コラム

「知」を野に放つ ―遠野「とろげ」から「ややこしきいざなみ」へ―

大小島真木の映像作品〈千鹿頭(2023年)〉, Photo by Jun Yamanobe

紀南アートウィーク実行委員会
藪本 雄登

昨年、私は芸術の分野で博士号を取得した。集中的な思索と調査、膨大な文献と実践との格闘の末に手にしたそのタイトルは、客観的に見れば一つの到達点であり、栄誉であるはずだった。しかし、学位記を手にし、アカデミアの峻厳な壁から一歩外へ出たとき、私を包み込んだのは達成感ではなく、形容しがたい「アートへの疲弊」であった。

アートとは何か、文化とは、地域とは何か。博士論文という形式の中で、私はあらゆる事象を定義し、分類し、歴史的な文脈の中に位置づけてきた。論理の整合性を突き詰め、曖昧さを排除し、「正解」に近い言説を積み上げるプロセスは、知的興奮を伴うものではあったが、同時に、生命力に満ち溢れていたはずのアートを、乾燥標本にしてファイルに綴じるような感覚でもあった。

「知る」ことは、対象を支配することに近い。定義してしまった瞬間、その対象が持っていた「名づけようのない蠢き」は死に絶える。アートを巡る文書を書けば書くほど、その根源的な野生や理屈を超えた震えから遠ざかっているのではないか。もちろん、書くことは、アートの相互理解のために不可欠だと分かっていても、その感覚に苛まれ続ける。

2. 「ややこしきいざなみ」の苦悩と、遠野への旅

図1 「ややこしきいざなみ」のキーヴィジュアル

こうした疲弊を抱えながら、私は地元・紀南で新たなアート・リサーチ・プログラム「ややこしきいざなみ」を立ち上げようとしていた。紀南という土地は、古来より「熊野」を抱え、神話と現実、聖と俗、男と女といったあらゆる境界が入り混じる「ややこしき」場所である。私はその「ややこしさ」を整理・分析するのではなく、そのままの形で提示し、人々をその不可解な深淵へと誘いたいと考えていた。

しかしながら、企画者としての私は、ここでもまた「整理」の誘惑にかられていた。どうすればコンセプトを言語化し、アートや地域振興の文脈で正しく評価されるか。結局、私は「ややこしさ」を標榜しながら、自分自身が一番「ややこしくない、整理された正解」を求めてしまう。

そんな折に舞い込んだのが、「遠野巡灯篭木(とおのめぐりとろげ)」という企画だった 。きっかけは、富川岳氏の著書『シシになる。―遠野異界探訪記―(亜紀書房、2025年)』との出会いである 。昨年は疲弊から本をほとんど読めなかったが、富川氏の筆力に導かれ、唯一通読することができた一冊だった 。

舞台となる岩手県遠野市は、柳田國男が『遠野物語』で日本人の心の奥底にある「語り」を拾い上げた聖地だ 。正直なところ、最初は行く気になれなかった。

法律事務所の仕事は忙し過ぎるし、そして、紀南のプロジェクトが山積する中、強力な磁場を持つ遠野へ行くことは、思考をさらに混乱させるだけではないか。

今の自分に必要なのは静寂ではないか、という危惧があった。だが、心のどこかでは、自分を一度「壊して」くれる何かを求めていたのも事実だった。

図2 『シシになる。』の表紙 写真:亜紀書房より転載

3. 南方熊楠と柳田國男――紀南と遠野を結ぶ「周縁の知性」

遠野へ向かう道中、脳裏には二人の巨人の姿が浮かんでいた。紀南の南方熊楠と、遠野の柳田國男である 。

かつて激しい往復書簡を交わしたこの二人は、知のライバルであり盟友でもあった。

柳田が「日本民俗学」という体系を通じて日本人のアイデンティティを見出そうとしたのに対し、熊楠はミクロとマクロ、生物と精神、日本と世界が混じり合うカオスな「比較民俗学」を捉えようとしていた。

紀南と遠野。日本列島の南と北の果てに位置するこの二つの土地は、近代化の荒波にあっても、最後まで「割り切れないもの」を残し続けた周縁の地である 。

柳田が『遠野物語』の序文で綴った「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という言葉は、合理性を追求する近代人(平地人)への宣戦布告であった。一方、熊楠は紀南の森で、動物でも植物でもない粘菌の曖昧さに、宇宙の根源的な複雑さを見出した。

博士号という「平地人の知性」を接近し過ぎた私は、この「戦慄」や「曖昧さ」を感じ取る力を失っていたのではないか 。遠野への旅は、彼らが共有していた「生命の気配」を取り戻すための身体経験を伴う儀式への「いざない」だった。

