤヒ」は、「場所の強力な神様」になりえません。天孫降臨で、上から降りてきているからです。どういうことかというと、たぶん葛城系の神様の状態があることが問題だと思っています。

葛城系に変わって物部氏が入り込んできます。物部氏は蘇我氏に敗北して追い出され、蘇我氏が推す仏教が入ってきます。物部家は神道を守ろうとする対立の中で、物部守屋が殺され、存在が消えていきます。そして、ニギハヤヒという神様を立てて、自分たちの正当性を記述したのが、先代旧事本紀だということです。

負けたといっても、政治の局面だけの話であって、どこかに逃げ落ち、ずっと生き延びていくわけです。だから物部氏というのは、全国のあちこちにいるわけです。

天皇家にも系図というものがありますよね。それが「血の系図」だというのは最近の話です。血縁の系列じゃないんです。全然別の人が入っている。古事記のころは、神武天皇にもお妃が3~4人くらいいますが、実際に結婚しているというわけではないんです。そこの部族と同盟関係に入ったということなんです。

産まれた子供は、人ではなくて、そこの部族の「土地」だということがあります。「人」なのか「土地」なのか「場所」なのか、不鮮明でわからないです。洞察力と想像力で考えるしかない。現実を踏まえているけれども、現実そのものではないということです。これはものすごく大事な所です。

だから、神様の一つ一つには全部意味があるんです。その意味を正確にたどっていかなくては、神様が何なのか、掴むことはできないのです。

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

ここに系図がありますけど、この系図も結婚の相手というよりも、どこかのお姫様と同盟を結んだと理解した方がいいです。

それで、スサノオの子どもで「大歳神(オホトシ)」という神様が生まれています。これは「ニギハヤヒ」です。それから、アマテラス系の中に 天火明命(アメノホアカリ)という神様がいますが、これも「ニギハヤヒ」になります。そして、これは日向に天孫降臨したニニギのお兄さんになります。

そして、大物主(オオモノヌシ)という、急に出てくる神様がいるんですが、これも「ニギハヤヒ」かもしれない、と思っています。

ニギハヤヒの息子が宇摩志麻遅命(ウマシマヂノミコト)で、この系列から、尾張、穂積、物部一族が出てきます。この尾張の一族は、今の名古屋の尾張の方までおさえています。そこに対抗する勢力を、イワレビコ(後の神武天皇)は作らないといけません。これは大変なことです。もう少し乱暴な言い方をしますと、日向の田舎に追いやられた小部族の天皇家が、対抗する勢力を作っていかなくてはいけない、これがイワレビコの役割です。

古事記と日本書紀が書かれたのは持統天皇、藤原不比等の時代です。一般的に言われているのは、持統天皇がアマテラスを、藤原不比等がスサノヲを表現したんだろう、と言われています。この時代はしょっちゅう貴族のあいだで戦いが起きています。天皇家も分裂する大変な時代です。

そのような状態の中で、自分たち天皇家が正しい、ということを正当化しなければいけません。そのために作り上げたものが古事記という体系です。そのため、抜けや失敗があってはいけないんです。

日本書紀には「一書に曰く」といって、別の説の考え方を網羅しているという特徴があります。別の部落や場所ごとに伝わる伝説などを、全部列記しています。これを、非常に丁寧に行っています。

それは、どちらが真実かということではありません。書いた人間の立場に立って、都合のことだけ選んで書いてしまったのでは「勝手に作ったもの」となってしまう。書かれている内容の配分は、天皇家がずば抜けています。これは素直に敬えばいいと思います。天皇家が偽りだと言ってもしょうがないのです。

けれども、熊野本宮が「ケツミミコ」のことを「スサノヲ」だと言っている限り、熊野は滅びていきます。これは、早くやめた方がいいです。熊野本宮の宮司さんも「スサノヲ」と言われていますが、スサノヲは別の神様です。

