ダイアローグ

Vol.4 『超芸術化する世界 – 青森県立美術館での取り組みから – 』動画&テキストアーカイブ

2022年8月26日に開催したオンラインのトークセッション『みかんダイアローグ vol.4』の動画アーカイブです。

<開催日時>
8月26日(金)19:00〜21:00頃まで
参加方法:オンライン
参加費:無料

主催:紀南アートウィーク

<ゲストスピーカー:奥脇 嵩大氏>

1986年生まれ、埼玉県出身。青森県立美術館学芸員。京都芸術センター・アートコーディネーターや大原美術館学芸員を経て2014年から現職。ミュージアムの諸活動やキュレーションの実践を手がかりに、形と命の相互扶助の場をつくることに関心をもつ。主な企画に「光の洞窟」(2014-15, KYOTO ART Hostel kumagusuku)、「青森EARTH2016 根と路」、「アグロス・アートプロジェクト2017-18:明日の収穫」「青森EARTH2019:いのち耕す場所-農業がひらくアートの未来」(すべて青森県立美術館)等。日々の対話にPUMPQUAKESとの「56億7千万年後のミュージアム」(https://www.liekoshiga.com/program/1052/)。現在、青森県立美術館にてプロジェクト「美術館堆肥化計画」を進行中。

<聞き手:「紀南アートウィーク」実行委員長 藪本雄登>

1988年生まれ、和歌山県紀南地域出身。十数年に渡り、カンボジア、ラオス等に居住し、各地のアートコレクティブ等への助成や展示会の支援を行っている。現在、アジア地域の神話、伝説、寓話や民俗等に関心を持ち、秋田公立美術大学 博士課程にて、人類学、民俗学と現代アートについて研究を行っている。主な展覧会として、「紀南アートウィーク2021」、「水の越境者(ゾーミ)たち-メコン地域の現代アート-」展(大阪)、「アナルコ・アニミズム -まつろわぬ生命-」展(宮城、本年8月20日〜)等がある。

<聞き手:「紀南アートウィーク」事務局長 下田 学>

1980年生まれ、兵庫県西宮市出身。4年前に和歌山県紀南地域に移住し、地域の多様なヒト・モノ・コトを繋ぎながら様々なプロジェクトを行っている。紀南アートウィークでは事務局長として、企画から運営までの全般に携わり舞台裏を支えている。


みかんダイアローグ Vol.4
『超芸術化する世界 – 青森県立美術館での取り組みから – 』

目次

1. はじめに
2.青森県立美術館 奥脇嵩大さん自己紹介
3.ミュージアム化する世界で
4.脱成長とミュージアム
5.再魔術化に抗う
6.アグロス・アートプロジェクト2017-18:明日の収穫
7.青森EARTH2019:いのち耕す場所
8.アンチミュージアムと「原っぱ」
9.美術館堆肥化計画
10.ジェネラル・ミュージアム
11.トークセッション「芸術化する世界とは」

1. はじめに

下田:
こんばんは。金曜日のお忙しい時間にご参加いただきましてありがとうございます。ただいまより、紀南アートウィーク2022みかんコレクティブ みかんダイアローグVol.4を開始したいと思います。

みかんダイアローグはこれまでに3回開催してきました。専門家の方、いろんな実践をされている方、また、アートの専門家に限らず、農家の方々にもたくさんご参加いただき、「みかんコレクティブ」を進めています。 

今年は、みかんをテーマにした展覧会ということで、みかんのこと、みかんと関係のないこと、芸術とみかんの関係など、様々な事を話してきました。

第4回となる今回も、とても面白い素敵なゲストをお呼びしております。

タイトルにもありますように、「超芸術化する世界、青森県美術館での取り組みから」ということで、青森県立美術館(*)の学芸員キュレーターであります、奥脇嵩大(おくわき・たかひろ )さんにゲストで登場いただきたいと思います。それでは早速奥脇さんよろしくお願いします。

*青森県立美術館サイトより

奥脇さん:
こんにちは。よろしくお願いします。

下田:
よろしくお願いします。後ろがすごいですね。

奥脇さん:
これは、美術館のワークルームというか、ま、物置です。笑

下田:
奥脇さんの脳みそがそこにいっぱいあるという感じですか?

奥脇さん:
僕のというより、学芸員みんなの集合知というか、ガラクタというか、そういうものです。ミュージアムのバックヤードというのはどこも大体こういう感じです、多分。

下田:
結構整理されてるように見えますけど、いい感じに。

奥脇さん:
ありがとうございます。

下田:
奥脇さんは、学芸員キュレーターということでいろいろな企画をされています。今回みかんコレクティブのプロジェクトを行う上で、柑橘や農業をテーマに色々とリサーチをしてきました。その中で、青森やばいぞ、青森すごいぞ、面白いなぁ!と感じているところです。

もうタイトルからしてね面白いですよね。

すごいシンパシーを感じていて、良い先行事例があるなということを感じています。今回お話などをお聞きして、我々としてもそこからさらにまた発酵させていくというか、何かできたらいいなと思い、このような場を設けさせていただきました。

下田:
我々は本州最南端で、奥脇さんがいらっしゃるのは本州最北端ですよね。何か南の端っこと北の端っこが繋がって、面白いことやってやろうぜみたいなね、そういうことができたらなと勝手に妄想しております。

奥脇さん:
なんか最北端争い、最南端争いみたいなのありませんか?青森は2つの半島、津軽半島と下北半島があって、どちらが北端かの争いがあったり。笑

複数の藩が集まって成立する、という歴史的な経緯も影響しているのか、青森では物事や概念が一つに集約されないというか。そのものを目指していても、それぞれの土地によってすぐばらけるという感じがあるのが面白いですよね。地域性をすぐに主張し始める。何かそのあたりのことが、これから話すことと関わってくるかもしれないです。

下田:
私事ですが、若かりし頃、青春18切符でずっと青森を旅したことがあります。雄大な自然、そして日本海。同じ海と言っても、今僕のいる和歌山県とは全然景色が違いますね。特に北の方は、その気候によってもたらされることなんかも違いますが、もしかしたら、その違いの中に共通点があるかもしれないですね。そんな事も比較しながらお話できたらと思っております。

早速、奥脇さんにバトンタッチしてお話をお伺いします。よろしくお願いします。

2. 青森県立美術館 奥脇嵩大さん自己紹介

奥脇さん:
はい、こちらこそよろしくお願いします。それでは、スライドを共有する形で話を進めさせていただきます。今日は、「超芸術化する世界、青森県立美術館での取り組みから」ということでお話させていただきます。

簡単に自己紹介します。自己紹介がなぜこんな写真なんだという感じですけれど、一応この写真の説明からしますね。

トーク事前の告知で、何か写真をと言われて「こういうのないですか?」ということで、以前ツイッターにあげたこの写真を紀南アートウィークさんが持ってきてくれました。

これは、幕末明治の時代、青森県弘前市出身の政治家で探検家だった笹森儀助(*)さんという方の格好をマネして撮った写真なんです。

*笹森儀助 (1845-1915)
青森県生まれの探検家、経世家。著書:『千島探験』(1893)、『南島探験』(1894)など
参考:コトバンク

2016年にこの笹森儀助さんの、当時日本の「辺境」と呼ばれる場所にまつわる探検仕事の意義をキュレーションのヒントにしつつ、現代アート作品に縄文時代のものとかを組み合わせた「根と路」という展覧会をやりました。その時の広報画像です。

とにかく笹森儀助に扮装した僕という写真です。

儀助さんがなぜこんな恰好をしているかと言いますと、彼は明治政府のお金で沖縄とか八重山とか南西諸島の方に視察に行ってるんですね。当時としては珍しくいろんなところに視察に行って、その土地の暮らしの様子などを調査し、後年は沖縄の島司になられたという面白い人です。

儀助さんは南西諸島の前に北方にも行っています。千島列島の調査もして、ちょうどそのころ日本はいわゆる北方領土にどんどん手を伸ばしていった。

当時千島列島に住んでいた先住民の人たちを、千島列島から色丹島に移住させて保護する政策をしています。政府のお金で視察に行っているので「政府はなんて素晴らしいことしているんだ」みたいなことを言うかと思いきや、「政府のやっていることは間違っている」というような事をこの人が言うわけです。すごいですよね。

何で間違っているかというと、「無理やり移住させられているので、慣れない土地に困窮し、みな苦しんでいる」「いやしくも天皇陛下の赤子(せきし/人民、臣民の意)でもある先住民の人たちを、無下に扱うのは良くない」というようなことで公然と政府を批判するんです。

システムの内部においてそのシステムのことを批判する、分解しながら別の構造に作り替えていくということを笹森さんがやられているんです。もちろんそんなに意識していないと思うんですが、何かそのスタンスがすごくいいなと思ってるんです。

この写真を久々に発掘できてよかったです。前置きが長いですね(笑)

私は京都の京都芸術センター(*)でコーディネーター、大原美術館(*)で学芸員を経て、2014年8年前からここ青森にいます。元々、民俗学とか考古学とか、歴史系のことを大学のときに勉強していまして、アートよりはそちらの方が得意です。

*京都芸術センター : 京都府京都市
*大原美術館 :公益財団法人 大原美術館  岡山県倉敷市

ですからアートワークでも、その周辺領域とのコラボレーションということに関心を持っていて、いろんな企画をやってきました。大づかみに言えば「形と命の相互扶助、助け合いの場を作る」みたいなところです。

形を作るのは、いろんな要素を繋ぎ合わせて統合させて1つにすることです。それに反して命とは、それを分散させていくような動きがあるんじゃないかと思っています。

統合していくやり方とそれが分散していくやり方、アンビバレンス(*)の動きの中で別の価値とか別の形を見つけていくことを大事にしたいなと思います。

*アンビバレンス : ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すこと
参照 Wikipedia

3. ミュージアム化する世界で

2週間ぐらい前、青森ですごい大雨が降ったんです。美術館の周りも一時雨が浸水してしまいまして、館内までは流れ込まなかったんですけれど、お客さんが立ち入れないような状況になりました。

