コラム
現場の実践から見る「グローバリティ」と「ローカリティ」 近づく2つの世界(前編)
2021年12月15日に開催したオンラインのトークセッション『現場の実践から見る「グローバリティ」と「ローカリティ」 近づく2つの世界』のテキストアーカイブ前編となります。
日 時:2021年12月15日(水) 19:00~20:30
会 場:オンライン
参加費:無料
登壇者:中野 宏一氏(合同会社イーストタイムズ代表社員CEO、ローカリティ!発行人兼編集主幹)藪本 雄登(紀南アートウィーク 総合プロデューサー)
<登壇者プロフィール>
中野 宏一(合同会社イーストタイムズ代表社員CEO、ローカリティ!発行人兼編集主幹)
1984年、秋田県湯沢市生まれ、埼玉県育ち。東京大学 法学部卒、東京大学 公共政策大学院修了。朝日新聞東京本社にて校閲記者を3年間経験。地域ニュースの可能性に気づく。ソーシャルメディアの可能性に惹かれ、Twitter分析ツールを開発するベンチャー・株式会社プラスアルファ・コンサルティングに入社。 2015年仙台に移住し、THE EAST TIMESを起業。Yahoo!系媒体「THE PAGE」の記者として、ローカルニュースを取材・発信し、Yahoo!ニュース上で月1200万ページビューを獲得するなど、ヒット記事を連発する。それらの経験を活かし、ローカルや地域のブランディングやプロモーションを企画・実施している。
藪本 雄登(紀南アートウィーク 総合プロデューサー)
和歌山県白浜町出身、西富田小学校、富田中学校、田辺高校出身
One Asia Lawyers 共同創業者、アウラ現代藝術振興財団 代表、Artport株式会社 代表
藪本の先祖は、熊野古道・中辺路の地に眠っており、母はアドベンチャーワールドで初代女性のシャチの調教師を務めたルーツがある。2011年にOne Asia Lawyersの前身となるJBLメコングループを創業。十数年に渡り、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ等に居住し、業務の傍ら、各地のアーティスト、キュレーター、アートコレクティブ等への助成や展示会の支援を行っている。現在、アジア太平洋地域の神話、伝説、寓話や民俗等に関心を持ち、人類学とアートについて研究を行っている。その中でも、祖先が眠る熊野地域をフィールドに持ちながら、ゾミア、高地文明やアニミズム等といった事項について、調査研究を行っている。
主な展覧会として、「水の越境者(ゾーミ)たち-メコン地域の現代アート-」展(大阪)、「Silence is Golden」展(ミャンマー)等がある。
現場の実践から見る「グローバリティ」と「ローカリティ」 近づく2つの世界(前編)
藪本:
皆様、こんばんは。紀南アートウィーク 総合プロデューサーの藪本です。本日はご参加いただきましてありがとうございます。
本日は『現場の実践から見る「グローバリティ」と「ローカリティ」 近づく2つの世界』というテーマでトークセッションを行います。ゲストには、合同会社イーストタイムズ代表社員CEO、ローカリティ!発行人兼編集主幹の中野宏一さんをお招きしております。中野さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。
中野:
よろしくお願いいたします。
藪本:
本日のセッションは、非常にマニアックなトピックだと思います。ある意味、今回の取り組みは大きなチャレンジだと思いますが、中野さんはどう感じておられますか?
中野:
この分野の議論にこれだけの方がお集まりいただいたことに、私は感動しております。本日のセッションをきっかけに、もっとメジャーなトピックになればと思っております。
藪本:
ありがとうございます。
昨今、新型コロナウイルス感染症の流行により、「グローバリゼーション」といった言葉に対して風当りが強くなっているような気がします。私自身、法律事務所で業務を行う人間ですが、各国の政策でもその傾向が明らかに強まっていると感じています。
理論の世界においてグローバリゼーションを語るときに、伝統主義者、グローバル主義者、悲観的グローバル主義者など様々な言葉がありますが、あまりに多様化しすぎていて、理解するのも難しいように思います。今回、このトークイベントの準備にあたって、アンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)*の『暴走する世界:グローバリゼーションは何をどう変えるのか』、ウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck)*の『グローバル化の社会学:グローバリズムの誤謬―グローバル化への応答』など、様々な書物に目を通してきました。ただ、専門書は、どれも中身を理解するのが難しいところです。本日は、ギデンズやベック等にも尊敬の念を示しながら、実践者として思い切った議論をさせていただきたいと思います。
*参考 アンソニー・ギデンズとは(コトバンク)
*参考 ウルリッヒ・ベックとは(Weblio辞書)
【1】登壇者紹介:中野 宏一さん
藪本:
私が中野さんに共感したのは、「グローバリティ」と「ローカリティ」はなんとなく近づいてきているのではないか?と考えておられる点です。本日は、このテーマで深い議論ができればと思っています。
まずは、中野さんから、現在どのようなことをされているのかお話しいただけますでしょうか?
