紀南アートウィーク2024「いごくたまる、またいごく」をめぐって

四方幸子

初めて訪れた「紀南アートウィーク」(以下:KAW)は、結論から言えば規模、場所や会場、作品などあらゆる面から非常にバランスが良く、楽しめ、そしていいシナジーに溢れたものだった(実行委員長の薮本雄登さんから「厳しめに書いてください」と言われていたものの、私の思う限りではこれといって思いつかない)。

想像するに、過去3回において出た課題に対してしっかり向き合い対応をしてきたこと、地域出身・在住のスタッフが多く、フェスの時期以外でも継続的に地元の人々、組織、企業とコミュニケーションをし、地固めしているからだろう。

私は今回オープニングトーク[1]で薮本さんとお話をし、またオランダのメディアアーティスト、ヘアート・ムル[2]を紹介したことで、KAWとの直接的な接点をいただいた。

熊野については、20年以上前に個人的に回ったものの(田辺や白浜は未訪)、以来熊野をより知る度に、その奥の深さから再訪のタイミングを逃したままとなっていた。それを今回ついに開けていただいた感謝とともに、この縁を機に熊野や田辺、白浜をもっと知りたいと願っている。

南方熊楠は、とりわけ私にとても重要な存在だが、まさにKAWの開催地域がお膝元である。念願の熊楠の住んだ場所や地域、熊楠に関する2館、神社、街並み、自然に触れ、少しでも分け入ることができたことで、KAWやその存在意義をより実感できたように思う。

KAWは第1回のテーマ「籠もる牟婁、ひらく紀南」に始まり、紀伊田辺、白浜の地域の特性を活かしたフェスを展開してきたが、近年熊楠を核として位置付けていることは、今回のテーマ「いごくたまる、またいごく」で顕著である(紀南地方の方言を使っていることも重要)。以下、今回の解説から引用してみよう。

「現在の二極化や領土争いが激化するこの世界も、粘菌の世界のように変化の移動の過程にあると思えば、私たち人間が持ちうる自由さを再び見出すことができるのではないでしょうか」「粘菌や土が推してくれるその在り方のように、特定のある場所・ある視点・ある価値観などにとどまらず柔軟に生きていくことを発見していくことを、アーティストの作品やワークショップなどの様々な体験を通じて、発見していくことを目指します」

粘菌を知り学ぶことで、人間も新たな世界観—既存の様々な境界を超え、より柔軟な価値観とともに地域や社会をともに創発していくこと、アートがそこに関わることでその契機を開いていくこと。間口を広くし優しい言葉で、しかしとても高次で深いことを語り実践しようとしているのがKAWの特徴である。

そもそもKAWは、アジア各地に弁護士事務所を開設し、映像を中心としたアジアの現代美術のコレクターで、アウラ現代藝術振興財団を主宰しキュレーターとして活動するなど、まさしく八面六臂の活動をする薮本さん[3]の熱意(地元愛とアートを介した活性化の希求)に発し、彼の稀に見る機動力に牽引されていた。フェスの回を重ね、会期以外でも様々なイベントを行う中で、彼の飛び抜けた熱意と実際の活動のバランスがなだらかに調整され、無理のない体制になってきたように今回強く感じた。

フェス時期以外でも様々な活動があり、ピンポイントで訪れる時期が分かりづらい印象もあるが、いわば年間を通して継続的に地域での活動を行っている。そしてそのことによって、KAWが動的に地域や地域資源、人々を巻き込みつなぎ、絡まり合いを促進し、一種の生態系が形成されつつあるように感じる。テーマと同様に、実際KAW自体が熊楠や粘菌から触発され、「粘菌化」に向かっているのとさえ思えるほどである。


[1]オープニングトーク「エコロジーとアートいま、粘菌性がなぜ重要か?」(2024年9月19日18:30-20:00会場:tanabeen+(タナベエンプラス)四方幸子、薮本雄登(紀南アートウィーク実行委員長)。

