みかんダイアローグ Vol.6 :「微生物―不確定な時代を生きるアート―/The Silme Mold at the End of the World」テキストアーカイブ

紀南アートウィーク2024「いごくたまる、またいごく」展に先立ち、紀南アートウィーク2024に出展アーティストであり、田辺在住のアーティストである杵村直子さん、気候変動や植民地主義の問題を粘菌/微生物等を中心として世界を捉え直す実践を行っている環境アクティビストである酒井功雄さんをお招きして、トーク・セッションを開催しました。

本文は、アートや植物、微生物等を通して、人間と自然との関係性を深掘りするオンライントークセッション、 みかんダイアローグ第 6 弾の記録です。

【オンライントーク・セッション】

 日 時:2024年8月28日(水) 20:00~21:30

【ゲストスピーカー】

杵村 直子(きねむら なおこ)
1975年、和歌山県田辺市生まれ。武蔵野美術大学卒業。画家。平面における空間性を探究している。世界各地で風景をその場で描き上げる「絵描ノ旅」シリーズを飛行機機内誌に連載。365日、日常を描きオンラインに公開する「日々絵」シリーズからAnna Tsingの著書「The Mushroom at the End of the World」表紙絵に採用(プリンストン大学出版局より)。そのほか、海と空をその場で描きあげるシリーズなど、具象と抽象のはざまを描いている。また、子どもたちの創造の可能性を研究し、子どもが生み出すアートピースとの合作も試みる。主な展示と作品に、2012年「内側とかたち」(個展・東京銀座)、2024「春を想う」(グループ展・東京銀座)田辺聖公会マリア礼拝堂 壁画など。

酒井 功雄(さかい いさお)
東京都出身。気候変動を文化的・思想的なアプローチで解決するために、「植民地主義の歴史」と微生物を中心に世界を捉えなおす思索を行なっているアクティビスト。日本・東アジアで脱植民地主義を考えるZINE「Decolonize Futures—複数形の未来を脱植民地化する」エディター。2019年2月から学生たちの気候ストライキ、”Fridays For Future Tokyo”に関わり、2021年にはグラスゴーで開催されたCOP26に参加。現在米国インディアナ州のEarlham Collegeで平和学を専攻。2021年Forbes Japan 30 Under 30選出。

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下田:皆さん、こんばんは。本日はオンライントークセッションにご参加いただき、ありがとうございます。今回のイベントを主催している紀南アートウィークの下田と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。

紀南アートウィークをご存じの方、いらっしゃるでしょうか。和歌山県の紀南地域を中心に活動している芸術祭アートプロジェクトです。今年のテーマは「いごくたまる、またいごく」。私の背景にキーヴィジュアルが映っておりますが、このウニョウニョしたものはスライム状態の粘菌をイメージしたものです。今日のテーマの微生物と粘菌とは、厳密には似て非なるものなのですが、今回のテーマである「小さな生き物たち」というカテゴリーには入るだろうということで、今回のオンラインセッションを企画いたしました。

 紀南アートウィークでは、何らかのイベントを開催する際、その一環としてオンラインのトークセッションを行っています。今回で通算6回目になります。「みかんダイアログvol.6 微生物―不確定な時代を生きるアート―」とのテーマのもと進めてまいりますので、よろしくお願いいたします。

初めに、きょうのゲストスピーカーをご紹介しましょう。まず1人目は、酒井功雄さんです。酒井さんよろしくお願いいたします。

■酒井功雄:微生物 不確実な時代を生きるアート■

酒井:はい、よろしくお願いします。

 皆さん、初めまして。酒井功雄と申します。今日はアメリカのインディアナ州から参加しています。こちらは今、朝の7時です。

 私は「気候変動アクティビスト」と名乗っています。6年くらい前、高校2年生のころから、「気候変動アクティビズム」という社会運動に関わるようになりました。何をするのかというと、気候変動の問題に文化的・思想的な面からアプローチして解決を図ることを目的としています。

 そんな人間がなぜ、微生物がテーマのトークセッションにゲストとしてやって来たのか。後ほどお話しできたらと思います。

写真:酒井功雄

 まずは、私がいま取り組んでいることについてお話ししましょう。ZINE「Decolonize Futures—複数形の未来を脱植民地化する」という雑誌の出版を通じて、日本・東アジアでの植民地主義や脱植民地化についての議論を広めることに取り組んでいます。2024年の8月にちょうど三冊目を出したところです。

