リサーチ & コラム

現場の実践から見る「グローバリティ」と「ローカリティ」 近づく2つの世界 (後編)

2021年12月15日に開催したオンラインのトークセッション『現場の実践から見る「グローバリティ」と「ローカリティ」 近づく2つの世界』のテキストアーカイブ後編となります。

※テキストアーカイブの前編はコチラ

【4】ローカルの価値とは何か?

個々人の価値観と共感者

藪本:
私が考えているのは、まさに現代アーティストたちが「ローカルの価値の発信」を体現しているのではないか?ということです。彼らはマーケティングもローカライズもしていないのにもかかわらず、全世界80億人のうち、彼らの価値観に共感した人に作品を販売したり、共感者から支援を受けたりしています。

中野:
冒頭でお話しした「FLAG RELATIONS™」について、補足させてください。我々の会社では「誰もが自分の旗を立て、共感者を募れる世界へ」ということを理念として掲げており、個々人が持つ価値を重視しています。その価値が伝わるように発信すれば、この世界にはきっと共感してくれる人がいるはずです。これはまさに「マーケティングしないという考え方」であり、なおかつ「グローバル化の時代に対する個人のあり方」だと、私は思っています。

もしかすると、こういった「個人の価値観」は、藪本さんが仰ったような「現代アーティストたちが描く世界」と似ているかもしれません。その価値観に対する共感者は、ひょっとすると、地球を一周すれば100人ぐらいいる可能性だってあります。80億人中100人なんて吹けば飛ぶような数字ですが、極論を言えば、1人でも共感者がいるとその人は生きていけるんですよ。

藪本:
今の話に関連する話でいえば、まさにカンボジアの現代アーティストたちは、10人ほどの共感者と共に生きているように思います。

中野:
一般的には、大衆をターゲットにしたマーケティングの方が利益が出ると考えられています。そのような環境の中で「10人ほどの共感者しかいないような仕事に、何の意味があるのか?」と質問されたら、藪本さんはどのように答えますか?

藪本:
すごく難しい質問だと思います。実際、財団活動をやりながら「それって意味あるの?」という問いがよく飛んでくるんです。しかし、私はむしろ「マーケティングを繰り返し、奪い合って生きることに何の意味があるのか?」と問い返してしまいます(笑)。

業務上、市場の状況やローカライズの手法に関する質問も受けることが多いです。その度に私は「ローカライズの先に何があるのですか?」とか「マーケティングは何のために行っているのですか?」と聞き返したい気持ちになります。恐らく、これらの問いに答えられる人は、ほとんどいないでしょう。

中野:
中国は、まさにそんな感じですよね。彼らは投資を受けた外国企業を自国企業に転換していますが、「利益を出してお金を稼ぐだけの仕事は、本当に価値を生んでいるのか?」と不思議に思います。

私が実践したいのは「分かる人には分かる」という壁を越えることです。一部の人間だけではなく、多くの人々に「個人の価値観」を共感してもらえるように発信したいと考えています。個人が発信した価値観を100%否定できる人なんて、絶対にいません。仮にいたとしても「その価値がどのような利益を生み出すのか?」と言ってくるような人ぐらいだと思います。「自分が面白いと思うこと」よりも「多少面白くなくてもより稼げること」を善としているような価値観を、今後も少しずつ変換していきたいですね。

藪本:
まさに、中野さんの仰る通りだと思います。時には、CSR、SDGsなどといった文脈で価値観の話が出ることも多い気がしますが、こちらはどのようにお考えでしょうか?

中野:
CSV*2という観点でも、同じような話が聞こえてきますね。そもそも、本質的な価値、社会的な価値を生み出していなければ、事業としても成立しないという考え方があるように思います。

*2 Creating Shared Value(共通価値創造)の略。企業が本業を通じ、企業の利益と社会的課題の解決を両立させることによって社会貢献を目指すという、企業の経営理念。

CSVとは(コトバンク)

ローカルで生きている「伝統の世界の価値」を見直すべきだと、私も思います。具体的な例を挙げてみれば、表参道のイルミネーションが好きだというような人々に、どうやってその価値を届けるか?ということですよね。恐らく、他者の価値観に興味を示せるような心の余裕のある人であれば、伝えられるような気がします。

私は東京から仙台に移住して起業しましたが、やはりローカルに移住する方が、都会でつらい仕事をしているよりも、圧倒的に豊かな生き方ができるんですよ。収入は多少下がるかもしれませんが。都会にいるだけでは目に見えないような「ローカルの価値観」に、多くの人が気づいてくれればと思っています。

未来のビジネスモデル

藪本:
現在、中野さんは和歌山県移住定住推進課の方々と共同で事業をされていますが、ワーケーションやインバウンドのような施策について、どのようにお考えでしょうか?

