コラム
ストリートの思想 – 文化創出と熊野古道 –
8月28日開催のオンライン・トークセッション『紀南ケミストリー・セッション vol.3』に先がけ、実行委員長・藪本が見た熊野古『道』の奥行き。
とても大きなテーマで、縦横無尽なトークセッションになりそうな今回。
その導入に、ぜひご一読ください。
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ストリートの思想
–文化創出と熊野古道-
紀南アートウィーク実行委員長
藪本 雄登
1 はじめに
一体、『道(ストリート)』とは何なのだろうか?
物理的な「道」路はもちろん、行政区画としての「道(北海道)」、哲学としての「道」教や人「道」、武芸として柔「道」や茶「道」等、極めて多義的な言葉だ。
今回のテーマの一つである「熊野古『道』」は、紀南在住の方でもその価値や魅力を伝えるのに苦労することが多いと思われる。あの梅原猛ですら「熊野は強い魅力で私を魅了したが、その魅力がどこにあるのか容易にわからなかった」と述べている。
今回の紀南ケミストリー・セッション vol.3「道をめぐって -移動が生む社会、文化の変化-」では、『熊野』と『道(ストリート)』について再考を試みる。そのための導入として本稿を執筆した。
2 熊野とストリート
まず、そもそも『熊野』とは何であろうか。梅原猛は『日本の原郷 熊野』において、熊野は「生き続ける縄文」そして、熊野(紀南)の人達は「縄文の遺民」であり、日本の原点がここ熊野にあると述べている。アイヌ文化、琉球文化とともに、熊野は縄文文化の面影を色濃く残し続けてきた。弥生人は近畿圏に多く居住したが、なぜ熊野は縄文文化を色濃く残し続けることができたのだろうか。
中世、近世には、時の権力者達が取り憑かれたように熊野を訪れ、また、蟻の熊野詣といわれるように、身分、宗教、性別等を超えた、信仰者のための聖地となった。そして、熊野は、敗北した落ち武者、障害を持つ人々等の名も残らないアウトサイダー、移民者、越境者達を受け入れ続けてきた場所でもある。さらに、「異界」、「根の国」や「死の国」等といった熊野の異名からもわかるように、混沌とした暗いものをその内側に宿しており、それを明らかにしない。その「受容の思想」と「籠もりの思想」に魅力が隠されているように思う。
他方、『道(ストリート)』にはどのような価値や意味があるのだろうか。私は、「道(ストリート)」には、「文化を生み出す公共の場」としての機能と力があると考えている。事実、「道」を移動することの喜びや苦しみ、祭事での熱狂等、「道」は、多くの文化創出、芸術表現の起点となってきた。例えば、「道」は、紀貫之の『土佐日記』から、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』そして田山花袋の『山行水行』まで、数々の紀行文学の源泉となっている。また、現代に目を向ければ、ウォーキング・アーティストのハミッシュ・フルトンが紀行文学の可視化を試みたり、ショーン・グラッドウェルやBABUなどはスケート・ボードによる移動そのものを表現手段としている。
ここで、もう一歩深めてみたい。熊野古道に関しては、上記のような文化創出に留まらず、なぜ『道(ストリート)』が信仰の対象、思想にまで昇華されたのだろうか。
まず、神話でいうところの蛇(龍)は、野生そのものの人間が管理できない人外の存在として畏敬の念を持たれてきた。そして、蛇(龍)は、その細長い独特・奇妙な形態から、天界と地上を繋ぐメディア(媒介物)の象徴である。その意味で、古代人は、未開の森に繋がる自然・野生と人間との接合点である細長い「道」、また言語では伝わらないことを伝えるためのメディアとしての「道」の性質を踏まえて、信仰の対象としたのではないだろうか。
また、公共空間での文化創出と熊野古道を繋ぐのが、毛利嘉孝著の『ストリートの思想』である。同書は、「ストリートの思想」の4つの特徴を示している。
(1)線、移動の思想
「ストリートの思想」とは「線の思想」である。点と点とを繋いでいく、移動の哲学なのだ。つまり、多種多様な場所を移動することによって移り変わりゆく思想であると言え、まさに熊野詣の世界観と一致する。
(2)ボトムアップの思想
「ストリートの思想」は、「ボトムアップ型の実践」から生まれるものであり、大学や理論等から生まれるものではない。まさに熊野は、権力とは無縁であり、実践の結果、哲学や思想が生みだされてきた場所である。そこで机上の理論が先行、優先することはない。
(3)複数の思想
「ストリートの思想」は、誰か特定の個人から生まれる思想ではない。複数の無名の人々を繋げ、集まることで生まれる思想である。まさに熊野では個人の名前は残らない。越境者達やアウトサイダー達が集まり、それらの知恵を統合した「複数の思想」なのである。
(4)非言語実践の思想
「ストリートの思想」は、論文や書籍等によって生まれるものではなく、祭り、舞踊等の「非言語的実践による思想」である。那智の火祭や御燈祭等に代表される独自の祝祭、伝統的儀式や芸能表現は、熊野の人々による非言語的実践である。
これらの切り口から熊野古道の歴史を紐解けば、熊野は日本古来の「ストリートの思想」を体現、実践する場だったのではないだろうか。移動という身体性を伴いながら、有名・無名を問わず人々が集合し、その多様な思想性を長期間に渡って積み上げ、非言語実践で表現すること、即ち、「ストリートの思想」の実践は、すべて熊野に繋がっているのではないだろうか。
現代に目を移すと、若者達やアウトサイダー達のデモンストレーション、アクティビズムは、「道」や「公共の場」が舞台・対象となることが多く、ストリートの思想の実践場となっている。例えば、若者達のデモンストレーションは、日本では渋谷の交差点、世界では英国チャーチル像前という道や路上で行われることが多い。また、公共空間における表現として、バンクシーの作品をイメージして欲しい *1。その移動性、匿名性、非言語性は、まさに「ストリートの思想」を体現しているように感じる。
以上を踏まえると、熊野は、世界におけるストリート文化創出における、最古かつ最も重要な場所と言えるのではないか。そう、全世界のストリートの思想、文化の古層がここに眠っているような気がしてならない。
3 さいごに
世界は、熊野と文化創出の重要性を想起すべき時代に入っている。
より精神的に豊かな世界を生きるためには、「道(ストリート)」が持つ可能性を再考すべきであり、その鍵が、ここ『熊野』の古『道』に隠されているのではないだろうか。
以上
*1 バンクシーの詳細は、毛利嘉孝著『バンクシー アート・テロリスト(光文社新書)』において、詳述されている。