紀南アートレジデンス Vol.2 実施報告会:「 熊野に孤独な木はあるのだろうか? ― ヘアート・ムルの熊楠研究とアート実践 ― 」テキストアーカイブ
紀南アートウィークでは、2023年の紀南アート・レジデンス Vol.1に引き続き紀南アートレジデンス Vol.2を開催しました。国内外からアーティストを招聘し、紀南地域に滞在してもらう中で、地域の様々な文化や歴史などについてのリサーチを行い、そこから触発された作品制作やアート・プロジェクト等を展開するプログラム。毎年1名−2名程度のアーティストの募集を行う予定です。
本年度は、オランダ出身の現代アーティストのヘアート・ムル(Geert Mul)を招聘しました。
本文は、紀南アートレジデンス Vol.2 実施報告会の記録です。
【紀南アートレジデンス Vol.2 実施報告会】
日 時:2024年8月24日(土)16:00〜
場 所:トーワ荘
【スピーカー紹介】
レジデンス・アーティスト: ヘアート・ムル(Geert Mul)
1965年生まれ オランダ・ロッテルダム在住
ヘアートは、デジタル・アートのパイオニアであり、25年以上に渡り、自然とテクノロジーを巡る探求を行ってきた。版画、映像、映像技術を活用したインスタレーションなど、幅広いメディアで実験的な作品を発表してきている。インスタレーションを通じた自然、人間、テクノロジーと知覚の相互関係は、ヘアートの作品の重要な主題である。
ヘアートの作品は、公共的な場所、美術館、フェスティバルなど、様々な場所で展示されている。
美術館でいえば、クレラー・ミュラー美術館(オランダ)、ロッテルダム・ベーニンゲン美術館(オランダ)、アムステルダム・ステデライク美術館(オランダ)、京都国立近代美術館(日本)、マドリッド国立レイナ・ソフィア美術館(スペイン)、バレンシア近代美術館、カルティエ現代美術館(フランス)、シカゴ現代美術館(アメリカ)などで展示されている。
スピーカー:薮本雄登 紀南アートウィーク実行委員長
和歌山県白浜町出身(西富田小学校、富田中学校、田辺高校出身)
薮本の先祖は、熊野古道・中辺路の地に眠っており、母はアドベンチャーワールドで初代女性のシャチの調教師を務めたルーツがある。2011年にOne Asia Lawyersの前身となるJBLメコングループを創業。十数年に渡り、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ等に居住し、業務の傍ら、各地のアーティスト、キュレーター、アートコレクティブ等への助成や展示会の支援を行っている。現在、アジア太平洋地域の神話、伝説、寓話や民俗等に関心を持ち、人類学とアートについて研究を行っている。その中でも、祖先が眠る熊野地域をフィールドに持ちながら、ゾミア、高地文明やアニミズム等といった事項について、調査研究を行っている。
スピーカー:下田 学 紀南アートウィーク事務局長
兵庫県西宮市出身、和歌山県田辺市在住。
写真の専門学校を卒業後、ミュージシャンとしてジャンルを問わず活動した20代を過ごし、農業の6次化企業、イベント会社を経て独立、田辺市へ移住。2018年3月から3年間は田辺市地域おこし協力隊として、空き家活用や公共施設のプランニングなどにも携わる。
「アイデア実現の伴走パートナー」をミッションに、地域の素晴らしいクリエイター仲間たちと協働し、クライアントの話を深く聞き、想いを共に編んでいく事業を行っている。ディレクターとして携わっている主なイベントは「ロハスフェスタ」「ラーメンEXPO」「GREENROOM FESTIVAL」「SUMMER SONIC」など。
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「熊楠に導かれるように和歌山へ」
下田:本日は、紀南アートレジデンス Vol.2 実施報告会「熊野に孤独な木はあるのだろうか? ― ヘアート・ムルの熊楠研究とアート実践 ― 」にご参加いただき、誠にありがとうございます。私は紀南アートウィークの下田と申します。
