ダイアローグ

    対談#39 つながる世界の物語 ~はしっこから見えること~

    紀南アートウィーク対談企画 #38

    出典:和歌山県 企画部 地域振興局 移住定住推進課 わかやまLIFE

    〈今回のゲスト〉
    芸術家 田並劇場オーナー夫妻
    林憲昭(はやしのりあき)さん
    茎子(けいこ)さん
    和歌山県串本町の田並で、崩壊寸前の廃墟だった建物を、自分たちで4年間かけて再生し、2018年の夏に「田並劇場」として復活させたアーティストご夫妻。お2人は東京を拠点に世界各地で芸術活動をされていたが、子どもが生まれたことをきっかけに「土の上で子育てがしたい」と移住を決意。自然のなかに身を置く方が創作のインスピレーションも得られる為、アートイベントで縁があった田並に移住。海と山に親しむ暮らしをしつつ、多くのイベントを企画、運営されている。

    〈聞き手〉

    藪本 雄登
    紀南アートウィーク実行委員長

    <編集>
    紀南編集部 by TETAU
    https://good.tetau.jp/

    対談#37 つながる世界の物語 ~はしっこから見えること~

    目次

    1.林さんご夫妻のご紹介
    2.林さんご夫妻の出会い
    3.田並での自然あふれる暮らし
    4.田並劇場での活動
    5.つなぐ場としての田並劇場
    6.田並の暮らしが最先端!
    7.縄文人の感覚をもった暮らし
    8.山の神様の存在

    1.林さんご夫妻のご紹介

    出典:Facebook 田並劇場

    藪本:
    さっそくですが、林さんご夫妻や田並劇場の経歴、今までの活動などの自己紹介をお願いします。

    茎子さん:
    東京から和歌山に移住して今月でちょうど12年になります。

    藪本:
    どうして田並で活動をされることになったのか、そのルーツのお話を伺いたいですね。憲昭さんは東京藝術大学ご出身なんですよね。生まれはどちらですか。

    憲昭さん:
    岐阜県の土岐市という陶器の街です。母方の祖母の家が陶器をつくっている窯元でした。子どもの時は、余った粘土で何かごちゃごちゃ作って、焼いてもらったりしていました。

    藪本:
    そこにアーティストとしてのルーツがあるわけですね。藝大に行こうと思ったのはどうしてでしょうか。

    憲昭さん:
    僕は理系希望で、大学も理系に行こうかなと思っていました。生き物がすごく好きな子どもで、山でキノコとか山菜とかを探すのも好きでしたね。

    藪本:
    生物学の方面ですか。

    憲昭さん:
    そうです。でも、高校三年生の夏になぜか美術系に進もうと急に決心して、一浪して東京芸大に入りました。周りもビックリしていましたね(笑)。

    藪本:
    何か降りてきたんですか?そもそも、東京芸大は1年浪人したくらいでは入れないですよね。

    憲昭さん:
    いろいろ運が良かったんです(笑)。

    藪本:
    学科は何だったんですか。

    憲昭さん
    油絵科です。油絵科なんですけど、先端芸術的な、なんでもやるインターナショナルなアートをするところでした。

    藪本:
    名前と全然違いますね。

    憲昭さん:
    「洋物」をやる学科だったんです。そこにはおもしろい先生がいらっしゃってね。そんな先生方に影響されて、現代美術の道に進みました。

    当時は、目に見える風景を立体的や平面的に表現したりしていました。大学を卒業して、2000年の30歳くらいの時に、フィリップモリス社が当時やっていたフィリップモリスアートアワードでグランプリを取りました。それでニューヨークで展示が出来て、活動範囲が広まるんですけど、僕はなぜかメキシコに移住するんですね。

    藪本:
    メキシコですか。移住したのは何年ごろですか。

    憲昭さん:
    2002年ごろです。アメリカでもヨーロッパでもないところが面白いと思って、なんとなくメキシコに行きました。行ってみると、メキシコの伝統的なプリミティブ・アート(*)や、スペインに征服されて、文化が融合してできたアートがおもしろかったですね。

    *プリミティブ・アート・・・原始美術と訳されるが、これには先史時代の美術のほかに、未開部族社会の美術も含まれる。ブラック・アフリカの彫刻、オセアニアの原始民族の作品などがもつ単純明快、そして強烈な本能的造形表現は、印象派以降のフォービスム、キュビスム、表現主義などの20世紀の芸術運動に大きな影響を与えている。

    参照:日本大百科全書(ニッポニカ)

    メキシコにはシケイロスなどの壁画運動(*)のダイナミックなアートがあるんですが、実は高校の時に、美術室にあった画集で、それらの作品をすごくよく見ていたんですよ。当時見ていた作品がメキシコにあったことに、メキシコに行って初めて気付きました。「あの時見ていたものが全部ここにあった!」と、メキシコとの縁を感じました。

