ダイアローグ

Vol.3 テキストアーカイブ(前編)

2021年8月28日(土)に開催したオンラインのトークセッション『紀南ケミストリー・セッション vol.3』を文字起こしした、テキストアーカイブの前編です。

※動画のアーカイブはコチラhttps://www.youtube.com/watch?v=pE9UFWr5uKY

日 時:2021年8月28日(土) 19:00~20:30
会 場:オンライン(ZOOM)
参加費:無料
登壇者:毛利嘉孝 さん(東京藝術大学 教授 / 社会学者)
    植野めぐみ さん(絵地図作家)
    坂本このみ さん(熊野ログ管理人)
モデレーター:宮津 大輔(紀南アートウィーク アーティスティック・ディレクター)
総合司会:森重 良太(地域活性化プロデューサー)

『 道をめぐって – 移動が生む社会、文化の変化 –  』(前編)

森重:
皆様、こんばんは。
第3回 紀南ケミストリー・セッションを始めさせていただきます。本日の司会進行役を務めさせていただきます、南紀白浜エアポートの森重良太と申します。どうぞ皆様、最後までよろしくお願いいたします。

紀南ケミストリー・セッションは、紀南アートウィーク2021の開催に向けて、様々なゲストを迎え、紀南の文化、歴史、風土について、縦横無尽に語り合うオンライントークセッションとなっております。

第3回となる今回は『 道をめぐって – 移動が生む社会、文化の変化 –  』と題しまして、熊野古道を始めとした「道」そのものをテーマとするトークセッションです。

ゲストには、3名の方々をお迎えしております。

まず1人目が、現代美術への造詣が深い、社会学者の毛利嘉孝先生。2人目は、世界各地の道を踏破しながら、熊野古道のガイドもされている、絵地図作家の植野めぐみさん。そして3人目は、熊野古道の様々なルートを人力で踏破しながら、その魅力を発信されている坂本このみさんです。モデレーターは、紀南アートウィーク アーティスティックディレクターの宮津大輔先生になります。

それでは、ゲストの方々のプロフィールを改めてご紹介いたします。

まずは、毛利嘉孝先生※ですが、東京藝術大学 音楽学部音楽環境創造科、東京藝術大学 大学院国際芸術創造研究科の教授※であり、メディア/文化研究をご専門とされている社会学者です。特に、現代美術、音楽、メディアなど、現代文化と都市空間の編成や、社会運動をテーマに批評活動を行っておられます。先生のご著書には、『バンクシー※』や『ストリートの思想※』などがございます。本日は、専門的かつ多様な角度から、「道」についてぜひお話しいただきたいと考えております。

※参考 毛利嘉孝(@mouri、Twitter)
※参考 毛利嘉孝(教員紹介、東京藝術大学 音楽学部音楽環境創造科)
※参考 毛利嘉孝(researchmap)
※参考 毛利嘉孝『バンクシー:アート・テロリスト』(2019年12月18日、光文社新書、光文社)
※参考 毛利嘉孝『ストリートの思想:転換期としての1990年代』(2009年7月30日、NHKブックス No.1139、NHK出版)

続きまして、絵地図作家の植野めぐみさん※。学生時代に自転車で日本を縦断され、北アルプス歩き旅などを経験されています。大学卒業後には、いにしえの人々が歩いた古道に興味を持ち始め、日本国内のみならず海外の古道にも足跡を多く残されています。その後は、国内外のフィールドをイラストで表現する絵地図作家※として、現在は、三重県津市で生活をしながら、紀伊半島を主な活動拠点とされています。

※参考 植野めぐみ(Facebook)
※参考 Megumi Ueno Kumano(@camino_de_kumano、Instagram)
※参考 アトリエ・ちきゅうの道:Atelier Camino de Tierra
※参考 旅のアトリエ ちきゅうの道(Facebook)
※参考 アトリエ・ちきゅうの道(@atelier_chikyu_no_michi、Instagram)

最後に、坂本このみさん※。熊野古道のブログサイト「熊野ログ※」を運営されています。京都から熊野への街道、淀川の道など、マイナールートも含めた古道歩き全般をライフワークにされています。人生の伴侶も、熊野古道がご縁で出会われたというお話も伺っております。現在、お住まいのある田辺市本宮町にて、新たな拠点「権現堂※」を準備中だそうです。