会場の顔ぶれを見ますと、初めてお越しいただいた方もおられるようです。みなさんからも随時質問していただきながら、この小さな報告会を進めていきたいと思います。時間は約1時間。台本はありません。お茶やお菓子も用意しています。よろしくお願いいたします。
では初めに、ヘアート・ムル(Geert Mul)さんに自己紹介をしていただきましょう。
ムル:〈英語でスピーチ〉
薮本:超訳しますね(笑)。ムルさんは、西洋ではメディア・アートのパイオニアとして知られる方です。写真作品をはじめ、ビジュアルイメージやビデオインスタレーション、いわゆるAIを使った作品や、写真をコラージュするなど加工した作品の製作を30年近く続けてこられました。科学技術、テクノロジーなどを使った作品作りに精通しておられます。
最近は、さまざまなメディアが持っているイメージというか、ハートというか、「言語化できない言語」に関心があって、そういう試みを続けるなかで、ひょんなことから南方熊楠を知り、ここにやって来たとのことです。
特にここ5年ほどは「自然ってなんだろう」ということを常に考えているとのことです。いわゆる「ネイチャー」という言葉、非常に難しい概念ではあるんですけれども、それを捉えるために、AIなどのテクノロジーを使ったりしながら、イメージの問題と自然の問題を掛け合わせながら活動しているということです。
自然の概念には、われわれが持つイメージとしての自然もありますし、イメージが生じさせる自然の概念もあると思います。それらが相まって、どのような形で認識、理解されていくのかということに、非常に関心を持っているということです。
ムルさんの今回の南方熊楠の研究について、これまでの経緯をお話ししましょう。南方熊楠はまさにナチュラリストとして、あるいは分類学者として、科学技術を扱う者として、西洋に渡って学び、田辺に帰ってきてからは、いわゆる神秘主義的な神道や真言密教等の世界に入っていきました。
ムルさんは、科学技術を取り入れながら、メディア・アートの可能性を探っていて、最近は「言葉にしづらい」「論理では解決できない」問題に関心を持っていたそうです。そんなとき、六本木にある美術館「21_21 DESIGN SIGHT」で、人類学者の中沢新一氏のディレクションによる「野生展:飼いならされない感覚と思考」という展覧会を見て、そこで熊楠のことを知り、熊楠の故郷の和歌山に行ってみたくなったということです。
私たちは昨年、美術評論家連盟の四方幸子会長から、「こんな人が行きたいといっているんだけれどもどう?」と、ムルさんを紹介されて、現地にてコーディネーション対応をさせていただくことになりました。
今回、ムルさんには、オランダ政府から助成を受ける形で来ていただきました。では、ムルさんにとって熊楠とはどんな存在なのか、語っていただきたいと思います。
ムル:〈英語でスピーチ〉
薮本:彼は、前述の六本木の展覧会で熊楠を知ったわけですが、科学主義的でありながら、神秘主義的な面を持つ人物であることに非常に関心を持ったそうです。
ムルさんは、オランダ政府から助成を受けるために提出したプロポーザルに、まさにそういうことを書いています。中沢新一氏の「縁起の概念」、熊楠の「不思議」や「南方マンダラ」のことなどを引用しています。また、紀南アートウィークが過去に開催した熊楠と現代美術に関するトークの英訳には、不思議のうちの「物不思議」や「理不思議」について翻訳した箇所があります。これをムルさんに提供して活用していただき、見事、オランダ政府の審査に通って、来日が適ったというところです。
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「孤独な巨樹を求めて」
藪本:では、今回の滞在中、ムルさんはどのように過ごされたのか、尋ねてみたいと思います。
下田:ムルさんはまず7月19日、トーワ荘(田辺市)に来られました。それから約2週間滞在してリサーチのために方々を回り、東京に用事があったので、8月5日から1週間ほど上京。その後はトーワ荘に戻り、ここ数日は熊野古道の高原のあたりを回っておられました。
