アートプロジェクト『コモンズ農園』関連 座談会レポート
アートプロジェクト『コモンズ農園』関連ツアー&座談会
2025年10月18日(土)
ツアー:田辺市上秋津地区 座談会:トーワ荘
今春開催されたオンライントーク〈みかんダイアローグ vol.8〉では、建築家・植田 曉氏からイタリアの「テリトーリオ」という概念と、イタリアと北海道における実例を紹介いただきました。
そのテリトーリオをコモンズ農園の理念と重ね合わせ、田辺という地域を軸としたツアーと座談会を通して、その在り方やプロセスを分かち合いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【関連ツアー】
地域を識る — ツアー『田辺のテリトーリオを巡る』
日時:2025年10月18日(土)13:00–15:00
場所:田辺市上秋津地区
内容:コモンズ農園が位置する田辺市上秋津地区に焦点を当て、テリトーリオの視点から地域の歴史や文化を掘り起こします。
上秋津の柑橘農家であり、紀州熊野地域づくり学校の校長でもある原 和男氏をガイドに、参加者と共に地区を歩き、忘れられた魅力や歴史を再発見します。
【関連座談会】
地域を識る — 座談会『田辺の文化的景観』
日時:2025年10月18日(土)19:00–20:30
場所:トーワ荘
内容:イタリアのテリトーリオの研究を行い、日本各地でも景観保存の実践に携わる建築家・植田 曉氏が現地を訪れます。
イタリアでの事例をふまえつつ、地元・田辺に舞台を移し、テリトーリオとしてみた魅力やコモンズ農園のあり方を座談会形式で参加者と共に考えます。
▼講師のご紹介

植田 曉/Ueda Satoshi
1963年北海道生まれ。工学院大学大学院修士課程修了。イタリア政府奨学金留学生としてローマ大学に留学。博士(工学、法政大学)。NPO法人景観ネットワーク代表理事。合同会社風の記憶工場業務執行社員。専門は文化的景観及び景観まちづくり、建築意匠。現在、北海学園大学客員研究員。北海道で二地域居住をし、CSA(Community Supported Agriculture)を実践。
著書・論文・計画に『別冊造景1イタリアの都市再生』(共著・建築資料研究社、1998)、『トスカーナ・オルチャ渓谷のテリトーリオ』(古小烏舎、2022)、『イタリアにおける都市・地域研究の変遷史』(法政大学出版局、2015)、『イタリアにおけるテリトーリオの都市計画的再評価と その展開に関する研究』(学位論文、2018)、『中標津町文化財保存活用地域計画』(中標津町文化財保存活用地域計画検討委員会、2006)、『中標津町景観計画』(2017)。

廣瀬 智央/Hirose Satoshi(アーティスト)
1963年東京生まれ。現在ミラノ在住。イタリアを拠点に、日本、アジア、ヨーロッパなど世界各地の多数の展覧会に参加。インスタレーション、環境への介入、パフォ−マンス、彫刻、写真、ドローイング、そしてより大きな意味でのプロジェクトなどのメディウムを使い、詩的な作品を創り出す現代美術家。境界を越えて異質な文化や事物を結びつける脱領域的な想像力が創造の原理となっており、目に見えない概念を目に見えるものへと転換する試みが、廣瀬の作品に一貫してみられる。日常の体験や事物をもとに、新しい価値の創出や世界の知覚を刷新する表現をつくりだしている。19年間継続する母子生活支援施設の母子たちとの長期プロジェクトや、展覧会で使用した素材を地域の人々と協働し、循環させるアートプロジェクトにも近年取り組んでいる。
▼モデレーター

下田 学 / Shimoda Manabu(紀南アートウィーク事務局長)
coamu creative 代表。兵庫県西宮市出身、和歌山県田辺市在住。写真の専門学校を卒業後、ミュージシャンとしてジャンル問わず活動した20代を過ごし、農業の6次化企業、イベント会社を経て独立、田辺市へ移住。2018年3月から3年間は田辺市地域おこし協力隊として、空き家活用や公共施設のプランニングなどにも携わった。
「アイデア実現の伴走パートナー」をミッションに、地域の素晴らしいクリエイター仲間たちと協働し、クライアントの話を深く聞き、想いを共に編んでいく事業を行っている。ディレクターとして携わっている主なイベントは「ロハスフェスタ」「ラーメンEXPO」「SUMMER SONIC」「GREENROOM FESTIVAL」など。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「地域を識る――座談会『田辺の文化的景観』」
下田 皆さん、本日はお忙しいなかお集まりいただき、ありがとうございます。それでは「紀南アートウィーク2025」のイベント、「地域を識る――座談会『田辺の文化的景観』」をはじめたいと思います。
いまご覧いただいた映像は、去年の展覧会の様子を記録したものです。粘菌性をテーマにした「いごくたまる、またいごく」展を、和歌山県白浜町と田辺市の10カ所あまりの会場、この近辺ですと南方熊楠顕彰館や闘鶏神社で行いました。
この座談会に先立って、きょうの昼間、ツアー「地域を識る――ツアー『田辺のテリトーリオを巡る』」を開催いたしました。このツアーは、紀南アートウィークが推進する長期プロジェクト「コモンズ農園」が位置する田辺市上秋津地区に焦点を当て、テリトーリオの視点から地域の歴史や文化を掘り起こすことを目的に、上秋津の柑橘農家であり、紀州熊野地域づくり学校の校長でもある原 和男さんにガイドをお願いして、約2時間、参加者と共に地区を歩きました。
「コモンズ農園プロジェクト」は、「みかんコレクティブ」という別のプロジェクトのなかで、アーティストの廣瀬智央さんの提案をきっかけにスタートし、今年で5年目になります。
申し遅れましたが、紀南アートウィークの下田と申します。よろしくお願いいたします。
さて、ツアーと座談会のタイトルに使われている、「文化的景観」という言葉、分かるような、分からないような、不思議な言葉だと思いませんか? きょうは皆さんにぜひ、知っていただきたいと思い専門家をお呼びしています。植田曉さんです。植田さんは、文化的景観及び景観まちづくりの研究者です。現在は、北海道で景観を活かした町づくりに取り組んでおられます。早速ですが、まず「文化的景観とは何か」についてお話しいただきましょう。
テリトーリオと文化的景観
植田 皆さん、こんにちは。私は普段、北海道にいるのですが、きょうは仕事の都合でイタリアから関西国際空港を経て、こちらに直行しました。北海道の東の根釧台地にある中標津町で、20年以上にわたって、地域の方々とともに景観を活かしたまちづくりに取り組んでいます。
下田さんから非常に固いお題をいただきました。実は6月にも「テリトーリオとは何か」というお話をしたので、まずはその簡単な振り返りから始めたいと思います。
人間社会には、街があり、田園地帯があり、それらが互いに関わり合って、一つの文化圏を形成してきました。街に住む人は都心に出てオフィスワークをし、田園では農業に従事する人たちがいて、さらにそれらが結びつく。そして、それがそれぞれの地域の景観を築いてきました。

