Vol.5 『みかん神話 紀南の神を知ろう』トークショー ・テキストアーカイブ(後編)

2022年10月22日(土) 、みかんマンダラ展会期中に開催したトークショー「みかんダイアローグ vol.5」のテキストアーカイブの後編です。

前編はコチラ>>

目次

2.【パネルディスカッション】紀南の神さまの発見
1)原さんと坂本さんの紹介
2)みかんと神様
3)熊野と高千穂の神
4)目には見えない「根」が大切
5)熊野の信仰
3.【質疑応答】
4.【さいごに】

2.【パネルディスカッション】紀南の神さまの発見

撮影:丸山由起

藪本:
貴重なお話、本当にありがとうございます。山本先生からはさまざまなキーワードをいただきました。「天皇家とニギハヤヒの併存」、「自分の神様を見つける」等、多くの学びがありました。

私も山本先生に、リサーチペーパーの文章をみていただいた時に「参照文献がだめだ」といわれました。それで、最初に言われた言葉が「さかさま」なんだと。「古事記をさかさまに読まなければいけない」と。

その時に同時に「アマテラスはかわいそうなんだ」と言われました。アマテラスは長期に渡り奉りあげられすぎて、逆にかわいそうなんだ。そして、自分たちの国の神様を見つけることが重要だと言われて、こういう場を作ることができて、本当に嬉しいです。

それでは、第2部として、パネリストの坂本さんと原さんに登場していただきます。

では、原さんから簡単な自己紹介をお願いします。

1)原さんと坂本さんの紹介

撮影:丸山由起

原:
田辺市の紀州原農園というところでみかんを生産しています原と申します。

私は古事記や日本書紀には疎いんですが、柑橘については、日本からどのように発展していったかなどの成り立ちを調べています。今日の先生の「自分を深掘りすることで自分を発見する」ということを聞いて、柑橘を作りながらそういうことをやっているのかな、と感じました。

日本の柑橘を語る上で、橘の話がでましたが、橘というのは不思議な柑橘です。私たちにもわからないことがたくさんあります。橘を祖とする柑橘がほとんどを占めています。

「紀州みかん」(※)といわれている、タネがたくさん入っている昔からの柑橘と、たぶん東南アジアから流れてきたと言われているクネンボ(※)と合わさってできたのが、「温州みかん」(※)といわれています。

(※)紀州みかん・・・和歌山県、鹿児島県で生産される柑橘類。温州ミカンよりやや小ぶりのミカン。甘みが強く、独特の香りがある。中国原産で、日本では九州地方で1500年代に栽培が始まったとされる。「小みかん」ともいう。温州みかんの普及以前には最も普及していた品種。

参考:コトバンク

(※)クネンボ(九年母)・・・ミカン科の常緑小高木。インドシナ原産で、古く中国を経て渡来し、栽培される

参考:コトバンク

(※)温州みかん・・・一般にミカンとして親しまれているのはウンシュウミカンで、日本の果樹のなかでは栽培面積、生産額ともに他の果樹を引き離している。(中略)鹿児島県出水郡東長島村には、クネンボとよぶ推定樹齢300年以上とされたミカンの古木があり、これをウンシュウミカンの原木としている。

参考:コトバンク

温州という名前ですが、江戸の後期に鹿児島で発現したみかんです。これが今のいわゆる「みかん」です。

藪本:
そうなのですね。ありがとうございます。続きまして坂本さん、簡単な自己紹介や何か質問があればお願いします。

撮影:丸山由起

坂本:
坂本このみと申します。田辺の出身です。熊野古道をほっつき歩いているだけで、何か詳しいとかいうわけではありません。記紀神話のことなど、改めて勉強しなおさないといけないなと思っているところです。

山本先生でも頭がこんがらかってしまう、ということですけども、熊野古道であるとか、フィールドワークを中心に熊野の神様について自分の目線で見聞を深めているところです。

今は語り部の会の事務局も担当していて、旅行にお越しの方をご案内する仕事もしています。今日は、ニギハヤヒの話とか非常に興味深くて、聞けば聞くほどわからなくなるんですが、スサノヲが謎の多い神様だというのは、語り部の中でも話に出てきます。

山本:
スサノヲはいろんな場所の神様の主張を全部吸収したんだと思います。だからどこにでもいるように見えてしまう。大国主とスサノヲが場所ごとの神様を表現しているというふうに私は理解しています。