    *壁画運動・・・メキシコ革命(1911)後の新時代にふさわしい美術を創造し,革命の意義を壁画に描き,広く長く大衆の間に伝えようと考えたシケイロスやリベラやオロスコを中心にメキシコで興った美術運動。

    参照:世界大百科事典 第2版

    メキシコっていうと、単純に太陽のイメージがあるので、太陽の光を使って何かできないかと考えて、現地で始めたのが、青写真や日光写真(*)と言われるものです。僕が日光写真の作品を作り始めたきっかけですね。

    *日光写真・・・化学変化を応用した写真玩具(がんぐ)。青写真ともいう。薄板に絵を印刷したもの(種板(たねいた))を、感光度の低い日光感光紙(種紙(たねがみ))に重ねて、小さなガラス板付きの焼き枠(わく)に入れ、日光に数分間当てて焼き付け、さらに水につけて仕上げる。

    参考:日本大百科全書(ニッポニカ)

    出典:紀の国トレイナート実行委員会事務局

    メキシコには2年滞在しました。それくらい住んでいると、なんとなくスペイン語が話せるようになったので、ヨーロッパに行こうと思いました。それで、スペインに行って、アーティスト・イン・レジデンス(*)とか、奨学金とかをもらって活動して、日本に戻りました。

    *アーティスト・イン・レジデンス・・・アーティストが一定期間ある土地に滞在し、常時とは異なる文化環境で作品制作やリサーチ活動を行うこと。またはアーティストの滞在制作を支援する事業のこと。

    参照:美術手帖

    藪本:
    スペインに行かれたんですね。

    憲昭さん:
    スペインのバスク地方(*)に住んでいました。食べ物がおいしいところです。

    *バスク地方・・・バスク州は、スペイン北部にある自治州。ピレネー山脈の西側に位置し、北側は大西洋のビスケー湾に面している。バスク料理とは、スペインとフランスの間に居住するバスク人の間で作られ発展してきた料理である。

    参照:Wikipedia

    そこにはカミーノ・デ・サンティアゴ(*)っていう巡礼の道があるんです。それで、そこの道を歩いてみようと思って、1カ月ほどかけて歩きました。

    世界遺産で巡礼の道として登録されているのは、カミーノ・デ・サンティアゴと熊野古道なので、それなら熊野古道も歩かないとと思って、日本に帰って来てから歩きました。

    *カミーノ・デ・サンティア・・・キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指す。

    参照:Wikipedia

    小辺路(こへち)(*)を高野山から歩きました。その後、「森のちから」(*)   

    というアートイベントが紀南で開催され、アーティストを募集していたんですよね。熊野古道を歩いたことを書いた経験から発想した作品のプレゼンテーションで第一回目の招へい作家に選ばれて、1ヶ月くらい中辺路町(なかへちちょう)の近露や野中で滞在制作し、作品を発表したんです。それが2008年の春のことです。

    *小辺路・・・熊野古道 小辺路は、高野山と熊野三山の両霊場を最短距離で結ぶ道。
    紀伊半島中央部を南北に縦断し、途中には伯母子山をはじめとする標高1,000m以上の峠を三度も越える、熊野参詣道の中でも最も険しい道
    参照:田辺市熊野ツーリズムビューロ


    *もりのちから・・・和歌山県紀の国森づくり基金活用事業で実施する「森のちから」は、歴史と文化を育んできた熊野の豊かな森に芸術家を招き、現地制作によって新しい視点から森の魅力を発見し、県内外から招いた人々と地元の住民との交流を通して、熊野の森のすばらしさを発信していくことを目的とした事業

    出典:もりのちから Facebook

    茎子さんも一緒に来ていたんですけど、紀南で様々なご縁ができました。その時制作した作品を持ってヨーロッパで展覧会をし、帰国して第一子を自宅出産した後、今度は小豆島で4ヶ月のアーティストインレジデンスを経験しました。東京に戻る前に熊野の神様にご挨拶しようとして、中辺路で出会った友人を訪ねた時に彼女が田並にいたので、その時初めて串本町を訪れました。東京に戻ったら、其れ迄の旅やレジデンスで身近だった山や海や真っ暗闇が遠い。それにハイハイを始めた息子にアスファルトではなくて土の上を歩かせたい!と思いました。それで友人が田並の家を出ると聞いたので、「じゃあ、行っちゃえ!」と、ポン!て移住したんです。

    藪本:
    お二人はどこで知り合ったんですか。

    憲昭さん:
    スペインから帰ってきて、東京の下町で出会いました。アートイベントが盛んで、昔の江戸の名残がある町です。

    茎子さん:
    私はそこにご縁があって、アートイベントをお手伝いしながら住んでいました。ある時2人共通の建築家の友人が改築する現場で、彼は大工仕事を手伝っていました。私は当時大学を卒業して建具職人の弟子入りをしていたので、知り合ってからは私も時々道具を持参して、その建築現場に遊びに行きました。