[2]オランダ・ロッテルダム在住。南方熊楠や粘菌に興味を持ち、今夏田辺に「紀南アート・レジデンスvol.2」として滞在、今回は粘菌をテーマにした既存作を発表、来年のKAWで田辺で制作した作品を発表予定。

[3]「ゾミア」や南方熊楠研究者でもあり、現在は秋田公立美大で博士課程に在籍。

以下、気づいたことをランダムに…

1)オープニングトークについて

・まず薮本さんから今回のKAWについての説明があり、その後私から展示やKAWの感想を、まだ(南方熊楠記念館以外の)白浜会場を見たのみであったが述べた。その後熊楠や熊楠の提示したものについて、参加アーティストからの作品説明、ヘアート・ムルの作品について[4]、ムル作品から展開して日本と西洋の自然観や精神性の違い、彼が使用する生成AIのことなどへと話題が展開した。来場者の方々は、アーティストや熊楠や粘菌研を含む文化人類学者など関係者に加えて、地域の方(これまでのKAWを見てきた方も)や学生の方など様々で、KAWが広く人々に興味を持たれていることを実感した。


[4]ムルは今回の滞在で、「孤独な木はいない」をテーマに、木のあり方や自然をリサーチした。来春再度滞在の予定。

「トークセッション風景—エコロジーとアートーいま、粘菌性がなぜ重要か?」

2)展示や作品について

・自然の景勝に恵まれた観光地の白浜と城下町で文化的な香りを持つ田辺という、それぞれ個性を持つ地域での開催、地域にある多様な場所で、会場に合わせて作品が設置されている。

・規模感もよく、個性的な場所(観光地や「ミュージアム」と標榜する建物自体の希少性と常設作品を設置しているホテル、神社や熊楠の顕彰館や記念館など)で作品を見るという、ダブルの体験ができる設定も多い。

・場所のバリエーションが豊かで、各場所やスペースの特性に応じたキュレーションの妙が発揮されている。

・白浜駅前のオルタナティブ・スペースノンクロンのように、KAWを介してアートに接してきたオーナー尾崎寿貴(2Fの美容室を経営)がアウラ現代藝術振興財団のコレクションを使用したキュレーションを任され、「白浜の未来」をテーマに「nongkrong—種を蒔く」展を実施するなど、地域の人々の創造性を喚起し、楽しみながらジャンルを超えた対話や交流、参加を触発する実験が当たり前のようになされている。

「nongkrong—種を蒔く」尾崎寿貴
《包まれた未来 2 / WRAPPED FUTURE II》 Lim Sokchanlina(正面)
《無題 / Untitled》廣瀬 智央(右)

・展示会場でもとりわけインパクトがあったのは、アドベンチャーワールド、三段壁洞窟、川久ミュージアム(ホテル川久)、いずれも白浜である。まさに「観光地ど真ん中」、かつ強烈すぎてアートを設置するのが困難と思われる場所にKAWが入り込んでいる。それも各所の特徴を活かしながらアートを展示し、相互触発をしている。

・これら観光地(多くが1970-80年代の日本経済の好況時に作られた)に照明を当て、現代そして未来における新たな存在可能性をアートを通して問い直す場となっている。領域横断的な活性化とともに、社会や時代そしてアートの意義への批評的なまなざしがある。

・アドベンチャーワールドは、これまで自主的に独自のアーティストの滞在制作&展示プログラムを実施しているが、KAWにも予算を提供、地元出身のアーティスト前田耕平が、自ら子どもの時に何度も通ったであろう現場の現在と「動物園の未来」について2年間をかけてリサーチ、スタッフの方々と話し合いながら丁寧に進め「あわいの島」展を実現した。動物と人間、自然と人口、娯楽と教育などの「あわい(間)」から考えていくアプローチで、制作にあたってスタッフの方々に大いに協力いただいたという。本作では、この施設の特徴である動物を飼育しショーを行うという側面やバックヤードに目を向け、動物の視点を取り入れることで、この場所の意味や意義をあらためて検討することがなされている。そして実際制作に関わった人々に、自らの仕事、アドベンチャーワールド、社会、そしてアートに対して意識を新たにするなどの変化が起きたという。インスタレーションでは、映像や衣装、テキストに加え制作プロセスも披露されたが、一般来場者に普段感じたことのないインパクトや新たな視点を喚起させたはずである。

