コラム

【キュレーションストーリー Vol.3】精霊が宿る場所・高山寺- アニミズムと南方熊楠の思想 –

<今回のゲスト>

高山寺 住職
曽我部 大剛(そがべ だいごう)さん

田辺市稲成にある高山寺の20代目住職。高山寺敷地内にある豊かな森林に囲まれて育ったことから、この自然環境を未来に残していこうと奮闘している。また、今年3月までは、南方熊楠の研究機関「南方熊楠顕彰館」の館長も兼務。高山寺は熊楠の魂が眠る場所でもあることから、曽我部さんご本人も熊楠への造詣が深い。高山寺には「霊的存在が宿っている」と話し、実際に足を運んで特有の雰囲気を感じてもらえればと考えている。

高山寺(KINAN ART WEEK)
高山寺(和歌山県田辺市 田辺観光協会)

<聞き手>

藪本 雄登
紀南アートウィーク実行委員長

<参加者>

下田 学
紀南アートウィーク事務局長

<編集>

紀南編集部 by TETAU
https://good.tetau.jp/

1.高山寺とアニミズム
2.積層する祈りと森の保護
3.高山寺の歴史的背景
4.南方熊楠のイメージ
5.南方熊楠顕彰館と未来に残すもの

1.高山寺とアニミズム

出典:高山寺(和歌山県田辺市 田辺観光協会)

藪本:

本日は、お時間を頂きましてありがとうございます。高山寺は、紀南アートウィークの展示会場の1つ。今回は、高山寺の魅力やご住職である曽我部さんの思想について、お話を伺いたいと思います。

まず最初に、「アニミズム*1」に対するイメージをお聞きします。今回、高山寺に展示するのは、和歌山県田辺市出身の前田耕平と、タイ出身のアピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul)のアート作品です。両者の作品には、神々や精霊といった「霊的存在」が登場します。高山寺は広大な森に包まれており、森の中に宿る精霊の存在についてなど、曽我部さんのお考えをお聞かせください。

*1 ラテン語の「気息」とか「霊魂」を意味するアニマ(anima)に由来する語で、さまざまな霊的存在(spiritual beings)への信仰をいう。霊的存在とは、神霊、精霊、霊魂、生霊、死霊、祖霊、妖精、妖怪などを意味する。

アミニズムとは(コトバンク)
出典:前田耕平(KINAN ART WEEK)
《Breathing》2021年
出典:前田耕平(KINAN ART WEEK)
出典:アピチャッポン・ウィーラセタクン(KINAN ART WEEK)
《母の庭(My Mother’s Garden)》2007年
出典:アピチャッポン・ウィーラセタクン(KINAN ART WEEK)

曽我部さん:

まさに私は、常時、アニミズムを肌で感じている人間だと思います。仏教は仏教で素敵なのですが、どちらかというとアニミズムの方が、自分の中でしっくりくるんですよ。

藪本:

それは何故でしょうか?

曽我部さん:

恐らく、高山寺が持っている不思議な力が関係しているからだと思います。森があって、虫も鳥も動物もいる自然豊かな場所で、私は生まれ育ってきました。このような環境で過ごしているうちに、森に宿っている「霊的な何か」が、徐々に自分の体の中に染み込んでいったのだと思います。自然の中にある一つ一つの命に、精霊が宿っているような気がしますね。

藪本:

なるほど。高山寺にある貝塚跡*からは「高山寺式土器」が出土していますが、こちらもアニミズムと大いに関係があると思います。

*参考 高山寺貝塚(ぐるりん関西)

高山寺式土器 形状
出典:紀南アートウィーク Instagram(2021年6月17日)

曽我部さん:

高山寺式土器が作られたのは、縄文時代だそうです。恐らく、縄文人たちは、高山寺が建つ前のこの土地に多く集まっていたのではないかと思います。単なる食事の場ではなく、神祀りの儀式を行う場として、縄文人の古神道*2が根付いていたのかもしれません。

*2 仏教の渡来または仏教との習合以前に日本にすでに存していたとされる固有の信仰、儀礼の総称。

古神道とは(コトバンク)

藪本:

縄文人たちの儀式や祭りの痕跡は、高山寺に残っていないのでしょうか?

