コラム

< I > – 流れていくもの –

河野愛 / 堀井ヒロツグ 展覧会 「< I > opportunity」について、紀南アートウィーク藪本雄登のコンセプト・ノートと解説を公開します。


南紀白浜は、自然に恵まれ、魅力的な資源を多く有する観光地だ。白砂のビーチでは、熱帯魚と一緒に泳ぐことも可能で、沖合いに流れる黒潮の影響により、一年を通じ温暖な気候で知られている。また、万葉の時代から湯治場として知られており、多くの温泉宿や日帰り入浴施設が点在するヒトが集まる場所だ。

南紀白浜の古賀浦(こがうら)と呼ばれる外海と内海を繋ぐ穏やかな入り江には、かつて白浜温泉の老舗「ホテル古賀の井」が存在していた。アーティスト・河野愛の祖父は、そのホテルの創業者であり、彼女は幼少期より古賀浦で夏を過ごしていた。かつてホテルの屋上で輝いていたネオン看板の< I >は、彼女の個人史を巡る作品でもありながら、古賀浦に流れる時間・記憶を巡る作品でもある。

– 霊は動き流れる、それは波のように –

ただ、そのホテルはもう存在しない。そう、南紀白浜は、変わりゆく町なのだ。魅力的な観光地は、巨大内需を有する都市の影響を常に免れない。水平的ともいえる人間や貨幣の流れは、ときに、それを受け入れる土地の人々、名前、性質、資本、そして、目に見えない霊的な存在さえも変化させ続ける。穏やかにみえる南紀白浜の入り江は、実は、よくみると流れの早い激流だったのだ。

– 南紀白浜の人々の変わらぬ記憶を呼び起こす –

電車なき時代、海路から昭和天皇が降り立った桟橋から満月が見える。南紀白浜のルーツや変わらぬ記憶は、水の中に隠されているのではないか。「死の神」「水の神」の異名を持つスサノオを祀る聖地である紀南において、私は、満月の夜に、水の中から霊が現れるような直感を持ち続けている。< I >は、彼らの道標ではなかったか。彼らは、< I >に集い、水面から満月を見上げる。水面と天を繋げる視点の動き、水面と天の境界を消滅させる思考、つまり、垂直的かつ神話的な視点や思考が、流れゆく南紀白浜を考える上で重要ではないだろうか。

– 南紀白浜は、どのような場所であるのか –

< I >は、きっと記憶の道標としての墓石であり、現在、そして、未来を照らす道標としての灯台のような存在ではないだろうか。その道標を起点に、今を生きる人々や霊の記憶や未来が、穏やかに、かつ、激しく波のように入り混じりながら、南紀白浜の新しい物語を紡いでいく。

撮影:下田学
撮影:下田学

「< I > – 流れていくもの – 」解説

藪本 雄登

1 南紀白浜という場所 - 入り江と貨幣 –

久しぶりに南紀白浜に帰ってきて、客観的に感じたことがあります。それは、南紀白浜は、カンボジア王国の海の街・シアヌークビルに似ている、ということでした。海の景観等の自然環境、人々の特徴等が文化的に類似しているとか、そういうわけではなく、産業構造が似ていると思ったからです。観光の街は、特定地域の内需、人の移動や大資本に依存しやすい傾向があります。白浜でいうと大阪や東京、シアヌークビルでいうと中国との関係に構造上、類似していると感じました。かつて南紀白浜温泉の老舗「ホテル古賀の井」は、別のブランドに変化し、また昔滞在したシアヌークビルの小さなホテルは跡形もなくなっています。変化していくことは、悪いことではなく、むしろ奨励されるべきことと思いますが、感傷的な気分に少し浸りたくなるのも事実です。

この巨大内需と地域の紐付きは、一般的に域外/外国投資家、地域の有力者、政治/行政との間で、ある種特権のようなものを生み出します。これはビジネスとしては、短中期的には正しいと思いますし、私も経済人として、このようなモデルの強度を体感することが多くあります。この構造は、白浜やシアヌークビル等の場所を問わず、世界各地で同時で起こっているものです。