「アドベンチャーワールド—あわいの島」前田耕平

・三段壁洞窟では、自然の凄まじさ(熊野水軍の古跡でもある)に比べ、作品の印象は弱くなりがちである。入口に昨年より常設される前田耕平の《Breathing》は、周辺の自然環境データと音に合わせて「火」の映像が変化する作品で、2021年のKAW(高山寺での前田作品)での縄文土器の形が使われるなど、フェスでの連続性とともに、異なる場所の歴史や自然を結びつけている。

「三段壁—Breathing」前田耕平

・全体を「美術館」と名乗るホテル川久内の川久ミュージアムの豪華絢爛さ(建築やデザイン、インテリア、ホテルの常設作品)の中、複数の空間で展開された「水の越境者(ゾーミ)たち」展(6作品)は、アジアのアーティストを中心に、薮本の研究テーマに発するが、それぞれの空間の特性に呼応する展示となっていた。

「川久ミュージアム—水の越境者(ゾーミ)たち」
《母なる川 / Mother of River》 Mech Choulay& Mech Sereyrath(左)
《潮汐 2012-2021 / Tides 2012-2021》山内光枝(右)

・田辺では、南方熊楠顕彰館(熊楠の自邸があり、現在も公開中)での展示〜BreakfastGallery〜SOUZOUと熊楠が住んだ界隈を散策する楽しさもあった。[5]BreakfastGalleryとSOUZOUでは、靴を脱ぎ日本家屋の佇まいの中に設置された作品をじっくり鑑賞することができた(前者で展示した黒木由美の作品は、通常塊として使用されない釉薬による造形で、また「粘菌」的なものの文脈としても解釈可能で興味深い)。・闘鶏神社では久保寛子が、境内の複数箇所に「目」を設置した。モノを建てるのではなく、自然の中にささやかに「目」を差し込むことで、木や森などが私たちを「見ている」ことになり、見つけた時の驚きと「自然から見られている」という感触が、アニミズムやモア・ザン・ヒューマン的な世界へと私たちを誘っていく。由緒ある、熊楠にもゆかりの深いこの神社が会場となったことも画期的なことである。


[5]顕彰館では「粘菌:うごく、とどまる」(ヘアート・ムルを含む3作品)、BreakfastGalleryでは「変わり続けるかたち」(3アーティスト)、SOUZOUでは「留まるという抗い」(4作品)を展示。

「南方熊楠顕彰館—熊楠家の庭にて新種粘菌発見の柿の木」

「南方熊楠顕彰館—粘菌:うごく、とどまる」
《 萃点》廣瀬 智央(左)
《BladGrond》Geert Mul(右)

「BreakfastGallery—変わり続けるかたち」
《 つながりのかたち》杵村直子(左)
《#55》黒木由美(右)

「SOUZOU—留まるという抗い」
《 無題》Tith Kanitha(左)
《Across the Forest》Truong Cong Tung(右)

・白浜の南方熊楠記念館では(ここでは館の独自企画「南方熊楠と粘菌・アート」展を開催)、熊楠研究者でもある唐澤大輔のワークショップや彼が秋田公立美大で展開する粘菌研究クラブによる「粘菌ねぶた」が展示された(本大学からの作品は、田辺の南方熊楠顕彰館でも展示:山田汐音「粘菌研究」)。また田辺市の街なかの複数箇所で杵村直子(BreakfastGalleryでも展示)の絵画を見ることができた。

