コラム

忘却は血を巡る ―「遠野巡灯篭木」から「ややこしき いざなみ」へ―

大小島真木の映像作品〈千鹿頭(2023年)〉

紀南アートウィーク
小川 実咲

2025年から2026年にかけて行う「ややこしき いざなみ」では、「自らの身体を動かすこと」そして「関心のおもむくままに訪ねること」を手がかりに、土地や人との繋がりを見つめ直したいと考えています。

これまでの4年間は、展覧会やワークショップの形式で、紀南や熊野の価値について問う場を模索してきました。

今回の方針を考える上で、「果たして自らの体験として紀南や熊野地域の価値を理解しているのか?」という議論に至りました。今一度、熊野三山を歩き直すことや紀南地域に広がる祭事や神話について、身体的に体験し、価値を見直します。

タイトルにある「ややこしき いざなみ」ですが、タイパ・コスパと言われるこの時代において、非合理的かつ複雑で美しいものに触れたい、誘われたいという願望が込められています。

また、和歌山県新宮市にある神倉山(ゴトビキ岩)は、「熊野の神が最初にこの地へ降り立った」という伝承があります。神倉山に降臨したとされるイザナギとイザナミ は、死と再生を象徴する神と言われています。熊野の霧がかった深く鬱蒼とした山々は、黄泉(死)と現世(生)の境界として語り継がれてきました。そのゴトビキ岩を祀るように、毎年上り子となった男たちが松明を掲げ、奉納します。果たして、五穀豊穣や家内安全を祈願するためだけの儀式なのでしょうか?祭事の神髄はどこに隠されているのか?イザナミが黄泉の国からイザナギを遠ざけたかったほんとうの真意はなんだったのでしょうか?私たちが知っている神話や知識はすべてが正しいとは限りません。複雑さの裏に存在する、計り知れない信念や繊細な美学について、自分ごとのように考えてみたいと思うのです。何通りの考えがあってもいいし、何度でも書き換えられていいのではないでしょうか?熊野を駆け回り、温度に触れ、その先に私たちだけが見つけられる熊野神話があると願い、このタイトルを名付けました。

まずは、その第一歩として岩手県遠野市で開催されている「遠野巡灯篭木(とおのめぐりとろげ)」へ参加しました。遠野巡灯篭木は、岩手県遠野市の郷土芸能「シシ踊り」と現代文化を織り交ぜ、音楽、芸能、食という切り口から、“目に見えぬものへの想像をめぐらせる”カルチャーツアー・ライブイベントとして、遠野の文化を伝承しています。

遠野巡灯篭木も紀南アートウィークと同様に5年目を迎えるイベントとなっており、原点に立ち還り、模索している背景にも共感を持ちました。

今年度は、シシ踊りの背景にある「いのちの巡り」「遠野の文化的背景」に重きをおいたプログラムとなっており、4日間に渡るフィールドワークツアーを経て、郷土芸能の本質を身体的に受け取ることができました。

ここからは、遠野で触れた“揺らぎ”について、綴らせていただきます。

まず前提として、私は「神社」に惹かれます。そのなかでも「祭事」「儀式」「神話」について関心をもっています。「なぜ祀りごとを行うのか?」「儀式の文脈はいかなるものか?」…この現代において、祭りの時期が訪れると村の人々は、仕事や私生活を一時的に犠牲にしてまでも、笛や太鼓、踊りの練習を最優先に行います。その背景にある土着信仰をどのくらい理解しているものなのか?もし、それらを知らずとして、祭事を行っているとすれば、その情熱はどこからやってきて、どこへ向かうのか?なぜこれまで途切れることなく、継承してこれたのか?素朴にすべてが分からないのです。
そこで、「なぜヒトは舞い、奉納するのか?」この問いと共に遠野の地を訪れました。

【五百羅漢】

まず初めに足を踏み入れた場所は、「五百羅漢」と言われる岩山です。遠野地域は元禄~天保の時代、4度に亘り、人口の4分の1のいのちが失われる大飢饉に見舞われたそうです。そこで、大慈寺19世義山和尚が、読経しながら花崗岩の自然石に羅漢像を刻み供養した場所と伝えられています。羅漢像が掘られた大小500の岩々に囲まれ、その意味を考えながら佇むと、とても言葉にはし難い物悲しさが静かに襲いかかります。岩に祈りを刻むことは、故人が生きた証を想起させると共に、今日に至るまでの忘却からの抵抗行為であると考えることができます。