※参考 konomi@熊野ログ(@kumano.log、Instagram)
※参考 熊野ログ|紀伊半島の参詣道とウォーカーのための情報サイト
※参考 熊野ログ|紀伊半島の真ん中暮らし(@kumanolog、Twitter)
※参考 権現堂(田辺市本宮町)(Facebook)

早速ですが、トークセッションを始めて参りたいと思います。本日もどのような化学反応が起きるのか、非常に楽しみです。それでは、モデレーターの宮津先生、よろしくお願いいたします。

【1】お三方のご紹介

宮津:
皆様、土曜日の夜にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
本日のモデレーターを務めさせていただく、宮津大輔と申します。よろしくお願いいたします。

本日の紀南ケミストリー・セッションのタイトルは、『 道をめぐって – 移動が生む社会、文化の変化 –  』です。熊野古道のような陸の道、あるいは海の道など、あらゆる「道」をめぐって、様々な角度から道にまつわる社会や文化について、皆様に議論していただきたいと考えております。

森重さんからもご紹介いただきましたが、まずは、皆様お一人ずつ、自己紹介としてお話をいただければと思います。

毛利先生のご紹介

宮津:
最初に、毛利先生から自己紹介をお願いします。実は、毛利先生は私の先生でもありますので、本日は若干緊張しております(笑)。

毛利先生は、東京藝術大学で視覚芸術と音楽の両方を指導しておられる方で、東京藝術大学の中でも珍しい教授だと思います。先生は、社会学、文化人類学、音楽、アートなど、様々な領域を横断した研究や批評活動を行っておられます。また、『ストリートの思想』などの著書を執筆されただけではなく、ジェイムズ・クリフォード(James Crifford)※が執筆した『ルーツ※』という本の翻訳も手掛けられました。ちなみに、タイトルにある「ルーツ」という言葉は「経路」を意味しています。

※参考 ジェイムズ・クリフォード(James Crifford)とは(コトバンク)
※参考 ジェイムズ・クリフォード(James Crifford)著、毛利嘉孝 他 訳『ルーツ:20世紀後期の旅と翻訳』(2002年3月、月曜社)

それでは、毛利先生から自己紹介をお願いいたします。

毛利:
毛利嘉孝です。よろしくお願いいたします。本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。私は熊野古道に行ったことがないのですが、本日は「道」について議論し合うということで、非常にワクワクしております。

実は、道について語るのは、非常に難しいことなんですよ。通常、思考する場所は、図書館や部屋、教室などの「囲まれた空間」だと捉えられることが多いと思います。しかし、その一方で、道は、囲まれた空間から囲まれた空間に移動するだけで、物を考える場所ではないと考えられることが多いです。だから、その思い込みを取り払い、「移動することこそが何かを考えることだ」という議論ができればと考えています。

本日、私自身が話すのも楽しみなのですが、それ以上に皆様のお話を伺うのを非常に楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。

植野さんのご紹介

宮津:
続きまして、世界の様々な古道を踏破され、現在は紀伊半島を中心に様々な道や地域の紹介をされておられる、植野めぐみさん。自己紹介をお願いいたします。

植野:
皆様、こんばんは。植野めぐみと申します。
本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます。

私は、三重県津市の出身です。中学生の頃にとある旅行作家の本を読んだことで、漠然と「世界中を旅したい」という強い憧れを持ちました。大学時代には世界に行きたいと思ったのですが、大学入学後にお会いした教授から伊勢神宮のことを質問されたものの、何も答えられませんでした。しかも、教授から「そんなことも知らないのに、外国に行ったら恥をかくぞ」と言われてしまい、ショックを受けてしまったんです。その後、まずは日本のことを知ろうと思い、大学の休みを利用して自転車で日本を縦断しました。縦断を通して、狭いと思っていた日本が広いことを知り、人力で旅をすることにも興味を持つようになりました。