「自然の前には人間が作った構造なんて歯が立たない」「ミュージアムのこのままの構造を維持するのはこれからすごい大変だ」という、今自分たちがどういう状況に置かれているのかということを、ミュージアムの構造の中で考えていました。

そこで1つ思い当たることが「世界は一つのミュージアム構造を呈している」ということです。もう既に内面化というと大げさですけれど、僕らは1つの薄い壁みたいなものを、自分自身に備えつけているという感覚があります。白くて薄いマスクを自分の鼻と口に当てて時々フェイスシールドをして、自分の周りに壁がある状況というのをほぼ内面化しているという感じがありますよね。

実際に、特にあの大震災ですね。東北沖の津波があってから、東北地方の沿岸部においては、防潮堤という巨大なコンクリートの壁がどんどん建ってるわけじゃないですか。

僕らの顔を覆っているこのマスクという白くて薄い壁と、東北地方の沿岸部を覆っている防潮堤を考え合わせると、もう何か世界というか日本は1つの壁で、ミュージアム構造のようなものを空間として持っているんじゃないかという認識を持っているんです。

ミュージアム化する今日の世界、日本においてミュージアムにまつわる実践が、そのまま世界の内側から現実を変える直接的な手段になるのではと考えています。

要は壁があって空間が構造化されている。その構造の中で、いろんな物や人との適切な距離を考えるというのが、ミュージアムにおける展示行為というところがあります。

そういう展示行為が、そのまま世界の内側から現実を変える直接的な手段になればと考えています。

それをどのような思想の元にアウトプットしたり表現したりすれば良いかというところは正直まだ模索中のところはありますが…そうした「なま」な状態にあって試行錯誤している感じを汲み取って聞いていただけますとありがたく思います。

4. 脱成長とミュージアム

ともあれいま非常に悶々としているわけですが、そうした中でセルジュ・ラトゥーシュ(*)の脱成長論という本に行き当たりました。

*セルジュ・ラトゥーシュ (Serge Latouche):フランスの経済哲学者、思想家
参照 コトバンク

1960年代70年代の頃から経済学者として活躍されていて、脱成長論を世に本格的に出したのは2002年のユネスコ本部で開催された国際会議、「開発の解体・世界の再生」という会議でした。

持続可能な開発、今SDGs(*)と叫ばれていますけれど、このSDGs持続可能な開発みたいなものをスローガンのような形で脱成長と言われています。

*SDGs:2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標。
参照:外務省 HP

ラトゥーシュの本を翻訳していらっしゃる中野先生の言葉に集約されると思いますので、ちょっと読んでみますね。

「脱成長社会においては、消費社会への依存を減らすことで、万人が自律的かつ協働的に生活できる社会のあり方を示していく。さらに節度ある豊かな社会の基盤として、自己制御の倫理、コモンズの再構築、自立共生的な道具によるローカル経済の再創造、有機農業や再生可能エネルギーによる地域循環型経済の構築が提案されている」

すごいな、脱成長社会到来というのはもう喫緊の課題だし、世界はもう遠からずこうなるべきだと考えていて、すごい、もう一生ついて行きますみたいな感じ。

ラトゥーシュはさらに、「脱成長においては、芸術の役割が重視されるているが、これは、今後多くの研究者やアーティスト自身の手によってさらなる発展が期待されるテーマである。」とも言っています。

これを自身のテーマとして受け取って考えてみた時に、脱成長社会っていうものの到来に向けて社会をシフトさせていく中で、ミュージアムに何ができるかを考える。

ただここで、ラトゥーシュ先生がおっしゃっていることに「これはどうかな」と疑問に思うことも同時にありました。

最後はアーティストに期待したいということと同時に、そこで「再魔術化」というんですね。ここでの「再魔術化」には脱成長への期待が込められていると思います。ラトゥーシュ自体が脱成長社会ということの中で、生態系の再生産に見合う物質的生活水準に戻れと言っていて、それを再魔術化という言葉でもう1回パッケージし直し、最後のまとめに入っていくんです。

この再魔術化とは、それより前の「脱魔術化」を下敷きとして言っている。「脱魔術化」と言っているのはマックス・ウェーバー(*)という学者です。主知化して合理化しているという、要は、「合理化した知識に焦点を合わせて思考したり行動しないといけない、それが魔法からの世界解放で脱魔術化である」と言っているんですね。

*マックスウェーバー (1864-1920) :ドイツの社会学者、政治学者、経済史・経済学者(新歴史学派)
参考 Wikipedia

ここで思うのが脱魔術化も再魔術化も、実は同じ穴のムジナなんじゃない?ということ。

主知化する、自分自身が考えるところにおいて世界を立ち上げるということと、スピリチュアリティは完全に世俗的なものでありうるというような、この世界を手触るということの意味においては、それぞれそんなに違いはないのではないかと思っています。

どちらも何か意味のあることを言っているように思えない。再魔術化と脱魔術化の間で何かオルタナティブ(*)をちゃんと突き詰め実践していかないといけないのではないか、と考えるわけです。結局のところ、それを受け取って何をするかは、自分自身の行動の中で考え直さないといけないと思いました。

*オルタナティブ alternative : 英語の「二者択一」という意味から転じ、現在あるもののかわりに選び得る新しい選択肢、代替案のこと。
参考 コトバンク

ラトゥーシュもそのことに気づいています。

「脱成長プロジェクトはオルタナティブそのものではなく、解決手段とかその様式そのものでもなく、グローバル化した資本主義に取って代わる様々なオルタナティブの母胎である。」

言葉自体に意味があるわけではない。それどころか再魔術化という言葉が覆い隠してしまうもの、ブラックボックス化してしまうところの様々な営みに意義を見定め、向きあうための取っかかりとして脱成長を引き受けた方がいいのだろうと、この一文を読んで理解するわけです。脱魔術化も再魔術化もいらない。そして、脱成長社会にシフトするための思考の枠組みとして必要なのは、現実をその壁の内部から解体して再生させるためのアートと、それらのアートを息づかせるためのオルタナティブな母胎としての超芸術化する世界なのではないかと思うんですね。

5. 再魔術化に抗う

うん、「再魔術化」には、特に地方に住んでいると、のれないなという感覚がある。結局、魔術化とは再自然化ということだと思うんですね。再自然化させたら、地方に住む僕らはみんな死んでしまうと思ってしまいます。青森だけじゃなく秋田なんかもそうですが冬は雪すごいんです。このような状況で魔術化させたら、僕らはすぐ死ぬというリアルがありますよね。

そして、近年、先ほど美術館の大雨の事例もありましたけれど、自然との勝負に負けっぱなしみたいなところがあります。再魔術化させよう再自然化させようなどということをあまり気軽に言いたくないと思っています。

それよりむしろ、青森県立美術館もそうですが、弘前れんが倉庫美術館とか、八戸市美術館、十和田市現代美術館、国際芸術センター青森など、それぞれがローカルな特徴を備えた美術館がたくさんあります。

美術館が日常としてあり、超人間化されている超芸術化されているこの地方空間において、再魔術化とか脱魔術化ではない状況で、この脱成長を引き受けるようなことを考える方が、よほどリアルだし建設的だと思っています。

まとめると、再魔術化という言葉が誘惑する営みのブラックボックス化に耐えて、脱魔術化と再魔術化の間で、脱成長をどうにかローカライズすること、弁証法的超芸術的実践というのが必要であろうということです。

そんなオルタナティブの母胎としてミュージアムの活動を再編成して考え直した方がいいのではないかとここで提案したいと思います。

そうして超芸術化する世界というものについて近づくべく、美術館での担当事業をやってきたわけです。超芸術化する世界の中で、ミュージアムを様々な知恵や技術を再構築する場所として読みかえたい、というのが僕の意図するところですね。

今日は、そこに関係しそうな青森県立美術館での担当事業をいくつか取り上げて紹介しながら話をしていきます。

6. アグロス・アートプロジェクト2017-18:明日の収穫

2017〜18年に開催した「アグロス・アートプロジェクト」という美術館でのプロジェクトを紹介します

アグロス・アートプロジェクトには米作りをしながら作品を作るという構造があります。農業と芸術っていうのは同じようで違う。農耕のような個人で引き受けられるようなレベルであれば個人の創作行為と近いものがあるように見えますが、社会の基盤としての農業を考えると芸術自体ははそんな感じではなさそうに見える。つながりそうでつながらない農業と芸術の「きわ」に立ち、そこからのオルタナティブな術(アート)を探るための取り組みを展開しました。

県立美術館で米作りを行って、そこで得られた素材をもとに作品制作を行うプロジェクトです。2017年度にその米作りを経験して素材を集めるのが「種まき編」、2018年度にそれに基づいて作品を作って発表するのが「刈り入れ編」です。

2017年というのは、集団制作の意義が見直されるような時期でした。日本における集団制作とは何だろうと考えたときに出てきたのが「米作り」だったんです。

それで米作りとは制作でもあると同時に、僕らの社会構造を起点にしている部分があるなと。だから、米作りをしながら作品を作り直すっていうことをやったら、別の社会構造とか、別の作品の構造とかが実は意外と見えてくるんじゃないかという予感に導かれながら、色んな人に関わってもらって、作品作りしながら米作りやるというところがアグロス・アートプロジェクトです。

共同制作部分には、画家の大小島真木(おおこじままき)(*)さんという方に関わっていただいて実際に米を作る。農業を美術館の中でどう作るかという場所の設計の部分は、秋田で画家をされていて、原木椎茸の農家さんでもあるという齋藤瑠璃子(*)さんに入っていただきました。