中野:
ワーケーションに特化していえば、既存の会社というシステムの中でワーケーションをする限りは、それは単なる旅行でしかないと思います。むしろ私は、ワークを場所から解放すべきだと考えているんですよ。自分のお気に入りのローカルな場所で生活しつつ、都市の仕事をするという状況を作る方が正しいと思っています。だから、雇用のあり方や就業のあり方を変えなければ、ワーケーションを実施する意味があまりないような気がしますね。

藪本:
もっと踏み込むと、都市の仕事ではなく全世界の仕事でいいと思います。結局、都市の仕事は「ニアイズベター」なんです。内需型のビジネスモデルにおいて、やはり営業先に対して、地理的に近い人たちが強いというのが明らかですから。

中野:
まさにそうですね。そして恐らく、「ニアイズベター」を超えたビジネスモデルを構築できた人たちが、ローカルで生き残るような気がします。

藪本:
仰る通りだと思います。これは私の想像ですが、これからの時代、海外渡航経験があって英語が堪能な人が「グローバル人材」と呼ばれるような時代ではなくなると思っています。どちらかというと、ローカルの本質的な価値を見つけられる、深められる人たちが、将来「グローバル人材」と見なされるはずです。先ほど登場した「ローカルに思考し、グローバルに行動する」という思想を体現する人たちに、なんとなく価値がシフトしていくのではないかと思います。

中野:
英語は通じるレベルで話せればいいでしょうし、それよりもむしろ「自分がどのような価値を持っているか?」という質問に答えられる人が「グローバル人材」になり得ると思いますね。あるいは、会社や組織の後ろ盾がなくとも、現代、そしてこの先の何百年後の時代に立てる人。そのような意味では、自分自身と世界を直接対峙させている現代アーティストたちは、まさに「グローバル人材」なのではないでしょうか。

藪本:
先ほどの話に関連させていえば、ワーケーションも一種の「グローバル人材の育成」に繋がっているように思います。今後は段階的に、全世界で勝負でき、一箇所居住で生活できるような人材を増やすべきです。

中野:
「ローカルに思考する」という段階は重要ですが、決して「田舎者」であってはいけないと思っています。中間的な地域、会社、国に守られることなく、常に自分自身が「個」として世界と直接向き合い続けることが、ローカルを突き詰めることになると思いますし、グローバル化だとも思うんです。だからこそ私は「グローバル化とローカル化は同じなのではないか?」と考えています。

「グローカル」の是非

藪本:
近年、ローランド・ロバートソン(Rowland Robertson)が提唱した「グローカル」という言葉をよく耳にします。正直、私はあまりピンときていないのですが、中野さんはどのような捉え方をされていますか?

中野:
実のところ、私も「グローカル」が何なのかよく分からないんですよ(笑)。私としては「ローカルを突き詰めればグローバルに通ずる」という主張なのではないか?と言いたいところですが、表現としてそのような定義になっているのか、確信が持てませんね。

藪本:
本来の意味とは違う「グローバルに思考し、ローカルに行動する」という文脈で「グローカル」を使っている人も多いと思います。本当は逆なのに。

中野:
例えば、田舎の山奥で育った人が、海外進出して色々な景色を見てきたのにもかかわらず「日本のこういう部分が遅れている」などと言っていると、すごく格好悪いと思います。そういう人は「グローカル」ですらありません。何故なら、ローカルに目を向けていないから。恐らく、ローカルの価値をしっかりと見極めつつ、グローバルの視座を持っているという状態が「グローカル」なのではないでしょうか。

藪本:
実際、中野さんが仰るような認識になっているかというと、そうではないと思います。マクドナルドやスターバックスのように、世界で流行していると思われるものを日本のマーケットに輸入し、ローカリゼーションを進めることが「グローカリゼーション」だとされています。具体的にいえば、欧米の先進事例を日本国内で普及させ、その後、東南アジアでも同じことを実践するという例があります。GDPが増えて人口が伸びる地域や国であればニーズがあるのかもしれませんが、本質的な価値を生み出しているかどうかは分からないというのが正直なところです。まさにタイムマシーン的な事業では、限界があると思っています。