柳田國男著の「遠野物語」の中で登場する妖怪の背景にある物語も「飢饉」によるものだと伝承されてきました。例えば、貧しい暮らしの中で子供が育てられず、赤子を川に流したことによる河童伝説や、家計の負担軽減の為、家族の人数を減らすことを余儀なくされ、労働に耐えられなくなった老人が集められたデンデラ野の言い伝えなどがあります。この地にとって、大飢饉は根源であり、残された者が口承伝説として語り継ぐことで、故人に向けた思いを背負い生き抜くことを幾度と再認識してきたのではないでしょうか。

【ハヤチネンダ】

次に、ハヤチネンダという団体が「いのちを還す森」埋葬プロジェクトを行っていることを知りました。このプロジェクトでは、墓石の下ではなく、山に埋葬されるという埋葬方法を選ぶことができます。

もし、このように自然への還り方を自由に選ぶことができ、好きな山や場所の土壌になれたなら…
私なら、残された友人、家族が足を運びやすい場所の土に還りたいと願います。日常の延長線上で、残されたものたちが、四季を囲って花見やピクニックなど楽しく過ごしてくれたら、このうえないなと想像が膨らみました。

また、ハヤチネンダが所有している山には、放牧された馬が2頭いて、自然のサイクルに溶け込んでいました。
もともと3頭いたところ、すでに1頭は寿命を迎えてしまったようです。幸いこの山は、認可を取得しているので、なくなった馬を土に還すことが叶いました。そのため、この山の小高いところから、残された馬の生活を今もなお見守っています。

それと同時に、本来馬はなくなったら「産業廃棄物」であることを知りました。日本の法律では、動物の死体は衛生上の観点から「廃棄物(不用物)」とみなされ、むやみに埋める行為は、不法投棄として罰せられます。先ほどまでいのちが宿りケアされていた存在が、次の瞬間にいのちを絶えると、それは廃棄物(不用物)になってしまう。このあわいは何なのだろうか?身を置いている場所の法や環境、その土地によっていのちの扱い方が変わる。大前提として、法は私たちの生活や健康を守るために設けられています。法の視点でいのちを見ると「腐敗したものから二次被害の感染を避けるため」というリスクを管理しています。しかし、馬と過ごした人々からそのいのちを見つめると「供養してあげたい存在」であることに変わりはありません。置かれた場所の法やルールによって、本来してあげたい供養が選べないことが起きうる。それは、正しさの問題というより、どこか不甲斐なさを伴うものに感じられます。ハヤチネンダの取り組みは、法や制度を引き受けながら、それでも供養のかたちを探ろうとしているように見受けられます。

一緒に森を歩いていた参加者のエマちゃんが言いました。「弔われるいのち」と「弔われないいのち」が存在すると… この一連の話は、近隣国の争いにも言い換えられることなのかもしれません。

【狩猟目線の山歩き】

狩猟をしている蜂谷淳平さんと共に山を歩きました。これまで、山を幾度と歩いてきましたが、狩猟目線での山歩きは、情報の捉え方がまったく違っていてとても興味深かったです。

例えば、鹿の足跡を見つけると、その大きさ、歩幅、向きで、大人の鹿もしくは子供の鹿がどのような心理状態(リラックスしているのか、警戒しているのか)でどの方向へ向かったかを特定することができます。鹿の糞を見つけたならば、その糞の硬さ(柔らかい・硬い)でおおよその時間(近くにいるのか・遠くにいるのか)を推測することができます。また、発情期の雄鹿を誘い出す為、雄鹿の鳴き声を真似た「鹿笛」を用いることで、縄張りを主張する雄鹿が鳴き返してきます。この雄鹿の声の大きさや反響方向で、鹿との距離を測ることができるのです。山を歩く目的が変わると、目の前の細部の形跡から必要な情報を読み取れることに、改めて視点の違いに気付かされました。こうした感覚こそが、失われつつある「五感の活かし方」であり「野生を読む力」なのかもしれません。

また、山歩きをしている中で、あらゆる木々に熊が爪を研いだ痕跡が残っているのが印象的でした。この時期、ニュースで騒がれていた熊の存在を、生々しく実感した瞬間でもあります。数日前、盛岡のタクシー運転手から、市役所周辺で熊が出没したという話を聞きました。町では、熊の見回りを行うパトカーが巡回し、小学生たちはランドセルに熊鈴を付けて集団で通学している状況です。

私たちも熊避けスプレーや熊鈴を持ち、できるだけ大人数で歩くように心がけていました。そして数日後、私たちが訪れた場所に熊が出たことが町内放送で知らされたのです。近隣住民の緊張感を肌で感じると同時に、自然との距離を急速に遠ざけてしまった現代社会において、本来そこにあった自然との距離を身をもって痛感した出来事でもありました。

