STORY

籠りの文化港の文化

和歌山県紀南地域が所在する牟婁郡の「牟婁」という地名には「籠もる」「隠る」「神々の室」という由来があり、豊かな山林資源の中に籠り、内面的な世界を探求することに秀でた歴史的な特色を有しています。高野山の信仰や熊野古道の宗教観は、社会的地位や、信仰、性別等を問わない日本における寛容性と多様性の源泉であり、南方熊楠や長沢芦雪といった奇想天外な人物を輩出し、魅了してきた歴史があります。

その一方、本州最南端の半島である紀南地域は、「開放性」を特色として、かつて黒潮ともに移民文化を醸成してきました。長い海岸線と良質な木材は、古代から高い造船技術を発達させ、物資輸送や水軍の拠点として、歴史上大きな役割を果たしています。堺で最初に利用された船は紀州富田の船であり、かつて富田浦は「港」としての起点を担い、経済文化の中心地でもありました。しかし、現在は残念ながら、牟婁の由来や過去に繁栄した港の存在は忘れ去られているため、本活動を通じて私たちは、その歴史的・文化的資産を現代に蘇らせたいと考えています。

GREETING

  • 藪本 雄登
    籠り、開きゆく世界 GREETING FROM GENERAL PRODUCER

    世界に広まった未曽有の感染症は、私達の価値観を揺るがしました。
    華美なものより、余計なものが削ぎ落とされた本質にこそ、価値が見出される時代になりつつあります。

    “籠もる牟婁 ひらく紀南”

    まさに -開かれつつ閉じゆく世界-、そして、-閉じながら開いてゆく世界- がここに紀南にあります。
    内なる自分と向き合いながら、世界を自由に探索し続けた熊楠のように世界は、紀南や、牟婁や、そして、熊野のような場所を求めているのではないでしょうか。

    “籠もる:牟婁”=“ひらく:紀南”?

    この方程式は正しいのでしょうか。“紀南”と“牟婁“は、地理的にはほぼ同義です。これに対して”籠もる“と”ひらく“についても、実は“イコール”の関係で繋ぐことができるのではないでしょうか。現代において、“ローカリティ”と“グローバリティ”は、なぜか言葉で隔てられ、分断されているように見えます。それを分断と呼ぶなら、あえて分断を許容してもよいのではないでしょうか。

    長い海外生活を経た私の結論は、ローカリティこそが世界における豊かさの根源であり、土着の場所と歴史を再度深く見直すことで、はじめてグローバルな世界と接合することができる、ということでした。

    無理に、安易に、グローバルな世界を目指す必要はありません。閉じていてもいい、開かれる前には、むしろ閉じるべきではないでしょうか。土着の場所と歴史を閉じて、再度深く見直すことで、はじめてグローバルな世界と接合できるのです。

    総合プロデューサー 藪本 雄登