その神様がアマテラス、つまり天皇家に国を譲るんですよ。あるいは国を譲らされるんです。そして、スサノヲはアマテラスから地上に追い出されます。それが国作りの神様の運命なのでしょうか。このことは、古事記や日本書紀にも書いています。つまり、これは単に天皇家万歳という本ではないということです。

スサノヲを追い出したアマテラスですが、アマテラス自身も垂仁天皇のときに大和から追い出されます。日本書紀にも詳しく書かれていますが、アマテラスは奈良に住めないんですよね。紀伊の方に逃げて行って、伊勢でやっと場所を見つけるんです。だから伊勢神宮は離れたところにポツンとあるんです。あれは奈良を追い出されたからなんです。

追い出されたというと、不敬罪になりますから誰も言いませんが、ちゃんと古事記に書いてあるんです。私もそれを読んだ時はびっくりしましたよ。大和にはアマテラスを祀っている神社はないんです。アマテラスが通ったという神社はあるんですけどね。だから非常にかわいそうな神様なんです。天皇家の皇祖神になるんですが、私は悲劇の神様だと思っています。

2)みかんと神様

撮影:丸山由起

藪本:
今回フィールドワークをする中で、みかんを栽培されている農家の方の農地をいろいろ回って、摘果や剪定を拝見しました。その技術はみかんの木全体を見ている、どこか神懸っているように見えました。

それで、原さんに聞いてみたいのですが、柑橘農業をしながら、何か信仰している神や、神との接点などはありますか。

原:
温州ミカン産業というのは、戦後ビジネス的に始まったところがありますが、和歌山で古くからある「キンカン」「小みかん」「橙」などには神々との接点がありそうですね。温州ミカンに流行が変わってからは、栽培もビジネス的ですよ。

白浜の海岸に橘が自生をしているところがあります。日本では珍しいですね。あと、うちの倉庫の裏に祀っている神がいます。

藪本:
倉庫の裏に祀られている神様というのは、どのような神様ですか。名前はありますか。

原:
名前のない神様です。

藪本:
そうなんですね。熊野を巡っている時に、ある神社で「ここはどうしてスサノヲを祀っているんですか」と聞いたら「湯治の流行りだったのでは??」と言われたことがあります。

山本:
いや、これは明治時代の合祀で、全部消えてしまったんです。南方熊楠はこれにひどく抵抗しました。これを捨てると場所が滅びる、国が滅びると言って、真正面から反対したのが南方熊楠です。これも紀州の人間であるというおもしろさがありますね。

原:
うちの地区には、熊楠がよく出入りしていたそうで、村長が熊楠とすごく仲良しだったそうです。そのため、うちの地区は神社が全部残っていて、たくさんあるので大変だそうです(笑)。神がそれぞれの地区にたくさんいるというのは、そこに住む者にとって安心感を与えてくれますね。

藪本:
もう一つお伺いしたいのは、原さんのところの農園は、品種がすごく多いですよね。いろいろな神、いろいろな柑橘が併存している所だと思います、そこのところは、アニミズム的なことと何かつながっていたりするのでしょうか。

原:
ビジネス的にいうと、南紀白浜という西日本最大の観光地があるので、年中柑橘を使ってくれる場所だというのがあります。もう一つは、南方に近かったというのもあって、いろいろな品種を受け入れやすかった、というのもあると思います。

先ほど紹介した「クネンボ」は「九年母」という漢字を当てはめます。これは江戸の中期までは日本のメイン品種だったといわれています。皮がくさいんですけど、とても甘みがあります。その後小みかんにとって変わられますが、このへんのせめぎあいも面白いので、もっと突き詰めたいですね。

藪本:
鏡餅を最初に紹介しましたが、「鏡餅」や「しめ縄」にどうして「みかん」がついているのか、山本先生や原さんに聞いてみたいです。

山本:
代々つなぐ、から「橙」がきているのでしょうが、どうしてなのかはわからないね。

原:
紀州みかんというのはタネがたくさんあるので、子宝に恵まれるということもあるでしょうね。江戸時代は武家社会なので、タネのない柑橘はいっさい売れなかったと聞いています。江戸文化の中ではそういうことが多くあって、紀伊国屋文左衛門が嵐の中、江戸に運んだのも紀州みかんでした。江戸の文化との絡み合いがあると思いますね。