    藪本:
    建具職人ですか⁉

    茎子さん:
    東京には僅かですが、未だ江戸を感じる職人の方がいらっしゃいました。浅草橋で道具を揃え、自ら手入れし、材木屋さんや様々な現場にも連れて行って頂きました。その経験が今ここでも活かされています。屋根瓦が割れた、こんなに大きな小屋を直す事になるとは思いませんでしたが、彼と出会う前からリノベーションはしていました。

    藪本:
    ご夫婦の空気感が同じですね。

    茎子さん:
    共通の友人はいるんですけど、世代は全然違うんですよ(笑)。

    彼は東京よりも、小豆島とか熊野の森の方が生き生きしているし、作品も良いものが生まれるんです。私一人だったら未だ東京にいたかもしれませんが、彼と家族になるのならココじゃない!って思いました。

    子どもを自然の中で育てたいという思いもありましたが、彼の創作の為にも、家族としての新しい暮らしの舞台は田並はとてもピッタリ!だと思いました。私は田舎暮らしをしたことがないので、彼もはじめは考えていなかった様ですが、私が「もう、あそこに行っちゃおう!」っと提案したら、「え!いいの?じゃあ行こう!」ってなりました(笑)。

    田並に来たのは2009年10月4日の満月の日でした。家の周りは街灯がないので、月の明かりで荷下ろしをしなくちゃと思い、満月の日を選びました。

    藪本:
    そういうストーリーがあったんですね。茎子さんはどちらの出身ですか。

    茎子さん:
    仙台です。大学に入って東京に出てきました。

    私の父は美術や音楽が大好きで、月に一回は一緒に舞台芸術を見に行きました。良いものを見せたいと思ってくれていたようです。一緒に行くのはとても楽しみでした。家では漫画もテレビもゲームも禁止だったので、周りの子とは話が合わなかったのですけれど(笑)。父はクリスチャンだったので、教会にも一緒に行っていました。人の暮らしを支える信仰とか、そういうものには小さい時から興味があって、父を通してたくさんの影響を受けましたね。

    美術はもともと好きでした。本当は美大に行きたかったんですけど、父に止められました。芸術家が苦労しているところをたくさん見てきたからです。ただ家は一度出たかったので、東京では建築を勉強させてもらいました。

    でも在学中も美術と関わることが増えてしまって、先生のご好意で何とか卒業させてもらいました(笑)。建築よりは美術の方が向いていましたが、自分を包む空間として、場の持つ力を引き出すものとしての建物や建築には興味がありました。

    藪本:
    それでは、ご家族の田並での暮らしと、劇場のリノベーションのお話しや田並でされているアート活動を教えていただけますか。

    2.田並での暮らし

    出典:田並劇場 ホームページ より 「田並について」

    茎子さん:
    私たちが移住してきたのは2009年の秋でした。とても夕焼けが美しいのが印象的で。ここに来たとき、1人目の子どもは未だ1歳になる前で、海と山と真っ暗闇があるところで新しい暮らしがはじまりました。住んでいるのは山の中なのですが、夕方になると海辺に下りてきて、海に沈む太陽と刻々と変化する空を見るのがとても楽しみでした。

    ここは川も本当にきれいです。今私たちが暮らしている家には水道が来ていなくて、川の水をポンプで汲み上げて使っています。

    梅干しや味噌も手作りしています。畑にも挑戦してみましたが、獣害がひどくて。特にわが家は集落の最も山奥にあるので、獣たちに作物を全て奪われてしまいます。ある日育てたお芋が猪によって全滅した為、彼が敵討ちの為に狩猟をはじめました。

    自作の罠を作って、自分たちが食べる分だけのシカとイノシシを山からいただきます。ハムやベーコン等に加工し、骨でスープストックを作り、皮はなめして、命をまるごといただきます。

    季節折々に山菜や木の実、海の恵みもいただいて、ご飯は薪で炊いています。お風呂やストーブにも薪を使い、手間はかかりますが、とてものびのびした豊かな暮らしだと思います。

    ここの暮らしで受け取った様々なことを誰かとシェアする場所があったら、と思っていました。また子どもの成長と共に文化と交流の場の必要性も感じていました。

    この駅前の劇場のことは、ずっと気になっていたんです。そして娘が保育園に入ったのをきっかけに、持ち主の方を探して、ここをまた再び人が集う場にしよう!という事になりました。

    ただその時この劇場は蔦が絡まり、屋根からも植物が生えていて、崩壊寸前の廃墟でした。建物の中もいろんな方が様々な用途で使われていたので、物がいっぱいで本当に酷い状態でした。でもここが元々映画館だったというのを地域の方から聞いて、文化施設であったのなら、なおさらまた人が集って、様々なことを共有できる場所になるのではと思い、頑張って直すことにしました。

