コラム
教会の役割と紀南の未来
〈今回のゲスト〉
白浜バプテストキリスト教会 牧師
特定非営利活動法人 白浜レスキューネットワーク 理事長
藤藪 庸一(ふじやぶ よういち)さん
和歌山県白浜町出身。1999年に恩師の江見太郎氏から教会を引き継ぎ、牧師として20年以上、地域の課題解決に向けて尽力している。信条は、地域に仕えるという「献身の姿勢」を貫くこと。また、「白浜レスキューネットワーク」の理事長として、人命救済活動「いのちの電話」を中心に、保護した人たちの社会復帰支援、子供たちの基礎学力や社会性を育むための取り組みも行っている。
〈聞き手〉
藪本 雄登
紀南アートウィーク実行委員長
<編集>
紀南編集部 by TETAU
https://good.tetau.jp/
教会の役割と紀南の未来
目次
1.藤藪さんのご紹介
2.牧師としてのあり方
3.白浜レスキューネットワークの活動
4.「終末」と未来に残すもの
5.教会とアート
6.紀南地域の未来
1.藤藪さんのご紹介
藪本:
お時間を頂きまして、ありがとうございます。
本日は、これまで藤藪さんがどのような活動をされてきたのか、また、教会が担う役割や紀南地域の未来についてお話を伺いたいと思います。
まずは、藤藪さんから自己紹介をお願いします。
藤藪さん:
私は1972年8月6日に生まれ、子供の頃からずっと白浜町で育ってきました。富田小学校、富田中学校、熊野高校を卒業し、東京基督教大学神学部神学科*で牧師になるための勉強をした後、1996年に白浜に戻ってきました。
*参考 東京基督教大学
実家は草堂寺*の檀家で、クリスチャンの家系ではありません。私が教会に通い始めたのは、小学校1年生のときです。近所に住んでいるお姉ちゃんに誘われたことがきっかけで、毎週日曜日に行われていた教会学校に通うようになりました。
白浜バプテストキリスト教会は1953年に設立され、1979年4月には、私の恩師の江見太郎先生が人命救済を目的とした「いのちの電話*」の活動を始められました。白浜に戻ってから3年間は江見先生の下で働かせていただき、1999年には、教会と「いのちの電話」の活動を引き継ぐことになりました。私が教会を引き継ぐまでに、先生は既に672人の方を保護されていたそうです。
*参考 南昌山 草堂寺(熊野曼荼羅)
*参考 活動紹介(特定非営利活動法人 白浜レスキューネットワーク)
藪本:
江見先生は、どのような方だったのでしょうか?
藤藪さん:
江見先生は岡山県出身の方で、ご実家は神社だったかと思います。江見先生が牧師になるための勉強をしていた頃に白浜を旅行し、三段壁で「口紅の碑」という、心中された方が口紅で残したとされる石碑をご覧になったそうです。この出来事について、先生は「自分が白浜に遣わされることになれば、自殺防止の活動をしようと思った」という旨のお話をされていました。その後、先生は白浜に牧師として来られて、最初は牧師の仕事に専念されていたそうですが、後にいのちの電話の活動を始められました。江見先生は、過去にすさみ町や串本町でも牧師をされており、本当にバイタリティのある先生でした。
2.牧師としてのあり方
藪本:
藤藪さんは、どのようなことに感銘を受けて牧師になろうと思われたのでしょうか?
藤藪さん:
子供の頃から親しんできた聖書の内容に惹かれたということが、理由の1つだと思います。聖書の中には様々な話がありますが、基本的にはどの話も正しいことを教えてくれるんですよ。進むべき道が明確に示され、その選択が自分の中で納得できるというすっきり感がある。聖書のそのような部分に、私はすごく魅力を感じました。
また、聖書には、イエスキリストが全ての人のために命を捨てたという十字架の話もあります*。彼の弟子たちについても同じように、イエスの教えに基づいて命を懸ける姿が聖書の中に描かれています。このような懸命な姿勢に対する憧れも、私が牧師を目指す理由となりました。
*参考 十字架とは(コトバンク)
藪本:
牧師として、藤藪さんはどのような思いで活動されているのでしょうか?
