コラム
【アーティストインタビューvol.4】志村 信裕
紀南アートウィークの出展アーティストをご紹介するシリーズ「アーティストインタビュー」をお届けします。
<今回のゲスト>
映像アーティスト
志村 信裕(しむらのぶひろ)さん
1982年生まれ、東京都出身。武蔵野美術大学大学院映像コース修了。
テーマは、「光をあてる」。触れられず、形として残らない光の特性を、最大限に生かした作品を数多く作り出している。2007年NHKデジスタ・アウォード2007インタラクティブ/インスタレーション部門グランプリ、2011年地域が選ぶ黄金町バザール賞を受賞。
<聞き手>
藪本 雄登
紀南アートウィーク実行委員長
<編集>
紀南編集部 by TETAU
1.「散らばっていたものを集める」
2.作品のポテンシャルと紀南の地域性を「束ねる」
1.「散らばっていたものを集める」
藪本:
本日はお時間いただき、ありがとうございます。
“ジュエル”のコンセプトから、お話を聞かせてもらえますでしょうか?
志村さん:
大学院を出たのが2007年。“ジュエル”は、2009年に制作した初期の頃の作品です。
その頃は、自分の中に「こうしたものを表現したい」というものがあった訳ではないんです。作品の展示場所にあらかじめ足を運び、その場所の背景や歴史、自分がそこで感じられることや聞こえるものからインスピレーションを受けて作品を作っていました。
“ジュエル”は、原宿にあるバカントというアートスペースが展示場でした。下見に行き、驚いたんです。バカントは、もともと、僕が高校時代によく行っていた古着屋さんの跡地だったんです。ここでやるんだ!って思いましたね。
藪本:
そうだったのですね。
志村さん:
自分の記憶の中では、古着屋さんのイメージが強く残っている場所でした。しかも、場所が原宿。この作品のコンセプトとして、まず一つ目に、何か洋服や古着に関わるものを作りたいな、と考えました。
藪本:
だからボタンなんですね。
志村さん:
そうなんです。さらにもう一つ言えば、映像としての特性、可能性も引き出したいと考えていました。
例えば、彫刻家や立体で表現する方は、その素材でしかつくり出せないものはなんだろうって常に考えていると思うんです。僕があつかうのは、映像、つまり光です。決まった大きさや物体としての形がないというのが特徴なんです。立体作品と比べた時に、それはデメリットかもしれませんが、僕はあえてメリットとして捉えました。
藪本:
残るようで、残らないもの。
志村さん:
要は、プロジェクターから投影される光そのものが作品なので、触れないし、形としても残らない。そのメリットを最大限生かすとすれば、普段は作品が並べられないようなところに作品があれば面白いかもしれないと思ったんです。
藪本:
なるほど。
志村さん:
バカントでは、「階段に映像を投影して、階段そのものを自分の作品にしたい」と提案しました。立体作品や絵画には不向きだけど、映像作品だったら可能な場所です。古着屋という記憶と共に、人が通った時、人に映像が当たるなら何がいいかなと考えて「ボタン」をモチーフとして使いました。
階段に映像を投影しているのですが、実際に僕がやりたかったことは、人のからだをスクリーンにしたかったんです。この作品は人が通って完成するんです。
藪本:
もう一つお聞きしたいことは、作品名の由来です。ボタンなのに、なぜ“ジュエル”という名前にされたのでしょうか?
志村さん:
初期の頃の作品は、「赤い靴」「リボン」「レッドカーペット」など、割とストレートにモチーフそのものの名前をつけていたんです。でも、この作品のタイトルについては、「ボタン」だとしっくりこなかったんです。実は“ジュエル”という英語には、「散りばめる」という動詞の意味もあって、ジュエルにしました。
藪本:
そうなんですか!
ボタンには、布と布を「繋げる」という意味もありますよね。
「散らばっていたものを集める」。真珠ビルはまさに、昔は若者が集まる場所だったんです。今、また集まってきてるんですよね。もう十分に面白いです。
志村さん:
ありがとうございます。
2019年の千葉県立美術館での個展の時には、入口となるエントランスで、挨拶代わりの作品としてこの作品を投影しました。
藪本:
今回の真珠ビルでも、技術的に可能ならば、そんな感じでできたらと思っています。
2.作品のポテンシャルと紀南の地域性を「束ねる」
藪本:
続いて、“プール”についてお願いします。これは、天井に投影されているんですよね。
志村さん:
これはトリッキーな作品なんです。泡を撮ったんですか?とよく聞かれるんですけど、ボタンと同じく、日用品を使って作っています。実は、白い輪ゴムを撮ってるんですよ。
藪本:
面白いですね〜。輪ゴムもまた繋ぐものですね。
志村さん:
確かにそうですね、「束ねる」もの。10年経って、今初めて気付きました(笑)。
藪本:
輪ゴムをいくつか使われているんですか?
志村さん:
映像自体は、泡みたいにたくさん出てくるんですが、一つの輪ゴムだけを撮っていて、それを合成して作っています。水の中に輪ゴムを沈めて、水面を動かしているんです。水面を動かすと、沈んでいる輪ゴムが動きますよね。その水の揺らぎによって生まれる動きがイメージになっています。それを実際の空間に投影して、泡のように見せるという作品なんです。
藪本:
このタイトルは、なぜ“プール”なんでしょうか?
志村さん:
さきほどの“ジュエル”と重なるんですが、“プール”には、水たまりや泳ぐことができるプールという名詞の他に、「溜まる」という動詞があるんです。この作品を展示した横浜美術館の天井って、誰も見ないんですよね。そんな天井に映像を投影して視点を作ると、みんなその下に集まって上を見上げるんですよ。それが僕の作りたい「溜まる」なんです。
藪本:
なるほどですね、天井でやりたいですね。
志村さん:
あと、プールという言葉には水を連想させるイメージもありますよね。
藪本:
田辺市は、海への玄関口であり、熊野古道の宿場町。人の「溜まる」場所でした。泡はどう捉えられてるんですか?
志村さん:
現れては消えるものなので、アニメーションにした時にも自然かなと思いました。
藪本:
俳句などで言うと、切なさ、消えてなくなるもの。無常の世界観。しかも円ですし。
志村さん:
そうなんです。さらに、色がないのが効いてるなと思っています。輪ゴムなので茶色でもよかったんです。でも、白にして情報を少なくすることで、見る人にとっていろんなことを想像してもらえますよね。白を選んだことは正解でしたね。
藪本:
面白いですね〜。「泡」「水」「束ねる」「溜まる」。そういう言葉がまさにキーワードなんです。
束ねるものって何なのか。集まれるところってどういうところなのか。志村さんの作品で、そういう問い立てができるかもしれないです。
志村さん:
作品の持ってるポテンシャルと田辺の地域性が結ばれることは、この作品にとってもいいことだなと今聞いていて思いました。新たな再解釈と言えますね。
藪本:
あまりに深掘りするともったいないので、この辺にしておきます。
今日は興味深いお話をありがとうございました。