【鹿のいのち】

狩猟文化。自然からいのちをいただき、生を環らせる。かつて、先人の自然との距離感は、自然を畏れ敬いつつも、生活の一部として受け入れ、共生してきました。幾度もいのちを巡らせ、知恵と技術を磨き、生き抜いたがゆえに、便利になりすぎてしまった今日が存在します。現代においては、近隣のスーパーにいけば、処理された精肉がいつなん時でも手に入ります。昨日だって、肉を食べたし、むしろ、ジビエが好物です。自然の摂理は、頭では理解しているつもりでした。

次の瞬間、鈍くて小高い銃声が鳴り響き、鹿が目の前で項垂れました。まっすぐ訴えかける眼差しと苦しそうな息遣いが脳裏に焼き付いて離れません。ものの5分だったか、瞬きがゆっくりと静止するのを見届けました。

果たしてこれでいいのか?これが自然の摂理なのか? この鹿はいのちをおとす必要があったのだろうか?疑問がとめどなく溢れます。昨今は、自然との距離を忘れてしまい、「自然を支配・征服する」という考え方が浸透してしまっているようにも思います。次世代と「自然との距離」について、どのように考えていけるのでしょうか。

勿論、様々な視座があることも理解しています。この地で暮らす人々、田畑や農作物を育てている人からすると鹿は害虫であることや、駆除で生計を立てている人もいます。自分ももしそちら側にいたら、「そういうものだから」と作業としているでしょう。でも、そちら側ではないからこそ、疑問が浮かぶし、他の方法を考えたくなります。

排除するということは、どちらかの利益だけが叶っている状態ではないでしょうか?そもそもなぜ山にいた鹿が町まで降りてきて、農作物を荒らすのでしょうか?駆除という目先の方法では、根本的な解決になっているとは到底思えません。個人が真剣に考えても世界はひとつも変わらないかもしれない。

それでもこの違和感は、政治のような問題にも似ています。そして、現代アートこそ、この違和感を言葉や表現に変換するための装置だと言えるのではないでしょうか。現代アートは、今日この社会で起こっていることや営み、秩序を問い直すものだと認識しています。二元論で片付けられないことが、この世には山ほどある。なぜならば、双方に正義が存在するから、どちらも裁くことはできません。声をあげ、誰かの価値観と融合させることが最も重要です。そのなかで、二元論のあいだにこそ存在する選択肢や方法を生み出せるのが、私たちの創造力なのかもしれません。

頭で理解していることと、身体的に入ってきた感覚に乖離があったのは、このうえない事実です。この感覚を忘れないように書き留めることは、自分自身へ向けた戒めでもあります。人はすぐ忘れ、慣れ、適応してしまう。この感情を抱いて世界を見つめ直すことが、あの時の鹿のいのちを頂くということなのかもしれません。

【千鹿頭】

大小島真木の映像作品〈千鹿頭(2023年)〉, Photo by Kenta Umeda

遠野巡灯篭木(とおのめぐりとろげ)」のゲストキュレーターを務めるアートユニット・大小島真(大小島真木+辻陽介)が諏訪での滞在リサーチを経て制作された映像作品「千鹿頭」を鑑賞しました。大小島さんは、生態系、生、死を軸に、対極を往還することで、境界を溶かし包み込む表現を行います。作品の細部にいたるまで、彼女の哲学と神聖さが宿るペインターです。「千鹿頭」の作品は、諏訪の魅力に憑りつかれた大小島さんと辻さんが、実際に諏訪で触れた温度、空気感をありのまま伝えるために挑戦した初の映像作品です。

大小島真木の映像作品〈千鹿頭(2023年)〉

ストーリーとしては、八洲の大地の裂け目に、現世と常世の境界として恐れられる「千鹿頭の森」があり、古の神々と異風の民が暮らしていました。放浪した男が迷い込み、森の奥で巨大な霊玉とうつぼのような異形の女に出会うところから物語が始まります。その男は、異形の女に誘われ、好奇心と欲に駆られるがまま森の奥深くまで無我夢中に女を追い続けます。

大小島真木の映像作品〈千鹿頭(2023年)〉

少しずつ距離が重なりあい、溶け合うような描写のなかで、男は身につけていたものが失われ、表情もどんどん疲弊していくのですが、男自身はまったく気付く素振りもありません。最終的に、男の生気はすべて女に吸い付くされ、女は新たな誕生を遂げ、うみだします。これは、性的共食いのようにも見受けられます。「欲すと死す」という言葉が浮かび、何事も腹八分目で謙虚に生きなければいけないという生存本能が脳裏をよぎる反面、蝕まれていることに最後まで気付かず没我している姿は、むしろ自らが「滅び巡ること」を望んでいるようにも感じられました。