そこに県内外から集まったプロジェクトの参加者達とで進行させていきました。

こんな感じで美術館の中で米作りがスタートしたわけです。

この稲を植えている箱は木製のリンゴ箱を利用しています。下から排水ができるように改造し、土を入れて苗を植え、稲が生育できる環境にしています。成長をみんなで見守ったり育てたりしながら素材を得るということです。その傍ら、どういう作品を作ろうかみたいなことを皆で話しながら、米作りのことを勉強し、そこに集まる動物や虫のことを調べながら作品に向けて切磋琢磨していったんです。

*大小島真木:1987年東京都生まれ。2009年女子美術大学絵画学科洋画専攻卒業、11年に同大学大学院修士課程を修了。

「生きとし生けるものたちの世界」をテーマに絵画や壁画の制作を行い、複雑に絡み合う自然界の姿や、生命が無限に連鎖するさまを、壁、床、天井を使って縦横無尽に描く。

参考 : 美術手帖  https://bijutsutecho.com/artists/924
*齋藤瑠璃子:1984年 秋田県仙北生まれ。2009年 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業

秋になって米が収穫し、米をすりつぶした粉を白い絵の具のようにして作品をつくることになりました。絵を書くのがなかなか難しい人たちは、米作りの場所に集まってきた動物たちや、米作りに関係するモチーフを刺繍するなどしていました。そういったものを組み合わせることで作品作りが展開されていきました。

ただ、米を画材にするみたいなところに難しい部分があって、結局、さあ米作りました、収穫しました、どう作品作りましょうかという一番大事な会議の時に、「あんまり作品とか作ってはいけないのではないか」という意見がでました。「食べ物で遊ぶのはまずくないですか」ということですね。

そこから、2ヶ月ぐらいいろいろ議論をしながらどう制作に近づけられるかということを模索し、最終的には「作品を美術館で展示するという思考は捨てましょう」ということになり、作品を作ることに落ち着きました。美術館でお客さんに見てもらう楽しんでもらうという意識とは違うところでやった方がいいんじゃないかという考えです。要は、神社に秋の収穫を奉納しお祈りするような意識で作るという感じにシフトさせた方がいいのではないかということですね。

収穫に感謝を込めてこの作品を1つの形にするということで、意思を統一しました。ようやく、絵を書いたり刺繍を組み上げたりするということが動き出して、作品になっていったんです。

その一連の流れを今から思うと、システムを否定した中で成立する作品のあり方があるんだということを感じますね。作品を収集して展示して保存するという通り一辺倒な美術館のあり方からはこぼれ落ちてしまうような、作品に対して込められた祈りの気持ちや、その作品からこぼれ落ちていく日常的な感覚。それらを編み合わせて作っていく作品の中からでしか見えないミュージアム的な空間の構造というのが実はあるのではないかと、その時に発見しました。

ミュージアムとは別の空間構造を既存のミュージアムの中になじませながら、ミュージアムでも、反ミュージアムでもない別のオルタナティブな構造を発見していくことをやった方がいいとこの時に感じたんです。

これが出来た作品です。米作りという自然のサイクルの中で、そこに関わっていく人間とか動物とか、そして、米を作るときに欠かせない土や水が公害にさらされる公害問題。絶えず汚されていく土や水も巻き込みながら、できてくる広い円環の繋がりの中で、人間も動物もその自然自体も変容していく要素があるだろうということがこの画面の中に描かれています。

そういった変化を本質として許容拒絶するミュージアムというところに置けたことが、非常に良かったなと思っています。

画像には見えてないんですけれど、こちらの床のテーブルの方には、子どもたちが描いた、開発されていく森、そして森の中から追われていく動物たちの版画作品があります。壁には、ケーテ・コルヴィッツ(*)という労働問題を版画のモチーフにしたドイツの版画家の作品もあり、ミュージアムの中にこの構造を入れ込んで育てていくということを今現在もやっています。

ケーテ・コルヴィッツ :ケーテ・シュミット・コルヴィッツ (ドイツ語: Käthe Schmidt Kollwitz) 1867-1945   ドイツの版画家、彫刻家
参考 : Wikipedia

7. 青森EARTH2019:いのち耕す場所

こうしたオルタナティブな場所を探ろうという意識の芽生えから作ったのが「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ー農業がひらくアートの未来」という展覧会です。

青森の新しいアートのあり方を探求する企画シリーズの一つとして行いました。

ここでは農業仕事の道具や農業思想、近現代のアート作品の数々を紹介しました。作品形式として農業を受け取り、土地と精神を耕すみたいなことを追求しながら構成しています。具体的には土地の所有、集団制作、エコロジカルな実践としての農作業をとる制作、そういうキーワードを散りばめながら展示を構成しました。人間社会を構築してきた農業を手がかりに、近現代社会の自己との引き裂かれみたいなことを元にしています。引き裂かれを元に制度全体を発揮する実践の場としての「いのち耕す場所」です。

そういう実践の場として美術館をアップデートさせることを狙いとしました。色んな作家や思想家、あるいは、ミレーなども含めて転載してもらいました。

今回の話に絡めたところでいえば…安藤昌益(あんどうしょうえき)(*)という青森八戸の農政思想家の「自然の世の論」にもあるように、人間と自然が結び合うこれも1つの脱成長社会だと思うんです。次に紹介するのは、自然の世のあり方を訴えたものです。

天と地で上下構造ができるのはおかしい。物事というのは、移り変わって変化していくことを旨とするから、上下構造自体がそもそもおかしい。だから俺にとっての天地は、転がるに定めるという文字を書いて転定(てんち)なんだと言っています。

「転定に夏、万物の育ち盛んになれば、これとともに芸耨り(くさぎり) の穀、長大ならしむ」

芸耨りという文字が重要で、「芸耨る」というのは、植物の生育のために雑草を刈り取るというような意味です。この何かを殺して何かを生かすというのは、芸術と農業の中には同じく含まれていると感じています。殺すと生かすという、全然別の引き裂かれの中から、手段や術、思考を探す方がいいのだろうと思います。

別の何かを求めるときには、農業と芸術をひと繋がりに見せる場を作って、その中からオルタナティブということを考えるのがいいと、安藤昌益のこの一節から考えました。

同じ農業でも、有機農業の場と、農薬を散布して科学的に工業的にやっていく農業の場が同時にあり得ます。だから、どちらかと言うより、人間の性としてのアンビバレンスの部分は農業の中にも埋め込まれているし、アンビバレンスの部分を両方見つつ、そこからのオルタナティブを探るのがいいと思っています。

*安藤昌益 1703-1762   江戸時代中期の医師・思想家・哲学家・革命家。参考 Wikipedia

ひとつながりの場を作るというのは、ラトゥーシュ的に言えば、「支配的な想念からの脱出を試みるためには、何よりもまず、どのようにしてそこに入ってしまったのか、つまりは世界の商品化に付随する精神の経済化の過程を検証する必要がある」と、とても難しく言うとそういうところに繋がっていくんだと思います。そこから、オルタナティブの舞台としての「いのち耕す場所」があるということです。

オルタナティブな知恵や技術を考えたときに、参考になると思った作家の作品、より直接的にリンゴにフューチャーした作品を1個だけ紹介して、次に行こうと思います。

雨宮庸介(*)さんという現代アーティストです。その方に、リンゴをモチーフにした作品を作ってもらいました。リンゴ普遍性2019というタイトルです。

*雨宮庸介(あめみやようすけ): 1975年 茨城県生まれ 多摩美術大学美術学部油画専攻卒業。彫刻、ドローイング、ビデオインスタレーション、パフォーマンスなどを制作。
参考 Wikipedia

雨宮庸介 《りんご 普遍性 2019 》青森県 立美術館 での展示風景より

展示室のガラスケースの中に収められたリンゴの形をした彫刻です。リンゴの木材を支持体として、油彩のメディウムを元に非常に精緻に制作されています。そうしてできたハイパーリアルなリンゴの彫刻が1個、ポンとガラスケースの中に置かれています。右側にはちょっと丸く穴が空いていて、この穴からは展示室のバックヤードを覗き見ることができます。

バックヤードにはリンゴ農業や、あるいは美術館の日常を支える様々な道具が詰め込まれています。バックヤードにはAI技術を用いてインターネット上から抽出したリンゴの色と形が像を結ぼうとしている映像が仕込まれたりもしています。

この作品に取り組む際、雨宮さんは青森のローカルなリンゴ農業の現場をたくさん取材してくださったんですね。その中で、リンゴが太陽からの光をどんな角度で浴びたらこういう色になるのか、それをどのように地上からも当てていくか、リンゴがまん丸の真っ赤なものになるにはということを実地で学びつつそれを制作、主にリンゴ表面を構成する描画の線のなかに活かしてくださいました。また、リンゴがどう保存されてそれが社会に流通していくのか、農協の倉庫にも行き、リンゴ農業の実際というのに触れながらリンゴの作品を作ってもらいました。カタログに掲載した自分の文章で恐縮ですが、

「本作には雨宮のリンゴに対する研ぎ澄まされた思索と制作をもとに、わたしと世界をつなぎなおそうする意志が結晶の如く存在しています。展示室の白、ホワイトキューブから発する光は、その結晶に反射することで、青森の人とりんごが紡ぐ思いや技術、歴史を逆照射し、その陰にひそむ、農業とも芸術とも異なる形で世界とつながるためのアートを垣間見せているようです」

というものが見えてきたわけです。ここからいよいよ超芸術化する世界を空間化していくことに、自身の関心はシフトしていきます。そこに至るときには強力な縦軸としてヨハネス・クラダースのアンチミュージアムや、青森県立美術館の空間としての特質とかというものがあるという話を次にします。

