コラム

    『紀南ケミストリー・セッション vol.4』 テキストアーカイブ(後編)

    2021年10月21日に開催したオンラインのトークセッション『紀南ケミストリー・セッション vol.4』
    のテキストアーカイブ後編となります。

    ※テキストアーカイブの前編はコチラ

    ※動画のアーカイブはコチラ
    https://www.youtube.com/watch?v=HA21bqDp3HI&t=1181s

    発酵がもたらす豊かな世界 – 食から考える“美”とは –(後編)

    【4】発酵と分解の関係性

    宮津:
    少しお話の方向を変えまして、「発酵」や「分解」というテーマでお話を伺っていきたいと思います。藤原先生は『分解の哲学:腐敗と発酵をめぐる思考』というご著書の中で、色々な例を挙げて「分解」という言葉を紐解いておられますよね。「発酵」は「分解」の1つでありますが、発酵を含めた我々の生活における「分解の重要性」について、藤原先生からお話しいただいてもよろしいでしょうか?

    分解の重要性

    出典:藤原辰史『分解の哲学:腐敗と発酵をめぐる思考』(2019年6月25日発売、青土社)

    藤原:
    私が『分解の哲学』を書く際に参考にしたのは、生態学(ecology)です。生態学において、地球上には「生産者」と「消費者」と「分解者」の3種類が存在しているとされています*。まず「生産者」は、太陽光を基に二酸化炭素と水でブドウ糖を作る、いわゆる植物のことです。続けて、植物を食べることでしか生きられない草食動物、あるいは、草食動物を食べる肉食動物のことを「消費者」と定義づけています。

    *参考 「生産者」、「消費者」、「分解者」の説明について(教育出版)

    「生産者」と「消費者」に関してはなんとなくイメージできると思いますが、実は、生態学の中にはもう1種類、絶対に欠かせない生物的集団がいます。これが「分解者」なんです。動物の死骸、毛、皮膚などを食べて分解する微生物のことで、例えば、ミミズやトビムシがいます。ただ、この「分解者」という存在は、どんどん忘れ去られているんですよ。とりわけ「分解者」の住処は土や海であり、どうしても人間の目につきにくいのだと、土壌学者が嘆いています。

    『分解の哲学』の中で私は「腐敗したものを微生物が分解することが、地球の循環に繋がっている」といったことを書き記しました。生物が生涯を終え、腐敗、分解を繰り返しているうちに、違う生物の構成要素に代わっていくんです。もし分解者がいなければ、あっという間に地球上はゴミで埋もれてしまい、地球は熱くなって私たちはゴミの中で死んでしまいます。

    また、人間の体の中には膨大な数の「分解者」が存在しており、常に我々は微生物と共生しているんですよ。例えば、微生物の働きを利用して、食べたものを分解して排泄するということをやっています。もちろん、他の動物も微生物と共生していますが、人間が他と違うのは「料理を覚えた」ということです。かつて、人間は「火を使うこと」と「発酵させること」を見出しました。食べ物をあえて体外で分解させ、人間の好む糖やアルコールなどの「副産物」を微生物に生み出してもらう、これが「発酵」という技術です。人間が発酵の技術を身につけたおかげで、自然界では有り得ないような「うま味」や「深い香り」などが誕生しました。

    つまり「分解者」の働きが、私たちの食生活を豊かにしてくれているんです。例えば、あまり元気のない大豆だと微生物が腐敗させてしまうため、発酵の過程に至る前に土に返すことが多いです。その一方で、非常に元気のいい大豆だと微生物は活発化しますので、糖やアルコールを作って「うま味」を出してくれます。要するに「腐敗」と「発酵」は、まさに表裏一体なんですよ。そのような意味でも「発酵」は、人生を豊かにする文化として存在しているのだと思います。

    「分解者」との共生

    宮津:
    今、藤原先生に伺ったテーマを、そのまま野村さんにもお尋ねします。野村さんは日々、蔵の中で麹と向き合われていて、まさに「人間と分解者の共生」を体現しているように思います。この点について、野村さんのお考えを伺いたいです。また、麹を腐敗ではなく発酵させるためのポイントを教えていただけますでしょうか?

