コラム

コラム「分解の哲学 -発酵と食を巡って-」

分解の哲学

-発酵と食を巡って-

紀南アートウィーク実行委員長
藪本 雄登

1 「生産すること」と「分解すること」

 ――「『生産』力の向上」――

今の時代は、『生産』力ばかりに目が向けられている。「分解(decomposition)」の作用が軽視されている世界だ。故郷・和歌山県紀南で、めっきり数が減ってしまった漁師と話す機会があった。養殖技術の発展もあり、『生産』量が増えすぎたことによる歪みを感じられずにはいられない。日本における長きに渡るデフレーションの原因の一つは、実は、『生産』システムへの過剰投資ではないだろうか。他方、長年住んだアジアの都市では、もはや分解しようがコンクリート建造物や自動車ばかりが増えている現状を目の当たりにしてきた。

この『分解』の重要性に迫ったのが、藤原辰史著の『分解の哲学――腐敗と発酵を巡る思考』だ。「持続可能な循環型社会」というキーワードは、世界各地で言い慣らされている。より深く「循環」を考える上で重要なのは、『分解』の概念や哲学なのだが、『生産』ばかりに目が向けられ、『分解』が軽視される世界に警鐘を鳴らす。同書は、『分解』者としてイメージされやすい微生物のみならず、昆虫や動物、人間社会の屑拾や清掃員など、ときには社会の暗部として従事する『分解』者たちに温かい眼差しを向ける。詳細な『分解』者の説明は同書に委ねるとして、本書を通じて、『分解』者の視点や人間が『分解』の世界の担い手であること知覚することが、有機的で高度な循環社会を構築するために重要であることが理解できるだろう。

2 「発酵すること」と「籠もること」

『分解』の哲学を考える上で、一つの重要な題材が「発酵」である。

小倉ヒラク著の『発酵文化人類学』では、「発酵とは、有用な微生物が働いている過程」と述べられている。つまり、空気、土や体の中など、この世界のあちこちで、もっとも繁栄している『分解』者である微生物に委ねて、「食べてもらう」プロセスともいえる。

和歌山県は、諸説あるが、『和食の起源』に迫る場所であり、その理由が醤油や味噌等の発酵文化のルーツと密接に関連している。味噌や醤油の発酵過程に、麹(こうじ)を室(むろ)で籠もらせる過程がある。それは、室で籠もりながら、発酵菌が大豆をもっとも活発に「食べ」、そして、大豆が「食べられる」プロセスともいうことができる。

また、偶然にも、紀南地域紀南地域は別名「牟婁(むろ)郡」という。野本寛一著の『熊野山海民俗考』によれば、「牟婁」という地名は、「室」に由来し、神々が住む場所(部屋)であった熊野の系譜からきているといわれている。人間も「牟婁」において「籠もること(発酵すること)」によって、ミミズが世界の表層を取り崩すように、生産至上主義の世界を変革する『分解』者を生み出すきっかけになるのではないだろうか。

そして、現代においてその発酵文化を体現するのが堀川屋野村 *1。野村18代次当主の野村圭佑によれば、「大豆が発酵していくこと」と「人間が籠もりながら、内面世界を深く取り崩していくこと」とは類似点があると直感的に感じているようである。この点については紀南ケミストリーセッションで詳らかにしたい。

3 「食」と「美」

――『「料理をすること」と「食べること」は、それがたとえ毎日繰り返されるものであっても呼ぶに値する美的行為である』――

藤原辰史著『ナチスのキッチン ――食べることの環境史』のあとがきで、述べられる言葉だ。藤原は同書で、カフカの「断食芸人」を題材にしながら、「食べること」と「食べるもの」の美学的な劣化を告発する。

「10秒チャージ」等といった製品が大量にコンビニに並ぶ時代の食のあり方を考える上で、麹菌(ニホンコウジ“カビ”)が重要であり、その存在の大きさ、そして、その視覚的な美しさに心奪われる。カビは、普通の菌が分解できないような物体を分解する強力な『分解』力を持ち、死んだ生き物を「食べる」微生物だ。その強力な『分解』力は、他の菌のために道をひらき、私達が目に見る世界と目に見えない微生物の世界を繋ぐような存在である。ときには、酒、醤油や料理等を媒介して、人間と神までも繋いでしまう *2

さて、朽ちていく生き物を食い殺し、死体を食い貪ることは汚いことなのだろうか。いや、「死体を巡る饗宴」は、圧倒的に壮大で美しく、きれいなことなのではないだろうか?

――「きれいは汚い、汚いはきれい(Fair is foul, and foul is fair)」――

マクベスの一節より シェイクスピア

その神聖な『分解』者と対話する醸造家や料理人もまた『分解』者であり、さらに、その『分解』者自体をも日々「食べる」人間も『分解』者であるのではないだろうか。毎日のように「料理をすること」、「食べること」、「食べられること」という何層にも渡る『分解』の食物連鎖の「美」を見つめ直すことが、言い慣らされた「持続可能な循環型社会」という言葉にリアリティを与えるのではないだろうか。

以上


*1 堀川屋野村は、1688年(元禄元年)に生まれた廻船問屋であり、江戸に紀州藩の荷物を運ぶ機能を担っていた。ところが、ある日、船は漂流し、現在の北海道の択捉島に流れ着く。その結果、廻船問屋の事業は廃業に追い込まれるが、その代わりに醤油、味噌醸造所を展開し、現在に至る。400年変わらない手作りの手法で、伝統を維持している。詳細は以下URLより。https://www.horikawaya.com/08history/

*2 詳細は、小倉ヒラク(著)『発酵文化人類学』第一章ホモ・ファーメンタム-発酵する、ゆえに我あり-を是非読んで頂きたい。