藤藪さん:
私が特に意識しているのは、教会が持つ3つの役割を果たすことです。神様を指し示すこと、聖書を語ること、聖書の教えに従って生きること。これらは、江見先生から教会を引き継いだ後も、絶対に続けていかなければいけないことだと考えていました。
「指し示す」という観点から言えば、私自身の「牧師としてのあり方」も非常に重要なことだと思っています。私がどのような人間で、どのような考えを持っているのかということを、地域の人や教会に通うクリスチャンなど、常に様々な人たちから見られているんです。だから、自分自身の行動や信念をただ単に示すだけではなく、教会のクリスチャンたちにも理解を深めてもらい、教会全体を成長させていく必要があると思っています。
また、聖書の中にある「神を愛しなさい」「隣人を愛しなさい」という2つの教え*に従って、地域の様々な活動に積極的に参加しています。地域の人を愛することだけでなく、神様の教えを実践する場にもなりますので、神様を愛することにも繋がるんですよ。そのような思いを胸に、地域の課題解決に向けて地道に活動を続けています。
*参考 「神を愛し隣人を愛し マタイ22:34~40」(2014年8月3日、守谷聖書協会)
私たちが続けている「いのちの電話」の活動には、特に強い信念を持って取り組んでいます。私だけではなく、教会で一緒に支援している仲間たちもそうです。しかし、時には人間の醜い部分を目にすることもあり、どれだけ立派な志を持っていても心が潰れそうになることもあります。だからこそ、相当な覚悟が必要な活動でもあるんです。
藪本:
なかなか、普通の方ができるような仕事ではないと思います。常に誰かから電話を受ける可能性があり、そのような状況の中で生活されているのが本当にすごいです。
藤藪さん:
聖書の中に「献身*」という言葉があるんですよ。これは「神様に自分の全てを捧げる」という意味で、牧師の資質が問われるのはまさに「献身しているかどうか」ということだと思います。これができて初めて、スタートラインに立てるようなものです。最終的には「神様の御心が私の夢だ」と思えるぐらいになれば、牧師としてのあり方を理解できているような気がします。
*参考 献身とは(コトバンク)
3.白浜レスキューネットワークの活動
藪本:
藤藪さんは、特定非営利活動法人(NPO法人)*でもある「白浜レスキューネットワーク」の理事長も務められていますが*、こちらはどのような経緯で設立されたのでしょうか?
*参考 特定非営利活動法人(NPO法人)制度の概要(内閣府NPOホームページ)
*参考 団体概要(特定非営利活動法人 白浜レスキューネットワーク)
藤藪さん:
元々、NPO法人という法人格が欲しかったわけではありません。行政や様々な機関と関係を持ちながら活動する中で、周囲から「宗教法人格以外の顔を持ってほしい」という要望があったんです。そこで、私たちはNPO法人を立ち上げ、以前から教会で行っていた活動を白浜レスキューネットワークの中で実践するようになりました。
私は、NPO法人の長所は「繋ぎ役」であることだと考えています。行政機関がそれぞれ持っている政策や機能をフルに活かすためには、時間稼ぎをするための場所が必要なんですよ。支援策などの政策決定には、どうしても時間がかかってしまいますので。助けが必要な人たちと行政との橋渡しをすることに、NPO法人の価値があると思っています。
藪本:
つまり、白浜レスキューネットワークは「セーフティーネット(safety net)*1」としての機能を担っているということでしょうか?
