アートプロジェクト『コモンズ農園』関連ツアー レポート
今春開催されたオンライントーク〈みかんダイアローグ vol.8〉では、建築家・植田 暁氏からイタリアの「テリトーリオ」という概念と、イタリアと北海道におけるその実例をご紹介いただきました。
アートプロジェクト『コモンズ農園』が目指すものを深く掘り下げていくための、ひとつの切り口として学んだ「テリトーリオ」をより身近なものとして感じられるよう、コモンズ農園がある田辺市の上秋津と重ね合わせ、地域のことを深く知るためのツアーと座談会を10月18日に開催いたしました。

まず、前半の「地域を識る — ツアー『田辺のテリトーリオを巡る』」では、上秋津の柑橘農家であり、紀州熊野地域づくり学校の校長でもある原 和男氏に上秋津町をガイドいただきました。

秋津野ガルテン(旧:上秋津小学校)から始まり、千光寺、川上神社を経由して、上秋津地域を縦断するように流れる会津川沿いを2時間ほどかけて散策しました。
原さんの語りを聞きながら歩くと、今はみかん畑になっている場所に大きな池が、新しい家が立ち並ぶ住宅街には田畑が、小高い場所から見える山々には今はなき城が、まるで今もそこにあるように浮かび上がってきました。

千光寺の周辺では、鎌倉時代から愛洲氏を中心に玉井氏、野村氏、杉若氏など、多くの武家がこの地域を守り、時には激しく対立もしていたそうです。
また、「杉若」という姓は、現在は全国で600名程しかいないと言われており、その内の2分の1が和歌山県田辺市上秋津町が由来とされています。
原さん自身も、北陸地方で暮らしている「杉若氏」のルーツを辿ったところ、実際に和歌山に辿り着いたということもあったそうで、遠く離れた地にも縁の繋がりを感じたそうです。

川上神社に祀られている女神は、男の血を見ることが好きだったそうです。
そのため、原さんの若かりし頃は、祭りでは喧嘩が行われることが奉納の一部だったとか。
現在では、獅子舞を中心に奉納儀式が行われるようになり、祭りのかたちも時代と共に変化しました。


また、村と村の境目にはお地蔵さんが何箇所も祀られていました。
これらは、江戸時代に疫病が蔓延し、多くのいのちをなくしたことがきっかけでした。
今もなお、村の人々から供養され、村をお守りいただくよう祈願されています。

80年近くこの地域で過ごしてきた原さんだからこそ見える景色や文化が確かに存在しており、「見えないものに目を凝らす」行為が、いま目の前に存在するものの奥深さを物語ります。
この地域で暮らしてきた人々の営みを紡ぐことで、現代に生きる私たちも歴史の一部に移ろいゆく存在であることを改めて感じる機会となりました。このような体験は、地域の価値を継承する姿勢や土地との関わり方に大きく影響を及ぼします。
これらの物語が語り継がれなくなることは、土地が失われるということではないでしょうか。
そのとき、そこに宿ってきた精神性もまた静かに消えゆくのでしょう。
地域を知ろうとすることは、すなわち土地を守るということなのかもしれません。
後半の「地域を識る — 座談会『田辺の文化的景観』」では、植田 暁氏から建築家としての文化的景観、問山 美海氏からは移住者として上秋津町で働く上での地域社会との接続性、岩佐 郁氏からは幼少期から過ごしてきた上秋津に対する思い入れや変化についてお話きしました。
当日の対話をアーカイブとして残しておりますので、詳細は、次の投稿にてご一読ください。