    出典:クラウドファンディング READUFOR

    中を片付けて空っぽにして、そこから落ちた屋根を直したり、耐震補強をしながら建物を改修するのに4年かかりました。2人でコツコツと分からない事は独学で取り組みました。

    最終的に屋根の土は棟瓦に使うもの以外は全て下ろし、半年かけて6000枚の瓦を固定しました。屋根の上で仕事をしていると、夕日が海に沈むのが見えるんですね。日が暮れて、お寺の鐘が鳴ったら、「ああ、一日が終わったな」と仕事を終えるんです。大変でしたけど、私たちには今の姿が見えていたのでワクワクしたし、すごく楽しくて充実していましたね。

    出典:クラウドファンディング READYFOR 

    3.田並劇場での活動

    茎子さん:
    改修工事の途中にもアートイベントのギャラリーとして、ワークショップをしたり、小さなカフェをしてみたり、展示スペースを作ってみたりしました。

    この劇場から出て来たポスターの中から選んで、映画上映会を2018年にスタートしてからは、映画だけではなくて、落語や演劇、音楽のライブイベントをしたり、絵本の原画展を開催して作家さんを呼んだり、色々とやっています。

    紀南を題材にしたかるた大会や映画を映す大画面でゲーム大会もしました。コロナでなかなか来て頂くことが難しい時には、オンラインで出来る企画を考えたり。地元の高校の演劇部が、近畿大会で準優勝した際には凱旋講演していただいたんですよ!

    出典:田並劇場 Facebook

    映画上映会の際は出来るだけ関連書籍を購入し、田並劇場文庫の充実をはかっています。馬を持ち上げる女の子が主人公の映画なら等身大の馬を、火を吐く怪獣の映画なら火を、段ボールやベニヤで製作し、映画の中の世界を楽しむコーナーを作ったりもしました。

    出典:田並劇場 Facebook

    またある時期は毎週造形教室を開いて、様々な創作や表現方法を子どもたちと一緒に楽しみました。熊野本宮大社のお札、熊野牛王符(くまのごおうふ)のカラス文字(*)を使って遊んだ時には、私も「田並劇場」の字をたくさんのカラスたちで組み立ててみました。出来るだけ、この土地にご縁のあるものから着想したり、発展させたりして遊んでいます。

    *カラス文字・・・「オカラスさん」とも呼ばれる熊野牛王神符(牛王宝印)は、カラス文字で書かれた熊野三山(本宮・新宮・那智各大社)特有の御神符

    出典:熊野本宮大社 ホームページ
    出典:田並劇場 Facebook

    それから田並には移民の歴史もあります。

    田並はハワイやアメリカへの移民が多かったのですが、オーストラリアに真珠貝をとるダイバーの仕事に行った方たちもいて、彼らが故郷の子ども達に見せたくて持ち帰った物たちが、今廃校の小学校に眠っています。あるアートイベントで、彼らに対するオマージュの作品を憲昭さんが田並駅に展示した事もあります。彼らが遠い異国で命をかけて繋げた未来が、今ここにあることを見つめる作品です。

    出典:田並劇場 Facebook

    トルコともご縁ある土地なので、地元の子どもたちとワークショップをして大きなトルコランプを作り海に沈めたり、かつて太陽信仰の拠点だった森のなかに作品の展示をさせて頂いたりもしました。田並劇場を通して様々なことが繋がり、私たちも発見がたくさんあって、それが創作活動にも繋がるといった感じです。

    藪本:
    すばらしいですね。私がやりたいことを先行してやられていて、感銘しかないですね。

    4.つなぐ場としての田並劇場

    藪本:
    まさにプロデューサーとして、場を作られているのですね。

    田並というのはお二人にとってどのような場所なんでしょうか。こんな場所にしていきたいっていうのはありますか。

    憲昭さん:
    田並をこんな場所にしたいっていうのはないですね。

    茎子さん:
    私たちは、外から来てここに住ませてもらっていると思っています。私たちがここで何ができるか、ということは意識してます。この場所にある宝物をいろんな方とシェアしたいとは思っています。土地の事を語ってくれるお年寄りもどんどん減ってきていますし。

    藪本:
    フィールドワークで会える人も限られていますよね。

    茎子さん:
    ここに住んでいるだけで、私たちはいろんなことを教えてもらう機会があります。古い物語を教えてもらったら、その現場を一緒に見に行って体験することができます。河童がいた川とか白蛇が出た滝とか、物語の現場に未だ行くことができるんですよ!