前半は、僕も一緒に回りましたので、その時の写真も少しご覧ください。
薮本:ムルさんは今回、1万点以上の写真を撮っています。被写体は巨木が中心ですが、苔や粘菌なども含まれます。これらの撮影データを素材として、AIにディープラーニングさせて新作を生み出した上で、まずオランダで展示して、来年以降紀南で新作発表会ができればいいなと思っています。
皆さんのお手元にあるエッセー「熊野に孤独な木はない」は、ムルさんが今回、滞在中に書いたものです。つい先日書き上げたばかりで、日本語にも翻訳していますので、是非ご確認下さい。
▼ムルのエッセイより
「熊野に孤独な木はない」
広々とした空間にぽつんと佇む樹木の作品を見るとき、しばしば非常に根源的なことが起こる。
近年、私の芸術作品のいくつかは、孤立した木という民俗学的なテーマに徐々に引き寄せられている。孤立した木を見ることは、人を見ることに似ている。もっと言えば、その木の特徴に共感し、すぐにその木を自分自身と同一視するのだ。
西洋美術史において、「風景」が描かれる対象であることはほとんどない。
線遠近法を用いることで、鑑賞者はその光景の中心に置かれる。そして、ほとんどの場合、イメージの中には人間の姿がある。自然に比べてちっぽけな存在だが、それこそがメッセージであり、自然は宇宙や神のアナロジーとして機能する。
芸術において「風景」とは、自然のイメージではなく、私たちのイメージである。孤立した木は、単独の個人、すなわち「人間の状態」を映し出す。
私は今、大阪の南に位置する和歌山県熊野地方の田辺市にある日本家屋の木のテーブルでこれを書いている。ここで私は、この地で生まれ育った南方熊楠(1867-1941)の人生、哲学、そして仕事についての創造的な研究プロジェクトに取り組んでいる。南方の精神性、自然哲学、科学の融合に触発された私は、自然と文化の相互作用とそのテクノロジー的繋がりを探求することによって、芸術的実践を深めることを目指している。
Geert Mul. 1200 years old Camphor tree at Tokei-Jinja Shrine, Tanabe, Wakayama.
この調査の一環として、私は記念碑的な写真作品を制作するために、古くからの孤立した樹木を探している。森、山、巡礼路、寺院からなるこの広大な地域には、このような樹木がたくさんあると予想していたが、この地域の歴史は違った物語を物語っている。
1915年から1920年にかけて行われた熊野の森林再生は、伐採や農業で荒廃した森林を回復させることを目的とした日本政府の大規模なプロジェクトだったが、経済的、政治的利益も大きかった。このプロジェクトでは、日本のスギやヒノキといった商業樹種の単一植樹に重点が置かれ、ナラ、カエデ、ブナといった落葉樹はほとんど姿を消した。
この森林再生の期間中、日本政府は、この地域に何百とあった地元の小さな寺社の数を減らす(取り壊す)ことを目的とした政策も実施した。これはコスト削減と行政の効率化のためであったが、明治時代からのイデオロギー的な政治的背景もあった。南方熊楠はこの政策を強く批判し、初期の環境活動家・科学者として、生物多様性の保全と小規模な神社仏閣のネットワークを提唱することに成功を収めた。
精神性と自然が一体となった神道では、神社と古代の特別な樹木との間に強い結びつきがある。神社はしばしば「鎮守の森」として知られる神聖な森に囲まれており、それらは保護され、地域の生物多様性の避難所としての役割を果たしている。
このような歴史の結果、古代の孤立木は現在、熊野の多くの神社にしか見られない。この木は、注連縄(しめなわ)と紙垂(しで/折り紙の吹き流し)で飾られ、神社の物理的な空間と精神的な次元をつなぐ重要な役割を果たしている。
このようにして、この木は文化的・宗教的意味のネットワークに組み込まれ、孤立を打ち破り、自然と精神性の活気ある共同体の中に根をおろしている。孤立した木は決して孤独ではない。それどころか、共同体の一部なのだ。