    野村:
    醤油に限って言いますと、まずは、大豆を煮蒸し小麦を焙煎した後「種麹(たねこうじ)」と呼ばれる麹の素を振りかけて、麹室の中で菌を培養していきます。その後、4日間かけて醤油の麹を育てたら日除け用の木桶に入れ、塩水を入れて寝かせて発酵させていく、というプロセスがありますね。

    出典:堀河屋のこだわり:三ツ星醬油 製造工程(堀河屋野村)

    すごく単純な話なのですが、麹を付けた段階から、農産物は完全に生き物化していくんですよ。だから、特に麹菌を培養する4日間は、五感をフルに使って生育状況を見守っています。ただ、ここに大きく影響してくるのが「気候」です。堀河屋野村の麹室は、江戸時代から使っているものですから、窓が付いており、完全な密閉空間ではありません。当然ながら、雨が降ると麹室は湿気が多くなってしまうのですが、麹という生き物は湿気の量を調整できないんです。だからこそ、湿気が多いときには、麹室で薪を焚いて乾燥させるというように、人が「媒介者」となって麹を育てていくことが必要だと考えています。「分解者」と共に生きることで、最終的に醤油を作ることができるんですよ。まさに、日々の生活を通して「生き物と共生する」という意識が非常に強くなっています。

    宮津:
    今の世の中としては、センサーで温度を計測して、通信部で一定の温度に保つというような方法を実践している作り手が多いと思います。それに対して、堀河屋野村での醤油、味噌作りは、全て肌で感じて目で見て手で触れて、適切な方法を探るという感じなのでしょうか?

    野村:
    まさにその通りですね。一見すると大豆は全て同じものに見えますが、人間の顔が一人一人違うのと同じように、大豆も一粒一粒違います。だからこそ、温度センサーのような「定量の物差し」で大豆や麹の良し悪しを判断しようと思っても難しい、というのが私の持論です。

    例えば、自動車メーカーの部品であれば、一定の規格に合わせて作ることができると思います。しかし、食べ物の場合は自然の恵みを加工していますので、取り巻く環境が毎回違うわけです。ひょっとすると、人間は唯一、周囲の状況を見極め、柔軟に対応できる能力を持っている生き物なのかもしれません。だからこそ「ものづくり」は面白いですし、難しいところもありますが、ちっとも飽きないんです。恐らく、我々一族は「ものづくりの魅力」にとりつかれているからこそ、江戸時代からずっと続けてこられたのだと思います。

    宮津:
    我々は便利さと引き換えに、人間本来が持っている能力を、少しずつ退化させているのかもしれませんね。そのような意味でも、野村さんの取り組みはまさに、人間に本来備わっている「センサー」を鋭くしているのではないかと思います。

    堀河屋野村と「蔵人船(cloud-ship)」

    宮津:
    ここで、実際に「堀河屋野村」のホームページを見ていただきましょうか。ぜひ、蔵の写真を拝見したいと思っております。

    出典:堀河屋のこだわり(堀河屋野村)

    野村:
    ホームページでは、製造工程の写真をご覧いただけます。また、今、画面に映していただいているのが、最近提供を始めた「蔵人船(cloud-ship)」で、3Dスキャンした蔵を、全世界どこからでもご覧いただけるサービスです。先ほど宮津さんからご紹介があった通り、このシステムではVR技術を活用しています。昨今の状況を踏まえて、堀河屋野村のことをもっと知っていただければと思い「オンライン上でバーチャル蔵見学ができるサービス」提供し始めることにしました。

    出典:バーチャル蔵見学(堀河屋野村 オンラインショップ)

    宮津:
    なるほど。こちらのYouTube動画が、蔵人船(cloud-ship)の紹介動画*ですね。約2分ぐらいの動画ですので、皆様どうぞご覧ください。

    *参考 蔵人船 cloud-ship ご紹介動画(堀河屋野村 YouTube) 

    本当にすごいですね。10人で作業しているとは思えないぐらい、先進的な取り組みだと思います。

    野村:
    「蔵人船(cloud-ship)」という名前の通り、こちらは「蔵人の船」をモチーフにしたサービスです。我々のルーツは紀州の廻船問屋ですので、我々自身が江戸と紀州を行き来するということを実践していました。つまり、現代版の廻船問屋のように、蔵自体が動くといった仕組みになっています。