スサノヲはとんでもない神様で、アマツカミにもクニツカミにも当てはまらない神様です。どうもスサノヲの出身は、この紀伊ではないかと思います。紀伊から出た「木の神様」で、水の問題を背負って出雲に流れ、出雲から追い出されながらも天皇家の基盤を作り、九州の宗像神社を作ったというハチャメチャな神です。

だから、どこに行ってもスサノヲが出てくる。逆にいうと、何でもスサノヲの神様にしてしまうところがあります。でも、少なくとも熊野本宮では偽りを作ってはだめです。天皇家と共存するために、あるいは平安時代からの厳しい権力闘争の中で、そういう状態を作ってきたのかもしれません。ですが、神様というのは、歴史に基づいた根拠がありますからね。

「神様なんてだれでもいい」というのでは、自分たちをどこかで捨てているということになる、というのが私の一番言いたいことです。

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

こちらの資料をご覧ください。

世界大規模なカルデラ噴火が1400万年前にここで起きているんです。世界最大なんです。古代人は、カルデラ噴火の感覚を身体的に感じながら生存していたと思います。

古座川町の一枚岩に行って、笛を吹いてみると、笛が響かないんですよ。音が吸収されてしまうんです。この感性を古代の人が感じていなかったはずはないんです。ご存知だと思いますが、紀伊半島というのは、軽石の上に浮いているだけなんですよね。巨大な軽石の上にのっているという驚きの成り立ちで、地層の構造が違います。

言いたいことは、紀伊には、カルデラを中心として作られた非常に長い歴史があって、その神話化を担っているのが、ニギハヤヒと神武系の天皇家の2つの神話である、ということです。

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

こちらは熊野本宮大社の祭神ですが、ケツミミコノオオカミ、速玉之男神(ハヤタマノオノ

カミ)、熊野牟須美大神(クマノムスビノオオカミ)、事解之男神(オトサカノオノカミ)などは、古事記にはない神の名前なんです。アマテラスから下の神は古事記にものっていますが、古事記に書いていない神様こそが、大事な神様だということがわかります。

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

那智などの熊野三社の方も同じように古事記にのっていない神が、同じように大切にされています。

5)天孫降臨とは

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

古事記は高天原という世界を作り上げます。これは実際に日向の高千穂だと私は思っています。アマテラスという神様は、本来は海を照らす神様です。海を照らす神様を、天を照らす神様だと垂直に構成したのが天皇家です。

でも、実際は小さい貧しい国です。これが葦原中つ国、つまり日本全土に進出して、出雲から国譲りを受けて、日向に天孫降臨して、大和に攻め込んだ、という話になっています。これらの場所は全部併存している、というのが大事なところです。

高天原は上にあって、出雲が地獄にあって、葦原中つ国が真ん中にあるんだとしてしまったのが、平田 篤胤(ひらた あつたね)以降の近代の神道です。私が強調したいことは、「全部併存していた」ということです。

日向に天孫降臨したのが、天皇家の系列です。河内におりたのが、ニギハヤヒの系列です。

これが合体しているのが、奈良の南の方から熊野の方だと、私はみています。

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

天孫降臨でニギハヤヒが降りてきたのは河内です。そして、ずっと後に奈良に平城京が作られています。つまりどういうことかというと、ニギハヤヒも神武もここにはいないということです。現実的には河内があるだけで、紀伊半島領域全体の問題が、神様の始まりの問題です。

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

古墳の地図を見てみるとわかりますが、古墳が集まっているところは、宗像家の福岡、出雲、そして河内です。紀伊にはないですね。ないということは、いろんな神様が住んでいたということです。いろんな神が住んでいたということは、天皇家の系列、つまり支配の系列はここにはなかったということがわかります。