また、私の親戚が紀伊半島に住んでおり、それがきっかけで熊野古道のことを知りました。大学時代には熊野古道も踏破しましたが、歩いて踏破できたことに達成感があったと同時に、「熊野古道のような道は、きっと世界中にあるのだろうな」と感じました。その後、海外にある道について調べている中で、インカ帝国時代に作られた南米ペルーの道路網「インカトレイル(El Camino Inca)※」の存在や、オーストラリアやヨーロッパなどにも、熊野古道と同じような古道があることを知ったんです。まずは行ける場所から行ってみようと思い、バックパッカーの旅に出ました。世界中を旅する中で「自分はどのような仕事をしたいのか?」と考えたとき、やはり「旅の感動を伝える仕事がしたい」と強く思いました。以前は、熊野古道のガイド※と絵地図作家を兼業しておりましたが、現在は、絵地図作家を専業にして生活しております。

※参考 山田慈芳「EICピックアップ:No.149 南米ペルー、インカトレイルをゆく」(2008年7月17日、EICネット)
※参考 ガイド:植野 めぐみ(ノッティー)(くまの体験企画:熊野古道エコツアー)

出典:アトリエ・ちきゅうの道:Atelier Camino de Tierra

宮津:
こちらは、植野さんが運営されているホームページですね。

植野:
profileページ※では「国内42都道府県を踏破した」となっていますが、現在は45都道府県になっております。2県のみ未踏の県があります。

※参考 profile(アトリエ・ちきゅうの道:Atelier Camino de Tierra)

宮津:
都道府県を踏破された際には、各都道府県を通過するのではなく、それぞれの土地に降り立って道を歩いたのでしょうか?

植野:
中には、通過しただけの県も数県あります(笑)。ただ、自転車で日本縦断をした際には、ほとんどの土地を踏んだのではないかと思います。

宮津:
ちなみに、世界の方では何ヶ国ぐらい渡航されているのでしょうか?

植野:
現在は23ヶ国ですね。広い国を訪れた場合には、1ヶ所に長く滞在することもあります。将来的には100ヶ国を制覇したいと思っていますが、まだまだ遠いですね(笑)

宮津:
今まで、五大陸の中で訪れたことのない大陸はありますか?

植野:
南極大陸、南米大陸、アフリカ大陸ですね。南米大陸は一番先に行きたいと思っていたのですが、実はまだ行けていません。私が憧れている旅行作家が、南米のインカトレイルを旅したということで強い憧れを抱いたのですが、実際に訪れているのは、ヨーロッパやアジアの国々が中心ですね。

宮津:
新型コロナウイルスの感染が収束したら、インカトレイルにトライされるのでしょうか?

植野:
ぜひ、トライしたいですね!

出典:works(アトリエ・ちきゅうの道:Atelier Camino de Tierra)

宮津:
こちらの写真が、植野さんがお描きになっている絵地図ですね。

植野:
こちらは比較的に新しい作品で、絵地図の場所は、和歌山県串本町の田子(たこ)になります。

宮津:
まさに、鳥瞰図(ちょうかんず)※1にも見えるような絵地図ですが、こちらについては、後ほど詳しく植野さんにお伺いいたします。

※1 地表面を上空から斜めに見下ろしたようすを図に描いたもの。 鳥瞰図とは(コトバンク)

坂本さんのご紹介

宮津:
続きまして、熊野古道を歩いて探索して、その素晴らしさを広めておられる、坂本このみさんです。「坂本さんは伴侶の方と熊野古道で出会われた」という話を森重さんがされていましたが、差し支えない範囲で構いませんので、プライベートな部分についてもお伺いできればと思います。坂本さん、よろしくお願いいたします。

坂本:
皆様、こんばんは。坂本このみと申します。初めまして。

私は、和歌山県田辺市の出身です。海沿いの街で生まれ育ち、現在は田辺市本宮町にある熊野本宮大社※から、車で5分ほどの場所に住んでいます。

※参考 熊野本宮大社
※参考 熊野本宮大社(熊野本宮観光協会)
※参考 熊野本宮大社(田辺市熊野ツーリズムビューロー)