山本:
単なる語呂合わせではないんだよね。なにか根拠があるんでしょうね。

藪本:
お餅といえば「稲作」ですよね。稲作とアマテラスはとても密接な関係があって、この補助機能を担っているのが橘なんじゃないかな、と思ったりします。

イザナギが黄泉の国から帰って来たときの祓詞(はらえことば)の中にも「橘」という言葉が入っています。「橘」には「間を断つもの」「直立しているもの」として「橘」があったのではないか、と考えています。

原:
西洋では、オレンジは「太陽の神」の象徴だというのが出てきます。レモンが原種のエトログ(※)は、ユダヤ教では非常に大切にされています。

(※)エトログ・・・エトログは、仮庵祭りの1週間の休暇中に、ユダヤ人が4種の1つとして使用する黄色い柚子または柑橘類の薬。参照:Wikipedia

今日は仏手柑(ぶっしゅかん)(※)を持ってきています。「仏の手」と書きます。これはレモンの仲間なんですが、かなりエトログに近い柑橘になります。

撮影:丸山由起
(※)仏手柑・・・ミカン科の常緑低木。インド東部原産。マルブシュカンの変種で日本には江戸時代に伝わり、観賞用に栽植される。参照・コトバンク

藪本:
これも原さんのところで育てられているんですか。

原:
はい、そうです。これは西洋から日本に入ってきた柑橘類です。英語では「buddha’s hand lemon(仏陀の手のレモン)」といわれていて、インドでもたくさん作られています。

レモンは奇形果が出やすいです。それを人間が何百年もかけて手を入れて、できあがったものです。今の日本でもお茶の初釜(※)の飾り物に欠かせないもので、ほとんど京都に出荷されています。

(※)初釜・・・新春を迎えて初めて開く茶会。参考:コトバンク

山本:
味はどうなんですか。

原:
仏手柑には実がないんですよ。皮だけなんです。

坂本:
ピールみたいにして食べたりするんですか。

原:
そうですね、皮を削って料理の香りづけをします。高野山ではこのまま甘露煮にして、お土産用として販売されています。

3)熊野と高千穂の神

撮影:丸山由起

藪本:
すごくおもしろいですね。

それでは次に坂本さんにもお話をお聞きしたいのですが、ひたすら熊野古道を歩かれている中で、「これはスサノヲなのか?」「これはニギハヤヒなのか?」みたいなことは感じますか。また、歩きながら別の名もなき神様を感じられることはありますか。

坂本:
「鬪雞神社(とうけいじんじゃ)(※)は、熊野本宮が流される前の社殿を残している」といわれている神社ですが、主祭神はスサノヲではなくて、那智のイザナミであるとなっています。

(※)鬪雞神社・・・社伝によると允恭天皇8年(419年)に創建。社殿は熊野本宮大社が川の増水で流失する以前と同じ配置をしており、熊野信仰の歴史をいまに伝える貴重な場所です。参考:田辺観光協会ホームページより

私の語り部の先生にあたる方が、神様について詳しいお客様をご案内したときに、「鬪雞神社はどうしてスサノヲではないんですか」と聞かれるのが非常に困るんだと、言っていました。

教科書通りの答えとしては、「田辺の兵乱の時に取り壊された社殿を、那智の比丘尼の人たちの尽力があって再建したから、その時に変わったんだ」という説明をしていますが、自分では納得がいかないんだ、と言っていますね。

先住民族のようなものが古代にあっただろうと私も思います。記紀神話の中にも「攻め入った」と書いてあるわけですから、戦いが行われているのはまぎれもない事実です。そうすると、そこにいた土着の人たちというのは、どこにいったのかな、と思いますね。それが神話の中で、名前を変えたり、姿かたちを変えて残っているようなものをにおわせている、というのは感じます。

スサノヲが熊野に攻め入った時に、毒気(あしきき)にやられて全員気を失って倒れる、というお話があります。そこに、神倉神社(かみくらじんじゃ)の主祭神であるタカクラジがあらわれて、宝剣を与え復活するというエピソードがあります。これは何をあらわしているのかなあと考えて、私は「鉱毒」ではないかと思いました。

那智の妙法山や色川あたりには、鉱山の跡がたくさん残っています。「宝剣」というのも、鉱山で取れる鉱物で、刀を作る技術があったと考えられます。

地名の「田辺」と同じ田辺家という一族が、鎌倉時代くらいに出雲に渡っています。それで、たたら製鉄(※)を始めるんですね。

(※)たたら製鉄・・・日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称である。参考:Wikipedia