大小島真木の映像作品〈千鹿頭(2023年)〉

この一連の流れは、自然の摂理としても読みとれます。私たちもまた「大地を喰らい、大地に喰らわれる存在である」という大小島さんの言葉が、すっと身体に入ってくる感覚をおぼえました。それもまた、この数日間で目にして触れた「巡り」の数々を普遍的な生態系の循環として浄化してくれるものだったからです。

【シシ踊り】

最終日、六神石神社で「板澤しし踊り」による演舞を目にしました。最年少4歳~小学4年生くらいの子供達が10名、20代~30代の女性が5名、20代~70代の男性が15名、計30名ほどで舞っています。この中には、一家勢ぞろいで参加しているご家族、夫婦で参加している方々もいました。なにより驚いたことは、今日デビューを果たした20代の女性が1名。なんとシシ踊りに魅了され、大阪から遥々この日のために遠野へ来たとのこと_ それまでの練習方法も、ZOOMのオンラインを駆使し、シシ踊りに励んできたのです。遠隔で練習を行ってきたので、仲間と合わせたのは、今日が初めてだと言います。

そもそもこのような地域の祭事は、敷居が高く、よそ者を受け入れてくれる印象など全くもっていませんでした。板澤しし踊りの方々と対話を重ねるなかでそういった印象とは、真逆の意見が返ってきます。「なによりシシ踊りに興味を持ってくれることが有難い」「とにかく継続することが重要である」と_ 境界をつくらず、最も本質的かつ核心的に「シシ踊り」を継承する責務を担っている姿勢がひしひしと伝わります。

恐らく伝統芸能を「開く」ことに対して、賛否もあっただろうし、現在においても断固として「閉じた」状態を信念にもっている団体も存在すると思います。どちらも「シシ踊り」に対する畏敬に変わりはありません。

しかし、開くことを選んだ団体は、シシ踊りの核心を尊重しつつも、新しい人々や表現との出会いを受け入れ楽しんでいる姿が印象的でした。いつの日か「開く」ことで生まれる、移住者だけで舞うシシ踊りや、現代風に書き換えられたシシ踊りの新しい演目を目にする日が訪れるかもしれません。

また、今回の「遠野巡灯篭木(とおのめぐりとろげ)」のディレクターであり、企画の参加きっかけになった富川岳氏の著書『シシになる。―遠野異界探訪記―(亜紀書房、2025年)』の中で、「人はなぜ獣を被って踊るのか?」という問いに対して、「内なる野生を取り戻すため」という考えを述べた一文がありました。それは、「動物」という言葉ができる前、人と獣を区別していなかった頃の感覚や神話的思考を甦らせる状態のことであると記述されています。【シシになる。_P214】

「内なる野生を取り戻す」とは、失われた本能を外側へ向けて新たに得ることではありません。私たちの身体や精神の深層には、先祖たちが飢えや災厄、捕食者への恐怖を経験する中で刻み込まれた感覚の層が存在します。現代の私たちは、その経験の痕跡を「無意識」のレベルで受け継いでおり、内なる野生を呼び覚ますとは、その層を「意識化」させることだと考えられます。

また、これらの記憶は言語として保存されるわけではありません。危険を察知して足がすくむ感覚や、音や気配に先立って身体が反応する神経の動き、あるいは理由もなく森や闇に引き寄せられる衝動として、遺伝子の発現や神経系の反応に形を変え、血や肉の奥深くに刻まれています。

「舞い」や「奉納」は、神や霊獣といった外部の超越的存在に向けられる前に、内在化された記憶に直接訴えかける身体的な言語であるとも考えられます。つまり、生存のために刷り込まれた恐れや衝動、本能に触れることは、言語を超越し血肉に語りかけ、忘却に抗い再び呼び覚ます行為なのかもしれません。

合理や理性では処理しきれない原初の恐れに対し、「私たちは忘れてはいけない」と再認識するでしょう。そして、恐れを抱え生きる存在として許しを得るかのように、神や霊獣といった外部の超越的存在へすべてを差し出し、受け入れを願うための交渉が儀式なのかもしれません。

遠野での滞在を通して、祭事や文化の深層、自然の摂理が身体に染み込む感覚を得ました。温度に触れることで見えてくるものがあるのだと確信します。この余韻を抱きながら、2月5日より熊野三山リサーチプログラムを開催します。皆さまと共に紀南・熊野の土地の記憶に触れ、身体的に問いを立てる時間を過ごせると嬉しいです。ぜびご参加いただければ幸いです。