<トーク中の植田曉氏 写真:下田学>
しかし、そのつながりが、いまでは分かりにくくなっています。それをもう一度、地域の底力として認識し、取り戻してみませんか? そういう趣旨の話をいたしました。

<ppt図版01「表紙」>
上段の絵は、1338年にイタリアで描かれた風景画です。下の段は「洛中洛外図」の上杉本です。この二つの絵には共通点があります。それは「都市」と「田園」がともに描かれていることです。テリトーリオの話はこんなところから始めました。
詳細は、紀南アートウィークのホームページに、動画とテキストがアップされていますので、機会があればぜひご覧ください。
北海道・根釧台地と中標津町の取り組み
北海道は、田辺とはまったく違って、大規模農業の地域です。たとえば、牛が日差しを避けられるように配置された人工林や、風が強いために設けられた防風林などがあります。その防風林の幅が180メートルもあるというような、目で見て分かる風景があるのです。「これらは人の手によって作られたものだから、大切にしていこう」「共有していこう」。そういう意識を育むために、たとえば、こうした風景を作り上げてきた人たちから直接話を聞く。苦労話や自分たちが作り上げてきた、引き継いできた大切なものを学ぶ。あるいは、食育活動の一環として、かぼちゃの苗を育てて収穫し、かぼちゃランタンのイベントに使用して、最後は家畜の餌にするという取り組みをしたりしています。この食育活動は幼稚園から高校、農業高校まで、すべての学校を縦につないで1年かけて行います。この春から初冬まで続く活動は地元の人が自発的に計画しました。

<ppt図版02「根釧台地の航空写真(中標津町経済振興課提供写真)」>
さて、1つ目のテーマですが、「テリトーリオ」と「文化的景観」について、説明します。
「テリトーリオ」とは、歴史的に形づくられてきた社会や経済の循環のシステムに支えられた領域を指します。「文化的景観」は、自然に人が手を加えて街を作ったり畑を作ったりして形成された生活圏が、視覚的に認識できる風景のことです。この二つの言葉は、非常に似た意味合いを持っています。

<ppt図版03「テリトーリオと文化的景観の違い」>

<ppt図版04「テリトーリオと文化的景観は語り口が異なるものの、同一」>
それなのになぜ、「テリトーリオ」と「文化的景観」という言葉を分けて使っているのか。
「景観」「文化的景観」という言葉は、もともと学術用語や法律用語として使われてきました。文化的景観は、20世紀初頭から地理学の世界で使われてきた言葉で、ユネスコの世界遺産委員会が1992年に文化的景観を世界遺産のカテゴリーの一つにしました。
日本では、文化財保護法において文化的景観は、「人々の生活や生業と地元の風土が生み出した景観」と定義されています。ユネスコの定義はもっと簡潔で、「自然と人の協働」、つまり一緒に働くことで生まれた成果としての風景とのことです。
文化財保護法では、指定された項目のみが文化的景観として保護の対象になります。もともと歴史的に価値のある建物は、重要文化財や国宝に指定されます。伝統的建造物保存地区という街並みを保存する枠組みもあり、景勝地という素晴らしい風景も別の枠組みで保護されます。そうやって別々の指定の間を埋めるなり、つなぐようにして、「文化財保護法の中で守っていきましょう」となるわけです。
そうではなく、いろんなものを含む風景の全体像を「人の手によって作り上げられたもの」として引き立たせようとすると、「テリトーリオ」という言葉を使わざるを得ない。それが、テリトーリオと文化的景観の関係です。
文化的景観と実際の暮らし
さて、2つ目。これもまた少し難しいのですが、「文化的景観って、実際の暮らしとどう接続しているのか?」「アートって暮らしとどう関わっているのか?」というテーマでも語ってほしいと言われまして……ちょっと困ったなと思いながらも、お話ししてみます。
下田さんからヒントを頂いていて、「フェーズ1」「フェーズ2」というふうに考えてみたらどうかという提案がありましたので、それに沿って話していきます。

<ppt図版05「文化的景観の2つのフェーズ」>
まず、人の生活や生業、地元の風景や風土を使って生み出された景観というのは、実はとても当たり前すぎて、その固有性に気づきにくいものなのです。往々にして、外部の目が全体像を捉えて「いいね」と伝えてくれることで、地元の人が「そうなのか?」と気づいていく。そんなことがよくあります。
ただ、ここ上秋津は少し違っていて、私が生まれる6年も前、1957年には上秋津に「愛郷会」が設立されたり、1984年には報告書が刊行されたりしています。そして1985年ごろから、「村=農業」ではなく、「農村=農業+新住民」という考え方に変わってきたことで、上秋津の環境も少しずつ変化してきたという話を聞いています。
その時、外からの目がこの地域を「いいね」と言いながら刺激してくれればよかったのですが、きょうのツアーで分かったのは、新しい住宅地などが結構できていて、純粋な農村・農業からなる風景から少しずつ変わってきているということです。これは良い悪いではなく、変化の一つとして感じたことです。
一度外からの刺激があると、地元の人がそれに気づき、今度は内部の目線でその豊かさを再認識していく。「外の人が言っているのはこういうことなのだ」と理解し、全体像を整えたり、守り育てることで、新しい価値が見いだされていく。これは一般的な流れです。