熊野では、自立した樹木もまた「人間の状態」を反映しているが、ここでは、それは孤立した個の状態ではない。正確に言うと、精神的、社会的に深く根ざした状態である。
下田:ムルさんは、 今回、大きく、かつ古い木を探しているとのことでしたので、まずそれを見つけるところから始めました。たとえば、田辺市にある闘鶏神社のこの古木、樹齢約1200年だそうです。すごく大きな木ですよね。
このような木を、熊野のいろんな森へ探しに行きました。そのなかで、彼に気づきがあったようで、それがこのエッセーに記述されています。
この写真に一緒に写っている女性は、彫刻家の久保寛子さんというアーティストです。9月に一緒に出品していただけることになっています。
たまたま滞在の日程が重なったので、最初の2日間、一緒に行動しました。
ムル氏と久保氏――高山寺(写真:Manabu Shimoda)
南方熊楠顕彰館へ行ったり、高山寺へ行ったり、まずは、久保さんがリサーチしてきた寺社仏閣や民俗伝承のある場所を回ることにして、ムルさんもそれに同行しました。
ムルさんは、高山寺で見たロータス(蓮)が気に入ったようで、暑い中、一生懸命に写真を撮っていました。撮影枚数はこのときだけで4000枚を超えたそうです。
高山寺(写真:Manabu Shimoda)
蓮にまなざしをむけるムル氏――高山寺(写真:Manabu Shimoda)
そうやって撮影した写真をディープラーニングすることで、動いているような不思議な作品に仕上がるのです。
ムルさんの作品作りは、AIやテクノロジーを使うという点でかなりロジカルなものだと思われるかもしれません。しかし本人としては、たぶんそうではないのです。AIによるイメージの生成は、単なる計算だけで創出されるものではなく、中沢新一的に言うとレンマ的な動きといいますか、アナロジー的なロジックだと感じているようです。このことについては、本人に後ほど聞いてみたいと思います。
南方熊楠の墓参りをするムル氏(写真:Manabu Shimoda)
そのほか、熊楠のお墓参りに行ったりもしたのですが、翌日はいきなり横道にそれて、滝行に行ってしまいました。薮本さんが朝いきなり、「滝に行こうぜ!」と。
田辺には、奇絶峡(きぜつきょう)という渓谷がありまして、四季折々の景色の素晴らしさで知られています。その渓谷にある滝に行こうというわけです。取り敢えず、みんなで行って、滝に打たれてきました(笑)
アーティストの久保さんが、これにはまってしまって。 もう1回、滝に打たれたいからと、来月来ることになっています。
こんな感じで、みんなでワイワイしつつ、いろいろリサーチをしながら、2日間は久保さんと一緒に回りました。
滝に打たれるムル氏と久保氏――奇絶渓(写真:Manabu Shimoda)
翌日からは、ムルさんと2人で熊野の奥のほうに、巨木を探しに行きました。「和歌山の巨樹」というサイトを事前に調べたりしながら、リサーチしました。
途中でたまたま大きな木を見つけたり、あるいは日置川の奥のほうにある巨木のところへは、いまは歩いていけなくなっていたり。
これもたまたま立ち寄った白浜町の奥地の市鹿野にある熊野十二神社の境内で、見事な苔を見つけました。この日はリサーチにとどめて帰ったのですが、すごく柔らかい苔でした。
熊野十二神社(写真:Manabu Shimoda)
打ち捨てられたような、人の気配のない神社だったのですが、ムルさんは逆にその雰囲気をすごく気に入ったようでした。
そのあとに訪れた上富田町の春日神社の楠です。樹齢はおよそ800年とのこと。そこで早速撮影を行うことにしました。
春日神社の大楠(上)とカメラをセットするムル氏(写真:Manabu Shimoda)
このカメラは、まず撮影範囲を決めて、次にその範囲を何分割にするかを指定すると、漏れなくオートマティックに撮影してくれるんです。たとえば、範囲をセッティングして、400分割に指定してスタートボタンを押すと、20分から30分くらいで400枚の写真を撮影してくれます。