    堀河屋野村 麹室 出典:蔵人船 cloud-ship ご紹介動画(堀河屋野村 YouTube)
    堀河屋野村 日除け用の木桶 出典:蔵人船 cloud-ship ご紹介動画(堀河屋野村 YouTube)

    また、こちらが先ほどお話しした「麹室」という、菌を培養する部屋です。「麹蓋(こうじぶた)*」という容器に大豆を入れており、時折その順番を並び替えるなど、子供を育てるような感覚で生育状況を見守っています。

    麴菌が育った後は、日除け用の木桶の中に移します。木桶は全部で30本あります。古式の醤油作りは約2年、二夏かかるんですよ。1シーズンで10本仕込むのですが、その前に1年間寝かせたものが10本あり、更には商品にできるものが10本ある、という形で醤油を作っています。これは、江戸時代からずっと変えずに続けているやり方ですね。

    日時を指定して蔵見学を実施しておりますので、ご興味のある方がいらっしゃったら、ぜひお申し込みください。堀河屋野村のオンラインショップから、普段のお買い物のようにご利用いただけます。

    *参考 剣菱に宿るもの:麹蓋(剣菱酒造株式会社)

    出典:バーチャル蔵見学(堀河屋野村 オンラインショップ)

    宮津:
    なるほど。現在は完売しているようですが、やはり、バーチャル蔵見学は人気があるのですね。

    野村:
    最近、大学のゼミなどで、食文化的なアプローチが多く行われているそうです。新型コロナウイルスの感染拡大により実地研修ができないため、蔵人船(cloud-ship)を活用したゼミも実施しています。

    宮津:
    ありがとうございます。ご興味のある方はぜひ、ホームページをご覧いただければと思います。

    【5】食と美の関係性

    宮津:
    いよいよ、最後のテーマを取り上げます。紀南アートウィークは芸術祭であり、美術を使って町を豊かにする試みです。ここからは「食と美」について、お二方にお伺いしたいと思います。

    まずは、藤原先生に質問です。ナチスは、非常に革新的な芸術に対して「退廃芸術」という烙印を押して排斥していきながら、アーリア人種を礼賛する「大ドイツ展」のようなものを作り出していました。そのような意味でも「ナチスの美意識」は、非常に政治的で主張の強いものだったのではないかと思います。この点について、先生から詳しくお話しいただいてもよろしいでしょうか?

    ナチスの美意識

    藤原:
    やはり「ナチスと美」というものは、すごく重要なテーマです。研究者の中には「ナチスは芸術には理解がなく、非常に野蛮だった」と言う人もいますが、それは違います。私としては、ナチスは「美」に敏感な集団だったのではないかと考えています。

    例えば、筋肉隆々で金髪碧眼のドイツ人や、ドイツの綺麗な農村風景、農村で生活する女性など、非常にイデオロギー的で牧歌的な風景を描くということを、ナチスは推奨していました。その一方で、ピカソの絵や抽象芸術のようなものは「退廃芸術」として取り扱い、排除していたんです。

    しかも、この「退廃芸術」を見極める際に関わってくるのが「健康」というキーワードです。ナチス政権が発足する30年ほど前、ドイツでは「郷土を愛して理解しよう」という郷土保護運動*が起こりました。この運動を率いたリーダーは「ドイツの美とは何か?」と考え、「農村の茅葺の屋根が美しい」といったことを訴え続けていくのですが、またここに落とし穴があります。

    このリーダーは「ドイツ本来の美しさ」を見出そうとしながらも、ドイツの健常者と障害者の顔を比較するといった、非常に冷酷な「美の評価軸」を決めてしまったんです。更には、抽象芸術で描かれた人の顔を並べて、こんなことを言いました。「抽象芸術で描かれた顔は、ナチスが批判してやまなかった障害者の顔と似ている」と。「健康」というものをそういう風に使って「美の基準」に変えていったというのが、私には全く受け入れられないところです。

    *参考 赤坂信「ドイツ郷土保護連盟の設立から1920年代までの郷土保護運動の変遷」(『造園雑誌』55巻3号、1991年2月28日、p.232-247、J-STAGE)

