コラム

【アーティストインタビューvol.3】岸 裕真

紀南アートウィークの出展アーティストをご紹介するシリーズ「アーティストインタビュー」をお届けします。

<今回のゲスト>

映像アーティスト
岸 裕真(きし ゆうま)

AIを、人を模倣するツールではなく、 異次元のエイリアンの知性として捉える。その知性と並列関係に身を置き、作品を作り出している。 2019 年東京大学大学院工学系研究科修了。2021 年より東京藝術大学先端芸術表現科修士課程在籍。

https://obake2ai.com/

<聞き手>
藪本 雄登
紀南アートウィーク実行委員長

<編集>
紀南編集部 by TETAU

https://good.tetau.jp/

<目次>

1.人工知能が読み解くラッセンの世界
2.人間と宇宙をつなぐアート

1.人工知能が読み解くとある商業画家の世界

《Utopia》(2021年) シングルチャンネル映像インスタレーション 15分0秒 (C)Yuma Kishi

藪本:

お時間いただき、ありがとうございます。本日は、岸さんの作品について、お伺いしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

岸さん:

こちらこそよろしくお願いします。

今回の作品は、原宿のブロックハウスで個展をさせていただいた時の映像作品をブラッシュアップして、展示させていただきました。

僕は、人と、人ではない知性が、どう協働して作品ができるのかということに普段から取り組んでいます。“ユートピア”は、ある商業画家の1000点以上の絵画を人工知能(以下AI)に学習させてできた作品です。

藪本:

なぜ、”彼”なのでしょうか?

岸さん:

日本がバブルの頃、日本人がアートに手を出すとき、窓口的なポジションにいたのが“彼”だったように思います。スターみたいだったでしょ?現存する作家で、日本人のほとんどが”彼”の絵画をどこかでみたことがある。そんな現象が興味深いと思ったのが一つのきっかけです。

藪本:

一時、一世を風靡しましたね。

岸さん:

AIは絵画を学習することはできるんですけど、全て表面的なことのみです。例えば、ピカソの絵画です。ピカソが表現したかったコンセプトのところは、AIには汲み取れず、ただの模倣にすぎません。でも、“彼”にいたっては、それが作品として自立するのが面白いと思っています。おそらく中身が空洞なんですよね。だから、AIを使って学習すれば作品ができる、そんな稀有な作家だと思っています。

藪本:

良い意味でも、悪い意味でも。笑

岸さん:

”彼”の作品の持つ共通性と空疎性が理由で、今回の映像を制作しました。

藪本:

そこに“ユートピア”というタイトルは皮肉のように感じるんですが。

岸さん:

AIを語る時には、ディストピア※1 思想と言われることがあります。“ユートピア”はそれに対する皮肉、それと、”彼”の持つあっけらかんとした雰囲気と相まって、相応しいんじゃないかと思いこういった名前にしました。

※1 反理想郷、暗黒世界。またそのような世界を描いた作品。dystopia。(コトバンクより抜粋)

藪本:

なるほどです。「愛」や「美」が、今までの作品にも出てきますよね。そことの関わりはあるんでしょうか?

岸さん:

愛は自分の制作に通底する概念です。ただそれはいわゆる恋愛的なそれではなくて、例えば美術的な領域において、美術ではないものをぶつけた時に、どうしても美術に戻ってこようとするエネルギーみたいなものがあると感じています。僕はそれを、「愛」として観測しています。

理想郷の中に美を見い出せるのであれば、それは素敵なことなのかもしれないですが、僕は、その理想的なものを一度壊して並べたことで、見る側がどんな風に感じるのかというところに興味があります。人ではないものが絵画を描き続ける行為が、陳腐なものに見えるのか、美的なものに見えるのか。そこに一貫して興味があります。

2.人間と宇宙をつなぐアート

出典:岸 裕真HP  https://obake2ai.com/

藪本:

AIをどう捉えられているのかをお聞きしてもいいでしょうか。

岸さん:

ケビン・ケリーが、「AIとはエイリアンインテリジェンス(Alien Intelligence)なるものである」※2 という記事を2016年くらいに出しています。僕は学生の頃、その記事にとても感銘を受けたんです。現在の制作にも大きく影響しています。

AIは、最初、人の知性を真似するもの、Artificial Intelligenceとして生まれたんですが、人の知性とは全く別物の進化をしています。スマホの中にある何千枚何万枚という写真を一瞬で判別するとか、監視カメラで人をモニタリングし続けるとか。