合同会社イーストタイムズの取り組み
中野:
私が代表を務める「合同会社イーストタイムズ*」では、「誰もが自分の旗を立て、共感者を募れる世界へ」という理念を基に事業を展開しています。元々は2015年に、仙台で地域報道と震災報道を行うために作った会社です。この会社を設立する前は、Yahoo!ニュースの記者として記事を執筆していました。
昨年10月には「ローカリティ!*」という、これこそ思想性全開の名前をしたメディアを立ち上げました。我々は「ローカリティと全ての人の発信に価値がある」と考えており、「ローカル」×「情報発信」の専門企業として様々な取り組みを行っております。
中野さんのルーツと思想
中野:
記者になる前は、東京大学で8年半、情報発信と外交政策に関する研究を行っていました。主な研究テーマは、ここ30年間の外交政策です。例えば「冷戦終結後にどのような世界秩序が生まれたのか?」とか、「どうすれば地域紛争を止めることができるのか?」ということを常に考えていました。地域紛争に関していえば、カンボジア内戦、ルワンダ内戦などに関心があり、いつかは緒方貞子さんや明石康(やすし)さんのような仕事ができればと思い、日々勉強を続けてきました。
研究の中で見出したのは、アメリカやソ連が世界を支配していた時代に、辺境地域では紛争が発生していたという事実です。当時、支配者たちが定めた基準、いわゆる「アメリカン・スタンダード(アメリカの決めた基準)」というものがあり、この基準を受け入れることがグローバル化に繋がると考えられていました。アメリカン・スタンダードに沿って世界の統一化が進む一方で、当時の流行りの言葉でいえば「新自由主義*」のようなものこそがグローバル化だと主張し、アメリカ型の価値観に反対する人たちもいたそうです。
*参考 新自由主義とは(コトバンク)
私のルーツは、秋田県湯沢市にあります。現在は、私が生まれた頃から人口が4割ほど減少しており、街は日に日に寂れていくばかりです。湯沢市にはかつて祖母の家がありましたが、私にとってこの土地は魅力的で、非常に価値のあるものだと昔からずっと感じていました。ところが、現状、こういった「ローカルの価値」は見過ごされる傾向にあります。更には「利益を追求する世界においてローカルは無意味だ」と見なす人も多く、そのことに私はどうしても納得がいきませんでした。
報道の価値とは?
中野:
東京大学大学院での研究を経て、私は震災報道などを担当する校閲記者として、朝日新聞社で3年間勤めていました。当時の私は「名もなき人々の価値を伝わるように伝えること」こそが報道だと考えていました。そして、Yahoo!ニュースの記者を務めた際、自分の考えを基に記事を執筆してみたところ、非常に多くの方々に読んでいただけたんです。過去には、月間1,200万アクセスを獲得し、自分の書いた記事がYahoo!のトップページに週3回も掲載されるといったことがありました。
これまで私は、標準的な価値観にとらわれることなく「ローカルの価値」を発信していけば、世界中に通用するコンテンツになるという経験を多くしてきました。そして、ローカルの価値を伝えるために重要なのは「発信の仕方」なのではないか?と考えるようになったんです。これらの経験を踏まえて、我々は「FLAG RELATIONS™*」という考え方を採用し、ローカルの魅力を情報発信する場である「ローカリティ!」というサイトを立ち上げました。
「ローカリティ!」のコンセプト
中野:
「ローカリティ!」は、我々の哲学そのものです。ローカルの魅力が何かと考えたとき、その答えはやはり現場にあります。つまり、皆さんが驚き、発見、感動した、好きなものの姿こそが「地域の魅力」なんです。この魅力を発信していけば、きっと世界に通用するコンテンツや価値になると考えています。
「ローカリティ!」では、定期的に全国で講演やレポーター会議を実施しています。これまでに70回開催し、約1,700人の方々と出会いました。また、株式会社JTBと共同で行ったワークショップには、これまで413名の方が参加してくださっています。
「アメリカン・スタンダードにフィットしないものは無価値である」という考え方に違和感を覚え、私は「ローカルのそれぞれの価値は、普遍的な価値を持っているのではないか?」という仮説を立てました。「ローカリティ!」での活動を通して、個々人の驚き、発見、感動にはやはり普遍的な価値があると、ある程度の手応えを感じています。今回のトークセッションのテーマでもある「スーパーローカル」を突き詰めれば、ローカルの価値は、グローバルに通用するコンテンツになるのではないでしょうか。
「ローカリティ!」と和歌山県との関係性
藪本:
「ローカリティ!」のサイトを拝見すると、和歌山県からの情報発信が他の県よりも多いように感じます。今回、このセッションに和歌山県内からご参加いただいている方も多くいらっしゃいますので、ぜひこの点についてお話を伺いたいです。
中野:
実は、4年前から、和歌山県移住定住推進課の方々と共同で事業を行っているんですよ。U・Iターンで和歌山に移住、定住した人々に焦点を当て、本物の手触り感のある和歌山暮らしの魅力を発掘、発信しています。「ローカリティ!」に掲載されている情報は、県との取り組みのアウトプットのようなものですね。
「ローカリティ!」では、全てのニュースが地図にプロットされるようになっており、しかも、情報発信された場所がGPSで分かるようになっています。改めて地図を確認してみると、やはり和歌山だけ異常に多いですね。そのような意味でも、和歌山のスーパーローカルの魅力を集めているメディアだと思います。
どのような情報が載っているかというと、例えば、那智勝浦の道路にマグロが落ちているとか、三重県熊野市に無人販売のデパートがあるといったことです。このような情報を全国で集めて、地域レポーターが各地から発信してサイトを作り上げています。現在、地図上には空白地帯がまだまだありますので、これを埋めていくというのが当面の目標ですね。
藪本:
和歌山にそこまでコミットいただけて、非常に嬉しく思います。
中野:
この4年間、毎年10回以上和歌山に来ているのですが、この土地には自分の知らない世界がまだまだあるのではないかと思っています。これもまた「ローカルの魅力とは何か?」という話に繋がるかもしれません。
【2】登壇者紹介:藪本 雄登
中野:
それでは、今度は私から藪本さんに質問します。トークセッションにご参加いただいている方、あるいは今後ご覧になる方の中で、藪本さんのことをご存じない方もいるかもしれません。藪本さんから、簡単な自己紹介をお願いします。
藪本のルーツと思想
藪本:
改めまして、紀南アートウィーク 実行委員長の藪本 雄登です。私は和歌山県紀南地域の出身であり、先祖は熊野古道・中辺路の地に眠っております。アウラ現代藝術振興財団(Aura Contemporary Art Foundation)*や紀南アートウィーク*といった、アートに関する活動も行っています。
大学時代は法学部に在籍していましたが、歌川広重の世界に夢中になっていました。大学卒業後には浮世絵のコレクションを始め、今も変わらずコレクションを続けています。広重が描く浮世絵には、素朴ながら美しい自然や大らかな人々が登場しますが、まさに、絵の中には「ローカルな世界観」が描かれているのではないか?と考えています。私自身は「世界平和」の実現を目指していますが、その達成のためのヒントが眠っている、そんな気がしてならないんです。
東南アジアでの経験
藪本:
大学卒業後は、何を思ったか、海を渡ってカンボジアの地に足を踏み入れました。カンボジアの地域の方と話してみると、良い人ばかりでしたが、過去の歴史には、ポル・ポト(Pol Pot)による大量虐殺やカンボジア内戦があり「何故、彼らは殺し合ったのか?」と非常に興味を持ちました。その後、私は法律事務所を立ち上げ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイで12年間、業務をこなしながら事務所を展開していきました。
12年間の生活の中で変わったのは、我々の事務所だけではありません。こちらの写真はメコン川流域諸国の様子なのですが、都市化が進んで街並みが激変したんです。どの国も共通してGDPが上昇し、人口が増えています。その結果、メコン地域の内需をターゲットに進出するグローバル企業が参入しています。
我々の事務所では、そういった「内需型ビジネスモデル」を運用する日本企業のサポートを中心に行ってきました。業務を通して感じたのは、内需型のビジネスモデルは奪い合いの激しいものだということです。シェアを獲得した企業があれば、マーケティングして奪い返すというように、ある意味、経済戦争を繰り返す構図となっています。
また、内需型ビジネスモデルには、工場などが建設されると田舎から人を都市に連れ出し、それが相まって人口が増えるという仕組みがあります。これは新興国だけではなく、先進国でも同じで、カリフォルニアやニューヨークの「サンクチュアリシティー(聖域都市)*」が一種の例だと思います。これは不法移民を守る制度として、人権保護を訴える勢力等からは評価されているのですが、無理に人口を増やして、内需を増大させ、経済成長をするための手段になっているのではないか、という議論もあります。実際、これらの地域に足を運んでみると、このような政策により治安が悪化しているように感じました。メコン川流域諸国やアメリカでの経験が、「本当に幸せで美しいものは何か?」と考えるきっかけになったように思います。
アウラ現代藝術振興財団の設立