以前、田辺市内のホテルで仕事をしていた際に、熊野古道に興味を持つようになりました。私自身、地元のことをよく知りませんでした。熊野古道は2004年7月に世界遺産に登録されたのですが※、今まで歩いたことがなかったので「少しでも歩いてみたい」と思ったのが、私の熊野古道歩きの始まりです。元々、運動音痴で、歩くことも嫌いだったんですよ。スポーツも苦手だったのですが、「少しずつ練習すれば歩ける」という感覚を抱いた頃から、ますます熊野古道にはまり込んでいきました。

※参考 紀伊山地の霊場と参詣道とは:これまでの経緯(紀伊山地の霊場と参詣道)

※写真左:熊野古道の語り部・安江さん、写真右:坂本さん
出典:坂本このみ「2019春|京都・大阪・和歌山360㎞!熊野古道の旅をはじめます」(2018年12月16日、熊野ログ|紀伊半島の参詣道とウォーカーのための情報サイト)

坂本:
こちらの写真は、2019年の4月、京都市伏見区にある城南宮※からスタートして、川の道もカヤックで無理やり下って、約360kmのルートを歩いたときの写真です。

実は、このプロジェクトがきっかけで、夫とも出会うことができました。2019年に出会って、2020年に結婚し、新型コロナウイルス感染症の影響で延期していた結婚式も、今年挙げることができました。

※参考 城南宮

出典:「熊野本宮大社での結婚式」(2021年4月9日、konomi@熊野ログ、@kumano.log、Instagram)

坂本:
私にとって「古道を歩くこと」は、ライフワークのようなものです。ブログを通して、熊野古道の魅力や旅の楽しさを、飾らない形で伝えていければと思っています。ただ、現在は観光するのがどうしても難しい状況にありますので、ブログの更新頻度はそこまで高くありません。これからも色々な情報を少しずつ蓄積して、更新を続けていきたいです。

宮津:
ホテルにお勤めの頃に熊野古道の魅力に出会い、ブログを通して、旅の記録や熊野古道の素晴らしさを広めているというのは、本当に素敵なことだと思います。しかも、自身の活動がきっかけで人生のパートナーにも出会われたということで、まさに、坂本さんの人生が熊野古道の中に詰まっているような感じがします。

【2】熊野古道の魅力

宮津:
ここからは、熊野古道の魅力についてお聞きしたいと思います。熊野古道には、整備された道、整備されていない山道など、色々な道があります。まずは、熊野古道はどれぐらいの長さの道で、具体的にはどのようなルートがあるのかということを中心に、お話しいただけますでしょうか?

熊野古道のルート

坂本:
熊野古道には、本当に色々なルートがあります。全てのルートを合計すると、1000km近くになると言われています。ただ、熊野古道には日本各地から訪れる方がいますので、「街道」という意味ではまさに、日本中に繋がっている道だと思います。

熊野古道のメインのルートは「中辺路(なかへち)※」です。滝尻王子から熊野本宮大社まで38kmの道のり※を歩くのが「ザ・熊野古道」、いわゆる王道ルートとして取り上げられています。

※参考 熊野古道 中辺路(新宮市観光協会)
※参考 モデルルート:滝尻王子~熊野本宮大社(わかやま観光:和歌山県公式観光サイト)

出典:熊野古道 中辺路(新宮市観光協会)

坂本:
熊野古道を含めた街道というものは、どこまでも遠くまで繋がっているような気がしていますし、自分のご自宅から歩き始めるということこそが「熊野古道の出発点」になると思いますね。

熊野古道にはもちろん、未舗装の道もあります。ただ、整備された道の場合は、アスファルトを歩くことになりますので、足に負担がかかってしまうんです。実際に歩くルートを決める際には、歩きたい距離や行程を計画すると思いますが、熊野古道には「誰にでも歩けるポイント」というものがあります。そのようなルートを探して歩いてもらえれば、熊野古道をより楽しめるのではないかと思います。

宮津:
ちなみに、「ザ・熊野古道」と仰っていた、滝尻王子から熊野本宮大社までのルートを踏破するには、どれぐらいの時間がかかりますか?1日で踏破できるものでしょうか?