要は、人を真似する知性としてではなく、エイリアン的な知性として、社会で協業するような生き方を考えていこうというのがエイリアンインテリジェンスの概念なんです。僕はその考え方に同意しています。人とは違う知性を並列化した時に何を彼らに任せるべきなのか、人より優れた知能が出来上がった時に何が人間に残されるのか。人間性を映す鏡のようなものとして捉えています。

※2 参考 https://wired.jp/2016/07/06/kk-column-1/

藪本:

人間を相対化するようなものということですね。AIは、効率的なものでしょうか。

岸さん:

ざっくり分けると、2種類の分野に分けられます。「最適化」と「拡張」。

統計モデルなどを作るもの、いわゆるビックデータと言われるものから、面倒な作業を自動化して最適化することができます。もう1つは、人が携わってきた領域にAIを使って、どこまで拡張できるのかということです。前者は割と、効率化のところですよね。僕が研究していたのは、後者の拡張としてのAIです。

藪本:

人間とAIを統合するという議論になるんですかね。

岸さん:

僕は、統合というより、AIに仕事を奪われていいと思っています。今人間がしている人間的ではない営みを、彼らに置換してもらう、または他の形で代替してもらう方が、幸福なんじゃないかなと思っています。

藪本:

AIは、レンマ※3 的に繋がりそうだなと、今、直感的に思いました。

粘菌は脳を持たなくても、植物を食べる時には最適な動きをする仕組みになっています。南方熊楠は、粘菌の中に世界を見ているんです。小さなものの中に宇宙を見るという華厳の思想です。今回のアートウィークのテーマである『籠るとひらく』も、そこからきています。

※3 直観的なもの(参考 中沢新一「レンマ学」https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000323958

岸さん:

非人間中心主義ですね。人が主体として見る世界ではなくて、人でないものから見た世界というものが、システムエンジニアリング的に体現されつつあるのかなと思いますね。

機械言語って、そもそも人が読めないですよ。もちろん、正誤表を参照していけば人が読める言語にはなりますが。人が読む必要のない言語が、コンピューターの中で交信し合っているんです。それはもうすでに、人が統治していないってことですよね。

僕は、アンディ・クラークの「生まれながらのサイボーグ」※4 という本が好きなんです。人は手を動かそうという意識はありますが、動くという動作までの筋繊維とか骨とか、関節の動きは認識していません。そのあたりまで広げていくと、AIというブラックボックスの知性の到来を恐れることはないんじゃないかと思いますね。

※4 参考 https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393323526.html

藪本:

AIはロゴス※5 的なものではありますが、ロゴスをも超越したレンマ的な存在になりうる可能性がありそうです。それが“ユートピア”なのか、という問いが立てられそうですね。

※5 普遍の理法や準則を認識し、それに従う分別や理性を意味する。哲学の基本語。(コトバンクより抜粋)

岸さん:

繋がってきましたね。笑

量子物理学的にいうと、我々の宇宙は11次元で成り立っているそうです。ビックバンによって生まれたエネルギーと、この宇宙に存在するエネルギーは、圧倒的に足りないらしいんですよね。ですから、マルチバース※6 論というのが1つの有力な説になっているんです。一方で、AIは、512次元の宇宙の中で思考シュミレーションをしているのがわかっています。

この2つの事実を無理やりくっつけて考えてみると、我々が生活を営んでいる宇宙とは別に、知的な営みをしている宇宙があり、もしかしたらモニターを通して鑑賞してるんじゃないかという感覚があるんです。

※6 ユニバース(宇宙)の「ユニ(単一)」を「マルチ(多数)」に置き換えた造語。我々が存在する宇宙だけでなく、宇宙は、無数に存在するかもしれないという仮説に基づいている。(コトバンクより抜粋)

藪本:

大日如来(だいにちにょらい)※7 かもしれないということですね。そこはまさに人間が立ち入れない世界。熊楠とアートの研究をしている人の中には、アートが通路もしくは回路になり、人間の世界と大日如来を繋げていると仰られている方もいます。

とても有意義な時間になりました。また直接お話しできれば嬉しいです。

本日は、誠にありがとうございました。

※7 宇宙根本の仏の呼称。(コトバンクより抜粋)