藪本:
都市化や開発による負の側面に抗っているのが、まさに現代アーティストだと私は考えています。そこで、業務を通じて得た余剰は、文化やアートのために使いたいと思い「アウラ現代藝術振興財団」を設立しました。
まず、お世話になったカンボジア、ラオス、ミャンマーで活動を始めました。例えば、コレクション展を実施したり、コレクションを集めたり、作品に関するリサーチを実施したりするなど、現在も現地のキュレーターと一緒に実践し続けています。
世界平和のための手段/目標
藪本:
先ほど、私は「世界平和を実現したい」とお伝えしました。世界秩序を維持する、あるいは社会保障や貧困問題を解決するためには、必ず原資が必要です。そのため、経済成長を通して利益を生み出すことは、非常に重要だと考えています。これに加えて、地域独自の文化を維持させる活動も必要であると考えており、法律事務所と財団の活動は、まさに私にとっての「両輪」のようなものです。
ただ、内需型のグローバルな経済成長については限界があると思っています。赤坂憲雄先生*の『東西/南北考』では「グローバルな地域ネットワークを作るのは、東西的、横軸的」といったことが記されていますが、私が実践したいのは南北的、縦軸的な視点、つまり「ローカルを突き詰めること」です。田舎の歴史、文化を維持しながら、そのままローカルの姿をどのように維持発展させていくのか?と考えること、ここにグローバリゼーションとの上手い付き合い方、ひいては、世界平和のヒントがあるように思います。
「グローバリティ」と「ローカリティ」は同じではないか?
藪本:
ローカルを突き詰めるにあたって、「ローカリティ」という言葉が重要です。私は、ローカリティは「世界における豊かさの根源」だと考えています。それと同時に、ローカリティも、グローバリティも実はそこまで違いがないのではないか?と思っているんです。そのような意味では、無理にグローバルな世界を目指す必要はなく、むしろ閉じることによって、自然とグローバルな世界に接合するような気がしています。
このように考える理由には、南方熊楠*と華厳経*が関係しています。華厳経は「小さきものの中に大いなるものを見る」とか「有限のものの中に無限のものを見る」というような思想です。熊楠は「細菌が住まうミクロコスモスの世界」と「大宇宙が広がるマクロコスモスの世界」は同じだと捉えていました。私はこの考えに共感しており、まさに紀南アートウィークは、熊楠の思想から着想を得たアートプロジェクトでもあります。
*参考 南方熊楠とは(コトバンク)
*参考 華厳経とは(コトバンク)
グローバリティとローカリティのあり方を考えた際に、もう1点注目すべきなのは、カンボジアのアーティストたちの存在だと思います。私がこれまで彼らを支援し続けてきたのは、彼らが非常に面白い存在だと思ったからです。カンボジア国内では表現の自由の問題があり、アーティストたちに自由な表現が保障されているか、といわれればどうでしょうか。そもそも、カンボジア国内にはマーケットが無く、また、彼らはカンボジア周辺国、欧米などでビザを容易に取得することもできません。その事実を知ったとき、私は「カンボジアの現代アーティストたちは、活動をどうやって維持しているのか?」と興味を持ちました。結論としては、彼らはひたすらローカルの事象を突き詰めていて、現代アートという手段、手法を用いて、その価値を全世界に輸出しているんです。
また、カンボジアの現代アーティストたちは、基本的にマーケティングも競争もしていません。ただひたすらにローカリティを突き詰めながら、作品自体の価値を高め続けています。彼らは自身の作品に共感した人々から支援を受けており、全世界80億人いる中の「一部の共感者」と共に生きているといえます。しかも、いわゆる、日本向け、中国向け、アメリカ向けなどのように「商品自体をローカライズすること」も行っていませんので、ここにある意味、グローバリティとローカリティを考えるうえでの重要なヒントがあるような気がするんです。そのような意味でも、カンボジアの現代アーティストたちは、まさに「グローバルとローカルの世界」の境界を上手く泳ぎ続けている人々なのではないでしょうか。
改めてご紹介しますと、紀南アートウィークのコンセプトは「籠もる」ことと「ひらく」ことです。牟婁と紀南は、地理的にはほぼ同じ場所にあります。このことを踏まえて、ローカリティとグローバリティ、つまり「籠もる」ことと「ひらく」ことはイコールで繋ぐことができるのではないか?と考え、紀南アートウィークの開催に至りました。11月18日から11月28日まで開催しておりましたが、イベントの様子はFacebook、Instagramに掲載しておりますので、ぜひご覧いただければと思います。
【3】グローバリティとローカリティとは?