曽我部さん:

直接的に示すものは残っていませんが、儀式的なものがあったという気配は今もあるような気がします。弥生時代になると弥生人が登場し、彼らもまた、縄文人と同じようにアニミズムに近い思想を持っていました。そのため、神祀りの儀式や祈りの習慣も継続して行われ、古くから積み重ねてきたものが現在に繋がっているのだと思います。

藪本:

今回、ガイドブックや高山寺の紹介ページに「積層」という言葉を使わせていただきました*。高山寺はまさに、あらゆる祈りが積み重なって作り上げられた場所だと思います。

*参考 高山寺(KINAN ART WEEK)

*参考 KINAN ART WEEK 2021 Official Guidebook

曽我部さん:

様々な祈りが積み重なっているからこそ、高山寺には「霊的な何か」が宿っているのだと思います。高山寺全体を包み込むような、実体を持っている何か。言葉では簡単に言い表せないような、不思議な存在がいるような気がしますね。

2.積層する祈りと森の保護

出典:高山寺(和歌山県ホームページ)

藪本:

先のお話の通り、「霊的存在が宿る地」として高山寺は非常に重要な場所ですし、やはり、この場所や自然豊かな森を未来に残すことが重要だと思います。

曽我部さん:

全くその通りですね。森を保護して、この地に宿る精霊たちを守っていくことが、私の使命だと思っています。ただ、高山寺は単なる物見遊山の場所ではありませんので、やはり、今後も祈りを捧げることが重要ですね。

藪本:

祈りというのは、「お返しすること」という理解でよいのでしょうか?

曽我部さん:

解釈は、人それぞれ違うかもしれません。藪本さんのように「お返しすること」だと思う人もいれば、感謝の気持ちを表現したり、願掛けしたりする人もいます。高山寺の納骨堂には、宗派を問わず様々な方のご遺骨を収蔵していますので、そのような意味でも、高山寺は「自由な場所」だと思います。だから、皆様それぞれが思うようにお祈りをしていただければ嬉しいです。

藪本:

森を守るという話でいえば、以前、「森と人間との関係性」というテーマで炭焼きの方々と対談をさせていただいたんです。原生林は原生林のままで残し、人工林も含めた里山を守っていくことが重要だというお話をされていました。

曽我部さん:

高山寺を包み込む森には原生林と人工林が混ざっており、高山寺では昔から、この自然環境を保つという努力を続けています。江戸時代には嵐が原因で森が荒れましたが、お寺独自の植林や住民からの木の寄付もあって、無事に復活できたそうです。「森を守らなければいけない」という気持ちがあったからこそ、森を生き返らせることができたのだと思います。

また、高山寺近辺は冬場になると、北東から風が吹き下ろします。高山寺は「風を受け止める場所」としての役割を担っており、田辺の街に強い風が届かないようにしているんですよ。田辺で大火が発生した際には、山からの風を防いで火事の被害を軽減する。まさに、高山寺はクッションのような場所なのではないかと、昔の人は捉えていたのかもしれません。

藪本:

まさに高山寺は、守り神としての役割を担っているような気がします。

曽我部さん:

やはり、冬場の大火は特に恐ろしいものですから、少しでも北風を和らげたいという感じだったのかもしれませんね。ちなみに、この北風は「伊作田(いさいだ)おろし」と呼ばれています。現在、この辺りの地名は「稲成(いなり)」なのですが、昔は「伊作田」という名前だったために、この名前が付きました。現在も「伊作田稲荷神社」という、かつての地名を冠した自然豊かな場所が残っています*。

*参考 伊作田稲荷神社(和歌山県田辺市 田辺観光協会)

*参考 伊作田稲荷神社(南方熊楠顕彰館)

出典:伊作田稲荷神社(和歌山県田辺市 田辺観光協会)

3.高山寺の歴史的背景

藪本:

曽我部さんは、高山寺の何代目住職なのでしょうか?