 僕は気候変動アクティビストとして、気候変動を文化的・思想的なアプローチから解決することをテーマに活動しています。具体的には、「植民地主義の歴史」と微生物を中心に、世界を捉え直す思索を行っています。

 次の写真は、イギリスのグラスゴーで開催された国際会議「COP26」に参加したときのものです。一緒に映っているのは、アイルランドのメアリー・ロビンソン元大統領です。私たちは、政治家や科学者との対話を通じて、気候変動に関する政策提言するといった活動をしてきました。

 写真:酒井功雄

 

 ご存じのように気候変動というのは、二酸化炭素が排出されていくことによって、地球の気温が上昇し、世界各地で異常気象が起こっているわけです。2023年の夏に国連のグテーレス事務総長が、とうとうこんな表現をしました。

「もはや地球温暖化ではなく、地球沸騰化である」

写真:酒井功雄

 具体的には、洪水、森林火災、干ばつなどが頻発、台風の大型化、海面の上昇。あるいは、温暖化によって熱帯地域が拡大するにつれて伝染病が増える確率が高くなる、といった懸念も生まれています。

写真:酒井功雄

 私がこの問題の深刻さに気づいたのは高校生のときでした。それ以前も地球温暖化が進んでいること自体は知っていました。しかし、まさか自分の身近に迫る喫緊の課題とまでは認識していませんでした。それにも関わらず、日本においても世界においても、問題解決に向けた社会の転換が全く進んでいません。この現実にすごくプラストレーションを感じて、もやもやしているときに、スウエーデンの環境活動家・グレタ・トゥーンベリさんの活動を知りました。彼女は強力な気候変動対策をスウェーデン政府に求めて、彼女の通う学校でストライキを行っていました。「未来のための金曜日 (Fridays for Future)」という名のもとに行われたこのストライキは世界中に広がり、私はこの運動の日本のメンバーとして活動するようになりました。

写真:酒井功雄

 最初はみんなと同じように、CO2削減を実現するための再生可能エネルギーなどの政策提言についていろいろ考えていたのですが、あるとき、大学の授業で、ある教授からこんな質問を投げかけられました。

「これまでの歴史のなかで、人間の生活のために自然破壊を許容してきた文化とは、一体どういうものなのか? 環境破壊を文化的に問題視してこなかったところに、気候変動の問題の根っこはあるのではないか」

この言葉にハッとさせられました。自分自身が捉えていた以上にさらに深い問題があることに気付かされたのです。 

その後、私なりに一生懸命考えて行き着いたのが、「植民地主義に由来する環境破壊の文化」というものです。

写真:酒井功雄

 まず、この問題の根底にあるのが二元論的な考え方です。本来、人間は自然の生態系のなかで、ほかの生き物と関わりながら生きる存在です。しかし二元論では、人間は自然とは別の存在、自然から切り離された存在であると考えられてきました。その結果、人間は自然より優位な存在とされ、自然を野蛮なもの、動物的なもの、未成熟なものとみなして、支配の対象とする構造が生まれたのだと思います。

写真:酒井功雄

 一方、日本のアニミズムを含め、世界各地の先住民族の文化を見渡してみると、人間はほかの生命との関係性のなかに生きる存在では明らかです。

 しかし、植民地主義の台頭によって、そうした文化は野蛮なものと見なされ、ヨーロッパという強者によって淘汰されていきました。ひいては富裕層が人間の中心とされ、そうでない人々は搾取の対象とされる構造が生れたのではないかと考えています。

 この構造は、ほかのものにも持ち込まれていきました。そして、それまでの文化は、植民地化の過程で排除されていったのです。

 こうしたことから、植民地主義によって生まれた現在の社会構造を作り直すことが、環境問題の解決に不可欠だと、私は考えています。

 同じ意味で、「世界が一つである」という考え方にも問題があると思っています。それはつまり、世界が一つしかないという意味であり、たとえば男性を特建階級とするような、特定の人を中心にした世界の構築につながっていくからです。でも、現実の世界は複雑に絡み合い、私たちはそのなかを生きています。

 自分たちの営みが、知らずしらずのうちに他人の未来を奪っているかもしれない。

「多元世界(プルリバース)」という考え方があります。人間と非人間、自然と文化、西洋と非西洋といった二元論に支配された単一世界とは異なる複数の世界のありかたを模索しようとするものです。そのような考えに触れる中で、植民地主義を解体して人々がそれぞれ複数の未来を描けるような状態をどう作れるのかを考えていた先に、このマガジンを作ることになりました。