「グローバリゼーション」と「ナショナリズム」
中野:
私も藪本さんも、ローカルの価値がグローバルに通用するものになり得るのではないか?と、実践の中で見出してきたように思います。ここで、私が自己紹介の中でお話しした、東京大学での研究について少し補足します。当時「グローバリゼーション」に関する議論において、必ず挙がっていたのは「ナショナリズム*1」というキーワードでした。日本でいえば、明治維新期に行われた「廃藩置県」がナショナリズムにあたります。この概念は、ローカルを全て破壊してネーション(国家)に集権させる行為なのではないかと、私は考えています。
*1 一つの共同体としての国家という理念を前面にかかげ、他からの圧力・干渉を排して、その国家の統一・独立・発展を推し進めようとする思想や運動。
一方で、グローバリゼーションは、国という概念を解体する考え方です。かつての日本では、海外と通信するには国の許可が必要で、企業経営においては「まずは日本国内の市場で結果を出してから海外進出する」という手法が用いられていました。しかし、今ではグローバリゼーションを通じて、あらゆる面で海外と繋がることが容易になりました。そのような意味では、グローバリゼーションは「国境の消滅」という役割を担っていると考えられます。
こうなってくると、必然的に国家の価値は相対的に下がります。グローバル化により「全てのローカルが直接グローバルに晒される」という状態になっているからですね。政治学や経済学の理論においては、「1つの、あるいは複数のスーパーパワー(超大国)の下にローカルが再編成される」と考えられています。ところが、社会学の文化理論を唱える人々だけが、グローバル化が進むと世界の多様化が進み、ローカルの価値がより浮上すると考えていたんです。
国という縛りから解放されたとき、国に従属させられていたローカルや個人の中でも、価値のある人だけが浮上し、価値の無い人が沈没していきます。政治の世界でいえば、1970年代から表面化した「スコットランド独立運動*」が、まさにこのことを体現しているように思います。スコットランドの人々は「EUに直接加盟すれば自分自身の存在は維持できる」と考えており、イギリスへの所属は必要ないと主張したんですよ。これも、一種のグローバリゼーションだと思います。
私は「国境が無い世界にローカルを晒すとどうなるか?」と考えることが、グローバリゼーションではないかと考えています。これまでの「国」という概念を前提にして、あるいは、国内市場をベースにして戦おうとする限りは、今の時代では生きていけないと思います。
ローカルと「個人」
藪本:
「ローカリティ!」のホームページには、「自分」という言葉が頻繁に登場しているように思います。中野さんの実践において、ローカルと「個人」という概念は同一化されているような気がしているのですが、その理解で合っていますか?