曽我部さん:

ちょうど、20代目の住職になります。高山寺は弘法大師(空海)が開創したお寺とされていますが、正確な建立年月日は分かっていません。また、お寺には古くから聖徳太子が祀られており、聖徳太子信仰の基盤が既にできていたのだと思います。

1595年頃、戦国時代に高山寺は焼失してしまいましたが、空増(くぞう)という僧侶が高山寺を中興*3したそうです。高野山で修業の身だった空増は、ある日、夢の中で弘法大師の姿を見ました。弘法大師は「焼失した高山寺を再興せよ」と仰ったので、実際に足を運んでみると荒廃したお寺を見つけた、という説話が残っています。そこから高山寺が中興され、空増は中興後の1代目住職として「中興開山第一世法印空増(ちゅうこうかいさんだいいっせいほういんくぞう)*」と呼ばれるようになりました。

*3 いったん衰えた物事や状態を、再び盛んにすること。

中興とは(コトバンク)

*参考 歴史街道~ロマンへの扉~:高山寺(2006年2月1日、歴史街道推進協議会)

下田:

つまり、高山寺は昔から栄えていたということでしょうか?

曽我部さん:

聖徳太子が祀られているぐらいですし、恐らく栄えていた頃はあったと思いますね。

中興後の高山寺の様子は、この写真でよく分かると思います。こちらは、大正8年(1919年)頃の高山寺と、平成4年(1992年)頃の高山寺の姿です。昔は大きな松林があり、30m級の松がたくさん並んでいました。あの松林が残っていたらよかったのですが、戦時中に「松根油(しょうこんゆ)*4」という松の油が必要になり、木が大量に切られてしまったんですよ。また、戦後には、外来種の虫が入ってきたことで全て枯れてしまいました。このように、昔と今では、森の様子が全く違っています。

*4 マツの根を乾留して得られる油状物質。蒸留・精製によりテレビン油,パインオイル等が得られる。溶剤として重要で,第2次大戦中には接触熱分解等により航空機燃料も製造された。

松根油とは(コトバンク)

藪本:

高山寺の周辺には会津川が流れていますが、こちらは昔から同じ姿だったのでしょうか?

曽我部さん:

時代の変化とともに堤防が作られていますが、それ以外には大きく変わっていないと思います。高山寺周辺の川辺には干潟があり、川の下流に行けば田辺湾へと辿り着くんですよ。このようなことからも、会津川は田辺全体に広がっている川だと言えますね。

下田:

そのような意味では、高山寺周辺は昔から、地の利が良く、海の幸と山の幸が自然と集まりやすい地形だったのではないでしょうか。広大な森があり、川では大きな魚が、干潟では貝が獲れる。まさに、食べ物に困らない場所というか。

高山寺が建立される前、恐らくは縄文時代頃から、人が集まって何かの建物を作り上げ、後年には、その建造物がお寺のお堂になったという可能性もありそうです。まさに、脈々と続いているような気がしますね。

藪本:

以前、曽我部さんにお会いした際に、「田辺の龍神山(りゅうぜんさん)*には天狗がいる」というお話をされていたと思います。高山寺は霊的存在が宿る場所であり、龍神山との関係性もあるような気がするのですが。

*参考 龍神山(和歌山県田辺市 田辺観光協会)

出典:龍神山(和歌山県田辺市 田辺観光協会)

曽我部さん:

龍神山には天狗がいて、神島には神様が住んでおられたそうです。時折、天狗が神島に足を運ぶなど、双方ともに交流を深めていたと思われます。そしていつしか、神様は龍となり、まさに言葉通り「龍神」として龍神山に鎮座された、という一説があります。

頂上に続く道は木々に囲まれているため、高山寺同様、龍神山も自然豊かな場所だと思います。道中には海の神様を祀る「龍神宮(りゅうぜんぐう)」や、御神木のウバメガシがあるんですよ。高山寺と直接的な関係はないかもしれませんが、どちらも「神々や精霊が宿っている」という共通点はあるのかもしれません。

龍神宮
出典:龍神山(和歌山県田辺市 田辺観光協会)
御神木・ウバメガシ
出典:龍神山(和歌山県田辺市 田辺観光協会)

4.南方熊楠のイメージ

出典:南方熊楠顕彰館

藪本:

「天狗」や「山」というワードを聞くと、やはり、南方熊楠*のことが思い浮かびます。高山寺には南方熊楠の墓がありますし、曽我部さんは今年の3月まで南方熊楠顕彰館の館長もされていたとか*。そのような点からも、高山寺と熊楠には深い関係があると思います。曽我部さんは、熊楠のことをどのように捉えられているのでしょうか?