    先ほど、野村さんは「大豆は一粒一粒、顔が違う」と仰っていましたよね。その言葉に、強く心を動かされました。ナチスは「ユダヤ人は皆、同じ顔である」として、鼻の高さや頭の大きさを全て測り、十把一絡げにしてしまったんです。結果的に、ナチスは「統制される美」を崇拝するという状態にまで至ってしまいました。

    更に、ナチスは「巨大なもの」を美しいと感じていました。堀河屋さんのような小さな蔵に潜む「美」というよりは、「ローマのコロッセオのドイツ版」といったものを目指して、若い建築家のアルベルト・シュペーアに壮大な建造物を作らせていたそうです。多様というよりは単一で、小さなものよりは巨大なもの、そして、ズレや歪みではなく綺麗なものを、ナチスは好んでいたのかもしれません。このような美意識が、ナチスの中心にあったのではないかと思います。

    「美味しいと感じる」とは?

    宮津:
    野村さんにも「美」についてお尋ねします。日本語で「美味しい」という字は「美しい味」と書きますが、このことは、野村さんの中にある「安心安全で健康で、自分が良いと思うものを作りたい」という気持ちにも繋がっているような気がします。改めて「食と美の関係性」や、野村さんの醤油、味噌と「美味」という観点でお話しいただけますでしょうか?

    野村:
    「美味しいと感じる」のはどういうことかと考えたとき、一般的には、瞬間的に感じる「美味」を思い浮かべがちです。ただ、将来的には、私たちがまだ経験したことのない領域の、記憶の中での「美味しい」というものが登場するような気がします。つまりは「病気になると食べたいものが食べられない」とか、極端な話、亡くなる前に「あのとき、あれを食べて美味しかったな」と思い出すことこそが、人生の最後に訪れる、集約された「美味しい」だと思うんです。

    前回、藤原先生と対談させていただいたときに「料理をして集うことが、人間の特色である」というお話を伺いました。例えば、普段から複数人で食事をしたり、自分の家族が作ってくれた料理を毎日食べていたりすると、その瞬間を「美しい」と感じることはほとんどないかもしれません。これらの食事風景は、日常的に発生している「淡々としたこと」ではあるものの、それができなくなったときには「あのときの料理、美味しかったな」と思うはずです。これこそが、本当の「美味しい」ということだと思います。

    人々が「美味しい」と思う記憶の1ピースに、我々の醤油があれば、私は「自分の人生を醤油に捧げた意味があった」と嬉しくなりますね。私が主役になるつもりは全くないんです。最終的な「美味しい」という1ピースになれたら、なんて幸せな仕事なんだろうと思います。

    宮津:
    家庭によって異なりますが、一般的に日本の家庭では、醤油を容器に入れて卓上に置いてありますよね。日本の場合は「醤油さし」という、醤油を移して常に食卓に置いておくための器具があるぐらいですから、やはり、醤油は日本人にとって身近な存在だと思います。

    野村:
    「食卓に醤油を置いておく」というのは、恐らく日本唯一の慣習だと思います。宮津さんが仰る通り、そのまま醤油さしが食卓に置いてあって、このようなことは他の調味料ではまずありません。醤油さしは、食卓を美しく彩り「食卓の構成物」の1つとして活躍しているような気がします。私自身、醤油は「人と人とを繋ぐもの」だと思っていますが、まさに食卓では醤油を手渡しするんですよ。

    以前、堀河屋をご利用いただいているお客様から、すごく嬉しい話を伺ったことがあります。親子で来店されたお客様がいて、お子様が醤油のことを「野村さん」と呼ぶんだそうです。ご家庭の食卓で「野村さん取って」という会話をすることを知り、まさに、我々の醤油がこの親子を繋いでくれているような気がしました。この出来事も踏まえて、醤油は一種の「媒介物」としての役割も担っているのではないかと思っています。

    宮津:
    改めて考えてみると、ほとんどの日本の食卓に醤油があるのは、本当にすごいことだと思います。堀河屋さんに来店された子供さんにとっては、「野村さん」という固有名詞が「醤油の代名詞」になっているというのも素敵なことですね。それだけ、野村さんが作られる醤油には、この子の人生を変えるぐらいのインパクトがあるのではないかと思います。

    「籠もる」と「ひらく」に対するイメージ

    出典:紀南アートウィーク

    宮津:
    最後に、改めて「籠もる」と「ひらく」というテーマについて、お二人のお考えを伺います。先ほど野村さんから、醤油を作ることは「籠もる」ことで、お客様に伝え広めることは「ひらく」ことだというお話もありました。最後に、藤原先生と野村さんから一言ずつお話を頂いて、トークセッションを終わりたいと思います。まず、藤原先生から、発酵や分解と関連させて、「籠もる」と「ひらく」について一言いただけますでしょうか?

