コラム
五感に優しい紀南 ーお寺と音楽ー
紀南アートウイーク対談企画#28
〈ゲスト〉
関守研悟
南紀白浜 聖福寺(しょうふくじ)住職
お寺をもっと身近に感じてもらえるようにと、音楽を取り入れた活動をされています。
聖福寺のYoutubeチャンネル https://www.youtube.com/user/Shofukujiでは、心穏やかに過ごせるよう、禅宗の教え、癒しの音楽、御詠歌などを配信中。
〈聞き手〉
藪本 雄登/ 紀南アートウィーク実行委員長
五感に優しい紀南 ーお寺と音楽ー
目次
1.関守さんの紹介と聖福寺の成り立ち
2.「窮すれば変ず、変ずれば通ず」
3.お寺と音楽
4.人間が生きるのに適してる紀南
5.暮らしの中のアート
1.関守さんの紹介と聖福寺の成り立ち
藪本:
お時間をいただきまして、誠にありがとうございます。
関守さんのネット配信を、とても興味深く拝見させていただきました。
本日は、住職として取り組まれている活動、さらに、関守さんご自身が大切にされている哲学など、お聞かせいただければと思っています。
よろしくお願いいたします。
関守:
こちらこそよろしくお願いします。
白浜町の聖福寺住職の関守研悟と申します。
1972年、白浜町で生まれ、西富田小学校、富田中学校に通いました。高校は智辯学園和歌山高校に行き、その後、早稲田大学法学部に進学しました。今から考えますと、4年間の東京生活は、「人間の住む場所」について考えるきっかけになりましたね。
大学を卒業し、神戸の祥福寺専門道場という修行道場で、4年間、坐禅、托鉢、作務(掃除)、そして禅問答など、実践的なところの修道を積みました。
その後、京都の宗門の大学機関・花園大学の大学院におきまして、学問的なことを学びました。修士課程・博士課程の5年間勉強し、文学博士(仏教学)を取得。30歳頃に白浜町に帰って、33歳で父の後を継いで聖福寺の住職となりました。
藪本:
いつ頃から僧侶になろうと決めていましたか?
関守:
私の曾祖父、祖父、そして父親が、代々聖福寺の住職を務めていました。私も寺の長男として、物心がついた頃から衣を着て、父親の後をついてお参りに出かけたりしていましたので、自然に「将来はお坊さんになりたい」と思っていました。
ところが、中学校時代の思春期の頃には、何かそれが恥ずかしかったんでしょうね。当時は、「お坊さんにはならない」と断言していたと、友人に言われました。私はあまり覚えていませんが。笑 20歳を過ぎて、自分の人生を考えた時、やはり僧侶をおいて他にはないと思いましたね。卒業してすぐ、神戸の修行道場に向かいました。
父の姿に憧れはあったと思いますし、子どもの頃からお世話になってきた紀南の方々に少しでも恩返しできたら、という思いもありました。
藪本:
聖福寺が開かれた背景をお聞きしてもよいでしょうか?
関守:
聖福寺は禅宗(臨済宗)に属する禅寺です。今から400年ほど前、江戸時代の寛永初期。諸国を旅していた一人の青年僧が足を留め、庵を結んだのが堅田の地。「ここが私の修行と布教の地」と心に定め修行に入ったそうです。
当初は無関心だった里人たちも、仏の無辺の教えを説く敬虔な姿に心を打たれたようです。「偉くて優しい和尚さん」として慕われたのが、聖福寺初代の一株祖典禅師です。教えが受け継がれ、私で15代目住職となります。
藪本:
そういう成り立ちなのですね。
関守さんご自身の経歴をお聞きしてもいいでしょうか?
関守:
白浜で住職をしながら、20年間、花園大学非常勤講師を、また、和歌山県教育委員会委員を4年間勤めました。
現在は、聖福寺に来ていただいた方々が、清々しく、極楽浄土に来たような気持ちになって頂けるように、境内の整備に多くの時間を費やしています。山の上にあるので、車参道から境内まで、とても敷地が広いのです。毎日、草刈機、ブロアー、チェンソーを活用しながら景観を整えています。
2.「窮すれば変ず、変ずれば通ず」
藪本:
教育の場とお寺、2つの側面から感じられたお寺の課題はありますか?
関守:
寺と社会に乖離が生じ始めている、ということが課題だと感じています。昔は、お経自体にパワーがあり、意味が分からなくても、お経を聞くだけで御利益や功徳があると信じられていました。
本来、お経とはそういうものなのですが、今は、それだけでは物足りなさを感じる時代なのだと思います。葬儀や法要といった、先祖崇拝をベースにしながら、他にも寺と社会を結びつけるものがなければ、乖離はさらに進むと感じています。
藪本:
それで現在の活動に繋がっておられるのですね。
関守:
そうなんです。私は、話の合間に音楽演奏を取り入れた「音楽法話」をしています。
きっかけは、老人福祉施設の園長さんから、何か話をしに来て欲しいと依頼があったことです。人前で話をするのが苦手なうえ、ましてや相手は人生の大先輩。何を話せばいいのだろうかと迷った結果、ひらめいたのが歌を歌うということでした。私は、学生時代にギターを弾いていましたから、半分は話をして、あとの半分は「さくら」「赤とんぼ」「ふるさと」などの唱歌をギターで演奏し、一緒に歌って頂きました。
結果的には、とにかく歌がよかったと、歌ばかり褒めてもらって複雑な気持ちだったんですけどね。笑 よく考えてみると、「お坊さんに来てもらって良かった」と思って頂けるなら、それでいいのではと思いましたね。それから、歌を歌う活動を始めました。コロナ禍の前は年間約40カ所に出かけて、紀南の方々と会う機会を得ていました。
藪本:
そんなにたくさんのところに出向かれていたのですか!