    様々な偶然が繋がって、私たちは今ここにいますが、何かに「呼ばれた」と感じています。今暮らしている自宅のある場所は、田並の一番山奥で、劇場は海から歩いて5分の場所です。なんだか田並のあたまとしっぽの両方にいさせてもらえてるんですよね。いつも風通しを良くして、偏らず、いろんなものが循環する場にしたいなと思っています。

    憲昭さん:
    この辺一帯がすごく過疎化がすすんだ地域です。全国どこでも田舎に行くと、どんどん人が減っていて、お年寄りだけになっています。真ん中の世代がいないんですよね。20代がいない。真ん中がいないから文化的に育つものが非常に弱い。都市部であるような、一番元気な層が盛り上げていく、というのが非常に薄いと感じます。僕たちも、僻地なりに何か発信して人々に訴えかけていけるものがないか試行錯誤しています。

    上映する映画も、幅広い世代が楽しめる作品を選んでいるつもりです。ギャラリーでも、都会で生まれた現代美術を展示するのはどうかな、って感じます。

    ここならではの文化が産まれて、それがこの土地からニョキニョキと生えてくるようなものがあればおもしろいなって思います。

    茎子さん:
    2011年の震災とコロナで、暮らしを見つめ直した新しい移住者の方も増えています。食べるものを自分で作りたいという方もいます。そういった方々の受け皿になりたいとは思っています。でも、田並劇場を移住者だけが集まる場所にしたいとは思いません。地元の方と繋げられたら嬉しいです。。そんな場所として劇場と一緒に私たちも成長出来たらと思います。

    子どもの数は少ないのですが、美術や音楽などの表現が好きな子もいます。普段接している中で、こういう生き方もあるよ、こんな表現もあるよ、と伝えられる大人になりたいですね。今ここにいる子どもたちとこそ、この土地の魅力を一緒に体験したいし、それを発信できる力を持ってもらえたらと思います。地元の方には当たり前のことも、私たちの目には新鮮にうつることが沢山あります。なので、簡単ではありませんが、地域の方と一緒に楽しめることも模索しています。

    憲昭さん:
    子どもたちがちょっと変なものに出会う場所にしていきたいですね。都会だったら、ちょっと変わった大人があちこちにいて、学校以外でも興味があれば美術や音楽や文学に触れる機会はあるかと思います。ここではそんな機会も少ないので、子どもたちにとっても文化的な刺激のある場所にしたいんです。

    藪本:
    すごく重要なことだと思います。世界中が今求めているものが実は田並にあるんじゃないのかっていう気がしますね。田並の魅力とか価値とかって、もしかしたら土着のものからきてるように思います。今の生活とかって、まさに縄文人のようなのでは?

    茎子さん:
    弥生人になるのは挫折したんです(笑)。田畑をやるのはなかなか難しくて…。それよりも季節を読んで、そろそろあの木の実がなるぞとか、あそこで野草が収穫できるぞとか、空気の温度や湿度、風の流れの変化などで恵みのセンサーをキャッチする能力をちょっとずつ身につけています。娘も「あの実は食べられる!」って気づいたら、急にいっぱい見つけ始めるんですよ。

    5.田並の暮らしが最先端!

    藪本:
    目に見えないものが重要になっていて、美しいものを美しいと思える能力が世界に足りていない気がします。田並での暮らしが実は最先端なのではと私は感じますね。

    茎子さん:
    母は我が家がかまどでご飯を炊いていると聞くと、昔の暮らしに「戻る」という感じに受け取るんですけど、私たちは戻っているつもりはないんです。インターネットも使っているし、使えるものは便利に使っているんです。でも、今当たり前にあるものよりも、いいなって思ったものの1つとして、過去の物を取り入れているだけなんです。むしろ戻っているのではなくて、進んでいるつもりでいるんです。

    藪本:
    退化しているつもりはなくて、そのプロセスがないと進化しない。そういうのは進化論の中でも述べられていますね。

    茎子さん:
    串本はよく台風が来るので、母が心配して電話をくれるんです。でも、子ども達は風のエネルギーを感じて、台風がくるぞっていうわくわく感を楽しんでいて、外に出て雨の中踊りだすんですね。私たちはそれを止める必要はないと思って見守っています。普段の遊びでも、一緒に川に全身つかったり、海に潜ったりしているのですが、そういう遊びを地元の子どもたちは必ずしもしていなくて。

    藪本:
    たしかに子どもの頃は、台風が来たらわくわくしてましたね。

    茎子さん:
    雨が降ったら傘をさしなさい、と言われて、それが普通になっていきますが、うちはみんなで「わーっ!」てずぶぬれになって遊びます。そんな体験をしたことがあるということは、子どもたちの原風景としてはとても恵まれているのではと思います。

    藪本:
    私もそちらに戻りたくなります。お子さんたちはすごく楽しいでしょうね。そういう生き方って、すごく重要な気がしますね。

    茎子さん:
    例えば真っ暗闇を経験するって、今はなかなかないですよね。自分の手が見えないくらいの暗闇って、世界から減っていると思います。うちは本当に真っ暗になるので、星が凄くたくさん見えるんですね。車も来ないので道路に寝そべって家族で星を眺めたりして。

