コラム
– 熊野に孤独な木はない –
アーティストのヘアート・ムル(Geert Mul)は、2024年7月、8月の紀南アートレジデンス Vol.2に滞在中、このエッセイを書き上げた。
【熊野に孤独な木はない】
広々とした空間にぽつんと佇む樹木の作品を見るとき、しばしば非常に根源的なことが起こる。
近年、私の芸術作品のいくつかは、孤立した木という民俗学的なテーマに徐々に引き寄せられている。孤立した木を見ることは、人を見ることに似ている。もっと言えば、その木の特徴に共感し、すぐにその木を自分自身と同一視するのだ。
西洋美術史において、「風景」が描かれる対象であることはほとんどない。
線遠近法を用いることで、鑑賞者はその光景の中心に置かれる。そして、ほとんどの場合、イメージの中には人間の姿がある。自然に比べてちっぽけな存在だが、それこそがメッセージであり、自然は宇宙や神のアナロジーとして機能する。
芸術において「風景」とは、自然のイメージではなく、私たちのイメージである。孤立した木は、単独の個人、すなわち「人間の状態」を映し出す。
私は今、大阪の南に位置する和歌山県熊野地方の田辺市にある日本家屋の木のテーブルでこれを書いている。ここで私は、この地で生まれ育った南方熊楠(1867-1941)の人生、哲学、そして仕事についての創造的な研究プロジェクトに取り組んでいる。南方の精神性、自然哲学、科学の融合に触発された私は、自然と文化の相互作用とそのテクノロジー的繋がりを探求することによって、芸術的実践を深めることを目指している。
Geert Mul. 1200 years old Camphor tree at Tokei-Jinja Shrine, Tanabe, Wakayama.
この調査の一環として、私は記念碑的な写真作品を制作するために、古くからの孤立した樹木を探している。森、山、巡礼路、寺院からなるこの広大な地域には、このような樹木がたくさんあると予想していたが、この地域の歴史は違った物語を物語っている。
1915年から1920年にかけて行われた熊野の森林再生は、伐採や農業で荒廃した森林を回復させることを目的とした日本政府の大規模なプロジェクトだったが、経済的、政治的利益も大きかった。このプロジェクトでは、日本のスギやヒノキといった商業樹種の単一植樹に重点が置かれ、ナラ、カエデ、ブナといった落葉樹はほとんど姿を消した。
この森林再生の期間中、日本政府は、この地域に何百とあった地元の小さな寺社の数を減らす(取り壊す)ことを目的とした政策も実施した。これはコスト削減と行政の効率化のためであったが、明治時代からのイデオロギー的な政治的背景もあった。南方熊楠はこの政策を強く批判し、初期の環境活動家・科学者として、生物多様性の保全と小規模な神社仏閣のネットワークを提唱することに成功を収めた。
精神性と自然が一体となった神道では、神社と古代の特別な樹木との間に強い結びつきがある。神社はしばしば「鎮守の森」として知られる神聖な森に囲まれており、それらは保護され、地域の生物多様性の避難所としての役割を果たしている。
このような歴史の結果、古代の孤立木は現在、熊野の多くの神社にしか見られない。この木は、注連縄(しめなわ)と紙垂(しで/折り紙の吹き流し)で飾られ、神社の物理的な空間と精神的な次元をつなぐ重要な役割を果たしている。
このようにして、この木は文化的・宗教的意味のネットワークに組み込まれ、孤立を打ち破り、自然と精神性の活気ある共同体の中に根をおろしている。孤立した木は決して孤独ではない。それどころか、共同体の一部なのだ。
熊野では、自立した樹木もまた「人間の状態」を反映しているが、ここでは、それは孤立した個の状態ではない。正確に言うと、精神的、社会的に深く根ざした状態である。
【アーティスト紹介】
Geert Mul(ヘアート・ムル)
和歌山県熊野市田辺 28-07-2024
このエッセイは、2024年7月から8月にかけて、日本の紀南/熊野での実践志向の創造的研究滞在の中において書かれたものである。このリサーチは、特異な日本の博物学者、民俗学者である南方熊楠(1867-1941)にインスパイアされている。滞在先は、南方熊楠が生まれ、活動し、南方熊楠顕彰館がある自然豊かな和歌山県田辺市である。
協力:紀南アートウィーク
クリエイティブ・インダストリー振興財団(Stimuleringsfonds Creatieve Industrie NL)