田辺家が熊野出身であることは事実です。それに、熊野の山の中にある「一本だたら」(※)という妖怪は、目玉が一つしかないんですよ。それで足も1本で。

(※)一本だたら・・・和歌山県と奈良県の境の果無山脈では、皿のような目を持つ一本足の妖怪で、12月20日のみ現れるといい、この日は「果ての二十日」と呼ばれて厄日とされた。和歌山県の熊野山中でいう一本だたらは、姿を見た者はなく、雪の降り積もった上に残っている幅1尺ほどの足跡を見るのみという。参考:Wikipedia

宮崎駿監督の『もののけ姫』でも、ふいごをふんで片足をやられる、火を扱うので目もやられる、という話がありますが、そういうところからこの妖怪が生まれたと感じます。そして、たたらの製鉄の技術と出雲には何かつながりがきっとあるんだろうなあ、と思っています。

さらにこじつけてみると、金屋子神(カナヤゴカミ)という製鉄の「たたら場の神様」がいるんですけども、この神様は橘の木が好きだそうです。犬に追いかけられた時に、橘の木からつるをつたって逃げたので、必ずお祭りやお社にはみかんをお供えする、という話があります。やはり田辺とつながっているのではないかと、嬉しく思いました。

山本:
オオモノヌシの娘に「媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)」というのがいて、神武天皇に嫁いで妃になるんですが、「タタラ」という言葉が入っています。だから、「たたら」の鍛冶技術はすでにそこにあったんだと思いますよ。

坂本:
そうですね、剣があるということは、製鉄技術があった、ということですからね。

山本:
熊野というのは、きっと何でもあったんだろうと思いますよ。だから神武はこちらに逃げ込んだ。そして、味方になってくれる人を探して、統治の仕方を学んだから、大和に入れた、ということです。

逆に言うと、熊野の資源なくして、天皇の統治は不可能であったということですね。

基本概念として大事なことは、クニツカミ、つまり場所ごとに神様がいるということです。その神様は場所ごとによって違う神様なんです。それで、アマツカミというのは、天皇家が自分たちの脈流を正当化するために、天に作り上げた神様です。

けれども、アマツカミという神様は、実は場所ごとのクニツカミが、何らかの形で自分たちの来方神(※)をアマツカミとして置いていたんです。それを天皇家が上手に統合して、高天原にのせて、アマテラスへの系統を作った時に、イザナミとイザナキを国生みの神様に作り上げたわけですね。

(※)来方神・・・1年に1度季節の変り目に人々の世界に来訪して,豊饒や幸福をもたらすとされる神々。参考:コトバンク

撮影:丸山由起

高千穂に、夜神楽(※)というのがあって、高倉神社で観光客用の夜神楽をやるんですよ。村ごとで24時間やっているんだけど、観光客用のものもあります。そこに出てくるイザナミとイザナキは、酒造りの神様なんですよ。これには驚きました。

国生みの神様が、「酒造り神様」だと。しかもイザナキが酔っぱらって、観光客の女性にちょっかいを出すんですよ(笑)。それで、イザナミが嫉妬して「ごめんごめん」と戻ってきて、また真面目に酒造りをやっているという話なんです。これを高千穂神社がやっているわけですよ。

山中という村の舞では、アマツカミみたいな神様が出てくると、山中の神に追い出されるんですよ。そこの人たちは、昔からの伝統でそれをやり続けているんですね。高天原だと思われる場所の民衆の夜神楽で、それを守り続けている。これが私の国作り発見の大きなきっかけになりました。これはいったいなんなんだと。それで、古事記を読み込むことになったわけです。

(※)夜神楽・・・夜神楽とは、里ごとに氏神(うじがみ)様を神楽宿と呼ばれる民家や公民館にお招きし、 夜を徹して三十三番の神楽を一晩かけて奉納する、昔からの神事です。

参考:高千穂町観光協会

藪本:
ちょっと整理しますと、アマテラスという天つ神(アマツカミ)は当然重要だとしても、国つ神(クニツカミ)という場所の神様と共通するものを地域ごと、場所ごとに発見していくことが重要ということですね。

山本:
そうです。それが自分を作るということです。大事なことは外から持ってくるのではなくて、そこの場所にあるんです。自分たちはこの場所をこうしていこう、と思いながら作る。それがいい加減な思いであれば失敗します。歴史をつかんで、生態環境をつかんで、科学的な分析もちゃんとやることです。単なる信仰ではないということですね。

