紀南独自の美しい実践構造
服部 浩之(キュレーター|東京藝術大学大学院准教授、国際芸術センター青森館長)
コレクションと地縁を礎とするユニークな構造
「粘菌性」をキータームに「いごくたまる、またいごく」と題された本展は、その骨格となる構造が独自だ。特徴ある地域を開催場所とする芸術祭や展覧会・アートプロジェクトの多くは、アーティストらが地域を調査しその土地ならではの作品を制作し、観客が展覧会鑑賞を通じて地域を巡ることも重要な要素となる。また、地域に依拠するアート作品が展開されることで、地域と人が有機的につながることが期待される。
「紀南アートウィーク」(以下、紀南AW)という事業名が示すとおり、本展も紀南の地域性やこの地域出身の南方熊楠の活動に強く影響を受けているため、そのような側面は無視できないものだ。しかしながら、本展では田辺や白浜という土地に着想を得てこの地域で制作された作品もあるが、半数以上は東南アジアという全く異なる文脈の地域で生み出された作品群だ。これらは、紀南アートウィーク実行委員長を務める薮本雄登が設立したアウラ現代藝術振興財団(以下、アウラ)が収集した作品群から選出され、展示されている。薮本はメコン川流域のカンボジアやラオス、タイ、ミャンマー、ベトナムなどの国々に10年以上に渡って暮らし、各地に法律事務所を運営している。東南アジアで生活するなかで、本展にも出展するクヮイ・サムナンの作品にシンガポールで出会い感銘を受け、東南アジアの現代美術作品の収集をはじめたという。このような薮本の事情も相まって、アウラは主に東南アジアのアーティストたちの映像を中心とした作品を収集し、コレクションを充実させてきた。
本展では、地元の偉人である南方熊楠から導き出された粘菌性という概念や紀南の地域性とともに、アウラのコレクションが重要な役割を担っている。地域の文脈以上に、全く異なる土地で生まれたコレクション作品が展覧会の骨格を成すのはとてもユニークだ。
紀南AWの独自性を際立たせるもうひとつの要素は、地縁を活かした個人の水平的な粘菌のようにひろがるネットワークがフル活用されていることだ。本展は、公共施設や宿泊施設、観光施設やオルタナティブスペースなど、さまざまな場所を用いながらも、主催者となる実行委員会には行政機関が入ることなく主に個人の集合体で構成されている。薮本の主要拠点は東南アジアにあるが、白浜出身でこの地域との縁は深い。薮本以外の実行委員もこの地域に暮らす人やルーツを持つ人が中心となっているため、外からアートの専門家が多数投入され短期的な季節労働者として展覧会を実現するのではなく、この地に縁を持つ人たちが地域で信頼を築き、プロジェクトを地に足のついたものにしている。
展覧会は、実行委員会が主催する田辺エリアのメイン会場と連携企画が実施される白浜エリアの二拠点で構成される。田辺エリアは実行委員会が自己資金と助成金により予算を捻出し運営しているが、白浜エリアは会場ごとに異なる実施形態をとり、実行委員会のクレジットも様々で、共催や協力から、キュレーションを担当するものまである。南方熊楠記念館については、展覧会は館の自主企画ながら紀南アートウィークの連携企画にも位置付けられている。基本的には会場施設がそれぞれ予算を拠出し、ときに実行委員会が委託費や協力費などを受け取り展覧会を企画する。個人の集合体が生み出した紀南アAWというフレームに、規模や状況の異なる多様な施設が連携企画として参画する仕組みは一朝一夕では築けないもので、実行委員会の地道な関係づくりがしっかりと形になっている。