4. 「とろげ」ゆく身体、剥がれ落ちる肩書き

2025年10月10日、私は遠野に降り立った。

キュレーターを務めるのは大小島真木。「遠野巡灯篭木(とおのめぐりとろげ)2025―遠野畏景探訪」というタイトルに含まれる「巡灯篭木」は、遠野にいまも残る風習のひとつ、「迎え灯籠木(むかいとろげ)」に由来する造語である。

「籠木(とろげ)」とは、先祖の魂が家に帰ってくる際の目印として立てられる、旗や灯籠のことを指す。お盆の時期、あの世とこの世の境界がひらくとき、人びとは光を掲げ、迷わぬよう祖霊を迎え入れてきた。私はこの「とろげ」という言葉に、勝手ながら別の響きを重ねていた。

それは「とろける」「溶かす」といった、輪郭を緩め、境界を曖昧にし、既存の秩序をひずませるような感覚である。生と死、人と自然、過去と現在――そうした二項対立が、遠野という土地のなかで静かに溶け合っていく。そのプロセス自体を指し示す言葉として、「とろげ」を受け取っていたのだ。

図3 キュレーターの大小島真木(左)、大小島真木の映像作品〈千鹿頭(2023年)〉(右)Photo by Jun Yamanobe

遠野の山々を歩き、かつて人々が神や化け物を見た場所を訪ね、シシになって踊る。鹿を追い、その命を食し、死者を弔い、表現に触れ、つくる。そこにあったのは、整備された「記号としての民俗学」ではなく、今も土の下で蠢いているような生々しい気配だった(なお、その具体的な内容や体験記録については、今後出版されるであろう冊子に委ねる。)。

案内人の語り、森の湿潤な空気、冷たい風、土地の味。その過程で、不思議な変化が起きた。「博士として分析しなければならない」という強迫観念が、スルスルと解けつつあった。

アートに対する疲れの正体は、アートを「見る対象」として客体化し、自分から切り離していたことにあった。肥大化した主体が、世界と自分を繋ぐ回路を塞いでいたのである 。

遠野の森の中で、私はただの「身体」になった。柳田が聴いた風の音、熊楠が見つめた腐植土の匂い。それらが言葉になる前の純粋な情報として流れ込んでくる。知性の輪郭が溶け出し、内と外の境界が曖昧になる「とろげ」の感覚。

私は遠野の風景の中に一滴の雫として溶け込み、そこからゆっくりと、言葉を再獲得していった 。

5. 「ややこしきいざなみ」への回帰―整理しないという覚悟

この体験を経て、私は再び「ややこしきいざなみ」に向き合っている。「遠野巡灯篭木」は完璧に練り上げられた素晴らしい企画だったが、どこか柳田國男的な真面目さも感じられた。対して私たちは、南方熊楠のように、もっと縦横無尽に、意の赴くままに突き進むプロジェクトにしたい 。

以前の私は「ややこしさ」の演出ばかりを考えていた。しかし、遠野で得た感覚は逆だった。「ややこしさ」とは作るものではなく、最初からそこに「在る」ものなのだ。私たちがすべきは分析ではなく、理性の膜を破り、本来持っている「とろける感覚」を取り戻すことではないか。

熊楠が粘菌に見た世界は、整合性の取れたシステムではない。それは、食い、食われ、腐り、再生し続ける美しきカオスだ 。柳田が拾い上げた物語も、正解のない「そこにある不思議」の集積である 。

紀南に戻った私は、以前よりもずっと楽な気持ちで企画に取り組んでいる。博士号という知の武器を捨てる必要はない。ただそれを振り回すのではなく、自分が「とろげ」るための道具として使えばいい。

論理を使って論理を超え、言葉を使って言葉にできない場所へ誘う。それこそが「ややこしきいざなみ」のコンセプトである。

6. また、めぐりはじめる

遠野での巡りは、私にとっての「解凍」の身体儀礼であった。この「とろげ」の余韻を抱えたまま、紀南の地で、人々の心を「戦慄」させ、心地よく「溶かす」ような表現の場を編んでいきたい。

柳田國男が遠野に見た夢と、南方熊楠が紀南に見た宇宙。その二つが交差する地点で、私は再び、アートという言葉ですら捉えきれない、二人の巨人の背後にあった根源的な生命の躍動を信じてみたいと思う。

遠野で出会った全ての人々、私を拒まず受け入れてくれた山々と神々に、心からの感謝を 。

図4 遠野五百羅漢で飛び跳ねる筆者(左)、鹿の解体(中)、シシ踊りのパフォーマンス(右) 写真:紀南アートウィーク事務局