<ppt図版06「営農に重なる対話のフィールドとして2つのフェーズと重なるコモンズ農園」>
地元の人たちが新しい価値を見いだしたら、外から来た人たちはそれを尊重し、大切にしていくことが、風景の維持にとって重要な「第2のフェーズ」になると思います。
20世紀は、外部からの視線や声によって、地元が目覚めるという流れが生まれた時代でした。21世紀以降は、「地元の人たちが新しく発見した価値を大切にサポートしていく」という価値観が広がっていると思います。
まずは、暮らしの最も日常的な部分をきちんと記録していくこと。それをテリトーリオとして意識していくこと。日常の生活における経験や知識は、時間が経つことで、その土地の新たな価値に変わるかもしれません。それがやがて観光に結びつけば、人々はその日常的な営みを「いいね」「素晴らしいね」と、全ての感覚で受け止めながら、みかんを食べたりジュースを飲んだりする。そういうことからテリトーリオの世界観に対する共感や理解につながっていくのではないでしょうか。
もう1つは、第1段階で見つけた価値を、インパクトのある形でアクションに繋げていくこと。イベントであったり、まちづくりの新しい要素としてサポートすることだったり、あるいは新たな事業化が起こるかもしれません。とにかく、きちんとコミュニケーションを取りながら育てていくことが、21世紀には大切になると考えています。
アートって何だろうという話は、後半にお任せします。
廣瀬さんとは30年来の付き合いなので、考えていることがよく分かるつもりで話すと、コモンズ農園に私が期待するのは、まず営農をずっと維持していくこと。そして第1のフェーズとしての対話の場を持ち続けること。そして、インパクトのある要素も受け止める環境であり続けること。どれが良いということではなく、この3つが重層的に続いていくと素敵だなと私は思います。
景観を活かしたまちづくりの実例
この後は、私の実践になりますが、(北海道開拓の)全体的なシステムを図式的に捉えると、このようなかたちになります。

<ppt図版07「3重の入れ子状の北海道開拓の手法」>
(6葉の歴史変遷地図を連続して投影して)たとえば、(各画面の)上に年代がありますが、北海道ではこのように(原生林の中に集落を開拓し、次第に広がり、連結し)開拓が進んできました。
いま見ていただいた地図は、4つの町(基礎自治体)の分があって、20万ヘクタールほどの広大な酪農地域に描かれている風景に文化的景観として取り組んでいます。
次に歴史を深掘りする。これはイタリアの例ですが、現在の航空写真の中に、18世紀の資産台帳に描かれた見取り図をコラージュしたものです。こうした絵を描くことで、いまの風景とどう変わっているかが分かりやすくなります。

<ppt図版08「トッレ・ソルベッレ地区」>
また、テリトーリオの自然を客観的に捉えた上で、人々がどのような農地を作ってきたか。この辺は前回ご説明したので先に進みますが、動画とテキストに興味があればぜひご覧ください。
この地域では、500年前に作られた畑の姿が今も残されています。18、19世紀から現在まで続いているものもあります。そして20世紀、耕運機やブルドーザーなどが登場した時代には、風景が大きく変わりましたが、今でも全てが保存され、利用されています。

<ppt図版09「多様な作付け」>
オルチャ渓谷という場所は、6万6800ヘクタールが世界遺産に登録されています。実はこの登録を行ったのが、私の師匠であるイタリア人の研究者で、現在も景観についていろいろ相談している方です。私が文化的景観の研究を始めるようになったのも、この師匠の影響です。
地形の断面図に緩やかなところがあって、実は畑の区分けの仕方もそれに応じて決まっているんです。そうすると、川沿いに立って周囲を眺めると、ストライプ状に自然が展開しているのが見えます。これが風景の特徴、つまり鍵であり、隠し味のようなものになっているのです。

<ppt図版10「景観断面」>
こうした分析をもとに、「もしこれが変わってしまったら、どうなるだろう?」というシミュレーションを行うのが、私の仕事です。
ルネッサンス時代の樫の木
今日、秋津野ツアーで歩いているときに、原さんが「水路は江戸時代から変わってない」と話されていました。関西国際空港から連絡橋を渡ったところに日根野という駅がありますが、その奥に入った地域は、重要文化的景観として文化財に登録されています。
この登録を推進した学識経験者は、廃校を利用したグリーンツーリズム施設「秋津野ガルテン」を計画した研究者で、和歌山大学から京都大学に移られた方です。彼女も「水路って変わらない」「こんな細い水路が文化的景観の大切なポイント」と話していました。
これは私のローマ大学の師匠が手がけた別の文化的景観の事例です。細い水路を台帳で調べていくと、ルネッサンス時代に作られたもので、土留めとして植えられた樫の木もその時代のものだと分かりました。こうしたものは、あっという間に埋められたり、切られたり、道を広げられたりしてしまうことが多いのですが、こうした細かな要素を積み重ねていくことで、文化的景観が形づくられていくのです。

<ppt図版11「水路と樫の木」>
ただ、登録を目指すだけではいけない。それは外からの視点になってしまいます。オルチャ渓谷には面白い話があります。スライドの地図上で6つの丸で囲まれている場所は、国やEUが指定している自然保護区域です。小さな区画ですが、植生や生物層が異なっていて、保護されています。ところが、こうした指定を受けた場所では狩猟が禁止されているそうです。
でも、オルチャ渓谷に住む農民をはじめとした多くの人々は狩猟の免許を持ち、ジビエを食の楽しみとしています。ユネスコの関係者のなかには、「ここは農業自然公園として、農薬も抑えていて、国の基準よりも高い水準で生産している。だから全体を環境保護地域として登録すればいいじゃないか」と勧める人もいます。ところが、地元の会議ではみんな黙ってしまった。なぜかというと、狩猟が禁止されてしまうからです。
文化的景観を考えるときに大事なのは、歴史の延長上にある自分たちの生活を優先すること。生活をブランディングするために登録することはあっても、「ジビエも食べたいよね」というところで、「そこまでのブランドはいらない」という判断が働いたという話です。
住民が復活させた幻の「シエナ豚」
もう一つの例として、先ほど紹介した1338年の絵画に描かれた豚の話をします。ヨーロッパで美味しい豚肉といえば、スペインのイベリコ豚が有名です。私もイタリアにいて、そう思っていました。ところが実は、イベリコ豚よりも美味しい「シエナ豚」が存在します。この豚は第二次世界大戦前までは血統証もあり、ルーツがすべて分かっていたのですが、飼育に手間がかかり、餌の問題などもあって絶滅の危機に瀕していました。
1990年代中ごろから、地元の農業者たちが「復活させよう」と運動を始めました。自分たちで復活させて、伝統的な生産圏域として再生に成功したのです。みんながこの豚を食べるようになり、トスカーナ州全体の名産品として原産地呼称保護の認定も受け、いまでは飼育に助成金も出るようになっています。
この話は、自分たちにとって大切だったものを文化的景観の視点から再生し、それを経済活動に結びつけることができたという事例です。つまり、文化的景観は地域起こしに使えるという話なのです。