坂本:
通常、田辺の滝尻王子から本宮大社までの38kmの道のりは、1泊2日で踏破できると言われており、健脚※2向けのルートになっています。私自身、中辺路ルートを分割して踏破したのですが、滝尻王子、高原(たかはら)※、近露(ちかつゆ)王子※などを経由して、5回ほどに分けて歩きました。しかし、日本人の方だと長期休暇を取ることができない方が多く、1泊2日の観光旅行として熊野古道を訪れる方も少なくありません。ただ、数日で踏破を目指す場合はかなり険しい山歩きになりますので、普段から歩く習慣のない方には大変だと思います。

※2 足が丈夫で、歩いたり登ったりすることに達者であること。

   健脚とは(コトバンク)

※参考 滝尻王子~高原(田辺市熊野ツーリズムビューロー)
※参考 高原~継桜王子(田辺市熊野ツーリズムビューロー)

宮津:
本日のトークセッションを通して「ぜひ熊野古道に行ってみたい!」と思っても、初心者には難しいルートもあるということですね。例えば、熊野古道のルートをショートカットしたり、一部だけを歩いたりするという歩き方をしてもよいのでしょうか?

坂本:
必ずしも、全てのルートを歩く必要はないと思います。私がホテルに勤めていた頃、観光で来られる方は日程に限りもあり、その中には体力面に不安のある方や、ご高齢の方もいました。やはり、それぞれのレベルに合った歩き方、楽しみ方があります。例えば、本宮大社の手前7kmからのコースだけ3~4時間歩いてみるというのも、熊野古道を楽しむ1つの方法だと思います。

熊野古道と伊勢路

宮津:
植野さんは三重県津市のお生まれですが、三重県にも伊勢街道※など、様々な街道がありますね。熊野古道と伊勢の街道との比較、あるいは伊勢の魅力も交えながら、熊野古道の魅力についてお話しいただければと思います。

※参考 伊勢街道のルート(みえの歴史街道)

植野:
私が一番最初に踏破したのは、伊勢神宮※から新宮まで続く「伊勢路(いせじ)※」で、熊野古道のルートの中で一番東側を通っている道です。熊野三山※を繋ぐ中辺路ルートは、かつて貴族が通ったとされている道です。一方で、伊勢路ルートは約200年前、江戸時代から歩かれるようになった比較的に新しい道になります※。

※参考 伊勢神宮
※参考 熊野古道伊勢路
※参考 熊野三山(田辺市熊野ツーリズムビューロー)
※参考 熊野古道伊勢路とは(三重県立熊野古道センター)

出典:熊野古道 伊勢路(新宮市観光協会)

植野:
江戸時代、主に庶民の間で「お伊勢参り※」が盛んに行われていました。一部の参詣者は非常に信仰心が強く、白装束に着替えて、熊野三山や西国三十三所※、特に那智山青岸渡寺※を目指して歩いていました。実は、伊勢路は「死の道」と呼ばれ、陰鬱なイメージで語られることが多かったんですよ。しかし、それは本当の「陰」ではなく、死の旅に行くつもりで白装束に着替え、新しい自分に生まれ変わるという「蘇り」を意味しています。これこそが、伊勢路の魅力だと思います。

※参考 「『お伊勢参り』江戸時代、誰もが憧れた大イベントQ&A」(2020年10月19日、DiscoverJapan)
※参考 西国三十三所 巡礼の旅
※参考 那智山青岸渡寺【世界遺産】(一般社団法人 那智勝浦観光機構)

中辺路ルートで熊野三山を目指すのとは違い、伊勢路には目的地にあたる部分がありません。「三重県は通過点ではないのか?」と言う方もいますが、むしろ、目的地がないということの方が、「道を歩くことの良さ」が伝えやすいような気がしています。私が熊野古道のガイドをしていた頃には、伊勢路には熊野三山という華がない分、「歩くことそのもの」の魅力を多く伝えるようにしていました。

伊勢路のスタート地点でもある伊勢市内には、平野が広がっています。山の中を歩き、紀伊の国に到達した頃に目に入るのは、熊野灘※です。その後は、綺麗な海の景色を見ながら、新宮方面まで進むことになります。

※参考 熊野灘とは(コトバンク)

出典:SALT.「熊野灘」(写真AC)

植野:
平野、山道、海沿いを歩くということから、伊勢路はまさに、様々な自然環境を楽しめる道なんですよ。このような素朴な道を歩き続ければ、熊野三山や那智山青岸渡寺という「熊野古道の核心部分」に出会うことができます。そのような意味でも、伊勢路は非常に魅力的な道だと思います。

参詣客の歴史

宮津:
坂本さんは、ブログを通して熊野古道の魅力を発信されていますが、実際に熊野古道を訪れている人たちは、どのような目的で来られているのでしょうか?

