海は漁師の生活の場~次世代に残したい白浜の漁業~

紀南アートウィーク対談企画 #41

〈今回のゲスト〉

三栖敏夫(みすとしお)さん
和歌山県西牟婁郡の瀬戸鉛山村(現在の白浜町)出身。終戦後、「手っ取り早く稼げる」ことからアワビとりや定置網の漁師として仕事を始める。40歳ごろから一本釣りを始め、経験豊富な船長として、白浜沖で釣り船を出したりもしていた。現在89歳。今でも現役で海に出て漁をしている。白浜で残り少ない一本釣りをしている漁師。

〈聞き手〉

藪本 雄登
紀南アートウィーク実行委員長

海は漁師の生活の場~次世代に残したい白浜の漁業~

目次

1. 三栖敏夫さんのご紹介
2. 白浜の漁業の現状
3. 白 浜温泉と三栖家の歴史
4. これからの白浜町


1.三栖敏夫さんのご紹介

事務局撮影

藪本:
今日はよろしくお願いします。いろいろ勉強させてください。白浜の歴史や漁のお話しなどをお伺いしたいと思っています。三栖さんはずっと漁をされてきたと聞いてます。

三栖さん:
そうです。昔からずっとですね。

藪本:
何年くらいされているのでしょうか。

三栖さん:
20歳くらいからやってるから、70年近くやってます。

藪本:
いまおいくつなんですか。

三栖さん:
来年90歳になるんかな。もうだんだん年もわからんようになってくるわ(笑)。

最初は潜ってアワビとりをしたり、定置網(*)の仕事をしてました。そのあと40歳くらいからはずっと一本釣り(*)をやってるよ。釣り船の仕事もずっとやってました。お客さん乗せて釣り場まで運んで。それが一番よかったなあ。漁師やりもって、釣り船も出して。釣りの新聞も出してました。大阪や神戸からも来てくれてました。

藪本:
どんな人が来られるのですか。

三栖さん:
釣りマニアの人が来てましたよ。それで自分も一緒に船で一本釣りをやってましたね。70歳くらいまで釣り船を出していたかな。それからはもう年やし、暇任せに漁師やってるよ。

*定置網・・・。海中に常設して魚群を誘導,捕獲する漁網の総称。多くは魚道を遮断(しゃだん)し魚群を誘導する垣(かき)網と,その先端に設ける袋網とからできており,ほかに囲い網やのぼり網をつけるものもある。

参照:百科事典マイペディア

出典:和歌山 和歌山県農林水産部水産局水産振興課

*一本釣り・・・釣り漁法の一つで、1本の釣り糸に1個あるいは数個の釣り針をつけて魚を釣り上げる漁法をいう。漁具は一般的に簡単な構造であるが、対象魚によって釣りの仕掛けや釣り針などがくふうされ、釣り餌(えさ)には生餌(いきえ)以外の擬餌(ぎじ)も用いられる。竿(さお)釣り、手釣り、引縄(ひきなわ)釣りに分類される。

参照:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

出典:和歌山 和歌山県農林水産部水産局水産振興課

2.白浜の漁業の現状

事務局撮影

藪本:
今でも一本釣りをされている漁師の方って、どれくらいおられるんですか。だいぶ少なくなりましたよね。

三栖さん:
今はもう、一本釣りしてる漁師は3人くらいかな。最近はサンゴとり(*)が流行ってきています。サンゴをとる漁師が多くなってきて、1本釣りの漁師はほとんどいないよ。

*サンゴとり・・・ サンゴ漁業が始まった背景としては、まず、水揚げ量の減少が挙げられる。(中略)背景としてもう一つ挙げられるのは宝石サンゴブームである。(中略)この数年間、中国の富裕層向けの宝石サンゴ需要の高まりを背景に、宝石サンゴの落札価格が暴騰している。

参照:農林中金総合研究所 紀州日高漁協における自営漁業(サンゴ漁業)の取組み 

藪本:
旅館やりながら漁師をしている人とか、兼任の漁師さんはけっこういるみたいですが、専業でやっている人はほとんどいないと聞きました。どうしてそんなに減ってしまったんでしょうか。

三栖さん:
もうみんな年になってきたし、水揚げも少なくなっているからかな。

出典:和歌山県 和歌山県の水産業

藪本:
水揚げが少なくなってるのはどうしてですか?