8. アンチミュージアムと「原っぱ」

アンチミュージアムが提唱するミュージアムとは、どういうものか。

そもそも提唱したのは、ヨハネス・クラダースというドイツの美術館員です。

クレーフェルト生まれでウィルヘルム美術館、ハウス・ランゲ美術館、メンヒェングラートバッハ美術館、市立美術館館長などを歴任されています。西ドイツの方ですね。戦後になって、ヨーロッパやアメリカの価値観も流入しつつ、戦前のナチスの支配的なものに対する反省の意味を同時に考えるという価値観の中で、美術ということをどう考え直すかということが、当時の雰囲気としてあったようです。

割と小規模で自分が采配できる美術館の館長になっています。有名なのはヨーゼフボイスの美術館での初の大規模な個展ですね。それを手がけたことでボイスの国際的な評価を確立させた立役者です。

ヨハネス・クラダース( Johannes  Cladders) 1924 -2009

1950年代60年代にかけて、世界的に、いろんな素材や技法からアートを考え直すような動きが流行していました。アンチアートの世界的な動向を相対化させるアンチミュージアムという立場から、社会における美術館と新たな可能性を拡張し続けたということです。

アンチミュージアムにおけるミュージアムとは作品を社会と媒介する機関であり、アートの定義というのは積極的に探る機関だと、ヨハネス・クラダースは言っています。

引用すると、「当時、このような問題があると、他の言葉で置き換えるという方法がとられていました。私はそれが嫌でした。アンチアートと同じような話で、アンチ美術館も元の美術館というコンセプトを強調することにしかならないのです。」

これはなんかなんとなくわかりますね。アンチと言っておきながらアートという概念は温存されてるから、結局アンチではない。アートも、アートという概念自体は特権化するとか、それ自体が全然変わらない、そういう部分が問題だという話です。

だから脱魔術化、再魔術化とも少し近いような話だと思うんですが、だからこそ、中にいる人の意識を変えなければ意味がないということが、僕個人的にはすごく響いたわけです。そうして美術館は物事を繋げる一方で、美術館の既存の役割としては、作品を芸術作品にすること、そして、作品を老朽化を防ぐように保存することだと言っています。

またアンチアートというものは、美術館本来の機能を担保しつつ物事を繋げていきながら美術館本来の特徴を更新し続けていく方が、より常にアートを更新していく方向に進んでいくのではないかと言っています。

アートを更新し続けて新しいものにしていくときに、アートを見せていくための環境に対する考え方を変えていくことを総称して、アンチミュージアムという言葉を採用しているのでしょうね。

「私がやりたいのは、大抵の鑑賞者が芸術作品として認めないものを文化として語らざるを得ない建築的コンテクストに置くということです。」と言っています。

なるほど!こういうことを青森でもやろう、これ芸術作品か?みたいなものを取り込んでいこうと思ったんです。それを文化として語らざるを得ないこの建築的コンテクストという意味において、実は、青森県ほどこういう芸術ではないものを芸術として語らざるを得ない場所として適したところはないと僕は思っています。

あともう一点、青森県立美術館の建築的なコンテクスト(*)として「原っぱ」があります。原っぱについて、この美術館を作った建築家の青木淳さんは「使われることで行われることが生まれる空間だ」と言っていて、それって何だろう?と思いますよね。

*コンテクスト:一般的に文脈と訳されることが多い。文脈により「脈絡」、「状況」、「前後関係」、「背景」などとも訳される。参考 Wikipedia

原っぱは、ドラえもんでよくみんなが野球したりキャッチボールしたりもするし、しずかちゃんがゴム跳びをしたり、たまに土管で昼寝していたりしますよね。原っぱは、使われることで行われることが生まれる空間という感じです。

県立美術館は、訪ねてくださった方はわかると思うのですが、巨大な美術館で、入ったらどこに自分がいるかわからなくなるような状態になります。

建築としては、弱い特徴を同時に持っています。真ん中の写真を見てもわかると思うのですが、地面の中に掘りこんだ茶色い穴ぼこ上の空間があって、そこに白い構造体が被さっていく形で、この美術館の空間が作られています。

展示空間が自立して存在していないんです。穴ぼこの中に、上から白い空間、ホワイトキューブが落ちてきています。その落ち方がまちまちなので、下の茶色い部分と、白い部分が合わさった隙間のところが、展示室、展示空間という感じで使われています。明確な思考を持った展示空間があえて作られていないんです。

使われることで展示空間としての強さが見えてくるということです。何を行うべきかということが、使うことで見えてくるという、空間としての原っぱが青森県立美術館の建築的コンテクストだと言えると思っています。こういうミュージアムに原っぱを実装するということで、原っぱというコンテクストが使えるなと思ったんです。

アートの立場から、脱成長化をローカル空間上の問題として引き受けるやり方として、青森県立美術館の建築的コンテクストとしての「原っぱ」は援用できると思っています。少なくとも僕自身においては進めていこうと思っていますね。

9. 美術館堆肥化計画

そういった部分を実践するべく取り組んでいるのが、この「美術館堆肥化計画」です。これは昨年からやっていて、昨年、今年、来年と、それぞれ地域を変えて、県内の様々な場所で進めていくプロジェクトです。

県内各地域での県立美術館 PR 展示「旅するケンビ」、現代アーティストの作品制作等をおこなう「耕すケンビ」、それらの県立美術館での 「成果展示」で構成されています。美術館を特徴づける様々な活動を地域に持ち込んで、地域の文化活動をサポートすると共に、地域と美術館を往還するような構造を作ることで、美術館活動を地域での生活になじませ耕していき、人が生きることを形にする場所としての機能を付与することを計画する事業です。ここでは、美術館を特定の施設から離れて、生きていることの経験や実践の形式にすることを狙いとしています。要は美術館が地域にもっと飛び込むことによって、美術館自身が、人間が生きてることへの経験の中に付与し、寄与していくような、その先で脱成長化社会というのを美術館の構造をもとに、無理なく自然と定着させるといったことができたらなと思っています。

昨年の「旅するケンビ」のなかでELMというショッピングモールに置いた、県立美術館の制服と県立美術館のロゴマークです。これはネオン管で出来ています。そういうものを一緒に飾ることによって、普段の買い物体験の中で、視界の端々には美術館的な要素が散りばめられている空間になります。

自分がショッピングモールにいるのか、美術館の中に日常を垣間見せられているのかわからなくなるような構造を作って、地域と美術館の空間体験をない混ぜにしていくようなことを「旅するケンビ」の中でやりました。

その他、現代作家による作品展示を「耕すケンビ」という名称でやっています。昨年に続き、今年どんなことやっていくかという構想を少し説明します。

昨年は、アール・ブリュット(*)などを推進している団体が、福祉作業所兼ゲストハウスを五所川原という津軽地域で運営していて、障害を持っている方々の作品制作や日常を主題にした作品を作っていきながら、表現の堆肥化というのをやりました。今年は、地域の歴史の堆肥化を考えながら「耕すケンビ」をやりたいと思っています。ちなみに今年はアート・ユーザー・カンファレンス、小田香(*)さん、田附勝(*)さんが、それぞれ「歴史」「記憶」「縄文」を手がかりにして、作品の制作展示を行おうとしています。

*アール・ブリュット :障害者などが創った作品。参考 日本財団 アール・ブリュット支援事業についてより

*小田香 : 1987年大阪府生まれ。フィルムメーカー・アーティスト。参考 https://www.fieldrain.net/biography-jp

*田附勝 : 1974年富山県生まれ。写真家。参考 Wikipedia

また明治時代に活躍した旅人で蓑虫山人(みのむしさんじん)(*)という人がいます。彼が青森で県人たちと構想したミュージアムのような場所「陸奥庵(むつあん)」をもとに、外部講師とこれからの時代のミュージアムを考えるオンライン勉強会、「蓑虫山人と見る夢」というのを事業内企画として開催したいと思っています。

作品展示とオンライン勉強会との組み合わせで、地域に囁きのごとく伝わる歴史未満の様々な記憶を編むことをヒントに、流動化と混迷の一途をたどる今日の世界を生き直すためのミュージアムをプロジェクトするというような感じです。

*蓑虫山人 : 美濃国(現在の岐阜県)出身の絵師、考古学者、造園家。 1836-1900
参考 Wikipedia

こちらが、蓑虫山人です。いい感じですよね(笑)

岐阜県の出身で、若い頃から故郷を出て色んなところを旅していたそうです。九州から北東北に至るまで色んなところを旅して回っていて、特に秋田県や青森県、北東北の滞在が長いです。

その中でも1886年頃の滞在中に、日本初の民間洋式牧場である開放社を拓いた幕末の斗南(となみ)藩士(*)にして今の青森の三沢の名士だった廣沢安任(ひろさわやすとう)(*)に語り聞かせたというのが陸奥庵の構想です。

*斗南藩 : 明治初年、陸奥国北郡・三戸郡(青森県)、二戸郡(岩手県)内において3万石を領有した家門(かもん)小藩。参考 コトバンク

*廣沢安任 : 会津藩士。広沢牧場の創設者。参考 コトバンク

蓑虫山人は生涯の夢として、全国66の地域に分けて、各地の土器や土偶をはじめとする考古物やいろんな珍しいものを陳列する66の場所「六十六庵」を作る構想を温めていました。青森のものを集めてつくられる予定だった「陸奥庵」はその中の一つ、というわけです。蓑虫山人も廣沢安任も熱量高く話をしていたことがわかるものが残っています。それは、例えば廣沢安任が書いた陸奥庵の書画や、お互いの手元に残っている陸奥庵にあればいいなと思う土偶をスケッチした土偶図などです。

絵を見てみましょう。雪山の中で、焚き火をしながら、琴を奏でているのが蓑虫山人です。こういう手作りのテントのようなものを気に入った場所で広げて野宿しながら、月を見て楽しむというようないい感じのライフスタイルですね。

青森県内では、遺跡の発掘にも従事しています。

東京国立博物館に一番有名な縄文の土偶、青森の木造(きづくり)というところから出土した土偶があります。それと全く同じような土偶を蓑虫山人も発見していて、実は、東京国立博物館にあるのと同じではないかという説もあります。