 たとえば、日本と東アジアをテーマに植民地主義の根深さについて取材したり、あるいは、植民地化の必要性をテーマに、アメリカや日本の知の巨人へのインタビューを掲載したりしています。現在、日本、韓国、アメリカで販売しています。

写真:酒井功雄

 こうした二元論的な考え方に代わる思考を模索するなかで、私がもう一つ興味を持ったのが、微生物です。

 きっかけは一冊の本でした。書名は『あなたの体は9割が細菌 -微生物の生態系が崩れ始めた』(河出書房新社)、著者はアランナ・コリンというサイエンス・ライターです。タイトルの通り、私たちの体の9割が細菌でできているというのです。実際、微生物学の知見では、人間は免疫機構をはじめ、体の働きのかなりの部分を他の生物に依存しているといいます。つまり、私たちは自分の体内に細菌物がいなければ存在できない。そんなことも知らずに、ずっとケアされて生きてきたわけです。

写真:酒井功雄

 自分は「微生物のアパート」なのだと思いました。そう考えると、かなりひどい大家だった。体内の微生物の存在を知らずに、酒をガバガバ飲んだりするなど虐殺行為に等しいですよね。

写真:酒井功雄

 そういう気づきを得て、頭では自分の身体における微生物との共生を理解しているつもりでした。でも実際に、体内の微生物たちと話をすることができるのか。一緒にいる感覚になれるのか、ということが気になりました。

 そんなときに、『菌の声を聴け タルマーリーのクレイジーで豊かな実践と提案』という鳥取県のパン屋「タルマーリー」のオーナー夫妻が出した本を読みました。菌の声が本当に聴けるのかな? と思って、大学を休学して、ここでひと月ほどインターンをさせていただきました。

この店では、米麹を使ってパンを作るのですが、麹菌を採取する際、蒸したコメを放置しておいて、菌が付くのを待ちます。いい感じに麹菌が付くと、きれいな緑色になります。

写真:酒井功雄

 けれども、あるときは黒いカビ。あるときは灰色のカビ。あるときは青カビが降りてくる。黒カビは周辺で農薬が撒かれたとき、灰色のカビは車の排気ガスの量などが多かったとき、そして、青カビは、スタッフが辞めそうになると出るのだそうです。

 驚きました。そこまで人間の状態にカビの出方が影響を受けるとは、考えもしませんでした。それを初めて知ったとき、自分の体のなかにも自然があるのだなと思いました。

写真:酒井功雄

 1カ月のインターンの間、パン職人さんたちの様子を見ていると、ひたすらパン生地の様子を観察しているのです。菌の様子を五感で感じ取れるようになることが、まず必要なのだということでした。微生物をこちらの意図に従ってコントロールすることはできない。微生物が活動しやすい状態を整えることが自分たちの仕事なのだ、とのことでした。菌を支配して使うという関係ではなく、観察しながら彼らの言葉を学んで働きやすくする。そうしたプロセスが重要視されていました。

写真:酒井功雄

 こうしたフィールドワークをする中で、ではどうすれば自分の体内にいる微生物を、どうしたら感じることができるのかを真剣に考えはじめ、実験を企画しました。これは渋谷にある100BANCHという実験スタジオにプロジェクトとして入居し、内科医の桐村里紗さんの監修のもと実験を行いました。

 具体的には、腸内微生物をケアする食事や行動を取るなど、微生物中心の生活を送ることによって自分の認識は変わるか否かを試しました。

 方法は、腸内細菌の餌になりやすい食物繊維の豊富な食材、発酵食品などを食べ、その結果としてアウトプットされる便の状態を観察するというものでした。

 当初、私一人でこの実験を行っていました。その結果、微生物をケアしているというより、ウンチをケアしているような感覚に陥ってしまいました。実験中、視覚からの情報として目に入ってくるものはウンチしかないのです。ウンチの状態はすごく良くなり、私のメンタルヘルスもすこぶる絶好調でした。けれども、果たしてそれが食事によるものなのか。自分の明るい性格によるものいなのか、判断がつかないわけです。

 今度は、複数人で実験すればいいのではないかと考えて、インスタグラムで実験の協力を呼びかけると、友達が10人ほど集まってくれました。

写真:酒井功雄

 実験の期間は15日間、一日2食はシンバイオティクス食品を摂る。毎日の便、メンタルヘルスの状態をアンケートで報告してもらいます。

 1人で実験したときと複数人のときとの大きな違いは、自分たちの身体の住人のことを、ほかの人と共有できることでした。モチベーションを維持するうえで、とても重要だったと思います。また、毎日の食事や便の記録をリマインドするために、「微生物ボット」というLINEのアカウントを作って、実際に菌が話しかけているようにするなど、参加者に少しでも楽しんでもらえるよう工夫を凝らしました。