坂本:
時代によって違うと思いますが、現代では主に、世界遺産の観光目的で来られる方が多いと思います。比較的に、日本人は神様、仏様どちらも信仰している方が多いのですが、自分が信仰している宗教を問わず、色々な方が参詣されているという印象があります。

一方で、平安時代には、上皇や法皇を中心とした貴族たちが、京の都から熊野古道まで一生懸命歩いてこられたそうです。また、江戸時代には、江戸から東海道を経由してお伊勢参りをした人や、熊野三山に到達したいという思いで、熊野古道を歩かれたという人もいました。中には、四国八十八ヶ所巡り(お遍路)※を目指した人たちもいたそうです。

※参考 一般社団法人 四国八十八ヶ所霊場会

また、観光目的だけではなく、病を治すために熊野古道を訪れる方もいます。例えば、「小栗判官伝説※」がある湯の峰温泉※は「蘇りの温泉」だとされています。この伝説に登場する小栗は、大病に侵された患者がモデルではないかと考えられているそうです。

※参考 小栗判官伝説(2020年1月6日、熊野本宮観光協会)
※参考 湯の峰温泉(2020年1月20日、熊野本宮観光協会)

歴史を紐解いてみても、観光や湯治など、熊野古道を訪れる理由は人それぞれ違います。そのため、熊野古道には「統一された世界観」がないような気がしています。例えば、お遍路は「弘法大師・空海ゆかりの寺院を巡る旅」であり、あるいは、スペインのカミーノ・デ・サンティアゴ(El Camino de Santiago、サンティアゴ巡礼への道)※は、「キリスト教のカトリック信者たちの道」であるという、はっきりとした来訪目的があります。世界観という意味で言えば、熊野古道は、様々な目的を持って歩き回る「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)※」のようなものだと、私は考えています。「東京ディズニーランド※」ほど統一された世界観ではありませんが、それが熊野古道の面白いところだと思います。

※参考 高森玲子「カミーノ・デ・サンティアゴ ~星に導かれ、巡礼のスペイン旅へ」(2020年12月23日、おうちで世界旅行:朝日新聞デジタル &AIRPORT)
※参考 サンティアゴ巡礼とは(NPO法人 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会)
※参考 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)
※参考 東京ディズニーランド

3名の参詣客のエピソード

宮津:
植野さんは、どのような方が熊野古道に来られると思いますか?熊野古道のガイドをされていたときに感じたことなどがあれば、ぜひ教えてください。

植野:
私がガイドをしていた頃に出会ったお客様の中には「登山を始めたいけれど、大きな山だと自信がない」という方や、「熊野古道が世界遺産に登録されたから、ぜひ一度歩いてみたい」という方がおられました。その中でも、特に印象に残っている3名の方をご紹介します。

まず1人目は、スペインでサンティアゴ巡礼をされた、外国からのお客様です。熊野古道の存在を知り「ぜひ行ってみたい」と思って来日されたそうで、私がご案内したときには、伊勢から新宮までの道のりを歩きました。カミーノよりもずっと短い180kmだから楽勝だと思っていたそうなのですが、非常に大変な旅になりました。旅を終えた後、そのお客様は、日本は高温多湿であり、起伏の多い地形が多いことを改めて感じたそうです。

2人目は、日本がとにかく大好きな、ブラジルからのお客様です。「日本に来るのが4回目なので珍しい場所に行きたい」と仰っていたため、熊野本宮大社と高野山金剛峰寺※を繋ぐ「小辺路(こへち)※」をご案内しました。熊野古道を歩かれた後、その方は写真投稿サイト「Flickr※」に1,500枚もの写真を投稿されていました。「日本の新しい部分を見られた」とすごく喜んでおられ、最終日には、高野山にある宿坊に宿泊されたそうです。