    藪本:
    意外と暗闇って目が慣れますよね。月や星の光で目が見えてくるんですよね。

    茎子さん:
    そうですよね。月の光が眩しいくらいです。

    月が出る瞬間の、日の出とは異なる荘厳さとか、満月か新月かで、どれだけ夜の世界が変わるのかっていうのは、真っ暗闇を体験しないと分からないと思います。世界中にこれだけ月と太陽の物語があるということは、闇の怖さと、闇をやぶる光の存在感、強さを昔の人も体験していたからこそ、いろんな神話になっているのでしょうね。神話が生まれるときの感覚を味わえる様なここでの生活は、すごく豊かなものだと思います。

    人間以外の動物たちも、うちの周りはすごく元気ですよ。

    藪本:
    ゴキブリが出たくらいで殺さなくてもいいのに、といつも思いますね。

    茎子さん:
    ゴキブリって、よく見るとカッコいいですよね。この辺りは黒くて大きい山ゴキブリもいます。ミミズも大きくてメタリックブルーに光るのが、雨の翌日に現れますよ!

    藪本:
    茎子さん、楽しそうですね(笑)。これからも田並でずっと活動を継続していくのでしょうか。

    茎子さん:
    そうですね。いろいろご縁が繋がって展開してきたので、無理せずにやれることを探していきます。ただ、子どもたちの成長に伴って、今後田並での暮らしが変化する可能性もあるかと思います。

    ここでの展示をきっかけに、大辺路刈り開き隊(*)にも入りました。ここの土地の事をたくさんご存知の長老たちと、崩れた石垣を直したりしています。

    *大辺路刈り開き隊・・・本州最南端を通る和歌山県の熊野古道大辺路(和歌山県田辺市~和歌山県那智勝浦町)の刈り開き、整備、情報発信およびガイドをしている。
    出典:Facebook 大辺路刈り開き隊

    藪本:
    私も行きたい!

    茎子さん:
    すごく楽しいですよ。道ごとに色んな歴史があって、物語があって、暮らしがあります。

    田並の物語、その隣の村の物語、それがどう繋がって、今に至るのかを知ると視点が広がります。

    熊野古道の中でも、マイナーな大辺路(おおへち)(*)ですが、海沿いのとても美しい風景をのぞむ豊かな道を、ちゃんと歩き続けられるように活動している長老たちから学ぶことは、たくさんあります。

    *大辺路・・・田辺市から那智勝浦町までの海沿い、約120kmの区間を指します。熊野参詣のルートとしては中辺路が多用されたため、大辺路は時間に余裕のある庶民や文人墨客が枯木灘や熊野灘の風景を愛でながら歩いた道であったようです。

    参照:和歌山県公式観光サイト

    6.縄文人の感覚をもった暮らし

    藪本:
    田並・熊野の価値ってどういうところなんでしょうか。言葉にするのは難しいでしょうか。

    茎子さん:
    今回紀南アートウィークは、「籠る」と「ひらく」というのをコンセプトにしていますが、田並もそういう土地なんです。もともと鎌倉時代に、海賊を見張れと言われた一族が都からやって来た土地だそうです。なので今でも国道から簡単には村の中に入れない構造になっています。そういう意味でもすごく「籠って」いるんですよ。でもいざという時に向かうのは、内陸ではなくて、海の向こうなんです。ハワイ、アメリカ、オーストラリアに移民に行った土地でもあります。すごく閉じているのに、すごく開いていると感じますね。すごく端っこに来たみたいに言われますが、逆に最先端なんです。

    憲昭さん:
    最南端の串本で、最先端の(川の)上流生活をしているんです(笑)。経済的なものでは測れない豊かさですね。

    藪本:
    土着の名残がほとんど消されていて、均一化されていますよね。ちょっと時間の流れを少し止めた方がいいのではと感じます。

    茎子さん:
    田並も高速道路の建設が始まるのですが、私たちは「低速道路」が欲しいなって思っています。ゆっくり歩くことでしか得られない情報がいっぱいあって、見えている景色の中でも、まだ見えていないものがあるぞって思うんです。

    私にも、10年前には見えていなかったけれど、今同じ風景の中でぼんやり見えてきているものがあるんです。それは時代をさかのぼって、もしかしたら縄文時代くらい昔なのかもしれません。日本の神話ができる前の世界の残り香はありますが、資料が少なくて、書物では分かりにくいんです。でも、「岩に掘ってあるこの模様はもしや⁉」とか様々にヒントは残っています。

    農業をもちろん否定するつもりはないのですけど、ある程度自然をコントロールして、自分たちで食べるものを作るぞ!という姿勢と、森や海から食べ物を探していただくぞ!という姿勢は、モチベーションが違うと思うんです。