    藤原:
    やはり「籠もる」と「ひらく」という言葉は、とても面白い日本語だと思います。発酵や分解は、暗い場所や目の届きにくい場所で、ひっそりとなされているものですよね。まさに「籠もる」という言葉は、分解者たちの様子を表すのにぴったりだと思います。そして、発酵、分解された食べ物が太陽の下に晒されるというのが「ひらく」ことであり、両者は全く正反対の存在です。

    さらに、これはあくまでも私の考えですが、今の話と「思考する」ということとも繋がっている気がします。人間は「本を読むと、知識を身につけて賢くなった」と勘違いしがちです。我々はその段階で満足するのではなく、野村さんのように「発酵させるときに気候がどう動くか」と考え、臨機応変に対応できるようになることが重要だと思います。恐らく、野村さんの例のように「思考が発酵していく」という要素も、発酵や分解という言葉の意味に含まれているのではないでしょうか。麹室の中に「籠もって」麴菌を発酵させる一方で、お客様に堀河屋さんの魅力を伝えるという「ひらく」部分では、分かりやすく伝えるために、野村さんは言葉を1つずつ噛み砕いていらっしゃいます。そのような意味でも、思考、表現、美に関することと、野村さんが実践されている醤油、味噌作りは、繋がる部分が多いような気がしますね。

    宮津:
    ありがとうございます。それでは野村さん、最後に一言よろしくお願いいたします。

    野村:
    普段、私は夜10時から朝2時頃まで、薪焚きで大豆を焚いています。これを年間70回行っていますが、周囲には誰もいませんし、携帯電話もこの時間帯は鳴りません。まるで「現代版仙人」のような生活だと思いながら日々、蔵に籠もっています(笑)。

    籠もっているときの自分は「無」に近い状態ですね。でも、座禅でいう「呼吸することと、考えることは止められない」という感じで、結局は色々と考えてしまいます。しかしながら、蔵の中にいるとたくさんの気づきが得られるんですよ。夜間に蔵で大豆を焚く時間は非常に大切で、この時間があるからこそ、考えたことを具現化して周囲に「ひらく」ことができるのだと思っています。「籠もる」ことと「ひらく」ことのバランスを上手くとることができれば、人間は精神衛生上ヘルシーでいられるかもしれないと、最近特に感じますね。

    宮津:
    ありがとうございます。

    本当にお話は尽きないところで、ナチスと食、農業に対する考察から、野村さんが日々作られている醤油や味噌のお話まで、本当に多岐に渡り、しかも深さも伴いながら進めてまいりました。

    お時間も限られていますので、この辺りでトークセッションを終了させていただきます。この後は、ご参加いただいている方からの質疑応答に移りたいと思います。

    それでは、司会の森重さんにバトンをお戻しします。森重さん、よろしくお願いいたします。

    【6】質疑応答

    森重:
    皆様、ありがとうございました。本当に「縦横無尽」という言葉にふさわしいような、素晴らしいセッションだったと思います。私自身ついていくのが精一杯でしたが、歴史、文化、食、アートなど、幅広い分野に話が広がり、非常に充実した時間を過ごすことができました。発酵や分解に関する見解から、藤原先生、野村さんの生き様も含めて、本当に素晴らしいお話をしていただき、ありがとうございました。

    現在、ご参加の皆様からご質問を受け付けております。本日のセッションに関すること、あるいは藤原先生、野村さんのお人柄についてでも構いません。どんな質問でも結構ですので、ぜひご質問いただければと思います。

    質問1:未来のビジョンは?