※参考 高野山真言宗 総本山金剛峯寺
※参考 熊野古道 小辺路(新宮市観光協会)
※参考 Flickr

出典:熊野古道 小辺路(新宮市観光協会)

植野:
そして3人目は、保育園時代から30年以上交流のある、私の友人です。彼女は海外で国際関係の仕事をしています。彼女が日本に帰国したときに「心が疲れているから」と言っていましたので、三重県熊野市にある「松本峠※」という、素敵な景色が見られる場所をご案内しました。ところが、そのときに彼女が号泣してしまったんです。どうしたのかと尋ねると、「私は世界の最前線で働いているけれど、多数いる中の1人でしかない。でも、熊野という土地は、私個人を祝福して受け入れてくれている」と話してくれました。彼女のその言葉を聞いて、私も思わず、もらい泣きをしてしまいました。

※参考 松本峠・花の窟(熊野古道伊勢路)(観光三重)

「峠からの眺望」出典:松本峠・花の窟(熊野古道伊勢路)(観光三重)

植野:
3名とも、「点」としての熊野古道に訪れたというよりは、熊野古道、あるいは紀伊半島という「空間」を、自分の人生の岐路として捉えてくれたのだと思っています。そのような意味では、熊野古道は「癒しの道」でもあるような気がします。道を歩いて身を置くことで、心を入れ替えることができる。熊野古道はまさに、心身の「デトックス※3」ができる場所なのではないでしょうか。

※3 体内にたまった有害物質や老廃物が健康を阻害しているという考え方に基づき、漢方薬やサプリメント、食事、運動、入浴などのさまざまな方法によって、毒素を体外に排泄させること。

デトックスとは(コトバンク)

【3】熊野古道と「移動の経験」

宮津:
本日のトークセッションには、紀南地域のみならず、和歌山県内にお住まいの方が多く参加されています。参加者の中には熊野古道に縁の深い方もいると思いますが、植野さんと坂本さんのお話から、いつもと違う熊野古道の表情も伺い知れたのではないでしょうか。

先ほど、お二人のお話の中で、「歩くことそのもの」の魅力や、熊野という土地を「点」ではなく「空間」として捉えるという話が出ました。ここからは、「移動すること」の意味や空間の捉え方について、毛利先生からお話を頂きたいと思います。

「移動」が持つ意味

毛利:
私は熊野古道に行ったことがありませんが、お二人のお話を伺って、「これは絶対に行かねばならない」という思いが強くなりました。

植野さんが紹介してくださった3名の参詣客の方々は、それぞれ異なった経験をされており、非常に興味深いと思いました。この3名のエピソードは、坂本さんが仰った「熊野古道は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに近いのではないか?」ということにも関係していると思います。熊野古道を訪れた人たちは、自分のバックグラウンドと照らし合わせながら、皆それぞれ違う経験をして帰っていく。これはまさに、熊野古道の特徴なのではないかと思います。

また、先ほどご紹介いただいたように、以前、私は『ストリートの思想』という本を執筆しました。ストリート(street)は日本語で「道」という意味ですが、熊野古道とは随分ニュアンスが違います。私は「道を歩くこと」や「移動すること」の意味を考えることに興味があるのですが、実は、これらのテーマは、過去の歴史においてあまり議論になっていません。通常、「移動とは何か?」と考えたときには「A地点からB地点へ移り変わる」という感覚で捉えられることが多いと思います。その上、議論のテーマになりやすいのは、閉ざされた空間や場所ばかりで、「移動すること」を、あたかも「何も起こらないような時間」であるかのように捉える人が多いんです。

私は、移動の中にこそ、色々な変化や物の思考があると考えています。移動の中で起きている出来事を表現するのは大変な作業です。しかしながら、植野さんが制作されている絵地図や、坂本さんが綴られているブログには、まさに、移動の間に起きている変化や経験が描かれているような感じがしました。熊野古道に限らず「道を歩きながら、自分の経験を重ね合わせる」ということが、「道の経験」あるいは「移動の経験」として、非常に大事なことだと思います。