    食べるものを育てるぞ、土地を所有するぞっていう意識が生じる時代の前と後って何か違っていると思うんです。その変遷の揺らぎみたいなものを感じるチャンスが、まだ残っている場所だと感じます。

    藪本:
    そうですよね。縄文人と弥生人は緩やかに統合していったように思います。田並とか熊野の方は縄文人の何かが残っている場所かもしれないですね。

    憲昭さん:
    私たちは、山のふもとでただ暮らしているだけなのですが、何か向こうからやってくるものがあるんですよ。自然が与えてくれるものみたいな感じでしょうか。例えば、家族の誕生日の前日とか、大切なお客様が来る前とかに、獲物がとれたりするんだよね。

    茎子さん:
    それまで全然とれてないんですよ!1週間も2週間も何にもとれなかったのに。

    憲昭さん:
    そういうのって何なんだろうって思いますね。

    藪本:
    そういう場合は、また山に何かをお返しするのでしょうか。

    憲昭さん:
    返さないといけないと思うんですが、返し方がわからないですよ(笑)。

    茎子さん:
    森は神の領域なんですよ。人が立ち入ってはいけない鎮守の森が日本にはありましたよね。本当は人が踏み入ってはいけない世界が自然の中にはあると思うんです。私たちはその境目にいるのかなと感じる瞬間があります。

    私たちは視覚にとても頼ってしまうけれど、生き物としてその他の感覚をもっと磨くべきだし、第六感みたいなものって、他の感覚と同じように、縄文の方たちは使えていたのかなって思います。そしてその感覚を取り戻せたら、と思っています。

    藪本:
    それが、真の意味で超高度な循環をする、構築のポイントになる気がしますね。

    憲昭さん:
    山からの恵みをどう返したらいいか分からないから、山の方に手を合わせたりするんです。道を作るために削った岩肌とかが、山に直結してる感じがして、そこに行くとつい手を合わせる習慣ができているんです。それを見ている子どもたちも、「ここって、神様がいるところだよね」と言って、同じように手を合わせるんですよ。それを見て「信仰がうまれたぞ!」と感じます。そういうところに祠ができたりするのかなって思いますよ。

    藪本:
    完全に縄文人の感覚が乗り移っていますね。

    7.山の神様の存在

    憲昭さん:
    3か月にわたってテレビ局から取材を受けて、僕たちの生活のドキュメンタリー番組が作られたことがあったんだけど。

    藪本:
    見たいですね~。

    憲昭さん:
    自分が狩猟しているところは人には見せてこなかったんですよね。罠にかかった動物と対峙して、それを殺めるっていうのは人に見せるべきものじゃない、山との秘め事だと思っていて。好奇心で見たいっていう人は今までもいましたが、何となくはぐらかしていたんですよね。でも番組の取材だから、毎朝狩猟現場についてくるわけですよ。

    茎子さん:
    ついて来るときは何も獲れないんです(笑)。

    憲昭さん:
    でも番組スタッフが大阪に帰っている時に獲物がとれたんですよ。

    茎子さん:
    それが娘の誕生日の前日だったんです。

    憲昭さん:
    シカがかかったんです。スタッフの方にも何かとれたら連絡する約束をしていたので、電話をかけました。「シカがかかったけど、どうする?」って。そしたら、「3時間待っててください、今から行きます」って言われて待ちました。カメラが来てから、シカを叩いて気絶させて、血ぬきをするシーンが撮影されましたが、山の神様からすると、「それは見せるな!」というものだったかもしれません。

    その日に撮影スタッフは帰っていきましたが、次の日に今度は大きいイノシシが罠にかかっていたんです。そしてそれを発見し、イノシシと対峙したときに、その罠がイノシシの爪ごと取れて、僕はそのイノシシにぼこぼこにされたんです。

    茎子さん:
    身体に5か所穴があいたんですよ!血だらけになって帰ってきました。

    憲昭さん:
    山の神様に怒られた!と思いました。一晩中イノシシが暴れた跡が残っていました。それが僕と対峙した瞬間に外れたんですね。僕は信心深いほうではないんですけど、でも山の神様を怒らせちゃったな、って感じられずにはいられなかったです。

    茎子さん:
    全身麻酔で手術して、1週間の入院でした。

    入院の翌日、アトリエの前にある2つのバケツの中のものを、山に埋めて来てくれと頼まれました。中を見てみたら、娘の誕生日の前日にとれたシカの生首と、皮と、あばらと、両足が入ったバケツだったんです。山の神様に謝罪とお礼を伝えるためにも、ちゃんとこれを埋めに行かなくちゃいけないと思いました。