    森重:
    では、まずは、私から1つ質問をさせていただきます。

    お二人とも深い教養があり、それぞれの思いをもって研究や事業に励まれていて、本当に素晴らしいと思います。そんなお二人から、今後、どのような未来を描いているのかということを伺いたいです。

    まずは、藤原先生。発酵や日本の食文化に関して、5年後、10年後にどのようなビジョンを掲げておられるのか、お話しいただけますでしょうか?

    藤原:
    実は、私はかなりの悲観主義者ですので、未来を語るとすぐに暗い話になってしまうんです(笑)。恐らく、これからは食べ物自体が工業化、簡易化していくと思われますし、更には「発酵の過程は面倒だ」と考える人が増えるような気がします。その一方で、発酵の過程をプラスに捉えて、新たな気付きを得る人が出てくるかもしれません。例えば、待てば待つほど愛情が湧く、発酵によって不思議な効果が得られる、食べ物の香りが良くなる、といったことですね。こういった「発酵文化」は、今後も重要な意味を持つと思います。

    また、世の中が刻一刻と変化する中で「私たちは何を選択するのか?」ということも大切です。これからの未来は「より高く、より速く、より遠くへ」というオリンピックのようなものではないと思います。きっと「より短く、よりゆっくり、より近く」ということが、未来が面白くなるためのキーワードになってくるはずです。そのような意味でも、野村さんが実践されていることは「超SF」な感じがして、これこそが本当の未来なのではないかと感じます。

    ひょっとすると、私たちは「未来」という言葉を、高層ビルや空飛ぶ車のようなものに託しすぎていたのかもしれません。こういった意識が何十年先の未来で変わってくれば、恐らく「ゆっくりした食文化」というものがもう一度、私たちの人生を楽しませてくれるような気がします。

    森重:
    ありがとうございます。今お話しいただいた「時間」に対する概念ですが、これまでは「物消費」と言われていたのが、最近は「事消費」に変わったとされています。そして、これからの時代は「時消費」であり、時間自体を味わい楽しむ時代になるのだそうです。恐らく、藤原先生は「新しい時代を切り開くためのもの」を、これからも見出し続けていくのだろうと感じました。藤原先生、ありがとうございます。

    続けて、野村さんにも同様の質問をお尋ねします。野村さんは先進的な蔵の取り組みを実践していて、セッションの最初の方では「人生は一度きりのアドベンチャーだ」というお話もされていましたね。5年後、10年後の未来に向けて、どのようなチャレンジをしたいと考えていらっしゃるのか、ぜひお聞かせください。

    野村:
    きっと、5年後も10年後も、今と同じことをやっているのではないかと思います。ただ、一見すれば同じことに思えても、私の中では毎回違うことだと感じながら実践しているんですよ。例えば私は、醤油でいえば年間70回、味噌でいえば30回、麹造りを年間合計100回やっています。10年後、合計1000回の麹造りを経験をした私がどうなっているのか?と考えることが、すごく楽しみでもあり、不安でもあります。「麹と向き合うこと」は「自然と対峙すること」であり、自然環境の変化や内外の政治状況など、そういったものも大きく関わってくるんですよ。でも、数年後の未来でも、恐らく楽しくやっているのではないかと思いますね。

    森重:
    ありがとうございます。きっと、不安を持ちながらも、楽しみの方が大きいと思います。野村さんの表情が、そんな高揚感を物語っていますね。

    今の質問の合間に、皆様からトークセッションへの感想メッセージを頂きました。まずは「このお二人の組み合わせ、最高です!」というご意見。そして「お二人は本当に素晴らしい組み合わせで、色々と考えさせられるようなお話を伺うことができました。私も、自分の考えを熟成させていきたいです」というお言葉も頂きました。皆様、本当にありがとうございます。

    質問2:江戸時代、堀河屋野村の醤油はどのような料理に使われていたか?