これらの機材は結構重いのですけど、山の上まで持っていって、日々、いろんなところで撮影を行いました。
田中神社 鳥居の右側にはオカフジが(写真:Manabu Shimoda)
これは上富田町の田中神社。ここ自生する「森のオカフジ」は熊楠によって変種オカフジと名付けられたものだそうです。この右ですね、映っている藤の木、この不思議な形の木を熊楠が名付けたらしいです。
報恩禅寺の蘇鉄(写真:Manabu Shimoda)
ここは、ムルさんがぜひ行きたいと言っていたところなんです。皆さんご存じですか? この蘇鉄をすごく気に入って。宇宙人みたいなね。写真で見たときからずっと、ここに行きたいって言っていて。 行ってみたら、やっぱり最高の木だった。面白い木だったんです。
ムルさんはまず、太陽がどう動くのか。太陽の動きに応じて光がどのように当たるかを、スマホのアプリを使って調べるんです。
そして、それに基づいて撮影計画を立て、後日、撮影に臨みます。先ほどの春日神社は本当にたまたま行って、とりあえず撮ってみたらうまくいきましたが、基本的にはまずリサーチに行って、 それから撮影します。
それらをぎゅっと繋ぎ合わせて、1枚のデータにするんです。そのデータは加工しやすいのが特徴です。たとえば、260枚撮っているなら、それに全部自動で補正をかけて、最後まで綺麗に映ったもの、しかも色を綺麗に合わせたものを260枚、もう1度自動処理して、さらにぎゅっと1枚の写真にするのです。
このような手法で、たくさんの写真を1枚に統合する作品作りのスタイルと、先ほど見た、蓮をひたすら撮影して、それをディープラーニングでムービーにするスタイル。この二つのスタイルで、ムルさんは今回の滞在中、作品を製作していました。
大イチョウ(photo=Manabu Shimoda)
ここは大イチョウがあるんですけど、これもその存在を思い出して、行ってみたらすごく良かったので、撮影しました。ただ電線などの人工物が映り込むので、撮影の場所選びに苦戦しました。
こうしてリサーチに行った結果、思ったイメージが撮れないときは、スパッとあきらめます。
別の日には、これもたまたま思い出して行ったのが、田辺市の旧大塔村にある住吉神社という大きな神社です。ここには、オガタマノキを始め、たくさんの巨木があります。
住吉神社の巨木(写真:Manabu Shimoda)
根が特徴的な木(写真:Manabu Shimoda)
ただ、ここは場所の関係で、結局は撮影できませんでした。巨木が斜面にあり、ムルさんの撮影方法は被写体とある程度の距離が必要なのですが、それを確保できないのです。
残念ながら、ちょっと山登りして遊んで帰ってきたようなことになってしまいました。
スギの植林(写真:Manabu Shimoda)
ムルさんのエッセーにもありますけど、熊野の森は人工林が多いのです。たとえば、この住吉神社も、杉が整然と植えられているエリアと、原生林のようなエリアが綺麗に分かれています。「人の手が入っているところと入ってないところの境界線が分かりやすくて面白いね」なんて話をしながら、僕はカタコトの英語で頑張ってそんな話をしながら、ツアーしてきました。
根がつながった御神木(photo=Manabu Shimoda)
これですね、この根っこが繋がってる。これはご神木だったんですけど、不思議な木がある神社ですね。
熊野十二神社の苔(写真:Manabu Shimoda)
これは、熊野十二神社にもう1度撮影しに行ったときのものです。上の緑のコケの層と、その下に積み重なった落ち葉の層があるので、 ふわふわなんでしょうね。そこをひたすら、ムルさん、このときでたぶん1時間くらいですかね。8000枚。場所と角度変えながら、カシャカシャ、カシャカシャと撮り続けていました。
こんな感じで、ムルさんは紀南に滞在しながら巨木の写真を撮りました。