*1 あらかじめ予想される危険や損害の発生に備えて、被害の回避や最小限化を図る目的で準備される制度やしくみ。
藤藪さん:
まさにその通りです。私たちはこれまで、三段壁で人生を終わらせたいと思っている人たちを保護して、社会復帰させるという活動を続けてきました。ところが、社会復帰した人の中には、苦労の末に手にした仕事が続かないという人もいたんです。そのような人を少しでも減らせればと思い、生活訓練や職業訓練を行うことにしました。
まず実践したのは、共同生活の中で基本的な生活リズムを身につけてもらうこと。そして、お弁当と惣菜の店「まちなかキッチン*」を開店させ、他者との関わり方や働き方を学ぶための訓練の場を提供しました。
*参考 藤藪 庸一(@machinakakitchen、Instagram)
藪本:
社会復帰に向けた支援を行う中で、そもそも「何故、自死を選ばざるを得ないという状況に追い込まれてしまうのか」という根本的な問題に直面すると思います。私としては、その人が歩んできた人生、もっと言えば「子供の頃から良質な経験をしてきたかどうか」ということも関係しているのではないか、という気もしています。そのような意味でも、次に必要なのは教育の支援なのかもしれません。
藤藪さん:
まさにそうなんですよ。義務教育期間の中でどのような人間関係を形成し、どのような教育を受けてきたのか。これこそが、子供の成長にとって非常に重要なことなんです。この考えをもとに、私たちは、地域に保育所が設立される前から学童保育を実施してきました。
例えば、子供たちに課題を与え、チームで取り組んでもらう「はじめ人間自然塾」や、放課後に集まって勉強会を行い、基礎学力をつけることを目的とした「放課後クラブ・コペルくん」のような活動です。どちらの取り組みも、子供たちに様々な経験を積んでほしい、社会性を身につけてほしいという思いで始めました。
藤藪さん:
また、昨年4月には、島根県の明誠高等学校※と提携を結び、高校卒業資格が取得できる通信制の高校「明誠高校和歌山白浜SHIP*」を開校しました。昔から白浜町には高校がなく、近隣の通信制の高校に通っていても途中で辞めてしまう子供がいます。「通い続けるのが難しい」という理由が挙がることが特に多く、そのような悩みを抱えている子供たちに寄り添いたいと思い、開校に至りました。
*参考 「白浜バプテスト基督教会で高校開校 明誠高校和歌山白浜SHIP」(2020年2月6日、クリスチャン新聞)
4.「終末」と未来に残すもの
藪本:
非常に抽象的な話になりますが、人はどのような生き方をするべきだと思いますか?
藤藪さん:
私は、この世の中にあるものには全て、終わりがあると考えています。私の人生にも終わりがありますし、教会も永遠に続くかどうかは分かりません。「終末を迎える」ということを意識したうえで生きること、あるいは、未来に何を残すのかを考えることが大切だと思います。私は病気になり、今までと全く同じように活動することはできなくなってしまいました。だから、今後は、教会で一緒に活動している人たちに私の信念を伝え、教会の活動を少しずつ任せようと考えています。将来、この教会も他の誰かに引き継がれると思いますので、地域に仕えていくという「献身の姿勢」をしっかり伝えていきたいと思います。
藪本:
聖書の教えは何百年、何千年と伝承されてきましたので、その価値は色褪せない可能性が高いと思います。ただ、聖書の教えの実践者たちは、思想を整理、編集して上手く伝わるように工夫する必要があるような気がします。
終わりがある中で生きることが大切だということですが、「終末の迎え方」というものも重要視した方がよいのでしょうか?
藤藪さん:
終わりが来ることは、一種の希望だと思っています。朽ち果てるという意味合いがある一方で、「ゴールに到達する」という意味に捉えることもできるんですよ。そして、苦労の末に成し遂げたことが、また新たな道に繋がる可能性がある。つまり、終末を迎えることは「未来に繋がる」ということなんです。教会で保護した人たちは皆それぞれ、悩みや不安を抱えています。彼らの心に寄り添い、問題解決のための手助けを今後も続けていきたいと思っています。
5.教会とアート
藪本:
現在、我々は「みかん」を題材にしたプロジェクトに向けて準備を進めています。来年、みかんという切り口で、社会包摂、輸出、エンターテイメントなどを包括したイベントを開催する予定です。
ところで、聖書の中にみかんが登場する話というのは、何かあるのでしょうか?