ともあれその中で小田香さんというドキュメンタリー映画作家の方に、蓑虫山人や斗南藩にまつわるリサーチを行ってもらい、移動や旅をヒントにした映像作品の制作をしてもらっています。

開拓者の暮らしを再現した小屋が中にあり、観光村の窓に、青森県南部の移動を支えている私鉄、青森鉄道の車窓から撮影した映像を展示する試みをしています。

田附勝さんには、六ヶ所村立郷土館のご協力のもと現地で写真作品を作ってもらっています。

田附さんには村の歴史調査を行うと共に、郷土館の地下倉庫に保管されている縄文土器の欠片や、村の風景を撮影して、それらを元に写真作品の「KAKERA」いうシリーズの新作を制作展示していただいております。

石油備蓄基地や電源開発、その後の原電もそうなんですが、大規模な開発が初まる1960年代末、69年あたりです。その時期に、工業用地開発のための区域となった場所から大量に縄文土器の欠片が出てきています。

そういうものが大量にあって、中には当時の新聞記事にくるまれて保管されている縄文土器の欠片もある。これは、見つけた新聞紙にくるまれた縄文土器の欠片を撮影してもらったものです。

1960年代の新聞です。安田講堂事件、全共闘や政治的な事件と、くるまれていた欠片の縄文土器がもっている時間、それを今僕らが見ているということです。

そんな複数の時間を編み合わせながら、村の現在において可視化が許された歴史と、60年代以降の開発の中で、非常に大きな力によって不可視化された歴史がある。村において見えるもの見えないものの境で自分が何を見るか、広く歴史に個人が介入するような展示を試行錯誤しています。

3人目として、アート・ユーザー・カンファレンスに関わってもらい、キリストの里公園の周辺野外で作品を展開してもらおうと思っています。

アート・ユーザー・カンファレンスはアートコレクティブです。既存の作者や鑑賞者、評価キュレーターなどとは異なるユーザーという立場から、そして近代発の芸術概念の問い直し、そういったものを主題とした作品やプロジェクトを展開しています。

今年は青森の新郷村というところに残っている「キリスト伝承(*)」についてです。

キリストがこの地にいて新郷村で亡くなったこと、そしてキリストの墓とキリストの弟の墓も新郷村にあるというすごい現実があるんですね。新郷村に残っているキリスト伝承やキリストの墓を手がかりに、プロジェクト「ジェネラル・ミュージアム|墓」を展開する準備をしてもらっています。

*キリスト伝承 : ゴルゴダの丘で処刑になったはずのイエス・キリストが日本に逃れ、新郷村に渡来して106歳の生涯を閉じたという伝説

参考  青森県観光情報サイト  https://aomori-tourism.com/spot/detail_62.html

10. ジェネラル・ミュージアム

「ジェネラル・ミュージアム」とは、アート・ユーザー・カンファレンスによる自らの置かれた環境世界をジェネラル=総合的に捉えて、新たな公共圏=ミュージアムを構想実践するプロジェクトです。遺跡や墓が多い青森ではそんなジェネラル・ミュージアムを既存の空間で探る、という意味を込めて特に「ジェネラル・ミュージアム|墓」として展開していただくことになりました。

ちなみにこのジェネラルミュージアムの世界観に基づく展覧会が、6月から7月まで八王子の住宅街に面した森の中で展開していました。ミュージアムのコレクション展「コラージュ、カムフラージュ」と現代作家に出品してもらった企画展「dis/cover」で構成されています。それに対して、ちょうど展評を書いていたので、その一節を引用してみます。

新たな公共圏としてのジェネラル・ミュージアム。そこは死者と生者、自然と人間の仕事の境をまぜこぜにする。そこで事物の一切は私達に見いだされ、使われることを介して私達にあることを要求する。ジェネラル・ミュージアムは私達に個としての生を全うすることを通じて世界との今ある距離の再設定を求めるのだ。

距離の再設定とは、すなわち空間の仮説である。距離のない空間の崩壊と生成の只中にあって、私達1人1人が自らのオルタナティブな性能に気づく場所を生み出そうとする。ジェネラル・ミュージアムはそこに成立する。

ジェネラル・ミュージアムというのは空間としてはここにあり、僕らが見出そうとしたら、ジェネラル・ミュージアムはそこに成立し得るのではないかと思ったわけです。

そこまで行くと、脱成長の中で、ラトゥーシュが可能性として差し出してくれた一節が、もう一度キラキラと輝いて僕の前に戻ってくる感覚があります。例えば、残された可能性は抑圧的な社会システムの内部における様々な認知の創出であるという言い方などが、もう1度響き直してくるような感じです。

抑圧されて、システムとしては破綻していて、この中でできることなど個人としては残されてないのかもしれないけれど、ニッチの損失のようなことを手がかりにしながら、現実の内部における抑圧されたシステムを別の動力に読み替えるようなことをやらないといけないのではないかと思いますね。

どうにかニッチを創出する、どうにか次の脱成長社会にシフトしていくことが必要である。脱成長にシフトするための超芸術化する世界と言うものがあります。超芸術化する世界の先ぶれとしてミュージアムは、少なくともこれからも栄耀し続ける必要があるんではないかということを考えています。

ミュージアムが栄耀し続け、そして世界が超芸術化していく、その先で脱成長というものに無理なくシフトしていくための世界を獲得する。その先に、ようやく、宮沢賢治が農民芸術概論(*)で言っていた

「彼らは新たな美をつくる。美学は絶えず移動する。農民芸術とは宇宙感情の地域と個性と繋がる具体的なる表現である。」ということが生きてくる社会が、僕らの前に姿を現すはずだと考えます。

*農民芸術概論。参考 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html

最後に、なぜか宮沢賢治を引き合いに出して、ちょっとけむに巻いた感もありますけど笑、要は、脱成長社会に向けて、脱魔術化、再魔術化の概念操作に陥るのではなく、より直接的な変化の手段として、超芸術化する世界としてのミュージアムを応用していく必要があるということです。そのためにミュージアムにおける作品やミュージアムの外で行われている生活の知恵や技術、そういったものを総動員していきながら、ミュージアムと世界をつなぐ超芸術化する世界の訪れをまずは試行していきたいと思っています。

これで終りとしたいと思います。ありがとうございました。

11. トークセッション「芸術化する世界とは」

下田:
奥脇さんありがとうございました。いろいろと面白い取り組みをされていて、そもそもなぜそういうことをやり始めたとか、思考のベースになってる部分からお話いただけたと思います。すごく理解も深まるような内容でした。ありがとうございます。

これからは、トークセッションに移っていきたいと思います。早速、我らがアートウィークの藪本さんにも登場いただきます。

細かいところをいろいろお聞きしたいのはもちろんなのですが、1つだけいいですか?

超芸術化する世界というこのタイトルは、我々も一緒に提案させてもらって、藪本さんも考えていったと思うのですが、この超芸術化する世界というのはどんなものなのですか?

奥脇さん:
どういうことなんですかね。芸術か、芸術ではないか、のように相対化させるようなことではなく、芸術もそうでないものも包摂するような空間としての世界が必要だというような思いはありますね。

下田:
溶け合っていくようなものということですか?

奥脇さん:
そうですね、芸術かそうじゃないかということではなく、人間が生きていく中で発生する日々自覚する全てを超芸術化するという概念のもと、もう1度捉え直してみたいという感じですね。

藪本:
そういう意味では、複合芸術と超芸術みたいなものは、おそらく近いものだと思うんですね。今日のお話の脱領域や脱成長は、おそらく別の原理や原則でまわる世界のことを言われてるんじゃないのかなと思ったのですが、そんなイメージですか?

芸術や農業の概念にこだわらない別のあり方、別の原理と言いますか。言語化が難しいのですが、そういうことなのかなと思いました。

奥脇さん:
別の何かとしてあるというよりは、その場で行われていることが、もうそうでなくなるということですね。最初に言ってた、ミュージアムの展示において適切な距離を測るというか。

その作品をベストの状況で見るには、この作品の真ん中腰高145センチになるように見るかとか、作品と作品との距離をどれだけ離すとスムーズに見えるかとか、そういう知恵が、世界を考えるときの感性に応用できたらいいと思うんですよね。

農業は土を耕し、作物を得る行為ですけれど、食べ物を得るという直接的な目的以上のものとして、世界を考えるときの雛形にもなると思うんです。そういうものを意識しながら、例えば日々の仕事でね、農業だったり、展覧会活動だったり、あるいは全然別の会社に行って仕事をすることだったりを、もう1度捉え直していくと、ここに超芸術化する世界が自ずと見えてくるという感じですね。

藪本:
お話しながら、いろいろディスカッションさせていただきたいです。

まずは、非常に本日はありがとうございました。おそらく、こんなに動けて話せて開かれている学芸員さんは、なかなか日本国内にもいないと思っています。そして、テキストと図録を一通り読ませていただいたんですが、非常に美しく、非常に参考になります。

我々も、最近、紀南アートウィークのカタログが出来たのですが、全然及ばないなと思っています。

奥脇さんとのきっかけは、私が、和歌山県の熊野紀南地域なので、根之堅洲國(ねのかたすのくに)(*)や根の国について調べていた時です。

「根と芸術やってる人知らないですか」と、大学の石倉先生にお聞きしましたところ、奥脇さんを推薦してくださって、いきなりご連絡させていただいた次第です。

まさに2016年、この「根と路」(*)ですよね。非常に素晴らしい文章だと思って我々の展示でも参考にさせていただいています。

*根之堅洲國  : 地底深くまた海のかなたなど、遠く現世とへだたったところにあると考えられていた世界。参考 コトバンク

*根と路 : 2016年 青森県立美術館において開催された

青森県立美術館開館10 周年記念 「青森EARTH2016 根と路 」展

参考 青森県立美術館 サイト https://www.aomori-museum.jp/article/2430/

「いのち耕す場所」では、宮沢賢治の言葉を起点に、農業と芸術の関係について模索されています。我々の結論としても、おそらく農業と芸術はほとんど一緒、根は一緒だと思っています。

さらに、美術館堆肥化計画ですね。やはり、先端ではなくて根元だということで、土であって堆肥だという実践までされていて、我々がやりたいこと全て、すでに行われているなと思っています。私たちも、今まで「みかんコレクティブ」、「みかんダイアローグ」というのをやってきて、1つの中継地点、あるいは着地点に来たのではないかと考えています。

アートコレクティブ、農業と芸術、ミカンと生活や技術について議論してきて、今日のお話を聞きながら、そういったものを掛け合わせて実践されているということかなと思いました。

このテキストの中には、人にとって農業とは何かというような大づかみの話をしないということが書かれています。

地に足ついた具体的な実践。今のステージはもう堆肥作りからやられてるってことですよね。堆肥というもの自体が動力そのもので、様々なものが集まっている土の中で、微生物が分解して死んで混合物になってまた生まれてというのを繰り返していくようなところだと思っています。そういう意味では、ここまで来られて今後どういうふうにされるかお聞きしたいですね。農業を扱っていかがでしたか?