彼は明日、いったんオランダへ帰ります。今回の滞在は、オランダ政府のプロジェクトですので、来年の秋にまずオランダで発表するんですけど、その後、その作品をこちらで発表する場を作りたいね、と相談しているというとこです。
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「熊野の木は孤独じゃなかった」
薮本:このような手法で実践をしながら、ムルさんは「熊野の木は孤独じゃないよね」というエッセーを書きましたが、その真意はどこにあるのか聞いてみたいと思います。
ムル:〈英語でスピーチ〉
薮本:大前提として、AIやテクノロジーが発展すれば発展するほど、私たちは触覚、味覚、聴覚といった感覚が自分から遠いものになっていくということは重要なポイントだとのことです。そして、それは未来にとってあまりいいことはではない。ちなみに、熊楠はこれに関連する概念として「tact(タクト=偶然の域を超えた発見や発明・的)」という言葉を使っています。
現在の環境破壊、エコロジーなどの諸問題は、人間と自然、自然と文化を分割する、デカルトに由来する考え方に端を発するものです。それゆえ私たちは、別の考え方を獲得すべき時ではないかということが1つの問いとしてあります。
そのためにアートは重要な機能を果たすのではないか。
なぜなら、AIを使って創作すると、奇妙な自然が奇妙なものとして見えてくる。この奇妙なものというのが、新しい自然と人間の関係性を考える上で重要なのではないかと考えている、とのことです。
ここからは私の補足ですけど、現代思想の重要人物の一人と言われるティモシー・モートンという人が、「自然なきエコロジー」という言葉を述べています。従来の自然観は、人間が描くロマンチックなイメージのもと、自然を支配の対象とみなして作り上げてきたものである。しかし自然とは本来、不気味な存在として私たちを取り巻くものなのではないかといったことを述べています。
ムルさんの考え方は、これと近いのではないでしょうか。
ムル:〈英語でスピーチ〉
薮本:ムルさんが言うには、熊楠はものすごく難しい。熊楠のことを取り上げたいアーティストはたくさんいるけれど、難解で、さまざまな分野を横断していて、どこから手をつけたらいいか分からない。
今回、「孤独な木ってないよね」という割と大きなテーマでエッセーを書いてみて、きっと大きな意味で熊楠に繋がる接点があるのではないかと感じている。それについていま調べている、ということです。
自然物をロマンティックに捉えるとは、どういうことなのか。自然に対する畏敬の念のようなものなのか。そこのところは分かりませんが、人間はそのロマンティックなものを自分に投影して、自己同一的な形でこの木を見る。そして、その人間というのは、「個人として自由で確固たる精神を持つ」といった西洋的な考え方によるものであって、自己同一性を確立して立ち上がっている。けれども、個人主義が行き過ぎると、周りには何もなくなってしまう。西洋美術というのは、この文脈のなかで成り立ってきていますよ、という指摘です。
最初は、この文脈で、孤独な木を熊野で探そうと思っていた。熊野にはたくさん木があるし、古いものもあるのだろうと思って、それを探してみた。
しかし、よく見てみると、たとえば闘鶏神社の古木の場合、自己同一性で成り立っているというより、社会のコミュニティーの一部として成り立っていることがわかってきた。その理由は、鳥居や注連縄(しめなわ)のような人工物が飾られ、それを司っている信仰や共同体とともに存在しているからです。このような形は、西洋の世界では想定されなかったようです。
だから、熊野の木はそんなに孤独じゃないよねということが言えるんじゃないかと思う、ということです。
ここからは私の補足です。中沢新一氏の著書『森のバロック』に、 3つのエコロジーというものが登場します。ムルさんはたぶん、これと同じようなことを述べているのではないかと思います。