4)目には見えない「根」が大切

撮影:丸山由起

藪本:
先日、カンボジアの現代アーティストであるクヴァイ・サムナン(Khvay Samnang) 氏をお招きして、お話を聞いたのですが、「われわれのかみはnature、自然だ」と言っていましたね。われわれも熊野を再度捉え直しながら、「根が実る」のか「果実が根付くのか」という観点で、その揺れ動かしをやろうとしています。原さんは、樹木や根に神を感じることはありますか。

原:
目に見えるのは「地上分」です。本当は「地下分」が非常に重要で、そこはかなり想像を働かせなくてはいけません。根はどう張っているのか、どう動いているのか、というのは、想像でしかないわけです。地上分しか見えないので、地下分の深掘りをしないといけませんね。それが、さきほど山本先生が言われていた、土地を見つめることとつながるのかもしれませんね。見えないことをどう感じるか。ということは重要だと思います。

藪本:
根はどのように伸ばしていくのですか。

原:
科学的にはいろいろあるのですが、表に出現しているところを見ながら、地下部分はこうなっているのかな、と想像しながら栽培します。そして科学的に言われているようなことを整合しながら手入れを繰り返します。

土地や気候、自分の持っている技術や知見を考慮して木と向き合うことは、常に結果に表れてきます。根を想像することは、栽培上、非常に重要だと思っています。

藪本:
枝をどう切るかということと、地中の世界とは、つながっていると聞きました。

原:
もちろんつながっています。切ったからどうなるのかというのは、想像でしかないのですが、そこは意識しています。特に結果として何を求めるかということを意識しながら、自分の経験を積み重ねながらやっています。

藪本:
ありがとうございます。勉強になります。

坂本さんもどうでしょうか。熊野古道を歩きながら、森だらけ、木だらけ、樹木だらけ、何なら根も表出している中で、何か感じるものはありますか。

5)熊野の信仰

坂本:
基本的には自然信仰がスタートの国だと思います。大きな岩や那智の滝も信仰の対象です。ただ自然というものの考え方が、農耕が始まった弥生時代にちょっと変わってきたと思います。

先日の10月2日に花の窟(はなのいわや)(※)のお祭りがありました。花の窟という巨大な岩に、イザナミが祀られています。火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を生んだ時に、陰部を焼かれて亡くなったという伝承からです。

(※)花の窟・・・花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。参考:花の窟活性化地域協議会ホームページ

記紀の神話、イザナミは後から入ってきたものだと私は思っています。きっともともと何かお産で亡くなった人を祀ったりだとか、安産のためのお願いがあったところに、イザナミがあとからのっかったのではないのか、と想像しながらお祭りを見ていました。

170メートルくらいの大綱を渡すお祭りです。なぜしめ縄にみかんを飾るのかもそうなのですが、しめ縄というのは、「雲」を表していると言われています。そして、ギザギザの紙が「雷」を表している。つまり「雨が降るように」という農耕の文化のあらわれであると思います。

お祭りの大綱は、農耕文化の名残なのか、というと私はちょっと違うなと感じます。この大綱は7本の綱をまとめたものになっています。それは神が生み出した7つの自然を表していると言われています。でも、私の中ではそれはへその緒に見えたんですね。

すごく小さな境内で、そこにいるたくさんの人がその綱を持って、山を抜けて七里御浜の海に出ます。鬱蒼とした木々の中から海に出ると、外界がひらけたような感じがあって、出産の儀式のような感じがしました。こういうものが信仰の始まりじゃないかと。

農耕的な文化も、もちろん自然に祈るのですが、アマテラスを信仰しているところが熊野ではないんですね。社殿には祀られてはいるんですが、アマテラス信仰というものが熊野の神かといわれると、ちょっと違うと感じます。

「生きる」「死ぬ」という究極の極限に「出産」というものが加わって、磐座(いわくら)の信仰のひとつになったのではないかな、と思います。

藪本:
ありがとうございます。

自分たちの神を見つけるヒントは、まさに現場、その「場所」自体にたくさんあるのでは、と思いますね。

坂本:
山本先生も高千穂のお祭りで驚くことに出会った、と言われていましたからね。地元のお祭りには、もっと行かないといけないと感じました。

山本:
意識していないのに、実は驚くようなようなことを地元ではちゃんと守り続けているんですよ。

3.【質疑応答】

藪本:
ご参加の皆さんも、「我々の神様はこれだ」というものが、あればぜひ教えてください。

参加者 1:
バーテンダーをやっているので、洋酒を扱うことが多いのですが、日本でもお酒を造るのを司どっているのは神社ですよね。そこについて、自分のアイデンティティを調べる必要があるな、と感じました。

山本:
日本の神様のカクテルとか作ったらどう?有難味がでてくるんじゃない(笑)?