*参考 世界的博物学者 南方熊楠さん(和歌山県 田辺観光協会)

*参考 館長交代のお知らせ(2021年4月1日、南方熊楠顕彰館)

出典:南方熊楠ゆかりのコース:高山寺(和歌山県 田辺観光協会)

曽我部さん:

私の中では、熊楠は「面白い人」だという印象があります。熊楠がフィールドワークをしていたのは、まさに古い場所ばかりで、例えば、古神道の跡が残っている神社などがそうですね。恐らく、熊楠はそのような場所にアンテナを張っていたのだと思います。もしかすると、自分の好きな植物が多く生えていた場所だったから、熊楠は足を運んでいたのかもしれませんが(笑)

藪本:

かつて、熊楠が編み出した「やりあて*5」のようなものが関係しているのかもしれません。高山寺の思想と通じている部分もあるような気がします。

*5 南方熊楠による造語。偶然の域を超えたような発見や発明、的中のこと。

唐澤太輔「ブリコルール熊楠 ―『やりあて』とブリコラージュをめぐって―」(『東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究』、2018年3月、12巻、p.25-38、東洋大学学術情報リポジトリ)

曽我部さん:

熊楠は、何を考えていたのかよく分からない人でしたが、神社や森でのフィールドワークを通じて、きっと何かを捉えていたのでしょうね。

藪本:

顕彰館では、熊楠のことをどのように説明されていたのですか?

曽我部さん:

私は4年ほど館長を務めていましたが、熊楠は説明不能な方でしたので、特に何も説明していなかったと思います(笑)。しかし、顕彰館には熊楠研究の第一人者が多く在籍されており、それぞれ違う観点から熊楠の思想を研究していたようです。色々な方向から焦点を当てられるというのが、本当にすごいことだと思います。

藪本:

あまりにも思想が深すぎるせいで熊楠は秩序から外れており、研究者の方々も本当に大変だと思います(笑)。そのような意味でも、まさに熊楠は「無限」を体現するような人物なのではないでしょうか。

曽我部さん:

恐らく、熊楠は秩序を求めていたと思うんですよ。秩序のことを「大不思議*6」と呼んでいますし。

*6 人間による法則は立てられず、自己も他者も全て融合して統一している、根源的な場所。また、内も外もなく、完全であるような場所。

『紀南ケミストリー・セッション vol.2』 テキストアーカイブ(前編)(KINAN ART WEEK)

藪本:

大不思議は人間が辿り着けないもの、つまり、大日如来*のような存在でしょうか?

*参考 大日如来とは(コトバンク)

曽我部さん:

大日如来は姿形が分からない概念のような存在ですが、それ自体が宇宙、世界なのだろうという感じがします。

藪本:

社会学者・鶴見和子*が書いた熊楠研究の本に「ミクロコスモス(小宇宙)とマクロコスモス(大宇宙)が大日如来に還元される」というような表現があります。実はこの一文は、紀南アートウィークの企画を立ち上げたきっかけにもなっているんです。実際、熊楠がこのフレーズを口にしたのかは分かりません。ただ、熊楠は顕微鏡を通じて、微小な粘菌が散らばる「小宇宙」を見ながら、無限に広がる「大宇宙」をも見出していたそうです。

*参考 鶴見和子(藤原書店)

曽我部さん:

アニミズムの世界でも、同じようなことが言えるような気がしますね。「自分は何者か?」と考えたとき、人間は体と魂に分けられると思います。一見、体は自分の魂の器として存在しているように見えて、実は、大量の微生物が寄り集まって生まれた「微細な命の塊」かもしれないんですよ。

藪本:

まさに、人間と微生物は「食べながら食べられている」という関係性にあるのではないかと思います。

曽我部さん:

そのような意味では、ミトコンドリアが良い例だと思います。人間と全く違う生物が、体の中にいるんですよ。人間が自ら取り込んだのか、はたまた、ミトコンドリアに利用されているのかは分かりません。しかし、上手くバランスを取りながら、私たちはミトコンドリアと共存しています。このような関係性こそが、熊楠の理想だったのかもしれません。

藪本:

唐澤太輔先生*風に言うと、人間と、人間が辿り着けない「大不思議」を繋ぐのが「理不思議*7」ではないかと思います。熊楠は「理不思議であれば、人間は捉えることができるのではないか?」と考えていたそうです。そして、「理不思議」の段階から「大不思議」を探るためのツールとして、「アート」が用いられているのではないかと、唐澤先生は考えられています。つまり、アーティストたちは「理不思議」に近づいているからこそ、アート作品を生み出せているのではないでしょうか。そのような意味でも、アーティストたちは、熊楠に近い思想を持った存在だという気がします。