ローカルの存続危機

中野:
今、藪本さんが仰ったような実例をスーパーローカルで実践しても、恐らくGDPは伸びないでしょう。実際、日本のローカルでは人口減少が進んでおり、本格的に厳しい状況にあります。藪本さんは紀南出身ですからお分かりだと思いますが、人口が劇的に減ると地域が消滅してしまうんです。

特に、30代以下の若者は「自分が死ぬ頃まで生まれ故郷が存続している」と自信を持っている人は少ないと思います。恐らく、地元の将来を悲観した若者たちは、諦めて都会に出る人と、その土地で戦う人に二分化されるでしょう。

藪本:
地域を維持させるためには、恐らく2つの方法があると思います。まず1つ目は、カリフォルニアやニューヨークが実践している「サンクチュアリシティー」のようなものを導入し、無理矢理人口を増やし、内需を増やす方法です。そして、2つ目は、シンガポールや台湾のように輸出産業を発展させる方法で、私は、後者のやり方を推し進めた方がよいと考えています。仮に内需が萎んでも外需で埋めることができますので、道のりは長いですが、地域にとって望ましい状況になるような気がします。

中野:
研究者の中には、日本の今の状況について「移民無しでは成り立たない」と考えている人もいます。藪本さんが仰るように「内需型の発想」から抜け出さない限り、消耗戦が続くだけでしょう。ただ、世界では人口が増えていますし、世界のマーケットは大きいので「地域の外に自分の価値を発信していく」というモデルを採用すれば、地域や国自体が維持できるのではないかと思います。

藪本:
日本では「内需型のグローバリゼーション」に拘る経営者が多く、その部分での成功体験から抜け出せません。その状況をどう転換していくのかということが、重要な議論になると思います。しかも「外需を稼ぐ」ということは、先日開催した「みかんのワークショップ」で行った議論のように、実現までには膨大な時間がかかってしまう可能性があるんです。そのような意味でも、経営者の中には「合理的ではない」と切り捨ててしまう人々も多いのではないかと感じています。

中野:
「内需型のグローバリゼーション」での成功体験とは、要するに「日本で数多く売れたテレビを東南アジアで売ろう」というものですよね。先日『島耕作』を全巻読破したのですが、まさにこの作品の世界観が、今の日本の状況と同じなんです。作中では「内需のあり方をいかに転換していくか?」という家電メーカーの戦いを描いています。恐らく、作者も昨今の状況を分かっていて描いていると思いますが、本当に今の日本は消耗しているんですよ。

藪本:
他の例を挙げると、タイと中国にはそれぞれ、ブラジャーを製造している会社があり、タイの方が価格が安いため、中国人がタイまで買いに行くということがあります。私はその話を初めて聞いたとき、そのブランドの価値は、人件費の需給ギャップを基礎においた安さしかなく、これは極論かもしれませんが、「製品のブランド価値が消失しつつあるか、存在していない」ということを意味しているのではないか?と感じました。

中野:
今の経済学の理論では「人は1円でも安いものを買うはずだ」という考えが成立していますから、その理論に基づけば、今の中国人の話は普通のことなのかもしれません。ただ、私は「人は1円でも安いものを欲する」という考え方よりも、「人は価値を求めている」という考え方に転換したいと考えています。

私としては、価値とお金はイコールではないと思っているんです。震災報道に携わっていた頃、財産を一切失った世界で「価値の本質」に挑み続けている人々の姿を目の当たりにしました。これは、お金では全く説明できない世界です。

合理的に考えれば、地域を捨てて他の街に移る方がいいでしょう。しかしながら、人口の半数以上の命が失われてしまった町を、5倍、10倍以上も労力をかけて再建するということを、あえて選択している若者たちがいるんです。その理由を聞くと、彼らは「ここが好きだから」と返してくれました。恐らく、彼らは決して誰にも否定できないような「強さ」を持っているような気がします。

そのような経験もあり、私は、この若者たちが胸に秘めているような「地域を愛する心」に価値があると思いました。現在は「ローカリティ!」を通して、「個々人の価値を伝わるように伝える」という取り組みを実践しています。

【5】ローカルにおける実践

何故、紀南アートウィークを実施するのか?

中野:
ここで少し「何故、紀南アートウィークを実施するのか?」という話を、藪本さんに伺いたいと思います。まずは、紀南アートウィークを知らない方のために、実際にどのような取り組みをされているのか、簡単にご説明いただいてもよろしいでしょうか?