<ppt図版12「シエナ豚」>
変化を受けとめつつ、文化的景観を地元に還元
今日、上秋津を拝見して思ったのは、まず視覚的に捉えられる最小限のテリトーリオがあるということ。(赤い線は)自然の要素として、雨水が上秋津側に流れてくる分水嶺となる尾根をたどっています。だから、ここで自然との関わりが一つできると思います。

<ppt図版13「上秋津の分水嶺」>
ただ、地図の上のほう、もっと広い地域との関わりや伝承についても伺いました。実は、テリトーリオとは、入れ子状に展開していくものなのです。かつて10の集落があり、いまでは新しい人たちが加わって11の集落になっているという話もありました。その集落一つひとつが自給自足だったという原さんの話も伺いました。実はヨーロッパの文化的景観も、最低限の自給自足の単位から研究を始めるので、「同じですね」と話しました。

<ppt図版14「1976年と2019年の航空写真」>
左は1976年、右は2019年の空中写真です。ご覧のように、(右会津川の両岸の山裾に)道があって、その内側に集落が広がっていたところに、新しい宅地ができています。こうして風景が徐々に変わってきているのは、日本でも世界でも同じです。こうした変化を受け止めつつ、文化的景観やテリトーリオを地元の力に還元するにはどうすればいいのかという話をしてきました。
また、10の集落と新しい集落との境界の役割を果たしているお地蔵様があったり、ルートの変わらない昔ながらの水路、水のネットワークが残されていること。もともと水田だけだったのが、江戸時代の末から、みかんの作付けをするようになり、それがある時期から斜面に広がっていったということ。またかつては養蚕を営んでいて桑畑が広がっていたことなど…、そうした歴史的変遷を描くことで、失われたものの記録として地図を作ることができると思いました。それから素晴らしい石垣がたくさん残っていていること。段畑や水路とともにそれらが織りなす景観は、自慢の風景になるのではないかなという印象を抱くことができ、楽しく嬉しい気分を抱いて帰ってくることができました。


<ppt図版15「秋津野ウォーク」>
文化的景観は日常の暮らしでどれだけ意識されている?
下田 植田さん、ありがとうございます。
きょう、私たちはツアーで地域を回ってきました。事前のやり取りの中で、一番気になったのは、「文化的景観は、日常の暮らしの中でどれだけ意識されているのか?」いうことでした。そのあたりのリアルな声を聞きながら話を深めていけたらと思いまして、素敵なゲストを二人、お呼びしています。岩佐 郁さんと問山 美海さんです。岩佐さんはインタープリター、森林や自然を翻訳するお仕事や、熊野古道の語り部を最近始められたそうです。

<岩佐 郁さん 写真:下田学>
岩佐 そういうことがしたいと思っていたら、たまたま声をかけていただいて関わっております。出身が田辺で、小学から高校までは四国、その後、京都へ行ったり、静岡へ行ったりしましたが、やっぱりここがいいと思って戻ってきました。