関守:
ところが、そういった企画はほとんどなくなりました。本堂で地域の皆さんと行っていた坐禅会も出来なくなりました。自分に何が出来るかを考え、YouTubeで僧侶の思いを発信することを思い立ったのです。こうして「南紀白浜・聖福寺チャンネル」※1 ができました。禅語や古典を引用しながら、逆境を乗り越えるコツを提案したり、心穏やかになる音楽演奏をしたりしています。
坐禅会も、オンラインに切り替えました。月に2回、Zoomで行ってきたのですが、そのうちの1回をYouTubeで行うことにしました。つい先日第1回目のYouTube坐禅会をしたのですが、見逃し配信を含めて500人が参加してくれました。これは、本堂での坐禅会では考えられないことですね。
これからも「窮すれば変ず、変ずれば通ず」※2 と念じながら、時代に合った形で活動していければと考えています。
※1 南紀白浜・聖福寺チャンネルは、現在登録者数1900人。
「西国三十三所御詠歌全曲集動画」https://www.youtube.com/watch?v=7pkd84WT4LU
※2 儒教の経典の1つ、易経(えききょう)に書かれている言葉。物事がどん詰まりの状態まで進むと、そこで必ず変化が起こり、新しい展開が始まるということ。
3.お寺と音楽
藪本:
Youtubeを拝見させていただき、音楽活動をされていることを知りました。お寺と音楽、お経との関係を、ぜひ伺いたいです。
関守:
お経はもともと、紙に書かれたものではなかったんです。お釈迦様が亡くなられてから、お弟子達が集まって、「お釈迦様はあの時こう仰られた」「私はこのように聞いた」と言葉で伝えられたと言われています。後世に伝えるために、メロディとリズムが付けられたということです。
「書かれたものとしてのお経」と、「音声としてのお経」は違います。脳科学的にも、書かれたものを理解する脳の部分と、歌を理解する脳の部分は違うと言われています。介護福祉士の方も「歌は理論的な部分ではなく、感情の部分で心に響く」と仰られていました。書かれたものを理解するには脳で変換する必要がありますが、「音」は、心に直接響きます。
江戸時代の名僧である白隠禅師(はくいんぜんじ)が、遠くのお寺の鐘の音を聞いてお悟りを開かれたという話もあります。その意味におきましても、お経と音(音楽)は密接な関係にあるのだと考えられます。
藪本:
音は、直感的なものですよね。お経も、理論ではなく、意味はよくわからなくても、人間が生きている上で必要なものとして定義できるかもしれませんね。
関守:
そもそも、歌を歌うということは、言葉が発達する前から、人間が用いてきた、感情をあらわす手段であったそうですね。そしてそれは、多分に宗教的要素を含んでいたのではないかと思います。自然のリズムに同調するような命の共鳴、それが歌でした。私たちは遙か昔から、歌を歌い、あるいは聞くことによって、心の安定を得てきたのではないかと思います。
「今を生きる人の心に響いて、心を安らかにする」、それが禅の宗旨です。お経を大切にするのと同じように音楽も大切にしていきたいと考えています。
僧侶が音楽演奏をするということに驚かれるかもしれません。しかし、実は目新しいことでないのです。時代をさかのぼると、琵琶法師が琵琶を演奏しながら、諸行無常の真実を分かりやすく説いたという歴史があります。琵琶法師は、「この世ははかない、無常の世だ」と説いたそうです。
私は、琵琶をギターに持ち替え、この世は無常だけれども「生きることはすばらしい」と伝えたいと思っています。活き活きと、生きる喜びをみんなで分かち合いたい、そんな願いを持って活動しています。
般若心経の真髄は、「ぎゃーてーぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそうぎゃーてー ぼーじーそわか」という、最後のところです。どんな意味かお分かりですか?
私たちの大先達、山田無文※3 老大師はこの部分を、
「ぎゃーてーぎゃーてー」=着いた、着いた
「はーらーぎゃーてー」=彼岸へ着いた。
「はらそうぎゃーてー」=みんなで彼岸へ着いた。
「ぼーじーそわか」=ここがお浄土だった!
と訳されています。
天国や極楽は、どこか遠いところにあるのではなく、実はここにあった!この世にいながらにして、極楽浄土にみんなで着いた!という意味なのです。その感動を表したのが、「般若心経」だと捉えると、般若心経は、亡くなった方を弔うお経ではなく、まさに「歓喜の歌」「喜びの歌」と言えるのです。
※3 山田無文(やまだむもん)
臨済宗の僧侶。著書「自己を見つめる」は、禅を理解するための最初の一冊にふさわしいと、関守さんお薦めの書。
4.人間が生きるのに適している紀南
藪本:
関守さんにとって、紀南とはどういう場所なのでしょうか?