 参加者もアクティブに関わってくれて、こうした雰囲気づくりが、微生物とともにある感覚を育むことに成功した大きな要因だと思っています。

 実際、私も「私の菌ちゃん!」みたいな感じで、すごく愛しくなったことを覚えています。ほかの参加者も、ペットやバディのような存在として感じるようになったと言っていました。微生物に対する認識の変容は可能なのだと、このとき感じました。

 実際に微生物をケアする行動を実践することで、思想的な親しみが生まれ、育まれていくことが分かりました。

写真:酒井功雄

 自分自身の健康を考えたときに、体内の微生物は健康でなくてはならない。

 そのためには周辺環境も健康である必要がある、と考えると、

 自分自身の健康を追求したその先で、この地球の健康を実現することも可能なのではないか。そう考えています。そういった形で気候変動の問題を捉えることも、一つのアプローチなのではないかと感じています。

写真:酒井功雄

 最後に粘菌の話を少しだけいたします。本日のテーマは微生物とのことですが、私も以前、粘菌を育てたことがあります。あるとき、藪本さんの指導教官である秋田公立美術大学の唐澤先生が粘菌として語るパフォーマンスを目撃しました。その様子にすごく感化され、粘菌の生態にとても興味を持つようになりました。そして、生物科の先生にお願いして粘菌を頂いて、育ててみたのです。

 粘菌を入れたシャーレを濡れタオルで包んでいたのですが、まったく予想外の育ち方をしてくれました。タオルを伝って、シャーレの外に出て、思わぬところまで移動していたのです。南方熊楠研究者の本田江伊子さんが、粘菌は二元論を超越する存在なのではないかとおっしゃっていましたが、私も同感です。そこに粘菌の面白さや可能性を感じています。

 どうしたら暴力的な二元論を超えて、さまざまな生命と再接続した未来を描くことができるのか。これがいま、私自身を貫いている問いなのだと思います。

 長い話になってしまいましたが、お付き合いいただき、ありがとうございました。

下田:では、もう1人のゲストをお呼びしたいと思います。アーティストの杵村直子さんです。

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■杵村直子:つながりのかたち■

「もう、この空を見ることはない」写真;杵村直子

杵村:私は田辺出身で、高校まではここで過ごしていました。代表の藪本さんと同じ高校を卒業して東京の美術学校に進みました。

卒業後は、旅をしながら絵を描くようになりました。私は対象を目の前にして絵を描くとき、自分の中に何かが降りてくるような感覚、あるいは無心な感覚があり、そういう自分に気づいて、モチーフを外に求めているうちに、このようなスタイルになりました。

この作品は、その場でその日の夕陽を描くシリーズの1枚です。5年ほど前に地元に戻ってきまして、家のすぐそばが海ですので、今日はよさそうだな、と思ったら自転車で走っていって描く、ということを続けている「もう、この空を見ることはない。」というシリーズです。

「リスボン」写真;杵村直子

 旅の中でフランスのパリに降り立った時、ここに住んでみたいと強く感じたことをきっかけに、後日、パリに1年暮らした間の作品です。生活に慣れてくると、絵の具を携えて、パリを拠点にいろんなところへ行きました。当時、全日空の機内誌『翼の王国』に連載させていただいていました。

「スペイン タラゴナの夕暮れ」写真;杵村直子

 外で絵を描くと、気候の影響をまともに受けます。暑かったり、寒かったり。寒さで絵の具が凍ることもあります。そういう状況のなかで、その場で描き切ることにこだわってきました。これは1番最近の作品です。ここから少し行ったところに、岩口池という、とても大好きな場所がありまして、そこの絵です。

私は、海の絵はたくさん描いてきましたが、山の絵はほとんど描いたことがありません。山は複雑で、どう描いたらいいかイメージがまとまらなくて、描きだしても途中で破綻しそうな気がするからです。でも、今回、紀南アートウィークさんとご縁を頂いてから、山に徐々に興味が湧いてきました。山には海のような明快さがありません。そこをどのように描くのか。楽しみながら取り組んでいます。

「Hommage to Kumagusu」写真;杵村直子

 あるとき、アナ・チンさんという研究者から突然メールを頂きました。「この絵を描いたのはあなたですか?」とお尋ねがありました。実は、実家の5軒ほど先に南方熊楠の生家がありまして、私は高校生のころから熊楠の生き方に感化されていました。