藪本:
「紀南アートウィーク2021」と題して、11月18日から11月28日に芸術祭を開催しました。先ほどお伝えした通り、紀南アートウィークのコンセプトは「籠もるとひらく」です。そのような意味では、我々の取り組みと、本日の議論は非常に繋がっているのではないかと考えています。データ上では、私が生まれ育った白浜町、あるいは通っていた高校があった田辺市など、紀南地域では人口が減少することは明らかです。先ほどの中野さんのお話の通り、若者たちが地元に未来を見出せずに悲観しているということも、傾向としてあると思います。

私は、海外生活を通して様々な国や地域に足を運びましたが、やはり、紀南や熊野という地域が持つ価値が一番光り輝いて見えるんです。これらの価値を再整理して輸出していけば、経済的にも大いなる価値を生み出す可能性があると、私は確信しています。ただ、非常に時間がかかるというデメリットもありますので、まずは10年ぐらい時間をかけて、「紀南アートウィーク」という形で、じっくり実践していきたいと考えています。

今回、芸術祭という形で紀南アートウィークを実施しましたが、アート自体は非常に便利なものなんです。私自身「感動したらアート」だと定義づけており、アジアで体感した「アートの実践」は、非常に広くて深くて自由な概念ですので、色々な人に接してもらいたいと思っています。

中野:
なんと!私と同じようなことを考えておられるんですね!

藪本:
専門家の方にも怒られるかもしれませんが(笑)、私はアートをそのような形で捉えています。今回、紀南アートウィークには、アートの専門家はほぼいません。そのような意味では「無名の人たち」と一緒にどのような形で作り上げていくのか?と考えるのが、すごく楽しみです。

また、行政予算や補助金に頼らない形態で継続し、全世界に紀南、牟婁郡、熊野の価値を長期的に発信していきたいと考えています。更に、現状、地域のプレイヤーたちが地域内需の世界を回してくれているので、今後は10年ほど時間をかけて、外需を稼げる体制、さらには「稼いだ外需を自動的に社会に還元できる仕組み」まで作っていければと考えています。

恐らく、外需を稼げないと、社会保障や貧困対策にお金が回りません。だからこそ、私は今流行りの「脱成長」という考え方にはあまりピンときていないんです。そのような意味でも、紀南アートウィークは「これらの政策を実施するために財源をどう確保するのか?」ということを長期的に見据えて実践していきたいと思います。私は、アナキスト(非政府主義者)だと思われがちですが、私は政治や政策は重要だと考えている立場です。

実は、私の中で、紀南アートウィークでの取り組みは「世界平和」のための実践だと考えています。今後、外需を稼げるようになれば、大内需を持っている国に対しても、「No」と突っぱねることできるようになるかもしれません。色んな極がある状態が、世界平和に向けて重要だと考えています。

紀南アートウィークの実際の様子をお見せします。白浜町、田辺市の各所に作品を展示させていただき、非常に多くの方に足を運んでいただきました。

前田耕平《Over to you》(2017年、南方熊楠顕彰館にて展示)
出典:紀南アートウィーク Facebook(2021年11月28日)
長谷川愛《私はイルカを産みたい…(I wanna deliver a dolphin…)》(2011~2013年、アドベンチャーワールドにて展示)
出典:紀南アートウィーク Facebook(2021年11月28日)
アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul)《母の庭》(2007年、高山寺講堂内に展示)
出典:紀南アートウィーク Facebook(2021年11月28日)

中野:
すごく素敵な取り組みだと思います。紀南アートウィークは、来年以降も実施されるのですか?

藪本:
はい、その予定です。私自身は、芸術祭の実施自体が奨励される時代ではなくなるのではないか、と考えています。そのため、生命力のある市民の方々と、非常に小規模でマニアックなプロジェクトを、まずは来年にかけて実施しようと準備を進めているところです。そのような意味では、生命力のある市民の方々を発掘し、一緒に、その土地の価値を世界に価値を発信できる仲間探しをしていきたいです。

ローカルを突き詰めること

中野:
我々の実践も紀南アートウィークに似ているような気がして、藪本さんの取り組みにすごく共感しました。「個」として世界で活躍できる人材を見出すことが、我々の目標でもあります。先ほど、藪本さんが仰っていた「感動したらアートだ」ということについても、私も同意見です。弊社では「魅力とは、貴方の心が動いたもの全てです」という思想を掲げていますから。