三栖さん:
魚が少なくなってる理由ですか。一番感じるのは潮の流れの変化です。水温が上がってきて、太平洋でとれる魚が日本海であがるようになってきた。北海道の樺太のあたりで本マグロが泳いでるくらいやからな。全体の生態系が変わってきました。今まで串本から潮岬までのあいだはイサギ(*)のメッカやったんですよ。それがほんまに少なくなってしまった。イサギ釣りでは仕事にならんぐらい減ったよ。

*イサギ(イサキ)・・・スズキ目イサキ科の海水魚。全長約40センチ。体はやや細長い楕円形で側扁する。体色は緑褐色を帯び、幼期には体側に3本の黄褐色の縦縞がある。本州中部以南の沿岸に産し、夏季に美味。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

藪本:
どのくらい減っているんですか。

三栖さん:
昔はイサギなんか毎日10キロ以上とれてたのに、今は数匹っていう日もある。

藪本:
全然違いますね。

三栖さん:
もう本当にイサギ釣りは商売にならないですよ。イサギだけじゃなく、魚全体が少なくなったよ。

藪本:
昔の漁師さんは何人くらいいたんですか?

三栖さん:
平成19年に、田辺、港浦、白浜、日置、すさみの組合が合併して、和歌山南漁業協同組合になったんだけど、合併する前の白浜漁業組合には本職の漁師が120~130人くらいいたかな。船を売って陸にあがった人が多いよ。わしは船の上が好きやからまだやってるけどな。

*例えば田辺漁業組合は、昭和61年の正組合員が603人。合併時の平成19年で223人、令和2年で78人にまで減っている。

参照:田辺市 水産課

藪本:
白浜の漁師さんってどんな人たちだったんですか?けっこうヤンチャ者が多かったように聞きました(笑)。

三栖さん:
そうやなあ(笑)。それくらいの勢いがないと漁師はできないよ。漁師は漁で生活していかなあかんからな。遊びではあかん。その日漁でとれたものがその日の日当になるんだからな。

藪本:
「魚を釣る」っていうのはどういうことなんでしょうか。

三栖さん:
釣るっていうことは結局仕事ですよ。その日の水揚げ分を組合に出荷してな。その時分は、1日30キロ40キロと水揚げしとったよ。

藪本:
魚を釣るコツはなんでしょうか。

三栖さん:
潮の流れやその日の風なんかで、魚の来るポイントがわかるかどうか、ということでしょうか。結局はしっかり研究して勉強することです。何を釣るかとかで、その日のポイントは決まってるからね。海全体どこにでも魚がいるわけじゃないんです。どこに魚がいるかがわかるかどうかですよ。

藪本:
釣る時は、どうやってポイントを見つけるんですか。

三栖さん:
今は人工衛星のデータを使ってポイントを探す方法もあるし、「山立て」(*)っていう方法もあります。

*山だて(ヤマアテ)・・・海上で自分の位置や必要な位置を知るための伝統的な方法です。この技術は、陸が見える沿岸で漁撈活動をしていた時代に、漁師が漁を行う場合の獲物が常に多くいるポイントを知るためや、海面近くにある船の航行に危険な暗礁、急な潮の流れるきまった場所などを知るために不可欠な技術でした。

出典:日本財団図書館

 

熊野連峰の山を使って自分の位置を確かめます。自分の船がどっちにずれたかどうかがわかるんです。自分の位置を確認するために目印にする山っていうのがあるんですよ。

藪本:
昔はレーダーとかなかったですよね。

三栖さん:
ないですよ。魚がうつる魚群探知機みたいなのはありましたけどね。レーダーみたいなハイカラなものはなかったからな。昔の知恵でやってましたよ。

藪本:
魚がどこにいるかっていうのはどうやってわかるんですか。

三栖さん:
それは、その日の潮の流れを見たらわかります。潮のうわてに魚がいるんです。この潮やったら魚は潮のうわての「ここ」に必ずいる、っていうのがわかるんです。そこに船を出したら魚にあたる。そうやって計算します。

藪本:
魚の動きや考えてることがわかるんですね。

三栖さん:
そうです。魚は命がけです。漁師も命がけやけどね(笑)。命をかけた勝負ですよ。遊びの漁師とは違うからね。

藪本:
それは経験で培ったものなのでしょうか。

三栖さん:
そうですね。経験です。先輩に教えてもらったこともあるけどね。自分なりに研究しながら、その日その日の積み重ねの経験で身につけたものです。それに、昔はこれで釣れたんやけど、っていう道具やしかけにこだわっていたら、絶対に釣れません。人間も賢いけど、魚も賢くなりましたよ。