あるとき、東京のワタリウム美術館で熊楠の粘菌図譜展を偶然見る機会がありました。私は、画家としての熊楠、というと違うのかもしれませんが、図譜の絵の素晴らしさに魅了されました。それにしても、この絵はなんだろうと思ったときに、ボタニカルアートだと思いました。観察することが目的ですから、表現する欲が感じられない。そこがすごいと思ったのです。線も美しく、本人の持っているアーティスト性もあると、私は思います。

あるとき、松茸狩りに連れていってもらって、大きな松茸が採れました。当時、私は「日々絵」という(名のもとに トルツメ)毎日一枚、何かしら絵を描いていました。そこで、このときは熊楠の真似をして、紙の質感もあぶり出しで古紙風にして絵を描いて、ブログにアップしました。それから2年ほど経って、突然、アナ・チンさんから「本の表紙に使わせてほしい」と連絡を頂いたのです。

写真;杵村直子

 アナ・チンさんの本は、いろんな国の言語で翻訳されました。私はただただ、本が広がっていくのを感じながら、すごい先生だったんだなと、後になって、気づくありさまでした。

 酒井さんも読まれたそうですね。アナ・チンさんとの出会いがきっかけで、寄り戻す波のように思いがけない形でこうしてつながっていくことに不思議を感じます。

写真;杵村直子

今回展示する作品のイメージを製作している様子です。

私はこれまで、絵を描くということは自分と向き合うものだと思ってきたのですが、最近、子供に絵を教えるようになって、考えが少し変わってきました。それは、子供の絵の素晴らしさを日々感じているからだと思います。

今回の紀南アートウィークでは、子供に限らず、出会った人たちに絵を描いてもらって、それをモビールにする作品を作ろうと思っています。

田辺聖公会マリア礼拝堂扉絵「方舟を待つ」 写真;杵村直子

 その発想の原点は、建築家の広谷純弘さんより田辺聖公会シオン幼稚園の礼拝堂の扉絵の依頼を受けて作った作品にあります。この建物はきのくに建築賞最優秀賞を受賞しました。

広谷純弘 「田辺聖公会マリア礼拝堂」写真;車田保 

 私一人で描いてもよかったのですが、幼稚園ですし、みんなの建物ですから、みんなで何かできないかということで、ワークショップを開いて全園児から動物の絵の原画を集めました。

それが、めちゃくちゃいいんです。いい絵がたくさんありました。それらを私が模写するという形で扉絵を制作してきました。聖書になぞらえて、イチジクの木の上で方舟を待つ動物たちというイメージです。完成した絵を見て、子供たちが「これ、私の絵や」と言ってくれるくらいには上手に似せられたと思っています。 

写真;杵村直子

 この作品を作るに当たって、酒井さんの「自分の体は微生物のアパート」という言葉がとてもピンと来たんです。今回、これは自分の作品と呼ばせてもらっているんですけれども、いろんな人が描いた絵によって成り立っている作品とは一体何なのか。その境界線を曖昧にするようなものにチャレンジしたいと思っています。

写真:紀の国トレイナート実行委員会

 このほかに地元に帰ってきてから、「紀の国トレイナート」という催しを紆余曲折しながらやってきました。これは列車とアートを融合させたイベントで、きのくに線御坊駅から新宮駅までの約140キロの間の駅などにアート作品を展示するもので、地域の人々と交流しながら移動する臨時列車「紀の国トレイナート号」が運行されました。

S+N laboratory「go on the stage」写真:紀の国トレイナート実行委員会

 JRさんと地域ボランティアの方々と地元のアーティストが一緒になって実現した企画です。このときは、自分の作品を制作している時間もなく、ひたすら事務作業に追われていたのですが、後で考えてみると、これも自分の表現活動の1つだったのだと思います。いろんな方々 の表現を一つの形に作り上げるところは、私を含めみんなが微生物のようだったなとも思います。

こうして考えてみると、いろんなことが微生物に当てはまってしまうような気がしています。

郷さとこ「森の舟」  写真:紀の国トレイナート実行委員会

画家まつお「え?こんなところにこんな駅?」 写真:紀ノ国トレイナート実行委員会

写真:紀ノ国トレイナート実行委員会

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■ディスカッション■

●アートと微生物

下田:ありがとうございます。杵村さんは、森が複雑とおっしゃっていましたが、それはどういう感じなのでしょう。

杵村:まず、絵にできる気がしないのです。私は大学時代、登山部に所属していました。それにもかかわらず、山を描こうと思ったことは一度もなく、海ばかり描いていました。

けれども最近、破綻してもいいくらいのつもりで、森にチャレンジできるようになりました。きっと、子供たちと一緒に絵を描いたりしているうちに、予定調和ではないものを自分のなかに取り込めるようになったからだと思います。こんなところは、微生物のアパートの話と通じるところがあるかもしれませんね。