薮本たちの地縁の力を強く実感するのは、アドべンチャーワールドの「あわいの島」展である。これは田辺出身のアーティスト前田耕平が2年ほどかけて実施してきたプロジェクトの総括となる作品展示で、本作をアドベンチャーワールドの職員として担当したのは薮本の中学校の同級生だ。前田の作品はこの動物園を訪れる観光客がエンタテイメントとして楽しめる側面もあるが、かなり骨太で美術館のような美術専門機関で展開するほうがしっくりきそうなものだ。もちろんこの場所で制作し、ここで発表する必然性はゆるぎない。担当者は、前田の作品を深く理解し、私たち観客の細かな質問にも丁寧に答えてくれる。アートの専門家ではない動物園の職員が自身のことばで明解に作品について語る姿にまず驚いた。「アートはよく分からないので」とは言わず堂々と説明してくれることで、彼が信念を持って取り組んだことがよく伝わってくるし、作家と信頼関係をきちんと築いたことも想像に難くない。また、彼の話で印象的だったのは、このようなアートプロジェクトを実践することは観客のためというより、アーティストの制作に社員が参加することで社員育成やアドベンチャーワールドの理念を深めるという側面が強いという発言だった。アートプロジェクトをこのような意図で導入する先鋭性や創造性に驚嘆させられたし、職員がその意図を理解し素晴らしい作品を実現したことに感銘を受けた。アート専門施設ではない場所でアート作品が実践公開されることの可能性や希望を感じさせる感動的なプロジェクトであった。
Fig1. 前田耕平《あわいの島》2024年(紀南アートウィーク実行委員会提供)
ゾミアと粘菌性がつなぐ東南アジアと紀南
再度コレクションに話題を戻したい。場所をとらず比較的価格も抑えられる映像作品中心のコレクション形成は非常に現代的だが、それは東南アジアの作家たちの作品が対象であることとも密接に関わっている。東南アジアでは国や地域によって表現の制約や検閲は当たり前のように存在し、それを掻い潜って作品を制作する作家も多い。そのため、国内では発表できないこともあり、むしろ国外に向けて自らの地域の現状や課題を伝えるように作品を発表する作家も多く、アートとアクティビズムが密接に結びついている。映像は地域の現状を作品というかたちで外部に届ける合理的な手法でもある。
また、身一つで実践できる即興性の高いパフォーマンスは監視や規制という統治を比較的逃れやすい表現手法であり、社会状況も相まって東南アジアではよく普及している。多くの作家がパフォーマンスや身体表現を実践し、それを映像で記録していく。ただし、単純な記録として映像が撮られたり、告発的なドキュメンタリーばかりというわけではなく、詩情に富んだ美しい映像作品も東南アジアには多々ある。川久ミュージアムで展示されているクヮイ・サムナンの《ポピル》やティタ・サリナの《1001番目の島-群島の中で最も持続可能な島》はパフォーマティブな表現のドキュメントとしても魅力的であるし、田辺のSOUZOUで展示されたチュオン・コン・トゥンの映像インスタレーション《森を抜けて》はベトナムの地政学的に複雑な状況を、ポエティックで切なく美しい表現によって描き出している。
Fig.2 クヮイ・サムナン《ポピル》(筆者撮影)
Fig.3 ティタ・サリナ《1001番目の島-群島の中で最も持続可能な島》(筆者撮影)
Fig.4チュオン・コン・トゥン《森を抜けて》2014年(紀南アートウィーク実行委員会提供)
ところで粘菌性とともに薮本が依拠する「ゾミア」とは、もともとは東南アジア大陸部の国境に縛られないで生活する人々を総称するもので、人類学者のジェームス・スコットが提起した[1]。薮本は「統治されない」というキーワードを度々用いるが、それは法律という統治の制度に関わる仕事をする彼の複雑な思いとも無関係ではないはずだ。ゾミアへの憧憬は、統治されないこと、言い換えると「自律的であること」を大切する姿勢のあらわれだ。他者に統治されない生を営む東南アジアのゾミアの生き方に薮本は希望を見出した。いわゆる山岳民のゾミアとよばれる人々はすでにほとんどいなくなってしまったが、薮本は東南アジアのアーティストたちの実践に統治をすり抜けるゾミア性を強く感じているのだろう。そして、統治されない態度としてのゾミア性を紀南出身の粘菌学者南方熊楠にも見出したことで、薮本のなかで東南アジアと紀南地域がつながったのだ。国境に縛られず自由な往来をするゾミアと、うごきひろがり変容を続ける粘菌の共鳴こそ、本プロジェクトに通底する態度だ。