エコロジーとは、ギリシャ語のオイコス(生物の生活や家)とロジック(=ロゴス)から来ている言葉です。どちらかというと、環境と生物の関係性を考える学問だったと思うんです。けれども、この3つのエコロジーでは、単純に生態系の問題だけではなく、 人間の心=精神の問題と、社会の問題との関係性を含めてエコロジーと呼んでいます。生態系の問題だけではなくて、人間の精神とか、社会も含めて、自然物と人間の関係をアップデートしようと考えているのではないかと思います。
木というのは、本人が表現したいことを表すモチーフでしかありません。 神秘的なものと科学技術的なことの関わりから何を見いだすのかということが大切なのです。そのモチーフではなくて、そこに現れる本質に繋がるようなものを芸術表現を通じて、示したいとのことです。
そういう意味では、かなり考え方が変わったのではないかとも思います。これまでの作品とは明らかに違います。これなど、同じように見えますが、やっぱり独立して立っている。ちょっとこの辺は違うかもしれないですね。
これはムルさんがヨーロッパで撮った写真です。太陽を主体に、誰のものか分からない影がそこにあって、ランドスケープ、景観として捉えています。ここから何か人間と自然の関係性をアップデートするようなものが見いだせるのではないかということを考えているとは思うんですよね。
たぶん、いろんな表現の仕方があって、そのなかで、今回、アジアのなかの和歌山という場所で撮ったわけです。それらの作品は、彼のこれまでの作品とは違うものが生まれてくるのではないかと期待しています。
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【質疑応答】
薮本:私もいろいろ聞きたいことあるのですが、皆さんから質問していただくのがいいかなと思います。ご質問はありませんか?
来場者A:はい。質問じゃないんですけど、皆さんに非常に関心を持っていただいてありがたいと思っております。私は南方熊楠記念館の館長を務めさせていただいておりました。きょう来られた方は、ほとんど田辺周辺の方だと思います。南方熊楠のことを研究されるに当たっては、やっぱり原点を抑えてもらいたいと思うんですね。
実は熊楠というのは、シティボーイなんです。こういうと笑う方もおられますが、熊楠が誕生した慶応3年、和歌山の城下町というのは、人口からすると全国で6番目の大都会なんです。熊楠はそこで生まれたお坊ちゃんですよ。
そして、ご存じかと思いますが、熊楠という名前は親が付けたのではなく、海南の藤代神社 の宮司につけてもらっているんですね。これは熊楠だけでなく、兄弟全員です。そして、その藤代神社に大きな楠の木があります。まだ行かれてないんだったら、ぜひ、原点である藤代の大楠を見てもらいたいですね。
薮本:確かにそうですね。
来場者A:熊楠の原点というのは和歌山城公園なんです。和歌山城公園であり、和歌ノ浦の山なんです。そういうことも含めて考えると、その和歌山城公園のなかに、御神体になってる、樹齢700、800年くらいの大きな楠があります。この木などは、熊楠も子供のころから見ているわけです。そういう点からすると、ぜひ、和歌山市にもお越しいただきたい。
それと、写真ということからすると、もうご覧になっていると思いますけれども、林中裸像、山中裸像と呼ばれる写真があります。熊楠はいったい何のためにこの写真を撮ったのか。PRのためなんですね。神社合祀反対運動をPRするために。
というのは、新聞に写真を載せる印刷技術が開発されたのは、熊楠がアメリカへ行く5年前のことなんです。つまり、 彼がアメリカへ行った時の最新の技術というのが、新聞へ写真を載せる印刷技術であり、新聞写真が持つ発信というもの凄さを、肌身で感じたわけです。
新しい技術を利用してアピールしようとしたという点で、日本における情報発信の先駆け的な写真だというふうに、私はいつも言っているんです。そういう視点で写真を見ていただけたらと思います。
ぜひ、和歌山市へお越しください。いつでもご案内いたします。
下田:ムルさんが今回来られたのは、熊楠が科学的な知見と精神的な部分との融合に昔から取り組んでいたこと、そしてその融合テクノロジーというものは、現代にも置き換えることができるということを感じて、熊楠研究に取り組もうと思ったということです。