酒井:私もそう思います。杵村さんの作品作りも、すべてのプロセスをご自身だけで作っているわけではありませんよね。旅のときはその場所に影響されながら、それに合わせたりしながら作っていると思うんです。

 微生物のアパートにしても、状況は常に変わっていて、ある意味、ある特定のその瞬間に固定することはできない。常に自分自身の体も変わっています。杵村さんの作品も、関わる人によってその作品自体が全部変わってくる。すごく相似していると思いました。

杵村:今回、紀南アートウィークに参加する前は、正直、不安でした。油絵を描いて飾っても面白くないし、現代アートといっても……みたいな感じで、参加できるのは嬉しいけど、逃げてしまいたい、みたいな気持ちがありました。そんななか、モビールのアイデアを思いついたときに、ちょうど酒井さんの微生物の話を読みました。すごく近い話をしていると思って、「これ、いける!」と思いました。そのうちどんどん面白くなって。取り組んでいるうちに、とても楽しくなりました。

さらにこうして話していると、これまで自分では確信がありながらも感覚的にやってきたことの論理的な説明を、自分に変わってしていただくみたいなこともあって、とても嬉しいです。

酒井:自分が先ほどお話ししたパナソニックの施設で行った実験ですが、終わった後、それを作品として捉えてくれる人が多いことに驚きました。特にアーティスト系の知り合いの方々が、「それはアートじゃん」みたいな感じで言ってくれて。

 杵村さんのいまのお話と通じると思うのは、一人で実験したときには結果が出なくて、ほかの人との関係性のなかで認識することができたということです。さらにそれによって、自分のなかの他者のことを意識できるようになったわけです。

下田:酒井さんのスライドのなかに、人間と自然の間に微生物と記したものがありましたね。微生物が人間と自然をつなぎ得るものだというお話でした。その微生物のところにアートも入るのかもしれませんね。

酒井:確かにそうですね。

●熊野は万物等価の魂の場所

下田:ここでもう1人、そういうテーマに詳しい人を呼びたいと思います。紀南アートウィーク実行委員長の藪本です。

藪本:お二人とも、お忙しいなかのご参加ありがとうございます。

いまの話で本当に面白いなと思ったのは、杵村さんが海のような明快さではなく、森の複雑さに興味を持ったということです。

実はいま、オランダから一人のアーティストが来日しているのですが、彼の話によると、西洋の原風景の木は孤独なんだそうです。それに対して、杵村さんの先ほどの教会の扉絵には孤独感なんて全くないですよね。それってすごいなと思いながら見せていただきました。

まさに先ほどの図で言うと、人間と自然の間が粘菌だとすれば、アーティスト杵村直子もそこに入っているような気がします。

杵村:そうかもしれないです。私が本当に絵を描くときというのは、一種のトランス状態なのです。まず、三つの要素がそろっていないと描けないんです。それは、描いている自分と、平面=キャンパスや紙、そして対象物。対象物は外だと空気感も含め自然ということになるのでしょう。そして、それらがぐるぐる自分のなかで回り始めるのです。

どうやって書いたか、自分でもよく分からないところがあって。描き終わって、すぐには自分の絵を見ることができないんです。しばらく横に置いておいて、チラッと見て、「おお、いいよ!」みたいな感じなんです。

だから、普通の状態では描ける気がしない。

藪本:まさに人間と自然の間に、アーティスト・杵村直子が入っているような気がします。

詩人の倉田昌紀さんの言葉なんですけど、熊野は、「万物等価の魂の場所」なのだそうです。熊楠のいわゆるエコロジー論でいうと、心の問題、精神の問題、社会の問題をフラットに捉えているんです。この熊楠の水平性というものが、あの教会の扉絵に表れていた気がするのです。自己と他者、自然と文化、その間に杵村さんの存在がある。それとすごくつながるような気がしました

●自然と人間との距離

藪本:酒井さんに伺いたいのは、今回のタイトルが「不確定な時代を生きるアート」ということなのですが、私の結論はこの不確定な生活から絶対逃れられないと思っているんです。南方熊楠はおそらく、自然という言葉を定義していません。場合によっては、「天地」という言葉を使っています。何が言いたいかというと、たぶん自然というものはとても不確定で、定義不能で、不安で、危なくて、場合によっては人を殺してしまうこともあります。微生物だって人を殺しますよね。