「ローカルを突き詰める」ということは、ある地域だけが井の中の蛙になることでありません。グローバルで戦い得る「視座」と「強さ」を持っていなければ、きっと地域は消滅してしまうでしょう。しかしながら、全てのローカルにはその危機を乗り越える力があると、私は信じています。

その一方で、人為的に作られた観光地は、恐らく消えるのではないか?と考えています。ちなみに、私が先週末訪れた九州の某市には、16億円かけて作った日本一高い吊り橋があります。市はその場所を観光名所として売り出していますが、こういった形の地方創生は間違っているのではないか?と思いながら、橋を渡ってきました(笑)

藪本:
最近は、グランピングやサウナ等、都市で流行ったものを上手くマーケティングして、展開している例が多いと思います。もちろんそれを否定するつもりはありませんが、きっとこういったものは短期的に終わってしまう気がするんです。そのような意味では、未来に残るものを生み出すことが大事だと思います。

「日本らしさ」とグローバルビジネス

藪本:
最近、私は世界や日本の神話ばかり集めている状況です。神話に触れるということは、ローカルを突き詰めることに繋がっているのではないか?と考えています。見た目は違っていても、中身は普遍的なことが多い気がするんです。現在、海外で業務を行う上で「日本らしさ」を前面に出している企業は、世界で上手く渡り合えていないと感じています。

中野:
「日本らしさ」というのは、一体どういうものなのでしょうか?私としては、政府や大企業が規定する「日本らしさ」は、本来の日本の姿ではないと思っているのですが。

藪本:
私もそう思います。「日本らしさ」のようなものを前面に出している企業とは、例えば、茶室や日本庭園等が事務所の中にある会社でしょうか。金融系の事業者であれば、資本主義の最も先端で競争を行っているのだと思いますが、世界的な資本の競争で争えないので、見た目を日本風に寄せているのだと思ってしまうような例があります。

その一方で、海外で生き残っている日本企業は、一見すると日本の会社なのかどうかすら、分かりません。ただ、彼らの仕事や成果物のエッセンスの数%に「日本人としてのルーツ」のようなものが垣間見えます。そして、それはある種普遍的な物事でもあります。

そのような意味では、現代アートの世界も、企業社会と一緒なのではないかと考えています。現代アートの世界で評価されるものは、どの国の人が制作した作品なのか分からないものが多いと思います。例えば、ある作品に神話的な表現が用いられていると気づき、日本の神話を調べていたら、インドネシアの神話と類似する起源がある神話だったのです。結論としては、インドネシアのアーティストの作品だったのですが。

中野:
恐らく、現代アーティストたちは「作品が売れるから神話を使っている」というわけではなく、彼らにとって重要なモチーフ、あるいは物語であったということですよね。

藪本:
まさに。一見すると、現代アートは全世界的で普遍的な見た目をしていますが、実際にコンテンツを突き詰めていくと、非常にローカルなものだと思います。そのローカリティのようなものが、グローバルの世界と繋がるほどの価値を持っているということなのではないでしょうか。

中野:
企業社会、現代アートの他に、観光の魅力もそうだと思います。いわゆる、マーケティング的に押し出したい「日本の魅力」と、我々が発信している「日本のローカルの魅力」は違うんです。後者こそが、いつかグローバルの世界で評価されるものになると、私は信じています。

ローカル本来の魅力とは?

藪本:
グローバルの世界で評価されうる「日本のローカルの魅力」とは、どういったものでしょうか?先ほど仰っていた「マーケティング的に押し出したい日本の魅力」とはどのような違いがあるのかについても、ぜひお話をお聞かせください。

中野:
一番重要なのは「狙って作り出していない」というところです。要は、自分の心の驚き、発見、感動を重視しているのか、それとも「これを発信すればウケが狙えるか」というやましい心があるかどうか?ということだと思いますね。前者のように、自分が本当に感動したものを発信した場合に、人の心を動かすわけです。ジャーナリズムの世界でいうと「真実性」という言葉が当てはまるような気がします。つまりは、ジャーナリズムとしての価値があるかどうか?だと思います。

実は、プロモーションの世界でも、「個人の驚き、発見、感動」といったものの価値の評価が上がってきているんですよ。分かりやすい例でいえば、芸能人の方々が発信する価値よりも、現場で働く無名の人々が発信する価値の方が人を動かすということが増えてきています。実際、某広告代理店とコンペをした際に、彼らはタレントを採用してプレゼンしたのに対し、我々は現場の人々を提案したら勝利したということがありました(笑)