ほとんどの人はこの古墳が集まっているところを中心に考えますが、私は逆です。古墳がなかったところに、日本本来の存在があったと考えます。

出典:山本哲士氏のパワーポイントスライドより

6)紀伊の神々

撮影:丸山由起

東遷の途中、イワレビコ(神武天皇)のお兄さんのイツセが死んでしまいます。さらに、いろいろな神様を滅ぼしたりしながら進み、熊野で、大熊という大きな熊の神様が出てきて、ここでイワレビコが気絶します。

つまり、紀伊半島にいた大熊という部族にイワレビコは負けたということですね。そこに高倉下(タカクラジ)が刀を投げて、その刀で切り開いていった、という話があります。その刀は「七支刀」(しちしとう)といって、石上神宮(※)に奉られる刀になります。

(※)石上神宮(いそのかみじんぐう)・・・奈良県天理市。当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。参照:石上神宮公式サイトより

そのあと八咫烏(ヤタガラス)が出てきて、イワレビコを導き、「贄持之子(ニヘモツノコ)」や「尾生る人」や「石押分之子(イハオシワクノコ)」など、熊野関係にいた神様と協力しながら宇陀の方に入っていきます。兄宇迦斯(エウカシ)と弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟を味方と敵に分けさせながら攻め込んでいって、ニギハヤヒから10の宝を得て、奈良に入り込んむわけです。

ここの話は、日本書紀では、もっと綿密に書かれています。先代旧事本紀では、ほとんど古事記と同じ状態でアレンジされています。ということは、先代旧事本紀は、古事記を認めていた、ということです。10の宝の受け渡しのところはもっと詳しく書いてあります。

平城京と平安京に移るこのあいだに貴族の戦いがあって、何度も都がかわっています。この貴族の戦いは天皇家が正当なんだということを確立するためのもので、この紀伊半島が非常に重要な役割を果たしていたということがわかります。

根本的な問題は何なのかというと、紀伊に残る名もなき神社です。それらの神社の中には、何らかのものが絶対に残っています。そういうものを再発見しながら、熊野の町づくり、農業、林業、全体のあり方を考え、アマツカミをきちんと上にたてて、組み立てていくことが大切だろうと思います。

事実だけを信頼することです。神社はどこにあるか、その神社は何の神様を祀っているか。素直にそこに書いてある神様が何であるか、ということを自分たちで発見していくことですね。

田辺のやり方と、龍神のやり方とは違っていていいんです。一つにしなければいけない、ということはありません。龍神には龍神の、田辺には田辺なりの理解の仕方があるんだな、と場所ごとの考えの違いをお互いに尊重しあったときに、それは生き生きとしたものになっていくのです。

7)「千と千尋の神隠し」にあるニギハヤヒ

撮影:丸山由起

基本となる私の考えはこちらの『古事記と国つ神論 日本国の初まりと場所神話』(※)を読んでいただけるとわかるかと思いますが、宮崎駿監督のナウシカを取り上げた『「風の谷のナウシカ」と「モモ」から学ぶ: たいせつなことは何か』(※)もありますので、ぜひご一読ください。

(※)『古事記と国つ神論 日本国の初まりと場所神話』:山本哲士 (著) 文化科学高等研究院出版局 2022年6月発行 (Amazon)

(※)『「風の谷のナウシカ」と「モモ」から学ぶ: たいせつなことは何か』:山本哲士 (著)読書人 2022年9月発行 (Amazon) 

ナウシカを取り上げたのは、『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』の関係からです。『千と千尋の神隠し』では、「千尋」の名前が奪われて「千」になります。名前を奪われると、千尋の世界が奪われて、「千」の世界になるわけです。

「千」の世界にあらわれたのが「白」という神様です。「千」にならないと「白」には出会えていないということです。ここが大切な所です。千尋が川で溺れたときに救ってくれた神様なんですけど、「千尋」のままだと巡り合えない。「千」になったことで「白」という神様に出会うんですけど、「白」も名前を奪われて自分ではなくなっている。