中野:
私は、個人の驚き、発見、感動といった「個人の心の動き」を突き詰めれば、普遍的な価値に繋がり得るのではないか?と思っています。震災報道の過程において「無名の人々のドラマ」に多くの人々が共感し、行動を起こすという姿をこの目で見てきました。その経験から、個人の真摯な思いには人を動かす力があるという確信を持ったんです。そして「何よりも、そうした気持ちを伝わるように発信することが大事なのではないか?」と考えるようになりました。
藪本:
つまり、ローカルを突き詰めていくと「個人と接合すること」に繋がるのだと考えられます。先日、紀南アートウィーク最終日のクロージングパーティーで話しましたが*、私自身、アートコレクターはお金持ちではないと考えています。例えば、紀南アートウィーク アーティスティック・ディレクターの宮津大輔さんは、まさにサラリーマンコレクターです。大学、美術館などで職務に従事しながら、これまでずっとコレクションを続けてこられました。私は、こういった「生命力のある市民の方々」と共に、紀南アートウィークを一緒に作り上げていきたいと考えています。そのような意味でも、このような個人の動きが、世の中に対して影響を与え得る時代に到達したのではないかという気がします。
*参考 紀南アートウィーク2021 クロージングパーティー 御挨拶(紀南アートウィーク)
昨日まで、みかんをテーマにしたワークショップを実施していました。実は、紀南アートウィークのクラウドファンディングの返礼品として、1個2,000円のみかんを提供していたんです。ワークショップで議論したのは「何故みかんを食べるのか?」とか「人間は何故、みかんと一緒に歩いてきたのか?」というような内容でした。このように深い思考ができる人々こそが「生命力のある個人」であり、まさに、これからの時代に必要な人材だと考えています。
中野:
かつては、国、会社、地域という枠組みから弾き飛ばされた人々、あるいは見過ごされてきた価値といったものが非常に多くありました。しかし、グローバル化の時代では、これらの存在が本当の意味で表舞台に立てるようになったのではないかと、自分の実践の中で感じています。
藪本:
そのような意味では、先ほど中野さんが仰っていた「社会学の文化理論」が実証されつつあるということでしょうか?
中野:
恐らくそうだと思います。この文化理論が登場したのは、今から50年ほど前のことです。その後、インターネットが普及した1990年代には「グローバル化によってローカルが見直され、ローカルの価値が向上する」と考えた社会学者が増え始めました。彼らの理論を知ったとき、本当に天才じゃないかと感じましたね。
ローカルに思考し、グローバルに行動すること
藪本:
ウルリッヒ・ベックが2005年に発表した『グローバル化の社会学』と、本日のセッションの内容には重なる部分があるのではないかと、私は考えています。最近は「グローバルに思考し、ローカルに行動する」という概念が、教育機関などで提唱されているように思います。しかしながら、『グローバル化の社会学』で述べられているのは逆のことです。つまり、ベックは「ローカルに思考し、グローバルに行動すること」が必要だと示唆しており、私はこの考えに賛成しています。
中野:
ベックが提唱する概念は、まさに私の行動原理をほぼ規定しているような気がして、本当に驚きましたね。
藪本:
今、私がよく使うのは「全世界に価値を輸出する」という言葉なのですが、これこそが「ローカルに思考し、グローバルに行動するということなのではないか?」と思っています。中野さんは、どのようにお考えでしょうか?
中野:
私も藪本さんと同じ考えですね。世の中では未だに「グローバルに思考し、ローカルに行動すること」が美化されています。しかし、それは間違いだと昔からずっと考えていました。本当に必要なのは「ローカルを突き詰めて行動範囲を広げること」だと思います。何故なら、その方が「真実性」が高いから。人為的に作られたマーケティングの産物ではなく、歴史や伝統と共に生きてきたローカルなものの方が、圧倒的に価値として強いんです。
まさに、ローカルの価値が光ったという実例を紹介します。秋田県の山奥には創業150年の味噌・醤油屋があり、日本向けではなくフランスのパリで売り出すために、商品のラベリングを改めて検討したそうです。地域では圧倒的に時代遅れだとされている味噌・醤油屋でしたが、海外では絶賛されたということでした。このような例もあることから、ローカルの価値に焦点を当てて把握しつつ、グローバルの視座を持っていることが重要だといえます。
藪本:
「グローバルに思考し、ローカルに行動すること」は、まさに前述の内需型のグローバル企業が実際に行っていることです。分かりやすい例がマクドナルドで、まさにグローバル企業がローカルに参入し、各地域にローカライズした商品を提供しているという構図が成立しています。
グローバリゼーションの限界
中野:
藪本さんが海外生活を通して感じられた、グローバリゼーションの限界とはどのようなものでしょうか?
