コラム

なぜ「紀南アートウィーク -ひらく紀南 籠もる牟婁- 」か

    

私は、和歌山県南紀白浜出身であり、約15年前に南紀白浜から飛び出し、カンボジアで事業を始めました。現在、世界各地で法律事務所を展開していますが、ときに喜び・ときに苦しみながら多くの企業の支援をさせて頂いております。その過程で「グローバリティ」と「ローカリティ」とは何か、その関係はどうあるべきだろうか、と悩むことが多くありました。

「全世界で通用する新しい価値を生み出さなければ生き残れない」という強い危機感から、全く異なる場所に楔を打とうと、法律の世界からアートの世界に飛び込んでみました。しかも、カンボジアの現代アートの世界に。カンボジアのアーティストやコレクティヴ、その作品や創作姿勢に見たものは、まさに「ローカリティ=グローバリティ」の体現でした。

これを故郷の熊野古道等に代表される「籠りの文化」と富田港から南紀白浜空港にアップデートされつつある「港の文化」として再構築できるのではないだろうか、世界の周縁に通底する「ローカリティ=グローバリティ」を視覚化した作品群を紀南地域/牟婁郡に集積すると、どのような科学反応が生じるのだろうか、ということを考え始めました。

冒頭の問いに戻ります。紀南アートウィークは、なぜ必要なのでしょうか。

これに対する結論を述べますと、「輸出」が田舎における唯一の生き残りの方法であり、紀南アートウィークを「輸出」のためのきっかけとするためです。アジアの地方での経験を踏まえると、人口が縮小し内需が縮小する地方/田舎は、貧困化するか、巨大内需を抱える国や都市に依存するか、いずれかの選択に迫られることが多くなっています。

もっとも、先程の結論とは矛盾するかもしれませんが、基本的には田舎はそのままでいい、と考えています。ただ、その場所の一部のプレイヤーがグローバル経済の恩恵を受ける必要があり、その恩恵をその場所に循環させる必要があると思っています。これをまさに実践しているのがアジアの田舎で活躍する現代アーティスト達でした。

アジアの田舎で活躍する現代アーティスト達は、まさにローカルでありグローバルでもあります。例えば、カンボジアの現代アーティスト達に目を向けてみましょう。幸か不幸か、現時点でカンボジア国内における現代アートマーケットはゼロと言っても過言ではありません。つまり、その作品は、生まれながら、カンボジアの外、即ち、グローバルな世界で価値を生じさせる必要があるのです。アーティスト達は作品と共に等身大のカンボジアの語り部として、全世界にその価値を輸出しています。

カンボジアの現代アーティスト達の作品は、その場所の歴史文化の徹底的な調査研究の賜物であり、ローカルのエッセンスを徹底的に抽出することに何よりも時間をかけています。その土地の場所性、歴史、文化等を数百年、数千年レベルに渡って掘り起こし、その文脈を踏まえながらその本質を抽出し、それをグローバルな世界でも劣化しない強度を持つ高付加価値商品として、全世界に輸出しています。そして、世界中で得られた原資は、地域のコミュニティ内で循環し、コミュニティが更に維持・発展するというサイクルが生まれています。

カンボジアの現代アーティスト達は、いつも「そのまま」の価値を世界に輸出しているに過ぎません。同じことが紀南地域でも実現できるのではないでしょうか?     

今後、紀南地域のみならず、日本と枠組みにおいても「輸出」の重要性が増していくことは確実です。私は、アジアや世界の法制度や規制に関する業務を行っていますが、そこでも、日本企業の海外進出は限界を迎えつつあると感じます。各国の市場で生き残る日本企業は、もはや圧倒的に現地化することに成功した企業だけになりつつありますが、それには資金と人材が必要です。また、現地化すればするほど、その利益は現地での再投資に活用され、日本には戻ってきません。気付けば、日本は、一次所得収支(いわゆる配当)で成り立っている国に変わっています。そのため、人口減少とともに内需が縮小する日本においては、都市や田舎から全世界への直接輸出を促進し、シンガポールや台湾のように貿易黒字を増やし、その原資を貧困対策や社会保障対策に充てていくことが何よりも重要になると考えています。

そのためには、全世界に輸出できる強度を持つ高付加価値商品/サービスを有すること、そして、それらを輸出する必要がありますが、その先端に位置するのが現代アーティスト達だと思います。紀南アートウィークでは、世界の現代アーティスト達の作品との出会いを通じて「その価値の源泉はなんだろうか」、また、現代アーティスト達の輸出の手法(80億人の内、共感を得られる人達から協力を得る方法)を体感頂く場になればと考えています。

最後に、私は、アートを「他者の心と体を動かす技法」だと定義しています。その意味では、アートは、特権的な天才のような人だけに与えられているわけではありません。ヨーゼフ・ボイスが述べるように「人はみな芸術家」であり、社会を一つの彫刻のように捉えて、誰もがその創造に参加すべきです。アートが持つ広さ、深さ、そして、その自由さを通じて、紀南の人達にも、現代アーティストのように紀南と世界を深く理解し、その場所の価値を全世界に輸出して頂きたいと思っています。時間はかかるかもしれませんが、紀南という“場所”の価値を踏まえると、きっと実現できると確信しています。

紀南アートウィーク実行委員会
実行委員長 藪本 雄登