コラム

みかんコレクティヴ:内なるみかん ひらくオレンジ

2022年2月16日

「みかんコレクティヴ(Orange Collective)」とは、みかんを中心としたコレクティヴです。紀南アートウィーク2024に向けて、紀南地域や全世界から生命力豊かな仲間を増やしていくための実践です。

1 和歌山県/紀南と橘を巡って

和歌山県では、橘本神社(きつもとじんじゃ)が日本における原初の柑橘類である橘(たちばな)やみかんを祀る神社として有名です。常世の国から橘を持ち帰った田道間守(たじまもり)神話をはじめとして、橘は、日本書記、古事記の国産神話(イザナギ-イザナミ神話)、弟橘比売命(おとたちばなひめ)神話に登場します。

例えば、黄泉の国から戻ったイザナギが禊を行う前の祓詞の中に「橘」という言葉が登場します。そこでイザナギは、禊の後、左目から太陽の神・アマテラスを産み落としますが、橘の木の芽から産まれる果実である橘(みかん)は、それと無関係なのでしょうか。橘の木とみかんの実は、イザナギとアマテラスの関係のように、国産神と太陽神の象徴といえないでしょうか。

他方、「根の国」熊野は、アマテラスを祀る伊勢と対置されており、神話世界において追放、征服された側の神であるスサノヲを祀る聖地でもあります。この地で、アマテラス的な側面を持つかもしれないみかんを育てるということはどのようなことを意味するのでしょうか。また、中国やアジアの多くの国では、お正月に親しい人々にみかんを配る風習が残っていますが、これは支配と被支配の歴史と密接に関わっているのではないかと思います。

2 みかんを再度捉え直す

みかんコレクティヴは、「みかん」に対する解像度を高める実践でもあります。みかんやオレンジ等の柑橘類は、味覚や視覚や嗅覚等を超えて、ロマンや想像力を刺激し、人々をもっとも魅了してきた果実の一つではないでしょうか。

オレンジは、花と実を同時につけることができ、味覚にも知性にも、訴えるということで、自然の途方も無い豊穣性と、神が人間に惜しみなく与える恩寵を表している。(中略)

また、おそらくもっとも重要なこととして、オレンジの実の丸い形とその色からオレンジの木は、太陽のシンボルとされている。これは、キリスト教の太陽としての存在と関係がある −−

ピエール・ラスロー「柑橘類(シトラス)の文化誌歴史と人との関わり」より

クラリッサ・ハイマン著「オレンジの歴史」によれば、オレンジは、数百万年前に古代アジア大陸とオーストラリア大陸が分裂する以前に、その境界にある島々で誕生したといわれています。「orange(オレンジ)」の語源は、古代インドの「naranga」、「narangi」に起源があるといわれており、サンスクリット語では「内なる芳香」を意味します。そして、オレンジは、中国南西部、インド南部、ビルマ南部等のヒマラヤ山塊付近の周囲から隔絶された世界において、籠もりながら、その多様性を発展させ、そして、アジアで生まれた柑橘類は、アラビア、ナイル川や中央アジア等を経由して徐々に世界に広がっていきます。特にヨーロッパ世界において、そのエキゾチックな価値が見出され、神や愛や富の象徴として全世界に輸出されていくことになりました。このような文脈を有する柑橘類こそまさに、紀南アートウィークの主題である「籠もること」と「ひらくこと」を体現する果実といえるのではないでしょうか。

また、みかんの木は、枝に白い花々を咲かせ、同時に、黄金色の果実を生み出す独自の特徴を持っています。白い花は「純潔」、黄金色の果実は「多産」の意味を与えます。チーマ・ダ・コネリアーノやガウデンツィオ・フェッラーリの「オレンジの聖母」等の絵画でも、オレンジは、処女でありながら母でもある聖母の象徴として描かれています。また、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、セザンヌやマティス等の偉大なアーティスト達の絵画表現においては、自然と豊穣の象徴として表現されています。

さらに、マティスにとっては、オレンジは食や象徴を超えた存在であったようです。美術史家のエイドリアン・サールによれば、マティスは、尊敬するアーティストであり、ライバルでもあったピカソに年に一度オレンジを送っていました。なんとピカソは、それを食べないで、「マティスのオレンジ」として眺めるためだけに飾っておいた、という逸話が存在しています。これには一体どのような意味があるのか、一緒に考えてみませんか。

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3 みかんコレクティヴとは?

「コレクティヴ(Collective)」とは、集合体、共同体等を意味します。その「コレクティヴ」の定義は多様ですが、私がアジア各地のアーティスト・コレクティヴと関わってきた経験を踏まえると、「コレクティヴ」には、①共通の思想、目的、価値観を有しながら、②異なる技能やバックグラウンドを持った人達が緩やかに集まり、③広く外部と接合しながら集合的実践を行っている、という特徴があるのではないかと考えます。

今回、「コレクティヴ」という言葉をあえて使っていますが、本来であれば、それは言語化されず、お祭り等の伝統行事や神社、寺、教会等を守る無名の人達の集まりの中で自然と実践されてきたようなものなのだと思います。ただ、現代においては、そのようなコミュニティやコモンズが消失しつつあることから、「コレクティヴ」という概念が評価されており、また、本年度ドイツにて開催される現代アートのオリンピックであるドクメンタ15において、インドネシアのアーティスト・コレクティヴ「ルアンルパ」が芸術監督として選任されたことにも象徴されるように、「コレクティヴ」の重要性は増しています。

今回、私達は「アーティスト・コレクティヴ」という社会一般化されつつある概念に、「アート」「アーティスト」等と同等の存在として、「みかん(Orange)」を中核に加えます。

これが意味するところの一つは、脱人間中心主義の観点から、人間ではなく、「みかん」を主体として、その視点の中心に置くことです。人間は、自らの利益の確保のために自然や環境を合理的に管理し過ぎたことにより、生態系や環境を悪化させ続けています。この反省から、世界的に人間以外の生物にも権利主体性を認める動きが主流となっています。芸術の世界においても、人間以外の生物の芸術史(例えば、「パンダの芸術史」や「梅の木の芸術史」等)を思考することが重要となってきています。この観点から、「みかんの芸術史」なるものを思考し、みかんの視座から世界や社会を捉え直す必要性があると考えています。

そして、もう一つは「脱領域化」、ある種の「アート中心主義」への挑戦です。私がアジアのコレクティヴとともに活動する中で感じてきたことは、日本における「アート」の位置付けとは異なる「アート」に対する概念の自由さ、余白の広さでした。アジア地域における「アートのスタンダード」なるものを紀南、そして、日本、世界に紹介していきたいと考えています。

加えて、宮沢賢治は、「農民芸術概論」において、職業芸術家への問題提起とともに、農業を含んだアートなるものの脱領域化、拡張性の重要性を述べています。私達は、この文脈を踏まえ、文化/アートの創作活動と農業等の一次産業の生産活動は密接に関連しているということ、つまり、「農業=人が自然と共生する創作活動」と捉え、農家は自然との共創を司るアーティストであることを再度確認するため、紀南地域の農家の方々とともに、アーティスト、研究者、民間企業、行政、教育従事者の方々等と一緒に集合的な実践を行います。

以上、「みかんコレクティヴ」では、上記で述べてきたように「みかん」を中心に据え、「みかんと食/農業」、「みかんと自然」、「みかんと神話」、「みかんと贈与」、「みかんと資本主義/グローバリゼーション」等といった視点から、「みかん」を見つめ直していきます。

以 上


紀南アートウィーク実行委員会
実行委員長 藪本 雄登

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