STORY
恵みの雨が育てる深い山々の緑。
神武天皇が歩み、道は拓け
空海が高野山を開き、
そこは巡礼地となった。
豊かな自然が育む海幸山幸は、
紀南の港より日本各地へもたらされた。
熊野や牟婁と名付けられた
この土地では神々は籠り、
人々はあの世とこの世を行き来すると
言われていた。
古来より、紀南には神の御室の元で
人や物が行き交い、
思想や情報が交差する場所でもあった。
そこで交わる人々の心や潜在意識は、
それぞれが
異なる文化や背景を持ちながらも、
相通ずるものがある。
紀南アートウィークでは、アートを通じて
この場所で交差する出来事、人々、思いを、
ここでしか経験することができない
かけがえのないものとする。
内と外、過去と現在、人と自然、
そして紀南/牟婁と世界。
ここにありながら、
どこか他の場所にもつながっている。
神々の御室に生じる新たな出会いは、
私たちに一体何をもたらしてくれるのか。
籠りの文化と港の文化
和歌山県紀南地域が所在する牟婁郡の「牟婁」という地名には「籠もる」「隠る」「神々の室」という由来があり、豊かな山林資源の中に籠り、内面的な世界を探求することに秀でた歴史的な特色を有しています。高野山の信仰や熊野古道の宗教観は、社会的地位や、信仰、性別等を問わない日本における寛容性と多様性の源泉であり、南方熊楠や長沢芦雪といった奇想天外な人物を輩出し、魅了してきた歴史があります。
その一方、本州最南端の半島である紀南地域は、「開放性」を特色として、かつて黒潮ともに移民文化を醸成してきました。長い海岸線と良質な木材は、古代から高い造船技術を発達させ、物資輸送や水軍の拠点として、歴史上大きな役割を果たしています。堺で最初に利用された船は紀州富田の船であり、かつて富田浦は「港」としての起点を担い、経済文化の中心地でもありました。しかし、現在は残念ながら、牟婁の由来や過去に繁栄した港の存在は忘れ去られているため、本活動を通じて私たちは、その歴史的・文化的資産を現代に蘇らせたいと考えています。
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「籠もる」と「ひらく」は本当に対立の概念なのでしょうか。
私達の仮説は、次の通りです。「ローカリティは、世界における豊かさの根源ではないか。本質的にはローカルもグローバルも同根ではないか。地域特有の歴史と文化を再度深く見直すことで、はじめてグローバルな世界と接合するのではないか。」
「籠もる:牟婁」=「ひらく:紀南」?
この方程式は正しいのでしょうか。「紀南」と「牟婁」は、ほぼ地理上、同義ではありますが、「籠もる」と「ひらく」という概念は実は「イコール」の関係にあるのではないでしょうか。現代においては、「ローカリゼーション」と「グローバリゼーション」は、なぜか言語に隔てられ、分断に陥っているようにみえます。それを分断と呼ぶなら、あえて分断を許容してもよいのではないでしょうか。
「無理に、安易に、グローバルを目指す必要はない。閉じていてもいい、開かれる前には、むしろ閉じるべきではないか。」
地域特有の歴史と文化を閉じて、再度深く見直すことで、はじめてグローバルな世界と接合するのではないでしょうか、私たちはその想いをロゴに込めました。