<問山 美海さん 写真:下田学>
問山 こんにちは。生まれは大阪府住吉区で、6歳から高校卒業まで過ごしました、18 歳までが福知山、その後、和歌山大学を出て、いま田辺は4 年目です。現在、田辺市の地域おこし協力隊として、先ほどの地図にもあった秋津野ガルテンという施設で3 年の任期の2年目を過ごしています。
下田 それぞれ、いろんなところを回って、田辺にたどり着いたという2人に、もう少しリアルな実感なども伺いながら話を深めていけたらと思います。質問がいくつかあります。ズバリ、あなたの上秋津の推しスポットは?
問山 すごく好きな道があるんです。未舗装の道の両側に梅畑がずっと広がっていて、「ここが梅畑!」みたいな、すごく農村っぽい景観がありまして。ガルテンへの通勤も、わざわざそこを通ったりしています。あとは職場のガルテンですね。地域資源を活用していて、ノスタルジックな雰囲気もあり、好きなスポットの1つです。
岩佐 私の場合は、散歩のルートなんです。この川沿いを散歩していると、すごく綺麗な青い鳥を見かけるんです。カワセミです。たまに見られると、「カワセミを見られてラッキー!」。そんな気持ちで川沿いを歩いています。
下田 ありがとうございます。人との関わりはどうでしょうか? 実際に関わっている方々や、コミュニティの雰囲気など、どのように感じていますか?
問山 私は秋津野ガルテンで活動しているので、そこの方々ですね。ガルテンは地域住民の方々が出資して立ち上げた合同会社です。役員や関わっている方々は、農業関係の方がほとんどです。ですから、私の知り合いは50代以上の農業従事者や、一緒に働いている地域の主婦の方が多いですね。
聞いた話では、パッチワークのグループや合唱団といった趣味のグループのコミュニティがあるそうです。趣味や活動を通じたつながりがある、豊かな地域だなと客観的に感じています。
岩佐 そうですね。農家の方に限らず、自宅の庭先で野菜を育てている方が多いですね。顔見知りになると、「玉ねぎ持っていくわ」とか声をかけてくださったりします。うちでも庭先で大根やナス、きゅうりなど定番の野菜を育てていて、近所の方が寄ってくださったときなどに、採れたての野菜をおすそ分けしています。
下田 お祭りはどうですか?
問山 私は直接参加しているわけではありませんが、毎年11月23日くらいに秋祭りがあります。地域の若い方から年配の方まで幅広く参加していて、子供神輿もあるんですよ。その日は「こんなに人がいたんだ」と思うくらい、たくさんの人が集まります。
原さんの話では、もともとは喧嘩祭りだったそうです。神様が女性で、その神様を巡って男性たちが争うような祭りだったとか。それがいまは形を変えて秋祭りとして続いているそうです。
下田 川上神社には、ローカルな神様が祀られていて、「それ珍しいよね」って藪本さん(紀南アートウィーク実行委員長)と話していたんです。地域の本殿には主祭神として、瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)、速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)という女性の神様が祀られていて、奥に天照大神がいらっしゃる。天照や須佐之男が表にいるのではなく、地域の神様が前面に出ているというのは珍しいですよね。
ほかにも、人の営みが文化を作っていると感じることはありますか?
岩佐 人のつながりを感じる瞬間という意味では、草刈りなどですね。町内放送で「きょうは草刈りお願いします」「野焼きお願いします」などと流れてきて、地域全体で整備するという習慣があります。これは文化的な営みだと思います。
下田 新しい住民の方も参加されているのですか?
岩佐 町内会に参加している方は来られますね。マンションなどに住んでいる方などは参加されないこともあります。
下田 今日、松坂さん(有田川町の柑橘農家さん)がお地蔵さんの話をされていましたよね。有田川で農地のなかにお地蔵さんがあって、誰かが花を供えているけど、その姿を見たことがないと。でも花はいつも新しくなっている。きょうもいくつかのお地蔵さんを回りましたが、花が枯れていない。誰かが絶えず手をかけている。この「誰かが」という力が、こうした景観を作っているのかもしれないなと、すごく感じました。
共同作業というのは、コミュニティの要素にもなっているのでしょうか。
植田 そうですね。直近のこととしてはそれ(コミュニティの要素)であるのでしょうけど、昔の景観を作っていた人たちは、もっと厳しくてタイトなコミュニティのなかで共同作業としてしていたと思うんです。その残り香のような(新住民にはコミュニティ活動として認識されていない)ものとして、いまもあるのかもしれません。放置していたら、すぐに荒れてしまいますから。
参加者 草取りや野焼きはそれに近い?
植田 そうですよね。(岩佐さんに)どうでしょう?
岩佐 そうですね、近いと思いますね。草取り、野焼き、それに溝掃除…いろいろありますね。
植田 今日、歩いていて原さんから、「これは一の井(いちのゆ)の水路」「これは二の井の水路」、それから山から来る沢の水は荒れた水、畑を汚すので使わないといったローカルルールを伺いましたよね。
下田 問山さんは地域おこし協力隊として活動する前から延べ4年ほど住まわれて、そのなかで変わっていった場所や、これから変わりそうだと感じる場所はありますか?
問山 「岩内」という地区は、昔、商店街があって、銀座と呼ばれていたそうです。いまはお醤油屋さんと病院があるくらいで、あとは住宅街みたいになってしまっています。
下田 余談ですけど、そこの醤油、僕も家で使っています。とても美味しいです。「秋幸(あきこう)」という醤油屋さんで、「醤露(ひしおづゆ)」というたまり醤油が、無添加で刺身とかにすごく合うんですよ。
郁さんは昔から見ていて、変わったこと、変わらないことってありますか?
岩佐 そうですね。みかんの畑が徐々に梅に変わっていますね。梅の商品価値が上がったこともあって、みかん農家さんが梅と兼業になり、重心を梅に置くようになり、なかには、全部梅に切り替えたところもあるようです。みかんの木のサイクルも、早くなっています。祖母くらいの世代の方は、木を大きくして、大事に育てていました。けれども、最近の方はそんなに大きくせずに切ってしまって、新しい苗を植える。人間で言うと、青年くらいの油の乗っている時期まで育てたら、また次の苗を植えて、といった感じですね。
下田 昔は、みかんの木を大きくするのが一般的だったんですか?
岩佐 どうでしょう。この話は母から聞きました。ただ、みかんの木が大きくなるのに対して、人間のほうが老いていくので、高い所の実が取れなくなっていくという問題はあります。
あとは、最初にお話しした川沿いで言うと、最近、津波の警戒などもあって、護岸工事が進んでいます。防災上は必要なことですけど、私はちょっと寂しいなと思っています。
下田 ちなみに原さんにお聞きしたら、土地のことを昔から知っている人からすると「水が氾濫するから、絶対やめたほうがいい」というような所も、最近では建設業者がその土地を買って、宅地造成しているそうです。
当たり前の毎日の景色のなかに、意外な気づきを得る瞬間みたいなものはありますか?
問山 そうですね。私は海で育ち、それからこの農業地帯に来たので、最初は新鮮なことばかりでした。たとえば、みかんの花の時期だったら、道を歩いているとすごいいい香りがするとか。でも、暮らしていくうちに、慣れて普通のことになっていく。意識し続けるというのは難しいですね。それでも、まずは地域のことを自分事として捉えることが大事だと思っています。「本当にそのままにしておいたら、地域は廃れてしまうんだよ」ということとか、いまこの地域がなぜ持続できているのか——たとえば「秋津野塾」というシステムがあるからこそ成り立っているんだよ、というようなこと。なんとなく聞いて知っていても、実はよく知らないことを知ることから始まって、「では、自分はどうしたらいいかな」と考える人たちが、そのなかから現れてきたら、少しずつ変わっていくのでは。
下田 つながるきっかけは、「これ、面白いからもっと知りたい」とか、「ちょっと聞いてみたい」みたいな感覚だったりしますよね。そういう気持から始まらないと、なかなか続かないと思うんです。たとえば、市から補助金が出たから1年間リサーチしてみましたみたいな形では、うまくいかないし持続しない。やっぱり「地元って面白いやん」と思えることが、すごく大事だと思いますね。
僕たちはいま、「コモンズ農園」というプロジェクトを進めています。実は郁さんのおばあ様が持っておられた農地をお借りして、そこで少しずつ何かを始めようと、アーティストの廣瀬さんと一緒に取り組んでいます。
ここでもやっぱり大事なのは、「どれだけ面白がれるか」だと思っていて。廣瀬さん、農園について簡単にご説明いただけますか?
コモンズ農園とは――時を耕すということ

<トーク撮影中の廣瀬 写真:下田学>
廣瀬 何度も話しているのですが、改めて分かりやすく説明しますと、農園は一つの「フォーム」*なんです。もちろん、農作業も大事ですが、それだけではなく、立場の違う人たちが出会ったり、いままで交わらなかったようなシチュエーションが生まれたりする、そんな場であり、プロセスでもあるのです。
*フォームと(Form)とは、一般的に「形」「形式」などを意味する言葉だが、ここでは「構造、受け皿」を示す。
もともとはアートプロジェクトとして始まったもので、3年前に「みかんマンダラ」という展覧会があったときに、「みかんを使った作品をやりませんか?」という依頼を頂いたのがスタートでした。僕は以前「レモンプロジェクト」という、レモンを使った作品を作っていました。「じゃあ、今度は生のオレンジやみかんを使って作品を作ろうか」という話になったんです。でも、それまではレモンを買って作品に使っていたんです。