藪本:
海全体を見ているんですね。潮の流れとかその日の気温とか全部見て判断されている、ということでしょうか。たぶんここに魚がいるやろうなって。

三栖さん:
その日その日の潮の流れによってポイントは決まってきます。計算して、そこにアンカー(船の錨)を打って、魚のところに網が流れていくようにする。魚は潮の上手におるからね。その日によって潮の流れが逆になってたりすることもありますよ。ほんま日によって違うんです。慣れてなかったらそこを見極めるのが難しいかな。うまいこといかないことが多いですよ。

漁師に「魚が口つかわん」って言われる日もあります。エサを食べない潮があるんです。上潮と底潮に潮が分かれてて、底潮が冷たい二枚潮(*)っていってね。どんだけエサやっても食べない。そんな日もあります

*二枚潮・釣りで、上層と下層の潮温の差が大きいこと。魚の食いが悪い。二段潮

参照:精選版 日本国語大辞典

藪本:
漁師さんにはそれがわかるんですか。

三栖さん:
今日はえさを食わん日やなっていうのは一時間もやっとったらわかるよ。しっかり山立てして計算して、今日はここがポイントやって決めても魚が食べなかったら、今日はそういう日だなって、わかります。

藪本:
漁師さんにとって海はどんな存在なんでしょうか。

三栖さん:
生活の場ですよ。

事務局撮影

藪本:
三栖さんはどんな船に乗ってるんですか。

三栖さん:
船は白浜でも一番たくさん作ってきたかな(笑)。5隻船を作りましたよ。一番最初の船は木造の船でした。今乗ってる船は田辺の川崎造船所でつくったプラスチック製の船ですね。プラスチックの船はこれで2隻目です。

藪本:
あとで船を見せてください。

三栖さん:
いいですよ。波止場船をあげる時にはロープで引き上げるんですが、椿の木は滑るので、椿の木をひいてその上に船をあげています。

事務局撮影

藪本:
そうなんですね。

魚がとれる釣り場はどれくらいのところにあるんですか。

三栖さん:
魚によって釣り場は全然違うんですけど、例えばタイの釣り場は西の方向に向かって20分の距離ですね。そこは水深90メートルあるんですよ。

藪本:
昔の漁師さんって、儲かっていたんでしょうか。

三栖さん:
儲かってたかなぁ。アワビとりやっとった時は、日当が1000円くらいやったかな。

藪本:
その当時ならけっこうもらえていた方なのでしょうか。いつ頃から漁師が儲からなくなったのでしょう。

三栖さん:
伊勢海老やタイなどの高級魚は、10年ほど前から高い値段がつかなくなりましたね。

藪本:
それは外国産が入ってきた影響でしょうか。

三栖さん:
それもあるでしょうね。養殖のタイも天然のタイも味の違いがわからないで食べている人が多いのではないですか。高級の天然ものがとんでもない値段になってしまいましたよ。

藪本:
なるほど。生産しすぎて値段が安くなってしまったんでしょうか。

三栖さん:
11月になったら正月の需要でタイの値段が上がってくるんですけど、昔は一匹釣ったら10000円の値がついたんです。今はタイのキロ単価1500円ですよ。びっくりするような値段ですよ。昔はキロ単価は最低でも3000円から5000円くらいしてましたよ。

藪本:
その結果若い漁師さんがいなくなったわけですね。

三栖さん:
そうですねえ。白浜はまだ若い衆がいるほうですが、若い子で一本釣りしてる子はいないかな。潜ってわかめや貝とりする子はいるけどね。でも、わしらが若い時にやっていたアワビとりなんかは少なくなりましたよ。水温が上がって海藻が生えないようになってね。アワビが育たない海になってきました。

今朝の水温が23.5度でした。こないだの雨でちょっと下がったけど、それまでは25度くらいありましたよ。水温が上がったら、海藻が生えなくなります。アワビなんかは海藻を食べて育つんですよ。テングサっていう海藻が一番の主食かな。それがもう生えないから、アワビが育たない。

藪本:
どうしたら若い人たちが漁師に戻ってきて、稼げるようになるのでしょうか。三栖さんの一本釣りの経験を伝える人がいないわけですよね。もったいないですね。

三栖さん:
後継者がおらんかったら、伝えていくすべもないからね。でも、いくら若い人がいても魚もいなくなってきてるから仕事にはならないですよ。若者も生活しないといけないからね。生計が立てられなかったら、漁師になっても仕方ないです。