藪本:
なるほど。確かに、徐々にそういった方向へ進んでいるような気はします。本当に少しずつですが。

中野:
ただ、まだ多数派ではないんですよ。我々は企業から依頼を受けて、地域のプロモーションや情報発信も請け負っているのですが、やはり、作られたものが嫌いで「こんなものにお金を払いたくない!」と感じる人がいるんです。それならばと、我々の価値を表現してほしいという人たちに目を向け、作られていない「生の声」を使って情報発信するようになりました。

藪本:
中野さんが実践しているその取り組みは、いわゆるプロモーション、マーケティングと呼ばれる文脈とは別に定義づけできるような気がします。それは、何と名付けるのでしょうか?

中野:
すごく良い質問ですね。我々はそれを「FLAG RELATIONS™」と呼んでいるんですよ。要するに、これはマーケティング的なアプローチではありません。

藪本:
なるほど。まさに、冒頭のお話と繋がりました。

中野:
マーケティングやプロモーションは「ターゲットを定めて、ヒットを狙いに行く」という行為だと思います。でも、我々はそうではなくて、旗を高く掲げるんですよ。我々の行為に対して「良いね」と感じてくれる人たちを集めています。

藪本:
すごく面白い取り組みだと思います。以前「観光は輸出産業なのか?」というテーマで対談をさせていただいたのですが、輸出は「マーケティングして、その国に物を輸送する」ということが固定観念になってしまっているという話が出ました。だから、そういう概念を変えるためにも、新しい言葉を作る必要があるのかもしれません。中野さんが仰った「旗を立てる」という言葉は、すごくしっくりきます。

中野:
私は、世界に旗が何万個、何億個あっていいと思っています。個々人が「君の旗って素敵だね」とか「そっちの旗もいいね」と言い合えるような、そういう世界を作りたいですね。

藪本:
まさに「旗」という表現は、前述したいわゆる(内需型の)グローバルな横軸の世界観ではなく、ローカル的な縦軸の時代が到来するような気がします。むしろ、今までは横軸ばかり考えすぎていて「縦軸の思想」といったものが軽視されていたのではないでしょうか。そのような意味でも、やはり「旗を立てる」という言葉はすごくしっくり来ます。

中野:
我々は旗を垂直に立てていますから、縦横というより三次元的で、そのような意味では、一歩前を歩いているような気もします。意図的に人々を集合させることに力を使うよりも、魅力ある旗に人は自然と集まって来るのではないかと思いますね。だから「人をいかに動員するか?」ではなく「魅力ある価値をいかに発信するか?」ということによって社会を動かす、という考え方が必要なのではないでしょうか。

ここまで議論を進めてきましたが、私としては、すごく思想的な展開を繰り広げられたのではないかと思っております。本日のトークセッション、藪本さんはいかがでしたか?

藪本:
私は、最後の「旗」の話がすごくピンと来ました。「旗を立てる」という表現の中に、ローカリティとグローバリティを同居させることができると思います。これは単なる思いつきですが、地面からが下がローカリティ、地面から上がグローバリティといったように。やっぱり、ローカリティとグローバリティは繋がってるんですよ。

中野:
「個々人が旗を立てる」という形が、マーケティングと違うんです。いかにして「狙いに行くことではない」ということを表現するか?と考えたとき、やはり「旗を立てること」が、私のイメージの中で一番近いかもしれませんね。

藪本:
まさに、神話の構造と一緒だと思います。やはり、天地と繋げるという構造と「旗を立てる」という行為と、何か通底しているものがある気がします。

中野:
日本の神話で面白いのは、色々な村に伝わる神話や神様を統合していくことで、国を作り上げたということだと思います。それはまさに、旗を統合するような考え方なんです。日本には八百万の神様がいて、村ごとに神社があり、これこそが旗を立てているような姿だと思います。日本神話が描くような世界を、未来の社会で作ることができればいいですね。

本日は非常に楽しかったです。また今度、このような機会を設けて議論してみたいですね。思想をどのように展開していったのか?ということを、定期的に公開の場でお互いにぶつけ合うというのも面白いと思います。

藪本:
私も楽しかったです。ご参加いただいた皆様も、長時間ありがとうございました。

中野:
皆様、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。