「南方熊楠記念館—粘菌ねぶた」唐澤大輔

「田辺市街地—境界をまたぐ」
 《日々絵》杵村直子

・それ以外でも、(見ることはできなかったが)ワークショップやイベント、トーク、映画上映会など多彩なイベントが開催された。これらイベントを含め、各会場の会期は異なり、そこでも複数のものがそれぞれ自律しながら連携するという粘菌的な構造が取り入れられている。

3)KAWの特徴:継続性、地元との強いつながり

「南方熊楠記念館より神島を望む」

・廣瀬智央(今回は南方熊楠顕彰館とノンクロンで展示)や前田耕平など、KAWに継続的に関わるアーティストも多い。とりわけ田辺出身の前田は、地域への想い、そして自ら長年研究し言及する南方熊楠との関わりが強く、KAWを代表する存在として地域に育てられ地域を育てている。今後の展開が楽しみである。

・KAWは「紀南アート・レジデンス」を展開しているが、アーティストの多くは田辺市街地にあるシェアハウスのトーワ荘に滞在、KAW会期中は、ここの共有スペースが人々が自然と集う場となった。このような場があることが、継続的な交流やネットワークを活発にしている。

・KAWでは、自治体の助成に頼らず、地域の人々や様々な場所と直接交渉して作品の展示やプロジェクト展開を実現している。地域の人々、施設や企業からのスペース提供、制作サポートも多く、信頼が根付き発展していることが特徴的である。

・藪本さんはじめスタッフの同級生や知人などのネットワークをはじめ、顔が見える関係が土壌となっている。また企業の代表などに若い世代が多く、新たな試みを歓迎するオープンで挑戦的な気風が感じられる。これは水軍をはじめ大海に出てきた歴史を持ちや観光地として培ったマインドでもあるだろう。温暖で風光明媚なこの地域は、魅力に溢れている。しかし大阪など関西の大都市からのアクセスはあまり良くなく、むしろ飛行機で東京からのアクセスが早いほどである。課題としては、全国津々浦々で共有されている少子高齢化に加えて、白浜では観光業の未来がある。そのような中、KAWは、地元の人々とともに地域を活性化しようとする思いを共有している。また地元の人も協力だけでなく、企画に関わり(いい意味で「巻き込まれ?」)はじめている。

それは、義務でも強制でもない。それぞれが地元の活性化を「自分ごと」と考え、他者やアートを排除せず、むしろ自発的に面白がり楽しもうとする姿勢に発している。KAWはアートとして真っ向から地元と関わることで、白浜や田辺の未来を開こうとしている。そこに未来へ向けたビジョンと覚悟を感じるのは、私だけでないだろう。


四方幸子(しかた ゆきこ)
キュレーター/批評家、美術評論家連盟会長。「対話と創造の森」アーティスティックディレクター。
多摩美術大学・東京造形大学客員教授、武蔵野美術大学・情報科学芸術大学院大学(IAMAS)・京都芸術大学非常勤講師。
「情報フロー」というアプローチから諸領域を横断する活動を展開。1990年代よりキヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC](2004-10)と並行し、インディペンデントで先進的な展覧会やプロジェクトを多く実現。
2010年代の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016など。2020年以降の仕事に美術評論家連盟2020シンポジウム(実行委員長)、MMFS2020、「ForkingPiraGene」(C-Lab台北)、2021年にフォーラム「想像力としての<資本>」 (2021)、フォーラム「精神としてのエネルギー|石・水・森・人」(2021)、「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」(2021-2023)、大小島真木・辻陽介『千鹿頭 CHIKATO』(2023)、「混沌に愛/遭い!—ヨーロッパと東京をつなぐサウンド、メディアアート、ケアの探求」(2024)など。国内外の審査員を歴任。著書に『エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論』(2023)。共著多数。yukikoshikata.com