<レモンプロジェクトの風景 出展:廣瀬智央ホームページより>
2020年に開催したアーツ前橋での展覧会では、レモンを3万5000個使った作品を展示しました。香りが漂うような作品で、視覚的にも圧倒される空間でした。普通の人が100個くらいしか見たことのないレモンが、3万5000個ある異世界のような景観。それを見た人たちは、やっぱり驚きます。
でも、いまの時代、買って使って捨てるというのは問題がある。アートだから何をやってもいいというわけではない。1997年に最初にこの作品を作ったときから、展覧会の後のことも考えてきました。たとえば、レモンの紙を作ったり、石鹸を作ったり。じゃあ今度は、みかんを自分たちで育ててみようという話になって、私が提案し、藪本さんが「それ、やってみましょう」と言ってくださって、みかんの苗の育成を始めました。
みかんは、育てるのに7年とか10年くらいかかるそうです。その間、ただ待っているだけではもったいない。だから、農園という場所で、みかんを苗から育てながら、人と人が交流したり、実がなるまでのプロセスを作品として形にしたりしていこうというのが、このプロジェクトのコンセプトです。
すでに土地を探して準備するのに3年かかっていて、今年ようやく、郁さんのところから土地をお借りして、これから植えていく段階です。その間にも、いろんな展開がありました。アートの面白さは、答えが決まっていないところにあることを、あらためて実感しています。
時間を耕す
廣瀬 街づくりとは違って、アートは「答えが決まったものではない」ということ。時間という要素がとても大事です。いまの社会はとにかくスピードが求められる。1年で結果を出さなければならない。予算は年度内に使い切らなければならない。そういう時間の価値観に振り回されているのが、現代なのです。
アートの面白さは、そうした時間の価値を見直して、新しい価値観を見つけていくこと。時間を介入させることで、いままで見えなかったものが見えてくる。だから「時間を耕す」ことが、このプロジェクトの本質なのです。
みかんを育てると同時に、人と人との関係や、見えない価値を耕していく。それが「コモンズ農園」です。少し難しい話かもしれませんが、アートというのは単に作品を作ることではなく、人と人の関係を耕し、結びつけていくことでもあるのです。
今回も、植田さんのような「テリトーリオ」の研究者と出会う機会がなければ、こうして話すこともなかったでしょう。哲学者が来てくれたこともありました。この3年間は、農家の方々との関係を紡いできた時間でした。そして、これから苗を植えて育てていくと、また新しい関係が生まれてくると思うのです。
たとえば、僕が考えているのは教育のこと。子どもたちに何かしらアプローチしたいという気持ちがあります。田辺には新しい私立の学校ができました。その学校がすごく面白いそうで、そこの子どもたちと、関係を築いていけたらいいなと思っています。
あと、ロンドンにあるテート・モダンという美術館、そこの元館長だった方がいて、その人は実はオレンジ農家の息子なのです。アートの世界に入ったけれど、父親の農場も継ぐために、いまでもオレンジを育てているそうです。
でも、開発の波が押し寄せてきて、その農場を全部買い取って潰そうとする動きがあって。そこで彼は、農業を真剣にやることで抵抗しようと考えたそうです。そんな彼から、僕が2020年に出版した展覧会のカタログを見て、電話がかかってきました。最初は展覧会の話かなと思ったんですが、そうではなくて、「コモンズ農園って何なの?」と、すごく興味を持って聞いてこられたのです。
農業とアートのつながりは、アートの世界から見ると、意外とありそうでないものなのです。だから、少し注目されている感じもあります。
今回、みかんを育ててもらっていた里親さんのところへ、僕も直接ごあいさつに行ってきました。支援者のある方は、「やっと植えられますね」と、すごく楽しみにしてくれていました。すっかりはまっている方もいて。そういう反応をいただけるのが嬉しいです。
その方がコモンズ農園のことを完全に理解してくれているかどうかは分からないけれど、そこに何か可能性を感じてくれているのが伝わってきました。やっぱり、人と人との関係をつくっていくことが、アートの面白さのひとつだと思いました。だから、農園に行くということは、物理的なものだけではなくて、見えない関係性を耕していくということでもあるのです。
そして、何年か後、10年後くらいには、アートっぽい形になるのかもしれません。いわゆる皆さんが考えるようなアートではないかもしれないのですが、、、

<不耕作地の整地が進むコモンズ農園 写真:下田学>
下田 ありがとうございました。
「地域を識る」というのが、きょうのテーマでした。実は、これまでは「地域のことを大事にしなければいけない」とか、「地域に対して何かアプローチをしていくべきではないか」と思っていました。でも最近は少し考えが変わってきて「いや、やっぱりまずは自分たちが好きなことをしなければならないのではないか」という気持ちになってきました。
たとえば、僕らは農業の専門家ではないので、本格的なみかん栽培はきっとできないし、もしかしたら失敗するかもしれない。でも、だからこそ気づけることや、発見があるかもしれない。それがアートになるかもしれない。そういういろんなプロセスを経て、まずは「自分たちが識る」ことから始める。
このコモンズ農園は、ちょっとアクセスしづらい場所にあるので、「いつでも来てください」とは言いにくい。けれども連絡を頂ければ、ご案内します。いまはとにかく、自然の草の力がすごいのです。郁さんのおばあ様の代から、農薬を使わずに大事に育ててこられた農地なので、その分、自然の力がものすごく強い。いまはその自然と格闘しながらやっているような状態です。
ここをどうしていくか。まさにいま、廣瀬さんやいろんな方々と話しながら、それが始まろうとしているところです。
個人的には、もう少し尖っていってもいいのかなとも思います。農園というよりは公園、公園というよりはむしろミュージアムと呼んでもいいのかもしれない。そんなふうに感じている場所が、コモンズ農園なのです。
この場所は、地域のど真ん中ではありません。集落と集落の間にあるような場所です。だから、地域にどれだけのインパクトがあるかというのは、いまはまだ考えなくていい。でも、その存在を少しでも多くの人に知ってもらって、「面白がってくれる人」の輪を少しずつ広げていくことで、自分たちの世代からでも何かをつなげて、変えていけることがあるかもしれない。そんなふうに感じていました。
廣瀬 紀南アートウィークのなかで、コモンズ農園はあくまでひとつのプログラムにすぎません。きょうはたまたまこの農園に焦点を当てたイベントですが、アートウィーク全体としては、これからもっといろんな楽しいことが生まれていくと思っています。
それと今日はせっかく「テリトーリオ」というテーマで植田さんに来ていただいているので、なぜコモンズ農園にテリトーリオという概念が必要なのか、もうひと言いただけたらと思います。
テリトーリオとは、イタリアではいろんな歴史的なもの、人間関係を含めて面白い事例がたくさんあります‗そういう点と点をつないで、面として面白く見せていく訳です。
今回、田辺にもそういう可能性があるのではないかと感じました。テリトーリオという概念を、単にそれぞれが独立しているのではなく、関係性としてつなげていくものとして考えてみたいと思っています。
つまり、コモンズ農園だけが存在しているわけではないし、秋津野ガルテンだけがあるわけでもない。農家さんもいろんな方がいる。そういう意味で、この紀南という地域にも、テリトーリオという考え方を持ち込んでもいいのではないかと思います。植田さんから見て、どうですか?
植田 そうですね。さきほど廣瀬さんが「これは街づくりじゃない」と言われましたが、行政が求める街づくりは、だいたい到達目標が決まっています。僕も若いころ、コンサルタントのアルバイトでそういう現場を見ていて、「つまらないな」と感じていました。
いまはNPOとして活動しています。NPOの面白さは、大きな展望を伝えて、その入り口として「このお金をこういうふうに使わせてください」と小さな事業を提案できるところにあります。役場の担当者が「このくらいなら自分の裁量で任せてもいいかな」と思ってくれると、仕事が進みます。アートではないけれど、単年度では大きな目標との関係がわからないコンサルタント的なことを、この20年間やってきたような感じです。
地元の人たちといろいろ仕事をするようになって、いまではすべての小学校で「景観学習」もやっています。建設系の部署にまちづくりの予算を準備してもらって、教育委員会にも関わってもらって…教育委員会は、だいたいどこでも予算が少ないので事業力が弱いため、まちづくりの予算を使って、3年掛けて教育委員会と一緒に景観学習を開発してきました。
おそらくコモンズ農園でも、きちんと育てていくプロセスのなかで、交流がすごく大切なのだと思います。
紀南アートウィークが民間の力で受け皿になっているというのは、すごいことだと思う反面、少し重いとも感じています。たとえば、そういう交流の部分に公的なお墨付きがあると、もっと浸透していくのではないかとも思います。