キュレーションの委譲
また、白浜駅前のオルタナティブ・スペース・ノンクロンでは、同スペースオーナーで理容師の尾崎寿貴がアウラのコレクションから2作品を選出し、作家とも直接やりとりをしてノンクロンのスペースに応じた展示を実現した。リム・ソクチャンリナの作品は、通常シングルチャンネルで展示されるものだが、映像は3チャンネルに分解され、3つのモニターが土を敷き詰めて四角く囲った地面に置かれている。脇には丸テーブルを設置し、その上に色紙を用意し観客に「白浜の未来に対する希望や考え」などを自由に書き留めることを促す。そして観客は白浜に対する思いを記した色紙を、種を植えるように土に放つ。
ソクチャンリナの作品の手前には廣瀬智央によるみかんの枯れ木の枝やファイバー、糸、ビーズなどを用いた立体作品が吊られており、そこには赤いフィルターをかけた照明が当てられている。この赤い光は作家の指定ではなく、尾崎の意向のもと廣瀬の合意を得て実現したものだ。
通常、学芸員など専門家が収蔵品を展示する場合、独自に解釈して作品の構成を変更することはあまりない。作家の指示書に従い作家が意図した状態で見せることが原則である。会場に掲出された尾崎のメッセージには、「種を撒く」とこの展覧会を題した意図や、尾崎の作品に対する理解、そして白浜という土地への思いが素直に綴られている。そのなかで、「作品を壁面に配置して、観覧して頂く人が背中合わせになる構図が、この場所に合わないような気がして。nongkrongなら、人々が向き合い、視線が交差するのが理想だと思い、中央に向かって意識が集まるよう配置しました」と述べている。観客がこの場所に居る風景を明確に想い描き、このような展示構成が生まれたのだ。作品に向き合う人同士もまた出会う。トーマス・シュトゥルートが美術館の壁面に架けられた作品を眺めるたくさんの観客の後ろ姿を写真作品で捉えたように[2]、美術館では大抵観客は壁面を向き、観客同士が交わることはあまりない。それに対して、ここでは作品鑑賞を通じて人と人の関係を生み出そうとする尾崎の態度が、直接的に展示構成にあらわれている。その意図を理解し、作家も作品展示の変容を理解し許容したのだろう。専門家ではないからと恐れるのではなく、積極的に自分なりの解釈をし、作家や作品に応答する態度が後押しされるには心を揺さぶられた。
Fig.5 nongkrongでリム・ソクチャンリナ《包まれた未来2》2019年(手前)と廣瀬智央《無題》2022年(奥)を展示した「種を蒔く」展(紀南アートウィーク実行委員会提供)
こうやって自らのコレクションを用いた展覧会のキュレーティングを委譲する姿勢は、単に薮本が尾崎を友人として信頼しているというだけではなく、彼が経営者としてさまざまな人を信頼し事業を展開してきたこととも無関係ではないのだろう。すべて自分でコントロールすることは不可能と実感しているからこそ、他者を統治しようとたりコントロールするのではなく全面的に委ねることができ、それによって新鮮で無二の体験の場を生み出したことは目から鱗であった。
コレクションとキュレーティングの深化へ向けて
アウラとして薮本が収集した作品は質が高く素晴らしいものが非常に多い。クヮイ・サムナンだけでなく、アリン・ルンジャーンやアピチャッポン・ウィーラセタクルなど世界的に活躍する東南アジアの作家たちから、タイキ・サクシピットやティタ・サリナ、トゥアン・マミのような活躍を広げる中堅の作家たち、それに新世代として頭角を表しているリム・ソクチャンリナやチュオン・コン・トゥンなど、世代も幅広くバランスもよい。紀南AWはこのコレクションが中核にあるからこそ、新作制作やレジデンスをする作家たちは自由に実験的な表現に取り組むことができ、自ずと展覧会に幅と厚みが出て観客の満足度も高くなる。例えば、久保寛子はこれまでの大掛かりな屋外彫刻作品から一転して、鉄製の眼の彫刻を風景に挿入する全く新しい試みをしていたし、田辺在住の杵村直子は絵画教室の実践とつながる作品や絵画を元にした屋外でのターポリン出力作品などをのびやかに展開した。安定したコレクションとチャレンジングな新作のコントラストは展覧会に奥行きや深みを与えていた。