参加者 1:

「乙女の口噛み(※)」が一番売れると思います(笑)。

(※)口噛み・・・環太平洋地域に広く分布していた口嚼酒(くちかみのさけ)は,穀物やいものデンプンを唾液(だえき)の酵素で糖化し発酵させたものであるが,これを嚙(か)むものは女性,とくに処女がえらばれている例が多い。参考:コトバンク

参加者 2:

私は、林業を専業としています。木の神様というのは、和歌山市に伊太祁曽神社(※)という神社がありまして、五十猛命(イタケルノミコト)を祀っています。スサノヲの子どもということです。木材関係の会長とか社長とかが必ずそちらにお参りをするそうです。

(※)伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)・・・伊太祁曽神社は我が国に樹木を植えて廻ったと 『日本書紀』 に記される 「五十猛命(いたけるのみこと)」 を祀る神社です。植樹神五十猛命は一般には「木の神様」として慕われています。(中略) また 『古事記』 には 「大屋毘古神(おほやびこのかみ)」 として記され、災難に遭われた大国主神(おほくにぬしのかみ)の生命を救った話が記されています。参考:伊太祁曽神社ホームページ

本宮大社もケツミミコがスサノヲだということで、木の神様を祀っているという話があります。スサノヲの胸の毛から「ヒノキ」ができたという話も聞きます。そのあたりの木と神様の関係のお話をお聞きしたいです。

山本:
そういえば、高木の神(※)って、「木」なんですよね。アマテラスの知恵者です。高木の神に藤原不比等は、自分を同義したといわれています。

(※)高木神・・・高皇産靈神は、日本神話において2番目に生まれた神です。『古事記』では高御産巣日神、『日本書紀』では高皇産霊尊と表記されております。「天孫降臨(てんそんこうりん)」・「葦原中津国平定(あしはらのなかつのくにへいてい)」の際には「高木神(たかぎのかみ)」という名で登場します。高木が神格化されたものを指したと考えられており、「産霊(むすひ)」は「生産・生成」を意味する言葉であり、3番目の神、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神とされます。参考:高木神社ホームページ

「木」というのは、古事記の中で表にはあまり出てこないものです。隠れている状態で織り込まれているという感じを受けますね。基本的に天皇家の神話というのは「稲」の神話を作り上げていくものなんです。

例えば、農業だと畑を作るのに木は邪魔になってしまいます。木を尊重したときに、どういう形で疎外したのかな、ということが、自分の問題意識の中に入ってきている感じです。

皆さんに伝えたいことは、今目の前のこの木は、100年前に植えられた木で、皆さんのご先祖の人たちがそれを作ったわけです。それが今目の前に合って、目の前にあるこの木をさらに未来に託すんです。

林業というのは、今あるものを過去や未来で資本として作っているわけですね。製材所で磨かれて、商品になって売られていく。商品ができるためには、木の資本を100年200年かけて作らないと成り立たないわけです。

車を作る過程と比べると、完全に忘却している、ということがはっきりわかります。経済活動の基本がずれています。産業社会というのは、商品を1日でも早く作り上げるもので、買った時が一番美しくて、あとはひたすらゴミになる。そういうものです。それはもう限界なんだろうと感じますね。

木を資本として考えるということは、「神様は資本」だということにつながります。神の経済は、木の資本のように何百年、何千年の規模の話なんです。それが日本の資本です。これが他人事のようになっていることが、不健全さを招く原因になっていて、今の政治家たちの言動になっているわけですね。

藪本:
今回の「みかんマンダラ展」のテーマは、「キャピタリズム」ということで「資本主義」に対する提案の意図もあります。具体的には、「キャピタリズム」というのは、ギリシャ語の「カプート(caput)」からきています。「カプート」というのは、「果実」なんです。

「みかんマンダラ展」のデザインは、「果実なのか、根なのか、曖昧にしよう」ということで作りました。「果実」だけではなくて、根も資本、土地も土も資本だと思うので、そこにいる神様も資本なんでしょう、という思いを込めたデザインです。

さて、そろそろお時間になってきました。ご質問がある方はお願いします。

撮影:丸山由起

参加者 3:
原さんのところの農園は、みかんの品種をいろいろ育てておられるということですが、「紀州みかん」って何?ということをお聞きしたいです。

古事記に出てきた「橘」は、日本の固有種でいいのですよね。そして、「小みかん」は「紀州みかん」なんですよね。これの源流は何になるんですか。野生種なんでしょうか?