奥脇さん:
青森において、やはり農業は第一次産業で強みの1つです。重要なものであるがゆえに、これは何だろうということをやっぱりもう1度立ち返って考えた方がいいと思っています。青森EARTHもそうですが、根を下ろすということに焦点を当てて考えた方がいいとは思っています。

藪本:
この中でも場所の議論が結構出てきますよね。安藤昌益による命根の議論が出てきて、人間の生命自体について述べられていると思います。その根を伸ばしながら、青森の芸術家と、現代に動き続ける芸術家の展示自体がすごくバランスがいいと思っています。

そのあたりは意識されているのですか?根を掘りながら移動もすること、まさに「根の路」というテーマ自体が根を掘りながら動くことだと思うんですが、どういうふうな意図なんでしょうか。

奥脇さん:
根と言いつつ、根だけだと駄目だなとは思ったんですよね。

根っこを太くするというのは、作物の生育にとっては必要ですけれど、同時に、その周りの雑草を枯らしていくことですからね。根を太くしながら、同時に根を断ち切っていくような、何か矛盾する力を働かせながらその配分に気を使うということですね。

例えば畑をやるときに、土の感じを見て、ちょっと水が多いとか、有機肥料を足した方がいいとか、そういうことをマルチに働かせながら畑と向き合っています。

そういう矛盾する力が衝突するところで、物事であったり展覧会であったりが作られていきます。全てが動的な一瞬の中に、物事や行為が現れていくのは農業を通じて知ったということがありますね。

藪本:
そうですよね。まさに、これはリンゴもみかんも一緒だと思います。主根を伸ばし過ぎないように剪定技術が発展してきたんだと理解しています。

紀南アートのみかんコレクティブプロジェクトでやってきた限りでは、上に伸ばすことはほどほどにしながら、側根やひげ根を伸ばしていくと、合理的に産品も農作物も取りやすいし、甘さも出るというような議論でした。おそらくそこと繋がると思うんですよね。

ここは絶妙なバランスで、農家の方は作業されているのかなと感じます。

奥脇さん:
青森では、百何十年前、明治の始まりとともに、西洋リンゴの木が植えられました。地域の景観を否定するくらいの大きなリンゴ畑が広がっているんです。りんごの生産をずっとその土地でやっているから、地力がもうほとんど枯れてるような状況があります。

このままリンゴ農家を続けられるのはあと何年かなどと、将来を不安視する方が少なからずいます。農業とか、耕すということを持続させていくのもいいんですけど、それが続けられなくなったときには、その行為からどんなものを残して継承していくかということを考えないといけないんじゃないかと思いましたね。

藪本:
前回の我々のトークでも「ポストみかんを考える」というのがありました。おそらく気候変動や土地の問題もあって、農業的にミカンを育てることが紀南でも正しくなくなってくる際に、その技術をどう相対化するのかというところに非常に興味があります。

そういう意味では、青森県は三方が海に囲まれていて、奥羽山脈があります。本州最北端の青森は、リンゴの生産が全国の6割ぐらいを占め、生産量1位ですよね。

我々の和歌山県も三方を海に囲まれていて、紀伊山地があり本州最南端。和歌山でのみかんは、青森でいうところのリンゴですよね。青森においてリンゴがどう取り扱われてるのかというのは非常に興味があります。実際にリンゴの収穫量が落ちると、翌年の美術館の予算が減るというお話も聞いたので、まさに生活の一部ですよね。

奥脇さん:
そういうことも過去にはあったらしいという、ほぼ都市伝説みたいなものですけど(笑)そういうことが囁かれるぐらい、リンゴ経済がこの土地の生活を左右していたということはありますね。

藪本:
雨宮さんのリンゴの作品は非常に素晴らしいと思います。ただ、リンゴが使われることについてどう思われますか?我々はみかんに焦点を当てましたが、シティプライドとか、地域のプライドを促進するためにやってるからつまらないと言われたこともあります。

奥脇さん:
シティプライドとか、わかりやすさに終始すると駄目なんじゃないかなと思いますね。その分かりやすさを糸口にしながら、そこから何を抽出して見せるかです。雨宮さんのリンゴに対しては、オルタナティブとしての可能性を感じますし、雨宮さんの技の中に取り込まれたそのローカルなリンゴ栽培の技術が、別の輝きを持って展示会場の中で働いてる感じというのが、やっぱり面白いなって思いましたね。

藪本:
私も本当にそう思いました。

雨宮さんのテキストですよね、「空と重力とリンゴとそのオルターエゴ」が、雨宮さんのサイトamemiyan.com(*)でも見ることが出来ますね。

今回、Reborn(*)で雨宮さんとお話させてもらった時、リンゴの表面を見つめる面白さみたいなものを話されていました。表面をひたすら解析していくと、単なるみかんでもリンゴでも同じで、最終的に人の営みに行き当たるようなことを言われていて、リンゴの表面から農業の履歴を逆再生すると書かれています。果実の表面から人間が映像化されると、リンゴを見ること自体が社会や分離を見つめることであると言われていますね。

大きな空間に入ったら雨宮さんのリンゴがあるという展示が、すごいなと個人的に思った次第です。

*amemiyan.com  http://amemiyan.com/
*REBORN ART FESTIVAL  https://www.reborn-art-fes.jp/

奥脇さん:
超芸術化された世界におけるミュージアムというのは、鏡で四方を覆われた空間のようなことだと思いますね。そうして現実の中で現実をもう一度見るとか、現実を働かせているその労力の先にあるものをもう1度見直していくとか。そういったことを考えた方がいいんじゃないかと思うんです。

藪本:
これはリンゴでもみかんでも共通して言えることだと思いましたし、我々もその普遍的なことをやっていきたいなと思っています。

以前言われていた、リンゴはモダンな存在であるという意味をお伺いしたいです。

奥脇さん:
リンゴはモダンですよね。日本における西洋リンゴの普及は明治になってからです。外貨の獲得のために青森では、苗木が育てられました。結局、岩木山麓、青森の景観の一部を構成し、青森のイメージを規定するまでになっています。リンゴが外貨の獲得のためにもたらされて、その成長のために人間のありとあらゆる知が動員されて、それが青森の経済を回すようになっていますよね。

時代と共に成長していく様が近代的だと思います。そのリンゴ作りに関わる人たちの、経験至上主義のようなもので、リンゴを厳密に観察しながら、その枝ぶりを剪定ばさみで整えていくであるとか、太陽の光の当て方1つとっても、みんな主知主義あるいは経験主義みたいなところがあって、そういうところがモダンだと思いますね。

特に近代以降、津軽地域において、モダニズムの作家で、かなりいい作品を描く人が多いんです。リンゴに規定された近代を下敷きにしているから、青森における近代画家はいい人が多いという印象です。

藪本:
なるほど。下田さんに今日いただいた雨宮さんのテキストを見ますと、そもそも青森にリンゴが土地と合っていないというような議論がなされていますね。そこにラディカルに導入され産業化されたという流れですね。

和歌山のみかんも歴史的には、(*)自体が神話に出てきています。橘本神社(*)で、田道間守(*)という柑橘の神様が古事記の中で出てきて、橘というのが大陸からやってきたという話があるので、そこから述べることはできるんです。

しかし、産業化されたのは最近です。おそらく和歌山県田辺の風土記などを調べてみても、農業というのは実はあまり出てこないんですよね。林業や漁業ばかりです。そういう意味では、産業としてみかんが入ってきて、大量生産されるようになったっていう部分は、青森のリンゴとそう遠くないのかなという気がします。

*橘 : 生食されたミカンの古名。参考 コトバンク

*橘本神社 : 柑橘や菓子業の祖として、また文化の神として広く崇敬される田道間守命を奉祀する由緒ある神社。海南市。参考 和歌山県神社庁

*田道間守(たじまもり) : 垂仁天皇の代に常世の国に非時香菓(ときじくのかくのみ)(登岐士玖能迦玖能木実(ときじくのかくのこのみ))を求めて派遣された説話上の人物。参考 コトバンク

奥脇さん:
でもみかんと紀伊和歌山というのは、気候条件とか環境条件的に結構適している作物なんですよね?