<2025年10月に行われたみかんの苗木定樹会 写真:下田学>
植田(引き続き) テリトーリオの話題に戻ると、先ほどの図の一番下の部分に記した、営農していること、フェーズ1の人々の交流で日常を浮き彫りにすること、フェーズ2の…おそらく下田さんが言われているイベントや事業化と関連づけられる思いますが…これらが重なることによって、上秋津もしくは田辺のテリトーリオとしてのパイロット的、ミニチュア的、あるいは世界観を伝達する動き、つまりテリトーリオの象徴的な存在として、コモンズ農園を捉えています。
地域おこし、まちづくりという話題になると廣瀬さんからは違うと言われるでしょうが、その側面も含めて、コモンズ農園がテリトーリオのあり方を象徴する存在になるのでは、と考えています。さきほど、「入れ子」という話をしましたが、それこそテリトーリオの面白さです。(昼間のツアーで拝見した)上秋津も、最初は一つひとつの集落が自給自足だった、10の集落が川上神社の氏子衆としてひとつに集まって、今のテリトーリオをつくっています。さらにその周囲を取り囲む自然があり、伝承があるという段階があります。その最も小さな存在として、コモンズ農園が飛地的にある、私自身はそのようにイメージしています。

<ppt図版16「営農に重なる対話のフィールドとして2つのフェーズと重なるコモンズ農園」(図版06を再掲)>
下田 (会場に)こちらばかりで話していますが、感想や聞いてみたいことはございますか?
参加者 今、植田さんがおっしゃった「交流」「対話」という点がとても重要だと感じました。私はこの地域の人間ではなく、有田川という、もう少し北の地域から来た者です。そこには文化的景観があり、地域コミュニティと新しく移り住んできた人たちとの間で、対話を通じて見えてくるものがあります。ただ、その「見え方の違い」が、対話の難しさにもつながっていると感じています。
たとえば、文化的景観というものがあったとして、それは地域の住民にとっては「あるのが当たり前」で、重みのある、守るべきものです。でも、新しく来た人たちにとっては、それは「これから暮らしていく中で、少しずつ変わっていくもの」なんですよね。
そのコミュニティが作り上げてきた、ある意味での構造物、人工的なものが、新住民の人たちからすると、それは「たまたまそこにあった自然」のように見えている。
たとえば、農道がそのまま残っているとします。何もないように見えるかもしれないけれど、実はそれは農家の人が管理して、維持してきた構造物なんです。でも、新しく来た人にとっては、それが自然に見えてしまう。お地蔵さんがあって、水が流れていて、そこにあるものが「自然にあるもの」として映ってしまう。でも実際には、それらは人の手によってつくられ、維持されてきたものなんです。
そういう維持にかかるコストや手間を、誰かが担っているということが見えにくい。そこに、地域の人と新住民との間で、見え方の違いからくる対立が生まれてしまうのではないかと感じています。
コモンズ農園に関しても、立場や自分のグラウンドによって見え方が違ってくる。外から来た人にとっては面白いものでも、現地の人からすると「別に普通のこと」「捨ててもいいもの」みたいに見えてしまう。だから、どうすれば現地の人にも面白く見えて、外の人ともちゃんと対話できるのか——それはすごく考えるところです。僕自身が問題だと感じていることでもありますし、ステップだと思っています。
たとえば、紀南アートウィークや街づくり全般を見たときに、現地の人、よりディープなコミュニティの人、外とのパイプを持っている現地住民、そして完全に外から来た人——それぞれのレイヤーがあると思うんです。そのレイヤーをどう交ぜていくか、どうつなげていくかというのが、本当に大きな課題になっている気がしていて。
それをどうやって実現するのか。今日、「テリトーリオ」や「文化的景観」というキーワードを通して、どうやっていけるのかというのは、すごく気になっているところです。
下田 ものすごく大事な問いですね。そこをどうしていくのか、僕はその真ん中にあるのはアートではないかと思います。たとえば、「農」「みかん」「上秋津」という同じ言葉を使っていても、新しく来た人や外から来た人が語る「上秋津」や「みかん」と、地域の人が語るそれとは、やっぱり解釈が違ってくると思うのです。その違いを、可視化してくれたり、別の形に消化してくれたりするのが、アートの力なのではないかと。
いろんなアプローチがあると思いますが、僕らがこれまでやってきた中で、たとえば「みかん」というものの見方を少しずらしてみることで、どちらにとっても発見があるような、そんなアプローチをしていけば、対立にはならないのではないか。それが紀南アートウィークとして、これまでやってきたことでもあると思っています。
参加者 僕もすごく共感します。
植田 そうですね。私が関わってきた道東では農業の大規模化を進めてきた歴史があり、町の人口は変わらないものの、農業地域の人口が半分以下になり、市街地に人口が集中しました。すると農業地域のリアリティや基幹産業であることすら知らない人が増えていきます。