酒井:その点、私も自然をあまり理想化してはいけないとは思っています。すごく不確定なものだと思っています。人間と自然には、緊張関係が常にある。だからこそ、自分は二元論的な自然観に同調できないのだと思います。良さも悪さもどちらも内包するような自然観――。

自然観とは少し違うかもしれませんが、私が好きなオクタビア・バトラーというSF作家の著書に『血を分けた子供』という物語があります。人間がほかの惑星にテラフォーミングして、結果的に先に住んでいた虫のような異星人に支配されてしまう。そして人間は異星人に守ってもらう代わりに、自らの身体を異星人の卵を宿すために差し出さねばならい。小説自体のテーマは「男性が妊娠する」ということで、主人公の男性の葛藤と異星人との駆け引きが描かれています。

この本を読んでいるうちに、自分自身の身体と微生物との関係性にも似ているような気がしました。ただケアし合うだけではなく、常に相手が何をするか分からない状況のなかにある。そういう状況における主体性なり関係性というのは、自分自身のコントロール権を相手に委ねることから始まるのではないか。互いにケアし合う優しい関係というより、互いに利用し合うような緊張感を持って関わり合うようなことも大切なのだと思います。

●幼子の感性のタイムカプセル

酒井:杵村さんに伺いたいのですが、子供の絵のどういうところに魅了されたのでしょうか?

杵村:子供の絵はかっこいい。あのピカソも子供の絵のすごさに注目していたそうです。

これまで、いろんな幼稚園などを訪ねましたが、どの子の絵もすごいですよ。すごい絵が毎回生まれてくる。うまく描くのではなくて、本質的なところを捉えている。線の描き方、色の塗り方、選び方を含め、うまく描こう、褒められようとする前段階。熊楠の粘菌図譜はそこが通じている感じがあります。

でもその絵をずっと、その子は描き続けられないという宿命もある気がします。

その子の「その時の感性」というのでしょうか。その時限定の感性があって、それは成長すると消えていってしまうことがほとんどで。その時の感性のタイムカプセルのように感じます。私も、絵を学ぶ前に自分を戻す作業を、大学を卒業以来、ずっとしてきたような気がします。

藪本:それを考えるうえでの一つのヒントとして、酒井さんにお聞きしたいのですが、粘菌もそうですけど微生物には脳がありません。中枢神経がないですね。このことと、子供の無垢な状態というのは、何かつながる可能性があるような気もしますが、いかがでしょう。

藪本:それを考えるうえでの一つのヒントとして、酒井さんにお聞きしたいのですが、粘菌もそうですけど微生物には脳がありません。中枢神経がないですね。このことと、子供の無垢な状態というのは、何かつながる可能性があるような気もしますが、いかがでしょう。

酒井:先ほど、粘菌を育てていた話をしましたよね。想像もつかない方向に行ってしまうんです。最初はシャーレのなかだけだったのが、外にあふれ出して、一応単細胞のはずなのですが、こちらの壁を伝っている個体もいれば、あちらの壁を伝っている個体もいる。

もう一つ思い出したのが、粘菌を飼っていたとき、大学の近くのプラスチック工場で爆発が起こりました。すると偶然かどうか分からないのですが、粘菌が全部、胞子体になってしまったんです。環境に適応しながら、生き残るために胞子体を選択したのでしょう。すごく不思議で興味深い出来事でした。

藪本:粘菌は自己複製して、たぶん自分なのか他者なのか、よく分からないまま複数化されていくんですけれど、杵村さんの作品は、まさにそういう視点で見ることができるし、広がっていると思いました。

杵村:それを聞いて思ったのが、「守破離」という言葉がありますよね。芸事などにおいて「尊敬する指導者の教えを真似、続いて教えを破り、最後は独自の道に進む」という意味で、身につけた理性をまた脱ぎ捨てて元に戻してといった作業は、大人と子供の間の美の循環のようでもあり、通じるところがあるように思います。

酒井:アナ・チンの著書が翻訳されるのとともに、杵村さんの松茸の絵がどんどん広がっているのは、まるで自己複製で広がっている粘菌みたいですね。たぶん、いまアメリカでこの絵を見せたら、「アナ・チンの松茸だ!」と反応する人が多いと思います。