    森重:
    続けて、野村さん宛のご質問です。「江戸時代、野村さんの醤油はどのような料理に使われていたのでしょうか?」という質問を頂いております。野村さん、ご回答をよろしくお願いいたします。

    野村:
    我々の醤油がどういう風に使われていたのかということは、実は記録に残っていません。我々は紀州徳川家の荷物、特に木材を紀州から江戸に運搬していた一家です。廻船には醤油や徑山寺味噌を載せており、「日高屋忠兵衛」という紀州藩の人間に品物を渡していました。和歌山県の御坊市は「日高地方」と呼ばれますが、まさに「日高屋」はこの地名から取った名前です。

    ここから先は想像の域ですが、2年かけて醤油を作って命懸けで運んだものを、位の高い人たちが「娯楽」として召し上がっていたのではないかと思います。どういった形で紀州の醤油が使われたのかというところは、私自身も興味深いと思っていますので、もう少し勉強したいですね。

    質問3:「発酵」の見極めはいつ?

    森重:
    もう1つご質問を頂いております。こちらはお二方に対する質問ですので、お一人ずつご回答いただければと思います。

    実際の発酵だけでなく、言葉にするまでの発酵の話をされていましたが「発酵が十分かどうかということの見極めは、どうされていますか?」というご質問を頂いております。まずは、藤原先生からお答えいただけますでしょうか?

    藤原:
    私は文章を書く仕事をする中で、特に「夜書いたものは、そのままメール送信してはいけない」と意識しています。粗雑で大げさな文章になりがちですので、やはり一晩寝かせて、翌朝確認して修正しなければいけません。例えば「人を喜ばせたい」とか「衝撃を与えたい」といった下心が、文章の中に混じっているんですよ。だからこそ、一晩二晩、あるいは1週間寝かせて、文章を落ち着かせる必要があると思います。

    ただ、スローガンに使われるような言葉は、結構野蛮なんです。「人の心を一発で動かしたい」という思いが強いために、兵器的な言葉と言いましょうか、そんな感じになると思います。その一方で、一晩以上寝かせて発酵させた言葉というのは、「これはこういう意味だったのか」と知ることや、野村さんが蔵の中で「気づき」を得ることと全く同じなんですよ。こういった「遅効性」が大切だと思います。私は、十分に発酵させたか、ただ衝撃を与えるために作られたかということで、自分の文章の良し悪しを見極めることにしています。

    森重:
    ありがとうございます。野村さんはいかがでしょうか?

    野村:
    セッションの最初に、堀河屋では10人で小さな蔵を守っているとお話ししました。最近、私の父は蔵に入っていませんので、男手は私1人なわけです。本日も夜10時から大豆を焚き、麹室で麹の生育の様子を見ます。1人で作業していると、どうしても自己満足を目指してしまって、客観性が失われやすいんですよ。例えば、自分が記憶している「直近の麹の様子」を基準に、麹の良し悪しを判断してしまうことがあります。これは極めて、少人数だからこそ危ないところだと感じているんです。

    翌日、朝8時半頃に従業員の方々が蔵に来て、一緒に手入れを作業をします。私は、彼女たちの表情や顔色を見ているんですよ。良い麹ができたときは粉塵がものすごく出ますので、マスクやヘアキャップが黄色くなります。彼女たちが「良い麹ができている」と思っているのか、はたまた「これはイマイチだ」と考えているのかということを、私は見ているんですよ。こうすることで「自分の主観が正しかったのかどうかを確かめている」という感覚だと思います。

    森重:
    ありがとうございます。現在、紀南アートウィーク実行委員会では、クラウドファンディングを実施しております(2021年11月16日に終了済。目標金額の150万円を達成)。その返礼品として、堀河屋野村さんの「バーチャル蔵見学」をご用意しております。醤油蔵見学だけではなく、野村さんが丹精込めて製造した特撰醤油も合わせた、素晴らしいセットです。皆様、もしよろしければ、クラウドファンディングの応援もよろしくお願いいたします。

    出典:自然と信仰、歴史と文化が息づく 和歌山県『紀南』を舞台にした芸術祭 「紀南アートウィーク2021」ご支援をお願いします!(MotionGallery)

    あっという間の1時間半でした。まだまだお話をお伺いしたいところではありますが、定刻となりましたので、以上を持ちまして、本日の第4回 紀南ケミストリー・セッションはお開きとさせていただきます。皆様、ご参加いただきましてありがとうございました。宮津先生、藤原先生、野村さん、ありがとうございました。

    宮津:
    ありがとうございました。

    藤原:
    ありがとうございました。

    野村:
    ありがとうございました。