久保寛子《森の目》2024年(筆者撮影)
杵村直子《つながりのかたち》2024年(筆者撮影)
素晴らしいアウラのコレクションではあるが、私が全く理解できなかったり、圧倒的に知らない未知の作家や作品は現状ではあまりないように見受けられた。私は多少東南アジアの状況は親しみを持っているものの、コロナ禍以降は一度も彼の地を訪れる機会がなく、現在の東南アジアのアートの状況には疎くなった人間である。
東南アジアで長い時間を過ごし、展覧会を見るだけでなくさまざまな作家のスタジオを訪れ対話を重ねる薮本なら、私など全く知らない作家とも出会っているだろうし、これからが期待されるまだ評価が定まらない作家や作品を必ず目にしているはずだ。未知の作家たちの活動が薮本の展覧会やコレクションに今後反映されていくことを期待したいし、展覧会で私などの理解を超えた次元の作品をぜひ見せていただきたい。
いずれにしても、薮本は現代美術作品の収集を始めてたった数年で素晴らしコレクションを築いた。それだけでなく助成事業なども手掛け、アートの振興にも貢献している。さらに、この数年はキュレーティング活動を積極的に展開し、紀南AWという芸術祭のディレクションも担っている。ものすごいスピードで目覚ましい実績を積み上げる姿には驚嘆する。人類学に関心をもち、アートと人類学をつなげる取り組みで3年という最小限の時間で博士号も取得しようとしている。この行動力とスピード感は尋常ではない。
この勢いでより精力的に活動を広げてもらいたいと思う一方で、改めて今回の紀南アートウィークのキュレーティングに着目してみると、展覧会を通じてエコロジー、人類学、アナキズム、クィアなど、現在わりと多くの人が注目するワードが散りばめられており、それは同時代性が強いとも言えるのだが、どこか盛り込みすぎで、核となる粘菌性とゾミアからひろがる世界が薄まってしまった勿体無さも感じてしまう。ゾミアについてもう少し直接的に本展とのつながりを感じたいし、粘菌性の大元となる粘菌そのものに薮本がどう出会っているのかあまり理解できなかった。そう考えると、キュレーティングとして掘り下げられる余地はまだありそうだ。そして、それは今後薮本がどこに向かうかとも密接につながっているだろう。
薮本自身はあくまで動物的な直感で突き進むことができるコレクションにもっとのめり込みたいという。よいと思った作品を手にいれ、それを他者に共有する。他者を統治することなく、これを続けるにはとても繊細な意識も必要だろう。根幹としてはコレクターであり続け、柔軟で多様な活動はぜひ今後もさらに深めていただきたい。それは薮本にしかできない社会貢献にもつながるはずだし、彼の動物的直感と欲求が剥き出しになることで生まれる、まだ見ぬ表現に出会えることを期待している。そしてそれは、紀南AWに関わる決して数は多くないけれど素敵な人々との水平的で良好な関係から実現されるに違いないと確信している。
[1] ジェームズ・C・スコット著、佐藤仁監訳『ゾミアー脱国家の世界史』みすず書房、2013年
[2] Thomas Struth, Museum Photographs, Schirmer/Mosel Verlag GmbH, 2004年
服部 浩之(はっとり ひろゆき)
早稲田大学大学院修了(建築学)。国際芸術センター青森などで約10年間アーティスト・イン・レジデンスに従事。フリーランスを経て、秋田公立美術大学などで芸術教育に携わる。半公共・コモンズ・横断性をキーワードに協働を軸にしたプロジェクトを展開。近年の活動に第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」(2019年)、「200年をたがやす」(2021年、秋田市文化創造館)、アートサイト名古屋城「あるくみるきくをあじわう」(2024年)など。