藤藪さん:
みかんが登場するエピソードか……聖書の中にあるか、今度探してみます(笑)
藪本:
例えば、日本神話では、橘の木が登場するんです*。私は、神話やキリスト教など、宗教とみかんとの接合点を見出しながら、教育的な波及効果を生じさせたいと考えています。あるいは、キリスト教の芸術史とも関連づけながら、アート作品やそれに付随する情報を収集、整理するというのも面白いかもしれません。
*参考 松本直樹「日本の神話(2):至上神アマテラスの消滅と再生」(2019年9月3日、nippon.com)
今後、教育機関だけでなく、私自身が興味を持っている寺社仏閣や教会とも、何か一緒に企画できればと考えています。私は在野の人類学者を目指していますので、人類学者的な視点でも色々と実践してみたいです。
藤藪さん:
教会では毎年、共同生活しているメンバーでみかんの収穫や選果のアルバイトをしています。アートや宗教とあまり関係がないかもしれませんが、みかんというテーマであれば、このような繋がりはありますね。
藪本:
なるほど。そのような繋がりも素敵だと思います。
教会の立場から見て、アート、芸術、文化というものをどのように捉えられていますか?
藤藪さん:
すごく価値のあるものですし、絶対に次世代に残していくべきだと思います。例えば、キリスト教を題材として描かれた西洋の絵画や詩集、書物。これらの資料は、今の時代にも大きな影響を与えています。他にも、キリスト教を作品の背景に用いた映画が制作されていますが、これは、聖書の教えを分かりやすく伝えることができる「良い例」なのではないかと思います。
藪本:
そのような意味では、かつて白隠慧鶴(はくいんえかく)*が実践していたように、「宗教の教えを分かりやすく伝えるために、アートを利用する」ということが効果的なのかもしれません。
*参考 白隠慧鶴とは(コトバンク)
6.紀南地域の未来
藪本:
今後、紀南地域はどのような姿を目指すべきでしょうか?
藤藪さん:
紀南地域は人と人との繋がりが強く、行政を含めた様々な機関と連携がしやすいという強みがあります。このような関係性を、紀南の魅力として発信していくべきだと思います。地元の人たちにとっては普通のことかもしれませんが、実は、全国的には特別なものになってきているんですよ。
時折、白浜がモデルケースとして取り上げられ、都会の方が視察に来られることがあります。ところが、地域の中で地道に繋がりを築き上げ、一つ一つの課題に向き合っている姿を見せても、「都会では真似できません」という一言で終わってしまうことも多いんです。10年ほど前からこのような状態が続いていますので、少しずつ変わっていってほしいと思っています。それに、紀南という地域が持っている「豊かな繋がり」は本当に価値のあることですし、未来に残していきたいですね。
藪本:
我々は、紀南アートウィークを通して輸出を目指すだけではなく、その原資を貧困、教育、社会福祉の問題に還元していきたいと考えています。その中で何かご一緒できることがあれば、ぜひお願いしたいと思っています。
最後に、我々に期待することは何かありますでしょうか?
藤藪さん:
私はあまりアートの世界を分かっていないのですが、アートにどのぐらいの発信力や影響力があるのかということに興味があります。そのような意味では、私自身が参加者になってアートの魅力を体感してみたいと思っていますので、非常に楽しみです。私たちにできることがあれば、ぜひ協力させてください。
藪本:
アートが持つ機能としては、やはり「広さと深さ」というところが特に面白いです。これらをまともに受け入れてしまうと頭の中がパンクしそうになりますが、でもそれがアートの面白さだと思っています。アートという枠組みを飛び越えた、もはや文化なんです。我々は、カルチュラル・エージェント、文化の媒介者のような存在になれればと思っています。
本日はとても勉強になりました。ありがとうございました。
藤藪さん:
ありがとうございました。