藪本:ちなみに、あの作品の名前は、「Hommage to Kumagusu」ですよね。

その後、アナ・チンのインクルージョンアートという論文を読んでいたら、そのなかに「クマグスが天皇に渡した標本はアートである」といった意味のことが書かれていたんです。まさに杵村さんが先ほど言われたことですよね。

杵村:実は、私は藪本さんの論文を見て、そのことを知りました。「あ、そういうことか」と。これまで熊楠の人となりとか武勇伝に感銘を受けていたんですけど、「アーティストが好きというのはそういうことを言っていたんだ」ということが。遅まきながら、紀南アートウィークに参加することをきっかけに、やっと少し分かってきた気がしています。自分が外で絵を描いて、ぐるぐるしている時になんとなく感じ、なんとなく分かったような気がするところにつながっている感じがして。うまく言えないですけど、「きっとアーティストなんだな、この人」と思いました。そして、それをきちんと言葉にできる人なのだと。

●粘菌アパートはどんなイメージ?

藪本:粘菌アパートのイメージをもうちょっと深めたいと思うんです。

実は、家という概念と熊野とは、すごく近いんです。紀南地方は西牟婁郡というのですが、「牟婁(ムロ)」とは「室/部屋」の意味なんです。熊野本宮大社の主祭神は、家津美御子大神(ケツミミコノミコト)なのですが、名前には「家」という字がつくのです。そして熊楠は、エコロジーの訳語に「植物棲態学」を選び、「棲む」という言葉を重要視していました。

私が師事する唐澤先生によると、熊楠のエコロジー論はたぶん部屋があって、みんな棲み分けているというようなことをおっしゃっていました。

酒井さんは、粘菌アパートにどのようなイメージを持っていますか?

酒井:薮本さんに1週間くらい前にも同じ質問をしていただきましたよね。「西洋的な概念の家で考えると、かなり暴力的なイメージにもなり得る。閉じ込めてしまうという考えだったり。あるいは資産としての家という概念とも言えるよね」と言われたときに、「そうじゃないんだよな」と思った記憶があります。

いろいろ考えてみて、「日本家屋的」と言えるのかと思います。日本家屋は風を通しますよね。風通しが良いということは、周辺環境に開かれているということです。でも、骨組みはあって、形ある場所として成立はしている。常に人が入ってきたり、風が入ってきたり。その影響も受けるけど、守らねばならないときは、壁を立てて守ることができる場所。常に変わっていくけど、完全に周辺に溶けきってしまうわけでもない。そんなイメージを思い描いていました。

薮本:まさにSOUZOUの庭ですね。杵村さんご夫妻が運営されている古民家アトリエ「もじけハウス」と、そこに隣接するSOUZOUという建物があって、その庭も素晴らしく、そして、風通しがよく、ひらかれた場所ですよね。

●二元論を超えるために

酒井:暴力的な二元論を超えていくにあたり、自然と人間ではなくて、いろんな生き物と人間、いろんな存在たちがいっぱいいるコミュニティの中における人間、というような関係性が本来的な姿だと思います。現在は、人間が過剰表象されている状態です。目立ちすぎなんじゃないかと思います。

去年のちょうど今ごろ、私はインドに留学していました。インドでは、そこかしこに犬や猿や牛などがいるんです。しかも、猿に噛まれると狂犬病の注射を打たなければならない。まさに、生き物は自分を殺しうる存在であるわけです。でも、現地の人たちも付き合い方が分かっているから、近づきすぎたりしないんですよね。狂犬病ウイルスを持っている犬や猿がすぐ近くにいても、慌てることはありません。

その様子を見て、日本人はそういったことを知らなさすぎるのではないかと思いました。

ほかの生き物がいると、確実にその安定した状態から不確実になるけれど、人間もほかの生き物も互いにその状況の中で生きていくことは可能なのだと思ったのを覚えています

下田:こっちの議論の端っこが人間で、こっちの端っこが自然というのも、もしかしたらそれ自体がすごく難しいのかもしれないですね。この間にも人間により近いペットのような存在があったり、その向こうに都会にいる生き物がいたり。森の中に住んでいるだけが動物じゃない、それが自然じゃないみたいなことも言えるようになると、境界線が限りなく曖昧というか、地続きになるような気がします。

酒井:「人新世」と言われますけど、地球全体に人間がかなり影響を与えていると考えたときに、人間の影響が与えられていない自然なんて存在しないとも思うんです。そのなかで、どういう関わり合いが健全なのでしょうね。

下田:きょうはたくさんの示唆を頂きました。われわれを含め、ご参加いただいたみなさんの思考の糧になれば幸いです。