藪本:
現在、私はタイで生活していますので「タイランド4.0*」というものを例に挙げて紹介します。まず、第一段階である「タイランド1.0」は、地域の内需だけで生きている世界のことです。例えば、外資企業が全く手を付けていない、山奥の農村のような内需完結の世界を指します。
続いて、第二段階の「タイランド2.0」は、ラオスのように天然資源を所有する地域や、カンボジア等の安価な労働力を活用して経済を回しているという状態をいいます。
*参考 大泉啓一郎「アジア・マンスリー2017年4月号:『タイランド4.0』に向けた政策が具体化」(2017年3月31日、日本総研)
その後は「タイランド3.0」の世界に突入しますが、タイの人口増加、GDP増加に伴い、外国企業の参入が一気に加速します。これまでは「内需完結型ビジネス」だけで成り立っていた世界が、外国企業がタイに進出し自社製品をローカライズしながら、パイを奪い合う「内需型グローバリゼーションの世界」にさらされます。これは、経済戦争ともいえる世界です。ここに、(内需型の)グローバリゼーションの限界があるように思います。
今、実務をしながら感じるのは、グローバル社会で圧勝しているのは、全世界の80億人向けに、全世界統一価格やブランディング、マーケティング商材を輸出できる企業です。
そのような意味では、現代アーティストは極めてそれに近いものだと、私は確信しています。例えば「作品が欲しければ直接スタジオまで足を運んでくれ」とか、「作品の輸送費は購入者が負担してくれ」といったことを実際に言えるほど価値がある商品、サービスを保持しているということです。
内需完結政策と外需奨励政策
藪本:
私自身、インドなどで事業を行う中で、コロナも相まって、国家的な政策も明らかに変わってきていると感じています。自国民が自国の政治家を選ぶ以上、国家としては、当然、自国の内需を外国人に触られるのは嫌なんです。だから、徐々に閉鎖的になり「内需完結政策」が行われているように思います。
ただし「外貨を稼ぐのであれば奨励する」という政策は、世界的に浸透しています。そのような意味では、文化やアートは誰の手の中にもあって、平気で国境を越えていくものですから、まさに現代アートは「外需型のグローバル産業」なのではないでしょうか。こういった価値あるものを地域で増やすことが「地域のあり方を変えずに、外貨を稼ぐことで地域を維持させる」というきっかけになるような気がします。
中野:
「内需型」は多くの先進国が象ってきたモデルだと思います。人口を増やす過程において、多くの物質的な需要を生み出し、そこに対して商品を流通させていくという感じでしょうか。例えば、日本の高度経済成長期では、農村に滞留していた人口を都市部に流入させることが経済成長の要因となりました。端的に言えば「国民全員が洗濯機やテレビを欲しがる状態をいかに作るか?」ということを繰り返しているのではないかと思います。
藪本:
まさに、私がいるアジアでは、その現実をまざまざと突きつけられているように思います。例えば、中国とカンボジアの関係でいえば、カンボジア側が中国に物を輸出できれば経済が成り立ちます。これは「超巨大内需」、いわゆる「国境を越える内需型のグローバリゼーション」に紐づいているからです。その結果、中国は強大な影響力をカンボジアに対して生じさせます。
現状は、アメリカがAと言えばA、中国がBと言えばBしか返答できないような国家、地域、個人がほとんどです。このような状況を打破するためには、大国が押し寄せてきても対抗できる個人、地域、国家を増やすことが重要だと考えています。
中野:
それは、個人単位でも同じことがいえると思います。実は誰でも「個人が自分の価値を発信できる」という環境にありますが、自覚がない限りは、自分自身が「内需型」になってしまっているんです。別の言い方をすれば「相手に受け入れられる形で、自分自身を歪めなければ生きていけない」という状態であり、それは非常につらいことだと思います。
例えば、国レベルだと「中国の市場が大切だから言うことを聞くしかない」と考えてしまうこと。あるいは、地域レベルだと「中国人に売れなければ我々は生きていけない」と信じ込んでしまう状態。更には、個人レベルだと「この会社を首になったら生きていけない」と思い詰める事態が発生するんですよ。これらの「しかない思考」を解放するためには、やはり多くの選択肢をできるだけ増やすことが必要だと思います。やはり、個人やローカルが自分の価値をグローバルに発信することで、人々が皆、多様な選択肢を得られるようになるのではないでしょうか。