3. 白 浜温泉と三栖家の歴史

藪本:
そもそも三栖さんのご先祖はどこからきたんですか。

三栖さん:
古いお墓を見たらずっと瀬戸鉛山村(*)のようですね。白浜の飛行場の滑走路は、もともと三栖家の田んぼだったんですよ。半農半漁の生活をしていたようです。

*瀬戸鉛山村・・・1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、近世以来の瀬戸鉛山村(せとかなやまむら)が単独で自治体を形成。1940年(昭和15年)3月1日 – 瀬戸鉛山村が町制施行、改称して白浜町となる。

参照:Wikipedia

藪本:
「倭人」といった感じですね(笑)。祖先は海を渡ってきた人たちかもしれないですね。三栖さんのお父さんやおじいさんも漁師だったんですか。

三栖さん:
ボーリングの仕事をしてましたよ。

藪本:
ボーリング?

三栖さん:
温泉を掘る仕事です。白浜で7本も8本も温泉を掘削したようです。一番最初に掘ったのは行幸源泉(*)ですよ。ドーン、ドーンって、突いて掘ってましたね。100メートル掘って初めて泉源にあたったと聞いています。

*行幸源泉・・・崎の湯や牟婁の湯などに引かれる源泉で、日本書紀や万葉集にも記される白浜最古の名湯。泉温は78度、泉質はナトリウム塩化物泉。湯崎漁港のすぐそばで白い湯煙を上げ、ふわりと硫黄の香りを放つ白浜きっての源泉名所。
出典:和歌山県公式観光サイト

「湯崎七湯」っていう7つの温泉があって、湯崎が温泉のメッカだったんですよ。白浜温泉っていうのは昭和になってからの名前です。今は崎の湯(*)しか残ってないけどね。ゴーって下から泡が水面まで上がってましたよ。

*崎の湯・・・万葉の昔からある「湯崎七湯」の中で唯一残っている歴史ある湯壷で、雄大な太平洋が間近にせまる露天風呂
出典:南紀白浜観光協会 

藪本:
そこにルーツがありながら、どうして漁師さんになったんですか。

三栖さん:
なんか自然にそうなったんです。好きやったから漁師になったわけじゃないんですよ。終戦当時はそれが手っ取り早く金を稼げたんです。

藪本:
昔は鉛もとれたんですよね。当時鉛をとっている人はいたんですか。

三栖さん:
それはもっとずっと前の話です。瀬戸鉛山村っていう地名の由来だから昔はとれてたようですね。(*)子どもの時は、「マブ」(*)っていう鉛を掘った坑道のあとがあるから、よそ見して山に入ったら絶対あかんって言われてたんですよ。湯崎の人も昔から何人もそこにはまって、夜に探しに行ったのを覚えてます。

*白浜の観光地である三段壁にも瀬戸鉛山鉱山採掘場跡がある

参考:三段壁洞窟 ホームページより

*マブ・・・鉱山で、鉱石を取るために掘った穴。坑道。

出典:デジタル大辞泉 

藪本:
湯崎ってあまり平地がないですよね。

三栖さん:
そうですね。湯崎の人は海で働くか、田んぼを作って自分たちが食べる米を作る程度でした。やっぱり半農半漁って感じです。

藪本:
昔は観光町じゃなかったんですね。いつから温泉の観光町になったんですか。

三栖さん:
湯治宿は昔からいっぱいあったけどね。今のほうがずっとさびれてるよ(笑)。

終戦当時から昭和30年、40年くらいまではものすごくにぎやかでした。花街もあったしね。だんだんと温泉を利用した仕事っていうのが増えてきたかな。あの頃は晩になると下駄を履いたお客さんがまちをウロウロしてましたね。今は旅館の中でラーメンまで食べられるでしょう?だからお客さんがまちに出てこないよ。

4. これからの白浜

事務局撮影

藪本:
今の白浜の発展の仕方はどう思いますか。どうなってほしいとか希望はありますか。

三栖さん:
土地にある名産を活用しないといけないと思いますよ。白浜町は温泉地やから、それをもっとメインに持ってきたらいいのでは。まだ眠っている観光資源はいっぱいあると思います。例えば白浜にお稲荷さんがあるんだけど、あれも名所になるのとちがいますか。ほったらかしにされてますよ。あそこの赤い鳥居は今でもあるんかなあ。白浜は温泉町やから、ケバケバしたもんよりもそういうのを好むんと違いますか。

出典:和歌山県神社庁 稲荷神社

藪本:
観光も重要だと思うんですけど、観光ばかりでは今は難しいと思っています。漁業や農業や林業に価値があると思うんですよね。今回紀南に来ても、漁師さんになかなか会えなかったんです。