藪本:
海が近くて潮風が当たることなどが重要なので、地理的には正しかったんだと思うんですけれども、最近はそうでもなくなってきています。今後、50年後100年後となると、みかんを育てることはできるのかなと思いますね。そのときに何を残したらいいんだろうというところを議論していきたいと思っているんです。

奥脇さん:
天変地異というか、災害級の大雨や地震、そういったものも僕らが子どもの頃に比べてすごく多いじゃないですか。そういった中で、人間が人間らしく生きていくことの限界があるような気がしています。人間が知恵を紡いで作ってきたミュージアムとか、近代由来の施設や設備も頭打ちだなというか、もうこれ以上続けていくのは、しんどいところに来ているのかもしれないと思いますね。

とはいえ、ミュージアムという枠組みはその中で生きていますし、その中で考えたりやったりしてきたので、経験の枠組みとしてのミュージアムというのは残して伝えていきたいなと思いますね。

藪本:
そういう意味では、先ほどのジェネラル・ミュージアムの理論に繋がっていくんですね。

この地域の中でミュージアム自体が、芸術の墓場とか、アートの墓場とか言われることがちょくちょく出てきてると思うんです。それを肯定的かつ積極的に出そうとされているということですかね。

奥脇さん:
そうですね。

藪本:
オルタナティブなアート自体もこのカタログを見ても、生き生きと人が関係するための術だとか、生きる力を養うという言葉が使われていると思います。そのために美術館が何ができるのかということを考えておられるんですか?

奥脇さん:
そうですね。コレクションしつつ、何か離れていくこともミュージアムである。ミュージアムという枠組みの中で、そこに相反する生きていく動力のようなものを呼び込むということをやりたいと思っています。

藪本:
まさに「美術館堆肥化計画」がそこに繋がるわけですよね。移動していく、先ほどの根の道に繋がっているんですね。

奥脇さん: 
そうですね。移動して行きながら、そこにある根を生育させるのが美術館だということです。

藪本:
美術館と言うその場から動けない思考もありながら、ひげ根を延ばす活動をされているミュージアムはあんまり多くないですよね。リゾーム(*)的なミュージアムと言いますか。

*リゾーム  : リゾームとは、rhizome の音写語であり、「地下茎」の一種。参考 Wikipedia

奥脇さん:
リゾーム的なミュージアム、、、なるほど!

藪本:
私はベトナムのアーティストが好きなんです。主根を切断されることはないのかもしれないんですけれども、根を切断されてもどこかで生きていけるような。そういう意味では、ジェネラルミュージアムも、生きていくために、そういうところを見てやられてるんじゃないのですか。

奥脇さん:
そうですよね。手根ではない、リゾーム的な、分散する根としての経験のあり方、ミュージアムというのは突き詰めて考えていった方がいいんでしょうね。

藪本:
私は非常に面白いと思っていますが、ただ、理解されるのは難しいですよね。我々も続けられるかどうかわからないですが、地道に続けることでしか成り立たないと思うんですよね。内部的にも外部的にも浸透しつつありますか?

奥脇さん:
そうですね。こういう世界を到来させたい、こういう世界に到達したいということでもなくて、今ある世界を別のものに変えられるかという話ですよね。

枠組みとしてのリゾーム的な地域に出て、美術館という場所を変容させるようなことをやり続けることですよね。そうすることによって、それぞれの地域の人が少し変わっていく、あるいは、ふと振り返った時に変化を感じるということを形にし続ける。それで初めて、訴えたいこととか、やりたいことが形になるという感じですね。その最中にいたら、あまり認識できないような感じもします。

藪本:
なんとなくこれが主流になっていくのではないかと僕は思うんですよね。

奥脇さん:
こういうものを何か主流にせざるを得ない状況というのはあると思うんですよね。

美術館は、電気もたくさん使用します。メンテナンスでは、収蔵庫は常に一定の温度湿度にしていないといけないし、それを見せる展示室はもちろんそうですよね。社会の電力エネルギーのインフラに支えられてこういう場所をようやく保っているので、電気を明日で停めますと言われたらもう太刀打ちできないですから。

そういう危ういバランスの中に、僕らの施設、ミュージアムは成り立っています。それはミュージアムだけじゃないと思うんです。農業の現場においても、肥料を買うことができなかったら、畑に栄養が行き渡らないですし。こういったことにいざ直面したとき、どう動けるかの予行演習みたいなところはありますよね。

藪本:
逆にそういう意味では、我々は、公立美術館と何か一緒にやりたいんです。将来的には。

奥脇さん:
そういうのが理想ですよね。先ほど褒めていただいたんですけど、実際には、堆肥作りも考えていたけど結局できなかったんですよね。

それは何かミュージアムという枠組みに固執せざるを得ない1つの弱点だと思っています。

藪本:
ミュージアムの人ではない人が、自立協働的に、コンヴィヴィアル(*)と言いますか、自律的に稼働する状況を作っていけるかということですね。それは美術館の機能を超えているんですけど、やろうとされているということですか?

*コンヴィヴィアル :共に(con)生きる(vivial」こと。参考  コンヴィヴィアル・テクノロジーhttps://convivial.tech/

奥脇さん:
せめて、超芸術化する社会へのシフトの前段階としては、美術館と美術館の外で行われていることがもっと仲良くなればいいという考えはありますね。

藪本:
そうですよね。何とか我々もそういう形で何かやりたいなと思います。

奥脇さん:
これからも仲良くしてください。

藪本:
是非お願いします。こういう形でオンラインを利用して公立美術館の方と一緒にやれるということは我々にとっては大きなステップだと思っています。これを踏まえて、まずは地元の公立美術館さんと一緒にやりたいと思います。

私も聞きたいことはまだまだあるんですけれども、私ばかり聞いているのも申し訳ないので、オーディエンスの皆さんもよければ参加いただいて大丈夫です。

下田:
本日ご参加いただいてる方々は、ウェビナーで入っていただいているので、マイクとかビデオが基本的に無いですが、チャットやQ&Aでぜひご意見、ご感想、もしくはご質問などをいただければと思います。もう少し時間がありますのでお待ちしています。

僕もいろいろお聞きしたいことがあるんです。今までのお話は、アートサイド、美術サイドからのお話が多かったと思います。僕も紀南アートウィークをすすめる中で、閉じたものにしたくない、一方的なものになって欲しくないと思っているんですね。

農家の方にも、何かやることによって、見つけることや、気づきがあればいいと常に思っています。

これまでに奥脇さんがやられてきて、農地訪問やリサーチをしてお話する中で、逆に農家さん側にも変化があったようなことはありましたか?

奥脇さん:
そうですね。農家さんに還元できるようなことがあればいいということはありますね。結局、もらってばかりで全然返せてないみたいなことがありますね。

美術館というものが外に開かれた場所であると共に、内側における内容を変えていくようなことをやっているから、この美術館の外で行われていることを目の当たりにして、目を開かしてもらうみたいなことの連続になっています。

お返ししていかないといけないんですよね。なんかそういうこと、みかん農家さんに対してありますか?

下田:
例えば、藪本さんがスサノオなどををテーマに話をする中で、そんな考え方があったんだとか、その土地の持つストーリーやコンテンツ、そういうところまでもう一度深く潜ってみて考えてみたらどうですかというような話をしています。

このプロジェクトはまだ1年も経ってないので、すぐに結果が出る状態ではないのですが、何か新しい価値観をみつけることができて、農業の新しい価値に繋がればいいなとは思いますね。

奥脇さん:
そういう意味では、雨宮さんのリンゴを見たときの農家さんの意見として、僕らがやってることも1つの何かメイキングというか、作るということなんだということに衝撃を覚えるということはありましたね。

1個のリンゴとして見るというより、リンゴ農業を面的に自分の仕事を捉えるというか、農業的なものがクリエイティブだという意識があまりなかったという話を聞きました。それを1個のリンゴとして取り上げて見せてもらうことによって、自分たちの仕事のクリエイティブなところに気づくということは確かにあったかなと思いますね。

藪本:
我々も昨年、紀南アートウィークをやってみて、農家の方の中には、演劇祭ができたらとか、表現してみたいとかおっしゃる方もいたんです。

今回のタイミングでは農民芸術までは難しいなと思って諦めたんですが、今後はやってみたいなと思っています。

普通の人たちのコンテナの並べ方の技術をちょっと相対化してみるとか、剪定の技術を相対化してみるとか、フィードバックしながら、どうですかみたいなことをやっています。

奥脇さん:
そういうものをいただいてばかりですよね。りんご箱の作り方とか、リンゴ箱における木の組み合わせ方とか、そういうものからパネル作りに応用して見せたりしていました。

ぜひ今後も返し方を相談させてもらえるとありがたいですね。そういう点においては、むしろそちらの方が進んでると思うんですね。

下田:
いえいえ。でもすごく大事なことだと思いますね。

堆肥化計画の堆肥という言葉を使われたのは、そういう意識の表れかと思っていたのですが、勝手に。

奥脇さん:
そうですね。美術館が場所として地域の中に開かれることによって、ミュージアムにおける物を見せるときのやり方とか、物を扱うときの手付きとか、ミュージアムにまつわる労働が、地域の中に分散されていって、その分散された労働から地域の人が受け取って、自分たちの日常をクリエイティブなものにしていくとか、そういう現象が、地域にいろいろ出ばっていくことによって起こるといいと思いますね。そういう部分に堆肥化計画っていうところをなぞって、そこを今も目指しています。

藪本:
もう実践するしかないという状況ですよね。

今年ベニスに行き、「みかんコレクティヴの現座標」というレポートを書きました。現代美術の枠組みでいうと、ヴェネチア・ビアンナーレの展示はどちらかというと再魔術化なる物をテーマにされていたんです。

私は奥脇さんが今日言われてたことに賛成です。日本人は、お餅の上にみかんを置くような、ある意味魔除けのようなことを行っていて、脱魔術化は日本人の生活の中ではなされてない気がします。

薄まっているのは明らかなんですけれども、我々は普通に魔術的な生活の中に生きているので、現代美術の世界って逆にここなんだと感じますね。再魔術化については、前回の山本さんも話されてたんですけれども、結構ぼやっとしてるなと私は思ったんです。

ドクメンタ(*)の方に行って実践している制度を考慮しているのでしょうけど、別のコンヴィヴィアリティとか、生活の中における実践をどうやっていくのかっていうところに帰着してる気がしますね。そこを見られてるということですか?