原:
ゲノム分析をやれば、親が何かというのはわかります。ただ、その中で事実にプラスして、色々な思惑があります。その結果が人間が利用できるかどうか、ということが大きいので、そこをひもとくのは難しいです。

ゲノム分析を待つのが一番ですが、温州みかんが大ブームになる以前に、日本ではクネンボの人気が出ているんですね。白浜に自生している橘も、日本各地にある橘も間違いなく東南アジアから流れてきた種で、日本で代々続いてきた中で日本の固有種となったんだろうと思います。

その土地で人間がどう利用していくか、ということによって、色々な系統がある中でそれが選抜されてきたんだろうと思います。そこはまさしく神話ととらえてもいいのかもしれませんね。

山本:
測定可能なものを近代の科学でやっているだけですからね。測定できないものが事実にはならないのですよ。例えば今私が何かを感じたとするでしょう?これは測定できないものです。それは自然や環境に対してもそうです。測定不可能なことをそのまま放置しているから、環境がおかしくなってしまうわけです。

原:
間違いなく選抜されて、栽培品目としてできた品種だと思います。

藪本:
オンライン上でも質問が来ていますので、ご紹介します。

『私は天鈿女命(アメノウズメノミコト)(※)様を大切に思っています。芸能の仕事をしているのですが、この方のようなエンターテイナーになりたいです。どうしたらいいですか。』

とのことです。

(※)アメノウズメノミコト・・・アマテラスオオミカミが岩戸に隠れたとき,空槽 (うけ) を伏せ神がかりして,胸乳をかきいで,裳緒 (もひも) を陰 (ほと) に押し垂れて踊ったとある。原始時代の神事舞踊における、巫女的性格を有した者とされ、古くから神事に参加し、のちに伊勢神宮に仕えたサルメノキミの祖といわれる。参考:コトバンク

山本:
神話では、胸をはだけて陰部をさらすというとんでもないヌードダンスを披露する神なんです。さきほど紹介したウマシマズは、物部、穂積、尾張の祖とされるのですが、采女(ウズメ)もニギハヤヒの系統になります。

それなのに、そのウズメがアマテラスの天岩屋戸(あめのいわやと)を開けるところにも出てきます。天孫降臨で、一緒にくっついても行くんです。だからこの芸能の神様のウズメというのは、非常に変な神様です。どちら側にも出てくる。サルタヒコの嫁になって、サルタヒコと伊勢に行くんですけどね。ウズメの系統があるということは事実です。

藪本:
それも神様と言うことですね。幅広く自分たちの神様を見つけることができる、という一つの例なのかと思います。

山本:
高千穂の舞では、手力雄(タヂカラオ)(※)とウズメが主役なんです。お土産もその二人のものが多いんです。

(※)手力雄・・・日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神。天孫降臨に従った。参考:コトバンク

参考:一般社団法人 高千穂町観光協会ホームページより

藪本:
それでは、そろそろお時間がせまってきましたので、最後の質問をお願いします。

参加者 4:
さきほど、山本先生がメキシコの研究もされていると言われていましたが、私は、1年ほど前からタコスを作っているんです。それで、ネットフリックスに「タコスのすべて」という番組がありまして、そこで、マヤのタコスで橙の果汁を使うというレシピが紹介されています。

その橙は、スペインに征服されたときにヨーロッパから伝わったものなのか、アメリカ大陸にもともとあって、メキシコの神話の中でなにかしらの事実があるものなのかな、と思ったのですが、どうでしょうか。

山本先生:

アステカ神話の中の「ケツァルコアトル(Quetzalcoat)」というのは 日本でいうところのアマテラスのような神です。そして、スペイン人が書いた、という神話のお話があるのですが、その文章はスペイン語とナワトル語(※)で書かれています。日本ではスペイン語で書かれた方の文章をアステカ神話としています。日本でいうと古事記のようなものです。