この点、シアヌークビルは、穏やかなビーチリゾートのように見えて、劇的に変わりゆく中国資本主義の最先鋭の土地でもあります。南紀白浜の入り江は、外から見ると穏やかそうではありますが、内側に入ると様相が異なって見えます。入り江近くの養殖事業者に話を聞くと「穏やか!?そんなことはない」と一蹴されてしまう通り、もしかすると、シアヌークビルも南紀白浜も、波と貨幣が荒々しく行き交う場所なのかもしれません。

その流れる貨幣や資本は、無形の有体物として、まさに海流のように高速かつ境界なく流れ続けます。そして、資本は入れ替わり、立ち替わり、その土地を左右に揺り動かします。貨幣という可視化できる世界の「横的」「水平的」な動きに、私達は、際限なく揺り動かされ続けていいのでしょうか。

2「縦」と「無」の世界 - 霊は、波のように流れ続ける –

国境や境界を跨いだ水平的な目まぐるしい流れは、ある種の経済合理性に担保されているのでしょう。ただ、揺り動かされた土地や場所は、元の場所を見失ってしまう可能性があります。揺り動かされる私達は、再帰できるよう「垂直的な」杭を打つべきなのではないでしょうか。天に向けて旗を立てるような動き、根を張り、木を育てるような視点、横軸から縦軸に動く思考の重要性を伝えたい、それがこの展示の意図です。

そして、もう一つは、貨幣という「有」の世界を別の視点で捉え直すために、「無」の概念を再度見直すことです。「存在しないもの(無くなったもの)」「不可視のもの(目に見えないもの)」としての「霊」、そして、「霊」が僅かに保持している「小さな記憶」について思考を巡らせることが、貨幣社会の呪縛から逃れながら、「南紀白浜が南紀白浜であるため」に重要なことではないでしょうか。 

これを考える上で、< I >は、極めて重要な機能を果たします。アーティストの河野愛さんによれば、< I >は、過去の記憶を蘇らせる墓石、現在や未来を照らす灯台としての意図があります。そして、私が< I >を鑑賞したときの直感は、< I >は、流れ続ける霊やその記憶を受け入れるための「仮面の亡骸」であり、「白浜の新しい神話」を生み出すための媒介(メディア)になるのではないか、ということでした。

神話上、紀南/熊野地域は、スサノオが眠る場所であります。スサノオは、「破壊」、そして、「海」、「水」や「死」を司る神様です。私は、幼いときから、スサノオをはじめとした霊的な存在が、ヒトが立ち入れない水底を循環するイメージを抱き続けています。紀南アートウィークは冬至に向かう11月末に開催されましたが、冬至が近くなるにつれて、昼夜のバランスが崩れるとともに、霊が水面や地表に現れ始めるのです(例えば、お盆やお正月は、現れた霊のための行事です。)。< I >が映し出される映像作品 < I > opportunity をみると、そのような直感を得られるのではないでしょうか。

また、映像では、かつて海路から天皇が降り立った南紀白浜の象徴である桟橋と共に、満月が一緒に投射されています。霊たちは、「生と再生」を司るものに惹かれるのだと思います。神話世界では、その象徴として「月」が重要視されています。月は、満潮等との関係性から、あらゆる水を司る天体として扱われており、また、その運行周期の同一性から「女性」や「子宮」の象徴として考えられてきました。他方、その月に水(精液)をもたらすのが、蛇や竜(男根の象徴)になります。紀南でいえば、細長い熊野古道は、実は、天地を繋ぐ蛇のような存在として、信仰されて来た系譜があるように感じています。

この文脈の上で、その呼び水となり、道標になるのが、細長い物体である< I >なのではないでしょうか。そして、映像が示す水と月の連動性は、不可視でありながら、不可視ではない、水底の小さな記憶が、月に向けて、垂直的に積み上がる動的な流動性を直感するのは、果たして私だけなのでしょうか。

撮影:下田学
撮影:下田学

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