*ドクメンタ: ドイツ連邦共和国中央部、ヘッセン州の小さな古都・カッセルで1955年以来、5年に一度行われる現代美術の大型グループ展。参考 Wikipedia

奥脇さん:
そういう世界、そうじゃない世界というのではなくて、その世界そのものを受け入れたいなっていうのはありますよね。

藪本:
あともう1つお話の中で思ったのは、私は脱成長論者ではなくて、資本主義も普通にやればいいと思っています。

会社も経営しているので、経済派の人間としては、何とかお金を得て社会保障や文化事業に資金を回さないとならないので、脱成長ってどうなのかなと思っている立場です。ただ、ここで言いたいのは、別の原理ということですよね。

おそらく既存の社会制度というそういうものではなくて、別の原理で生きれば、制度に完全に居せずとも生きていける人たちを増やせば、社会保障もそんなにたくさんは必要でないということですよね。大きなものに頼りすぎてるだけなんじゃないのかというふうに思う部分もあります。

奥脇さん:
もちろんそうですよ。世界が次の日には全く違う状態になるようなことは考えられないというか、世界同時革命みたいなものは起こり得ないという事はもう歴史が証明してくれているので。

ただ資本主義一辺倒というか、NFTアート(*)の現状を見てても、資本主義を加速させるためのメディアにしかなってないみたいなことがありますよね。すなわち無限に成長する経済は成り立たないと思うし、無限に成長しないまでも、経済を回転させるための一つの動力として、脱成長、オルタナティブみたいなものが、開発の横に一緒に働いてるといいんじゃないかと思いますよね。

*NFTアートとは何か https://bijutsutecho.com/magazine/series/s54/25808。参考 美術手帖

藪本:
資本主義は普通にあったらいいと思うんですよ。ただ、この資本の定義が変だと思うんですよね。マルクス資本主義の労働者と資本家の文脈からきていて、いわゆる不動産とか株券とか現金とかしか資本として捉えてないと思うんです。でも、場所も資本だし、人間の体も場所としての資本だと思います。

最近では、「国津神(*)」とか 神資本という概念を作ってみようかと思ったりしています。今の資本は、全体をこれだとしたら、ほんの少ししか資本として捉えられてないと思っていて、全体を通して資本としてそれを自立稼働させればうまくいくんじゃないか、そして、それを資本主義と呼べばいいのではないかと思っています。

*国津神 : 日本神話の神々のうち、古くからの土着のものを指す。参考  ピクシブ百科事典

奥脇さん:
なるほどね。今聞いていて、アートユーザーカンファレンスのユーザーというのは素晴らしい概念だなと思いました。

作るというときに、作れる人と作れない人がいるし、それを扱えるという部分でも、扱う人と扱えない人がいますよね。持てる者、持たざる者、資本の旧来的な状況がどうしても発生するところがありますよね。使うということで言えば、みんな誰でも使えるようなところもありますし。資本がある状態を、どこまでも並列化させながら、それを扱う自分たち自身に、個別に委ねられているところも、自律共生に向けての一歩がユーズという姿勢の中には隠れていると思います。

藪本:
コミュニティなどはできていってるんですか?

奥脇さん:
どうなんだろう。すごい自分たちがアノニマス(*)な集団だから、あんまり個人名も実は出したくないと思っているくらいなのでコミュニティという形で成立するのかな。

*アノニマス ( anonymous)  : 「匿名の」という意味をもつ形容詞。参考 Wikipedia

藪本:
比較的出ている方ですよね(笑)

奥脇さん:
まあ結構出てしまってますけど(笑) でも、社会における不特定多数な状況、ユーズされる状況というのが、見方を変えたら、そこらじゅうにもうあるんじゃないかという気もするんですよね。考え方なのか、実践の仕方なのか、スタイルをちょっと変えてみただけでも、現実というものを次に動かす動力が形を伴って見えてくる状況がある気もします。

藪本:
そこの情報や超芸術という概念を作って、緩やかに根を植えていく、種をまいていくという作業を、まず青森県立美術館がやられてるってことですよね。

奥脇さん:
個人的にはね、その超芸術化する世界みたいなのを目指して、現実というのを読み替えていきたいなと思っています。

藪本:
すごく理解できました。超芸術を説明するのは難しいですよね。

奥脇さん:
そうなんですよね。それは何だって言われたときに、あなたの日常を捉え直してみてくださいって言ってもね。なんか禅問答みたいになりますしね。

藪本:
まさに、制度化された世界が強すぎるというか、大きな物語とか、大きな世界が強すぎる気がしますね。知恵を取り戻すために、芸術なるものの機能は重要になっていくんだろうなと思ってるんですよ。ただ、どう伝えるかが難しいと思うところです。

奥脇さん:
そうですよね。本当はそういう強力な枠組みがあればいいと思うんですけど、枠組みを作るとまた、脱魔術化、再魔術化みたいな形式に関する問題に陥ってしまうので。お互いを信じること、そしてずっとやっていくということしかないような気がしますね。

藪本:
ありがとうございます。

奥脇さん:
すみません。なんか煮え切らないところを開示しただけのようになってしまって。

藪本:
我々の方が後側ですが、向かっている方向は同じだと思います。

それは、もっと根源の先端みたいなところなんだと思いますが、それを追いかけながらプロジェクトを進めて、実践の芽を未来に向けてまいていきたいなと思っています。

奥脇さん:
ええ。是非一緒に、お互いに、お互いの場所でやっていきましょう。

藪本:
はい。是非10月に来ていただけると嬉しいです。

奥脇さん:
10月にやるって言ってましたよね。

藪本:
はい。10月6日からです。下田さん、ご案内してください。

奥脇さん:
また、いろいろ詳細が決まりましたら教えてください。よかったらうちの方も10月とかあと来年2月〜4月、ぜひいらしてください。歴史の堆肥化を結構規模も大きくやっていて、世界観が見えると思いますので。

下田:
我々の方も、まもなく詳細発表できるという詰めのところです。みかんコレクティブというテーマで派生したことはやってきていて、一旦10月の月初から16日の11日間です。展示を中心として、イベントワークショップなどを実施する予定になっております。田辺市を中心に、展示会場は4会場ぐらいを考えています。

奥脇さん:
あえてあまり施設を書いてないというのは、野外での展示が多いとかそういうことですか?

下田:
会場側と調整中ということですね。

奥脇さん:
やはり会場になりますよね。施設内ですね。

下田:
ただ、一切美術館的な場所の予定はなくて、民家だったり、倉庫だったり。そういったところを活用しようと考えています。そこの持つ、場所の持つストーリーとか歴史とかも踏まえながらできたらいいなという感じですね。アーティストとしてはイタリア在住の廣瀬智央(ひろせさとし)(*)さんが中心となって、リサーチから進めてきております。

みかんの農地をフィールドワークしたりですね。間もなく情報をお知らせできると思います。

*廣瀬智央 : 公式HP https://www.milleprato.com/profile.php

奥脇さん:
面白いな。廣瀬さんの個展みたいな感じになりますか?

下田:
廣瀬さんの展示が中心のスペースもありますし、藪本さんの持っているアジアのコレクション作品と組み合わせて、ストーリーと共に見せるような展示ができたらと思っています。

藪本:
今回のコミッションは3点。廣瀬さん含む3人の作家です。その展示と、東南アジア、アジアのアーティストコレクション作品の組み合わせでの展示になると思います。

奥脇さん:
そういう組み合わせがいいですよね。

下田:
今ご視聴の皆様も、是非この期間チェックしていただければと思います。

藪本:
最後に奥脇さんにコメントをいただいて、本日のクロージングとしたいと思います。今後の美術館のあり方や、やりたいことや考えられていることなんかを、最後にお伺いしたいですね。

奥脇さん:
耕すべき根とか、何か作り変えていくべきレイヤーみたいなものは、日常の色んなところにあって、それぞれをそれぞれのやり方で介入し直していって、何かに作り変えていくということを僕らは普段意識しないでやっていると思うんです。

意識しないでやっているがゆえに、こういう状況になっているというところもあると思います。そういう部分に対して、振り返り、省みながら、別のもう一つ何か、オルタナティブな部分に進んでいくときに、今ここにあるインフラとしてのミュージアムとか、あるいは畑とか、農作業とか、今の社会を支える構造を、少しでもよりよく読み替えるようなことをお互いの立場でやっていけたらと思います。

お互いが、よりよい何かに向けて模索していくということの中にも、超芸術化する世界は常に含まれていると思っていて、そういうものだと信じて、お互いできることを交換しあったり、持ち寄ったりしながら、仲良くやっていきましょうって、最後言って終りにします。ありがとうございました。

藪本:
ありがとうございます。地理的に、全然場所は違うんですけれど、なんとなく似てる気がしています。現代アートで言うと、互換連携で青森県はやられていて、アート県青森ですので、ぜひ視聴者の方も青森に足を運んでいただければと思います。

本当にすごいなと僕は思いましたので、和歌山県もそこから学びながら、活動していきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。本日はありがとうございました。

奥脇さん:
ありがとうございました。体に気をつけてお互い元気にやりましょう。

下田:
少し時間が過ぎてしまいましたが、最後までご視聴いただいた方々、本当に長いお時間お付き合いくださいましてありがとうございました。

オンラインではありますが、改めて本日のゲスト奥脇さんに皆様、ぜひ拍手をお願いします。

奥脇さん:
ありがとうございました。

下田:
本日のみかんダイアローグはこれにておしまいです。

本当に皆様、そして奥脇さんご参加いただきましてありがとうございました。

皆さま、10月の展示と、青森の方にもぜひ行ってみてください。

藪本:
はい、ありがとうございました。