「白」は、「千」の純粋さによって自分が「ニギハヤミコハクヌシ」だと思い出すんです。

「白」は「ニギハヤミ」だったんですね。「ニギハヤヒ」は火の神様で、「ニギハヤミ」は水の神様なんです。

どういうことかというと、「ニギハヤヒ」の時は天に降りています。「ニギハヤミ」の時は地下にいるんです。実は同じ神様を地面の方においたのが、「ニギハヤミ」なんです。

つまり、「白」は「ニギハヤヒ」なんです。そうすると、どうして宮崎駿さんはこんなところで「ニギハヤヒ」を引っ張りこんだんだろう、と思いますよね。でも、ご本人に聞いても「そうとしかならない」としか言いません。これも自分たちで考えなければいけないわけです。

これは今回のこの問題に直結しています。つまり、日本には天皇家の歴史があって、これは敬ってしかるべきなんです。それから、天皇家ではない系列もあるということ、これも同時に尊重すべきだということです。

この共存が成り立ち、この熊野から「ニギハヤヒ」をベースにして、「オオモノヌシ」が何者なのかを見直しながら、八咫烏とは何なのかを考える。八咫烏というのは大変ですからね。秘密結社があるとかいろいろ言われていますから、八咫烏がどうして神様なのか、足が3本もあるのかということを、自分たちで楽しく意味あるものとして甦らせて、熊野古道を歩くといろんなことが見つかるのではないかという、導入のお話をさせていただきました。

8)古代における橘の存在とは

撮影:丸山由起

藪本:
ありがとうございます。「橘」の資料もいただいていたと思いますので、そちらのお話も、是非お願いします。

山本:
橘は、11代天皇の垂仁天皇の時に出てきますね。天皇のために、先ほど出てきたタジマモリが、橘を探しに派遣されるんです。タジマモリが帰ってきて橘を捧げようとすると、天皇が死んでしまい、泣き叫んで自分もそこに祀られた、という話です。

橘というのは、日本書紀では、非時の香菓(ときじくのかくのみ)という名前で出てきます。「時がない」つまり「枯れない」ということです。冬でもみかんの花が枯れない、冬に実がなりますから、これは時を超えた果物だということです。

あとは、元明天皇の時に、県犬養橘宿禰三千代(あがたいぬかいたちばなのすくねみちよ)という人が出てきます。この人は藤原不比等の妻で、元明天皇時代の裏の女ボスでもあります。

義江 明子さんという方が非常に詳しく調べていて『県犬養橘三千代』(※)という著書があります。義江さんが調べているのは、女帝の存在なくして、天皇家の系列はありえなかったということですね。

同時に、ここから橘氏というのがうまれます。橘家というのは、源平藤橘(げんぺいとうきつ)(※)というものの中の一つです。元明天皇が橘に言った言葉に

「橘は果子の長上にして、人の好む所なり、枝は霜雪を凌ぎて繁茂李、華は寒暑を経てしぼまず、珠玉と共に光を競い、金銀に交じりて愈美し。是を以って、汝の姓は橘宿儺を賜う」

というものがありますね。この時代では中心人物だったのに、歴史の世界から姿を消していく一族です。これはどうしてなのか。そういうのが歴史の中でからんでいますね。謎だらけです。

(※)『県犬養橘三千代』:義江 明子(著)‎ 吉川弘文館 新装版 2009年12月 (Amazon)

(※)源平藤橘・・・日本史上、一族が繁栄した源氏・平氏・藤原氏・橘氏の四氏の称。参照:コトバンク

実は果物も神様と関係があるんですよ。文化勲章のデザインは橘ですよね。ちゃんとそうやって残っているんです。だから、「おいしいみかん」ということだけではなく、自分たちの心と神話との関係をつかむのはおもしろいし、大事なことだと思います。

 常緑樹である橘は、平安京の頃から京都御所紫宸殿の南庭に植えられ、「右近の橘」と称されるなど古来から珍重されており、その悠久性、永遠性は文化の永久性に通じることから、文化勲章のデザインに採用されたと言われています。

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