(※)ナワトル語・・・アステカ語、メヒカノ語ともいう。ユート=アステカ語族最大の言語。参考:コトバンク

それで、僕の友人の人類学者で、アルフレド・ロペス=アウスティン(L´opez-Austin、Alfredo)(※)という人がいるんですが、彼がナワトル語の原文を読んでみたら、神様が全然違ったらしいです。

単純に言うと、半神半人です。半分神様で半分人間。ケツァルコアトルというのは、そこの冠のところにすべての場所の神様、つまりクニツカミを入れて統合しているんですね。これは日本の天皇家と同じような神話です。

「橙」がどうしたかというような、詳しいことはわかりませんけれども、メキシコの神話の理解はそういうことです。(※)『カルプリ:メソアメリカの神話学』著:アルフレド・ロペス=アウスティン(L´opez-Austin、Alfredo)文化科学高等研究院出版局 2013年2月発行 (Amazon)

4.【さいごに】

藪本:
それでは、最後にパネリストのお二人と山本先生からお言葉をいただきます。坂本さんお願いします。

坂本:
今日は、わからない知識がさらにわからなくなるということになってしまいました(笑)。改めてまた勉強します。答えがあるわけではないんだろうと思いますが、それが熊野のおもしろいところなので、さらに知識を深めていこうと思います。

藪本:
まさに、「自分でいい」ということですね。「自分で考えたこと、そのままでいい」ということを示しているんでしょう。

坂本:
そうですね。熊野はキリスト教のように神様は1人ではないという世界なので、いろいろなものを許容する入れ物のようなものだと考えています。「何でもありの世界」だと思いますので、自分なりの答えを探したいと思います。

藪本:
ありがとうございます。では、原さんお願いします。

原:
柑橘生産者として、多種多様な柑橘を作っているのですが、経済合理性がないと言われると、まさしくその通りなんです(笑)。ただ、今日のお話を聞いて、それが自分を探す旅なんだろうと思っています。そういう意味では、いろんな柑橘に出会って、それぞれの柑橘の歴史やつながりを知るということは、自分を知ることにつながっているな、と先生の話を聞いて本当に思いました。

自分の住んでいるところの神を知りながら、このままやっていっていいんだ、と山本先生に背中を押してもらえた時間でした。ありがとうございました。

藪本:
経済合理性の話が出ましたが、世界中に原さんの柑橘のファンがいるわけですから、原さんの存在自体が地域にとっては資本なんだと感じます。

最後に今日は非常に貴重なお話をいただきました山本先生から、コメントをいただけましたら幸いです。

撮影:丸山由起

山本:
私がもう少し若ければ、熊野古道に連れて行ってくれと言うのですが、またそれは次の機会にお願いします。今日は、若い人たちがたくさんいらっしゃっていたのに驚きました。

私が自分で着物を着ながらやっているのは、着物を着て、実感で感じていくものを見つけていかないといけないですね。洋服って便利なんですよ。靴も便利なんです。草履で山を歩くのは大変なんですよ。

でも、そういう不便さを自分の体の中で、共存しながらやっていくことで、自分を取り戻していくんです。私が大学で教わったことは、ほとんど役に立たなかったです。そうではなくて、素直に古事記を読むとか、古典を読むとか、現実の自分が生きている生活の場所で、目の前で起きていることをそれ自体をつかむということですね。

単純なことですが、「真実は目には見えない」のです。自分で考えるしかない。これは「星のおうじさま」が言っていることです。「でも、心では感じられるんだよ」ということです。

心に感じたことは素直に「どうしてここで、こういう感じを受けるのだろう」と問い直すと必ずその根拠があります。その根本を古事記や日本書紀、先代旧事本紀などを見ると、その軸のところに神武とニギハヤヒという軸があって、これを共存して見ていくと、いろんなことが見えてくる、という指標になっています。

指標になるときに、これはニギハヤヒと天皇家の神武だ、ということだけがわかってきました。そこの現実の実際は、この熊野にあるな、という感じがします。ここから始まる、ということで、今日は天孫降臨ですね。

藪本:
まさに我々のプロジェクトも始まったばかりですからね。今日は大勢の皆さんにお集まりいただき、本当にありがとうございました。山本先生とパネリストの坂本さん、原さんも、エキサイティングなお話をありがとうございました。