関守:
和歌山市内、東京、神戸、京都にも住んだことがあります。そこと比較しても、紀南は「人間が生きるのに適している場所」だと思います。情報社会、AI・IoT社会が到来し、今後ますます都会が持っているメリットを、紀南でも享受できるようになると思います。
逆に、紀南のメリットである「人間が生きるのに適している場所」は、都会にいては手に入るものではありません。これからは、紀南の良さが引き立ってくるのではないかと思います。
藪本:
具体的に、どのようなところが「人間が生きるのに適している場所」なのでしょうか?
関守:
私の経験として、大都会で過ごしていた頃は、夕方になるととても疲れていましたね。おそらく、都会は五感から入ってくる情報が多すぎるので、精神的に疲れるんだと思います。一方、紀南は五感から入ってくる情報が穏やかなので、心身共に健康、健全でいられるのだと思います。そういう意味で「人間が生きるのに適している」と感じます。
藪本:
お寺と音楽のもつ価値や機能は、紀南のもつものと通づるところがありそうですね。
関守:
その部分においては同じだと考えています。
今、教育界では、「Society5.0に向けて~社会が変わる、学びが変わる」と言われています。「Society」とは「社会」のことなので、「ソサイエティ5.0」は5番目の社会。近未来に、社会が変わる、学びが変わるという意味です。だから今から準備しておかなくてはならないということなんだそうです。
Society1.0=狩猟社会 20万年前
Society2.0=農耕社会 1万年前
Society3.0=工業社会 200年前
Society4.0=情報社会 25年前
Society5.0=AI・IoT(人工知能・モノのインターネット)社会
ここから何を思いますか?
社会が変わるのが速すぎますよね。狩猟社会から農耕社会に移るまでは19万年かかっています。情報社会が始まったのは、つい最近のことなのに、もう次の社会に移ろうとしています。この速さに、私達の心は追いついていけないですね。ですから、あえて、ゆっくりすることも大事なんじゃないでしょうか。
ある精神科医の先生は、「ゆっくり過ごすという豊かな時間が、恐らく1番多くのものを感じられる。ゆっくりゆっくり、幅のある時間の流れが大切なんだ」と仰られています。
効率を重視して頭をいろいろ働かせている時よりも、1番遅いと思う時間の使い方が、実はよほど先が見えたり、横に視野を広げられたりするのだそうです。
「お寺」や「音楽」はそのための機能を果たすと思います。「紀南」が持つ価値や機能と同じですね。
5.暮らしの中のアート
関守:
そういう理由からも、今こそ「坐禅」をおすすめしています。おもしろいことに、紀南アートウィークさんが提唱されている《「籠もる」と「ひらく」という概念は「イコール」の関係にある》という定義、これは坐禅も同じだと思うのです。
坐禅は、「身体を調え・呼吸を調え・心を調える」のがポイントです。これは自分に「籠もる」方向ですね。自己を見つめるうちに、自分と世界の境界がなくなってきて、自分と世界は一つだというところにたどり着くんです。そうすると、「見るもの聞くものすべてが自分だ」という、ものすごくスケールが大きい世界が開かれていきます。籠もっているようで、実は大きくひらいていく。それが坐禅だと思うのです。
「無理に、安易に、グローバルを目指す必要はない。閉じていてもいい、開かれる前には、むしろ閉じるべきではないか」「自分を一度閉じて、再度深く見直すことで、はじめてグローバルな世界と接合する」という考え方には、大いに賛同するところです。「籠もる」ために、そして「ひらく」ために、お寺や音楽を皆様に使って頂きたいですね。
藪本:
今後、紀南があり続けるために、どのような活動や考え方、哲学が求められるとお考えですか?
関守:
紀南は先ほど述べさせていただいた通り、非常に素晴らしいところです。今後の紀南のためには、「紀南の魅力に、住んでいる私たち自身が気付くこと」が大事なことではないかと思います。そのために様々な啓蒙活動をしていらっしゃるのが「紀南アートウィーク」さんなのでしょうね。
藪本:
そう言っていただき恐縮です。
最後に、紀南アートウィークに期待することはありますでしょうか?
関守:
私が昏鐘を撞きながら般若心経を大きな声でお唱えしているのを見て、藪本さんは「これはアートです」と仰って下さいましたね。その時に私にとっての気づきがあったんです。
私のように、「アート」というと「自分とは関係がない世界だ」と思っている紀南の方は多いと思います。そうではないんですね。紀南に住む私達の日常、日々の勤めそのものが「アート」なんです。そのことにみんなが気付けるよう、そして、素晴らしい自然、文化遺産の中で生きていることに誇りを持てるよう、私たちを導いて頂きたいですね。
藪本:
アートウィークでも、紀南とお寺、そして音楽が融合していくイベントなどができればと思っています。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
<編集>
紀南編集部 by TETAU
https://good.tetau.jp/