三栖さん:
そうでしょうね。10年ほど前から、漁が衰退してきたからな。後継者が育ってないんです。この年になっていまだに漁師やってるけど、下の世代に漁師がおらんのよ。何人かは若いのがいるけどな。

藪本:
例えば、マダイを100万円で売るにはどうしたらいいでしょうか。漁獲量も減ってきたから、そういう方向性でしか漁業が成り立たないと思うんです。

三栖さん:
難しいな。天然物の値打ちがすたれてしまって、需要が減ってるからね。

藪本:
今回の紀南アートウィークでは、「どうして人間は魚を釣るのか」というところから出発して、アートを使って漁業を考え直せないかと思っています。

三栖さん:
漁師が漁業で生計立てられれば、その方法はこだわらないです。今の漁では無理だからね。マダイがキロ単価1500円じゃ生活できない。

藪本:
どうやったらマダイが10000円で売れるのか、そこに知恵を絞りたいと思います。市場を超克するにはどうしたらいいのでしょうね。養殖で魚が生産されすぎているのが世界で問題になっているようですが。

三栖さん:
養殖も昔は食べたらすぐわかったのに、技術が上がってきてわからんようになってきました。でもやっぱり刺身で食べたら歯触りが違いますよ。生け簀のものと天然で泳いでいる魚とは身のしまりが違います。近頃の人は値段が安かったらそれでいいと思ってるんでしょうね。

藪本:
いっぱいとりすぎていて、分配が間に合ってないということなのでしょうか。

三栖さん:
でも天然の魚はとる量が減ってるんです。その上値段も安い。生活に直結するのは魚の販売の値段です。同じ漁獲量で魚を釣っても、値段が下がったらもらえる金額も下がる。とれる量っていうのはもう仕方ないかな。

藪本:
どうしたら魚は戻ってくるんでしょうか

三栖さん:
それはもう自然ありきですからね。黒潮の本流が海岸線伝いに流れてたのが、5、6年前から室戸岬からグイっと蛇行して伊勢湾の向こうに行っとる。この蛇行した原因がわからんのですよ。上り潮っていう黒潮の本流の枝潮が一番いい潮だったけど、その潮がもうこの頃来なくなった。

本州南岸を流れる黒潮の典型的な流路
1:非大蛇行接岸流路 2:非大蛇行離岸流路 3:大蛇行流路
黒潮が大蛇行流路となって流れている状態を、黒潮大蛇行と呼んでいます。黒潮大蛇行が発生すると、蛇行した黒潮と本州南岸の間に下層の冷たい水が湧き上がり、冷水塊が発生します。この冷水塊も漁場の位置に影響を与えることから、漁業関係者はその動向を注目しています。
出典:気象庁 黒潮大蛇行とは

藪本:
このままいくと漁師さんが紀南からいなくなってしまいそうですよ。

三栖さん:
自分たちの代が陸に上がったら、どうなるかわからないな。

藪本:
三栖さんたちの代の漁師さんって、目に見えないものと話したりするんでしょうか。

三栖さん:
それはありますよ。魚との知恵くらべです。今日決めたポイントでとれなかったら、今日はもうとれんわって、もうそれ以上は深追いしないです。「ここで食わんのやったら今日はもう魚は食わんな」って、判断するんです。もうあっちいったりこっちいったりはしないですね。

藪本:
最後の質問ですが、次の世代に何か残したいものってありますか。

三栖さん:
漁師として残したいものは、知ってるポイントを伝授するとかかな。釣り方を教えたいとかそういう希望はあるけれど、釣って来た魚に値をつけて買ってくれるのが一番うれしいです。今月はタイの値段がキロ単価1500円ですが、それが2000円、3000円になったらもらえる額が倍になります。

藪本:
値段をあげるしかないんですかね。それでは、白浜町の魅力ってなんでしょうか。

三栖さん:
白浜の魅力は観光地が多いことでしょうか。円月島や千畳敷や三段壁もあるしね。今でもたまにお客さんを乗せて島を巡るクルージングをするんですが、円月島の穴のそばにいったり、三段壁の絶壁の真下なんかに行くとすごい喜んでくれる。わしらみたいな漁船に乗らんでも、もっといい船で観光するようなコースを作ったらええなって思ってます。もっとしっかりPRしたらいいと思いますよ。

藪本:
すごく勉強になりました。ありがとうございました。

<関連記事>

対談#37 漁業の維持を目指して