私も景観の話をしてきましたが、農業に興味のない人には、景観といっても心に響かない。先ほど少し紹介した景観学習は、なかり時間をかけて準備をしてきました。最初の年に個人としての学芸員に相談をはじめ、次年度から教育委員会も正式に協働をすることになりました。どういう模型を子供たちに作ってもらうかについて話を始めたのが、2 年目。授業時間は45分2コマとし、座学と作業を行うと決めて、可愛らしく、でも情報的には正確な教材を作り3年、町内会の協力を仰いで試演会をして改良を重ねる。そうしたプロセスを踏むだけでも4,5年かかりました。そうやって、いろいろ検証したうえで、毎年開催される校長会でプレゼンをさせてもらって、やってもいいよ、と手を挙げてくださる学校を見つけて、2 時間枠で実施。授業はうまくいったのですが、1コマにならないかということで、ぎゅッと凝縮。そこまでやったとき、「使えるぞ」という話が校長会で広がって、いまでは副読本をサポートする特別授業という形で、全ての小学校の授業に入るようになったのです。
関心のない大人に地域の資源の話をしてもなかなか入らない。結局、私たちが何を狙ったかというと、「子供に愛着を持ってもらうこと」。そして、「その記憶に理想的な景観を留めてほしい」ということです。授業は班ごとに分かれて模型を作り、最後に合体します。そうすると、必ず子供たちから歓声が上がります。しかも一番感銘を受けるのが担任の教師で、翌年に引き継いだ先生は、景観学習とセットで子供たちを連れて現地見学もするのです。ここまですると、子どもたちは家に帰って、「こんなことやった」と逆に親に教えるようになります。この例のように地域の資源を将来に向けてインプットしていく道筋をたくさん作れれば良いと考えています。同じように客観的資料づくりのために、沿道景観調査をしました。50年後、100年後に、この時代の魅力あった景観を伝え、場合によっては戻す根拠にもなります。
廣瀬さんの言う対話とは、人々とのシンプルな対話、ベーシーシックな対話だと思うんですが、私たちは役場と町民とNPOの人たちと協働しています。これも対話だと思っています。焦らず、地域の資源を未来につなぐことを考え、楽しめることを探しながら地道にやっています。
下田 ありがとうございます。ほかにありませんか?
問山 農家さんがみかんを作る場合、消費者が望むような甘いみかんとか、見た目がきれいなみかんを目指すと思います。コモンズ農園はアートがゴールだとしたら、どういうみかんを作るのか少し気になります。
廣瀬 みかんを大量生産した方が効率的にはいいし、作品としても使いやすい。でも、このプロジェクトは僕だけの作品ではないんです。みかんをテーマに、いろんなアーティストに参加してもらってもいいと思っています。みかんを栽培するにあたって様々なストーリーがあるみかんを作りたいです。
もともとのこの土地でのみかん栽培が無農薬でやっていたということもあって、栽培方法や自然農法を尊重したいという気持ちがあります。除草剤を使っていなかったので、最初に草を刈ったときにノビルという食べられるような野草がたくさん生えていたりして、「これってすごい財産だな」と思ったんです。でも、効率的に考えると、温暖化の中で草刈りは本当に大変で、毎日管理しないと難しいという現実もある。
ここは生業としての農園ではないので、もう少し実験的な要素があってもいいと思うんです。たとえば、この土地がなぜ自然農法でやっているのかという理由と歴史がある。三代にわたって女性だけで続けてきたというストーリーの話もある。そういうことも尊重したい。
ですから、まずは栽培方法も、そういうやり方で始めてもいいんじゃないかという話からスタートして、多品種についても考えました。田辺は栽培している品種が多くて、それが他の地域とは違う特徴。だから、未知の世界に踏み込んでみたいし、やれたらいいなと思っています。そうやって「当たり前ではないこと」が行われているというのが面白いと思うんです。自分が識らない世界があることを体験することで、自分の人生にも何かが反映されると思います。
そのためには、感性を育てることがすごく大事。見ても何も感じなくなってしまうのは、やっぱりまずい。知識はもちろん大事ですけど、それ以上に「感じること」が、いまの時代、すごく重要な要素だと思っています。
オンラインの世界が広がって、体感する機会がどんどん減っている。今回、久しぶりに畑で草を刈ったりして、「ああ、これだよな」という感覚が蘇ってきました。汗をかく喜び、労働の楽しさって、やっぱりいいですよね。
そういう楽しみや再確認することを共有して、一緒に語り合う。何がいまの私たちに何が不足しているのか、そういうことをお互いに交換できる場でもあるのが、コモンズ農園だと思っています。
それから、農園やみかん作りに関しては、最初からあまり決めすぎない方が良いのかなとも思っています。目標をあえて決め過めすぎないことの良さということがあるのではないか。みかん栽培や農園を作っていく過程を楽しむということ。その都度に柔軟さをもって状況や変化を受け入れていくことの重要さを感じること。まさに粘菌性のような感じです。そこに新しい価値観が生まれてくるような気がしています。
コモンズ農園が一般に広く知られることが全てではなく、むしろ「謎の場所」として、1日1組だけが訪れるような場所、そんな噂が流れるくらいのほうが面白い。
これまでの物事の評価は、数の多い少ないという基準によって評価されがちですよね。「あの美術館は人がいっぱい来てるからすごい」とか。でも、そうではない価値観もある。少なくてもいい。むしろ、少ないからこそ深い体験ができる。そういう場を目指したいですね。
そこに行ったとき、生きていくための糧を得るわけではない。でも、だからこそ、すごく現実的な体験ができる。誰もいない場所で、ただそこにいるだけで、何かが見えてくる。そんな体験をしてみたいですね。
下田 ありがとうございます。皆さん、本日は長時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

<着実に整備が進むコモンズ農園と廣瀬 写真:下田学>