先ほどおっしゃったメディアに対しても敏感だったということも熊楠の特性であり、それをまさにムルさんは感じているわけです。そのようにインスパイされてきているということですね。
薮本:あと一つ、重要なことを言い忘れていたんですけど、ムルさんは、もともと合気道を長年やられています。今回のプロポーザルのなかに、合気道ワードがたくさん出てくるんです。
ただ、創始者・植芝盛平氏の出身地だということを知らずに来たので、それを知ったときには感動していました。
来場者B:原生林と植林のイメージの違いってどんな感じなんでしょうか。
ムル:〈英語でスピーチ〉
薮本:違いは感じますが、まだ言語化できないそうです。
植林はある意味、家畜化されていると言えるかもしれません。
一方、原生林は複雑すぎてよく分からないというか、先ほどのモートンが言うところの気持ち悪さや危険を感じるもの。人間を殺してしまうようなものかもしれません。
とにかく、木そのものではなく、その背後にある関係性を見ることが大切なようです。
たとえば、これは樹齢1400年といわれる木、もう一方は60年。それぞれの関係性はまったく違います。といって、それは悪いことではありません。
言葉で「木」と言っても、一つひとつ全然違う。違うものとして見るべきなんでしょうね。
来場者C:ご神木以外の熊野の木にも、興味はお持ちなんでしょうか。
薮本:必ずしも御神木である必要はありません。古い木であれば。その木自体がモチーフではなく、どちらかと関係性、その木と人間、あるいは文化との関係性を見ているので、とのことです。
ムルさんのこういう部分は、熊楠がやってきたことと、実はすごく似ているんじゃないかなというふうに思っています。
下田:ムルさんと2人で、いろんな森に入りましたが、ほとんどの山が植林されてるじゃないですか。だから結果として、神社仏閣のなかにしか、大きな木が残ってなかったという現実があります。
本当は、もっと熊野の森に原生林が広がっていたら、きっとムルさんの印象違ったと思うんです。
たぶん結果として、残ることのできる場所がそこにしかなかった。ではなぜ、そこなのかというと、その神社の御神木として祀られることに人間との関係性を築いて、そのおかげで残ったということでしょう。
本当にずっと奥のほうに行っても、もうずっと2人で、「スギだ! スギだ!」と言いながら、山の奥へ入っていきました。残念でしたね。
来場者D:この間、和歌山大学の公開授業を受講したんですけども、友人と中辺路の小笠原流域を観察しに行ったんです。この辺りは、照葉樹林、落葉樹林が栄える前は、樅(もみ)や栂(つが)がたくさん自生していたんだそうです。けれども、いまは急斜面にしか生えていなくて、きっと追いやられたんじゃないかっていうようなお話でした。すごく面白いなって思ったんです。
それがきょうのエッセイの孤独な木。周りにはもちろん森があるのですが、なんか熊野の木は孤独だなっていう印象があったので、それを思い出しながらきょうのお話を伺っていました。道は先ほどの写真みたいに、林道というか、もう本当に山道。道のないようなところなんです。右側はスギ、ヒノキなんですけど、左側は結構原生、原始の形が割と残っているようです。
来場者E:私は特にアート関係に詳しいわけではありません。田辺の出身で、いまは和歌山市に住んでいるのですが、今日はたまたま友人に会いに来て、この催しがあることを知って、せっかくなのでちょっと覗いてみようと思ってやってきました。熊楠のことは和歌山出身のすごい方だというこというくらいの認識でした。それが海外のアーティストの方が興味を持たれて、国の助成金を活用して、わざわざ来られているということが、和歌山県民としてすごく嬉しいです。今日はお話が聞けてすごく有意義な時間を過ごすことができました。
下田:みなさんありがとうございます。さて時間も押してまいりました。このあたりで終わらせていただきたいと思います。本日は、ありがとうございました。