    テレビの取材班の方には、今日は話しかけないで下さいってお願いをして、2つのバケツを持って、クワとツルハシを肩にかけて、山に入りました。角が立派な雄のシカだったので、それが全部入るような大きなお風呂くらいの穴を掘りました。テレビカメラの前では泣くまいと思っていましたが、途中クワでミミズの身体をちょん切ってしまって。そしたらもう耐えられなくなってしまって、ごめんなさいって、大泣きしながら穴を掘りました。頭の下に肋骨、前足はその傍、後ろ足はここ、とできるだけ丁寧に骨と皮を埋葬して、最後に土を被せて、お祈りをしました。。

    お祈りをしないといけない!という緊張感を感じました。1つの命を奪って、生かせてもらえているんだっていう感覚が迫ってきました。なかなかシカの生首を持つということはないですよね。

    藪本:
    ないですよ。もののけ姫じゃないですか。

    茎子さん:
    もののけ姫の映画は、人間の暮らしの中に鉄が入ってきて、神がいなくなってしまうその瞬間の物語だと思うので、今私たちはそれを体験しつつあるのかもしれません。遠い昔の物語ではなくて、今につながっているお話なんですよね。

    そういう自然とつながる物語が世界中にあって、自然の中で生かされている人間としてどう生きるかというヒントを、いろんな物語が伝えてくれていると思います。

    物語が持つ力ってすごく大きくて、すごく大事ですよね。これからも劇場を通じて紹介していきたいと思っています。

    藪本:
    素晴らしいですよ。まさにつなぐ場だと思います。林さんのこれからの作品にどう表出されていくのか、すごく楽しみです。

    憲昭さん:
    どういう形で出てくるかな。何か表現したいっていう気持ちはあるからね。

    藪本:
    楽しそうですね。そういった価値をどうやって全世界に伝えていくのか、非常におもしろいと思います。それでは、最後に何か伝えたいことはありますか。

    茎子さん:
    私は、世界中みんな家族だと思っています。

    私は仙台で生まれましたが、父方の先祖は金沢でロシア人の血が混ざり、江戸時代に東北に移動したようです。母方も本当かどうか分かりませんが、九尾の狐を退治したけれど、都から追われて東北に逃れた方が先祖だと聞いています。

    皆さんなかなか大昔までは先祖は辿れないと思いますが、今は偶然日本人、アジア人としてここで生きていて、でもきっと、血のルーツを探ったら、必ずしも国内におさまらないのではないでしょうか。みんなよりよい暮らしを求めて移動して、旅の果てに今があるのではないかと思います。さまざまな物語や文化を見ていても、距離は遠いのに、どこかに共通点があったりしますよね。

    隣の村や国がけんかする理由は色々とあるかもしれませんが、実はみんな繋がっていて、昔は家族だったかもしれません。それは、古い物語を遡れば遡るほど、たくさん見つかりますよね。

    アフリカの各地域から出てきた人類がいろんなルートをたどって、今偶然ここにいるとしたら、と想像します。皆が旅の途中なのだと思います。今こそ繋がりを確認し、共通点を見つけ、違いをおもしろがって、そんな新しい方向に人類が動いていってもいいのかなって思います。

    近くしか見えないと、なかなか難しいとは思いますが、そろそろそういう大きな循環があっても良いのでは、と感じています。

    藪本:
    とても勉強になりました。僕は難しい言葉で表現してしまうのですが、私も同じことを思っています。わかりやすく説明していただきました。

    まさにそうだと思います。神話とかの重要性が増すと思うんですね。自分のルーツを辿る作業が、すごく重要なのではないのか、という気がします。

    憲昭さん:
    過疎が進んだ日本の辺境の土地は、ある意味最先端なんですよ。これからのいろんな問題に直面しているという意味での最先端です。

    藪本:
    紀南に収める必要が全くないほど、グローバルな問題ですよね。

    憲昭さん:
    今僕たちが直面している問題は、すごくグローバルな問題で、そういうものを身近に体験できる場所でもあります。今は都市部の問題に目が行きがちですが、地方の問題の方が最先端です。問題があるところで表現が生まれるとしたら、何かが生まれる最先端とも言えます。

    日本ではいろんな場所で、人が減っていく場所がこれからどんどん増えていきますよ。都市部でも、老人が増えて子どもが少なくなるという、同じ過程を進みます。でもそこから何かを生み出す力を体験できるのが、ローカルなのかもしれません。

    そういう意味でぼくたちが今ここで試行錯誤しながらも、楽しみながら何かをやっていく中で、新しいものの見方や発信の仕方が広がって、何か共通の文化が作れたらおもしろいんじゃないかなって思います。

    藪本:
    まさにそうですね。林さんたちが生活の中で体感されていることとか、すごく興味があるので、またぜひお話ししたいです。

    憲昭さん:
    勉強会とかしたらおもしろそうですね。

    茎子さん:
    また遊びに来てください。

    藪本:
    お忙しいところありがとうございました。

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