*7 自己と他者、あるいは、根源的な場と現実世界を繋ぎつつ混ぜ合わせるような「インターフェース(接点)」になっている領域。予知や第六感で知ることができる事柄も含まれる。

『紀南ケミストリー・セッション vol.2』 テキストアーカイブ(前編)(KINAN ART WEEK)

*参考 唐澤太輔(秋田公立美術大学)

5.南方熊楠顕彰館と未来に残すもの

出典:南方熊楠顕彰館・南方熊楠邸(和歌山県田辺市 田辺観光協会)

藪本:

南方熊楠顕彰館は、どのような役割を担っているのでしょうか?

曽我部さん:

「熊楠を顕彰する*8」という役割と、研究機関としての機能を果たしています。白浜にある「南方熊楠記念館*」は熊楠のコレクションを展示する博物館のような場所ですが、顕彰館は、熊楠研究を行う研究者が集まる施設になっています。時折、「一般人には近寄りがたい」という指摘を受けることもあるのですが、私は、顕彰館のような場所があることも大事だと思います。研究者の方々が熊楠の思想を解きほぐしてくれるからこそ、私たちもまた、熊楠に対する理解を深めることができるんですよ。

*8 隠れた善行や功績などを広く知らせること。広く世間に知らせて表彰すること。

顕彰とは(コトバンク)

*参考 南方熊楠記念館

藪本:

そのような意味では、熊楠が残した文献を読み解いた研究者は、本当にすごいと思います。まずは、熊楠の書いた文字を解読することから始まると思うのですが、本当に信じられないような作業をしているような気がします。

今後、顕彰館はどのような姿であってほしいと思っていますか?

曽我部さん:

若手の研究者の方々が台頭して、顕彰館を守っていってほしいですね。顕彰館は研究者の皆さんの地道な研究が発信される場所ですので、特に目立つ場所ではないのかもしれません。でも、それは決して悪いことではなく、そのままの形で未来に残していくことが重要だと思います。

また、顕彰館は、熊楠研究に関する「情報発信の場」として屈指の場所なんですよ。南方熊楠顕彰館ではなく、研究者自身が様々な情報を発信しています。無理に行政が作り上げたような資本ではありませんので、ある意味、コストはすごくいいですね(笑)

藪本:

改めて考えると、熊楠という人間は本当に広すぎると思います(笑)。でも、これは「熊野」という土地と同じで、簡単に説明できるものではないような気がします。

曽我部さん:

それこそが、熊楠の考える「大不思議」なのかもしれませんね。

藪本:

田辺には「大不思議」のような不可思議なものが集まっているのかもしれません。例えば、高山寺には合気道の祖・植芝盛平*のお墓がありますが、合気道は戦わない武道ですし、本当に不思議な魅力があると思います。

*参考 合気道の開祖 植芝盛平さん(和歌山県 田辺観光協会)

曽我部さん:

合気道の祖が田辺から出るなんて、面白いですよね。熊楠のように田辺に籠もる人もいれば、植芝盛平のように田辺から外に出た人もいて、本当に色々な人がいるのだと改めて感じます。

学者の中には、「高山寺には磁力のようなものがあるのではないか?」と仰る方もいるんですよ。「物も人も惹きつけるような場所」として、高山寺には、きっと不思議な魅力があるのだと思います。顕彰館と同様に、高山寺も守っていくという努力をしていかなければいけません。次の世代に必ず引き継ぐんだという、強い思いを持って取り組んでいきたいですね。

藪本:

あまり多くを語るべき場所ではないような気もしていますので、お話を伺うのはこの辺りにしておきましょうか(笑)。言葉にすればするほど、陳腐化してしまう世界観だと思いますから。

曽我部さん:

ぜひ、ご自身で足を運んでいただき、高山寺特有の雰囲気を感じていただければ嬉しいです。

藪本:

非常に面白いお話が聞けてよかったです。本日はお時間を頂きまして、ありがとうございました。

曽我部さん:

ありがとうございました。

下田:

ありがとうございました。