「カルチュラル・スタディーズ」と「移動の経験」

宮津:
毛利先生が、学生時代に留学先のロンドン※から帰国される頃、ちょうど「カルチュラル・スタディーズ※4」という、学問を横断的に捉え、多元的・批判的な視点を持って社会・文化研究を行うという動きが活発になっていました。

※4 1960年代にイギリスで起こり、やがてアメリカをはじめ世界各地に広がっていった多元的かつ批判的な視点からの文化研究の総称。単一の方法論による単一の学科ではなく、さまざまな文化領域や文化実践を対象とし、多様な方法論による、学際的かつ学科を超えた研究を指す。

カルチュラル・スタディーズとは(コトバンク)

※参考 毛利嘉孝(教員紹介、東京藝術大学 音楽学部音楽環境創造科)

また、毛利先生は、2002年にジェイムズ・クリフォード(James Clifford)の『ルーツ』を翻訳されており、2009年には『ストリートの思想』も執筆されています。1990年代以降、毛利先生が研究や批評活動を行う中で、「移動」や「道」という言葉は、毛利先生にとって大きなキーワードになっていたのでしょうか?

毛利:
全くその通りですね。1990年頃から、空間や道、都市に対する関心が、世界的に広まっていきました。それと同時に、これまで行われていた「知識を積み上げて、次世代に伝承していく」という考えで文章を書くことに、私は疑問を抱いたんですよ。例えば、本であれば、「自身が積み上げた知識や考えを述べていき、それらの情報を伝承していく」というフォーマットが確立されています。しかし、私は、本来の知識や物の考え方はそうではないと考えています。移動や空間把握のように、テキストとして表現できない経験の方が、実は色々な知識を孕んでいるのではないか。私はこのように考えており、やはり、自分の中でも「移動」という言葉がキーワードになっていきました。

私や他の訳者たちで翻訳した『ルーツ』ですが、元々は学生と一緒に読んでいた本です。私は、主に社会学、文化人類学を専門に研究していますが、かつて、この分野の研究者たちは、まるで「移動の経験」を軽視しているようなやり方で、研究を行っていました。もちろん、これまでの伝統的な文化人類学者たちも現代と同じように、フィールドワークを実施していました。ところが、例えば「熊野古道について研究する」というときに、熊野古道を「閉じた空間」だと捉えたような文章の書き方しかしていなかったんですよ。しかも、東京から熊野古道に行ったという「経過」を記録せずに、熊野古道に関する情報しか記述しないということもありました。

本来、研究者たちは、研究したい場所を選び、現地調査を行うための準備を入念に行っています。頭の中で色々なことを考えながら計画を立てていますので、本当はこのような「思考の時間」の方が長いと思います。例えば、熊野古道をリサーチするといっても、熊野の地に滞在するのは3日ぐらいかもしれません。しかし、実際はその3日間のために、熊野古道を目指して新幹線で移動するなど、様々な「経験」をすることになります。社会学、文化人類学という分野に必要なのは、まさにこのような「個人的な体験」、あるいは「移動の経験」を記述することだと思います。

熊野古道はある種の「歩く場所」ですが、「移動の経験をどのように記述していくのか?」と考えることで、物の見方が変わってきます。つまり、熊野古道を「閉じた空間」ではなく「開いた空間」として捉えることができると思うんですよ。

植野さんと坂本さんのお話を伺っていて面白いと思ったのは、お二人の「移動の経験」が、絵地図やブログの中に克明に描かれているということですね。計画の立て方や実際の歩き方が事細かに描写されているというのは、まさに「移動の経験」があるからできることだと思います。研究者目線で言えば、ただ単に「地域を紹介すること」とは違う情報発信の仕方をしているのが、非常に興味深いと思いました。

宮津:
毛利先生の研究スタイルは、1990年代、あるいは2000年以降も常に進化し続けている「方法論※5」ですね。熊野古道歩きや情報発信という、植野さんと坂本さんが実践されている部分と共通点が多いというところが、非常に面白いと思います。

※5 学問の研究方法についての議論。論理学の一部門として、科学の方法に関する論理的な反省や認識方法について研究する学問分野。

方法論とは(コトバンク)

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