コラム
<I>opportunity展 アーティスト・トーク テキストアーカイブ
2022年4月16日に開催したアーティスト・トークセッションのテキストアーカイブとなります。
日 時:2022年4月16日(土)
会 場:真珠ビル
参加費:無料
登壇者:河野 愛(現代美術作家)
堀井 ヒロツグ(写真家)
真鍋 吉広(南紀白浜ディープ桟橋実行委員会 会長
小山 安彦(南紀白浜ディープ桟橋実行委員会メンバー)
聞き手:藪本 雄登(「紀南アートウィーク」実行委員)
【登壇者 河野 愛さん】
滋賀県出身。2007年京都市立芸術大学大学院 美術研究科 染織 修了。広告代理店でアートディレクターとして10年勤務。現在、京都芸術大学にて美術工芸学科の専任講師を務めている。白浜の温泉老舗「ホテル古賀の井」の創業者の孫にあたる。2021年に和歌山県白浜町で行われた紀南アートウィークでは、白浜エリア5箇所に作品を展示。今回は白浜駅前の交流拠点・真珠ビルにて展覧会『< I > opportunity 』を写真家 堀井ヒロツグと共作し、開催。ホームページ:https://aikawano.com
【登壇者 堀井 ヒロツグさん】
静岡県出身。2008年早稲田大学芸術学校空間映像科卒業。現在、京都芸術大学美術工芸学科で写真コースの非常勤講師を務めている。2021年に「水の中で目を瞑って手を繋ぐ」の作品でIMA nextでショートリスト(J・ポール・ゲティ美術館キュレーター:アマンダ・マドックス選 )を受賞。
ホームページ:https://www.hirotsuguhorii.com/
【登壇者 真鍋吉広さん・小山安彦さん】
南紀白浜ディープ桟橋実行委員会のメンバーの方々。桟橋地区がある白浜半島の東側は、白良浜などがある西側よりも注目度が低いことから、桟橋地区にも興味を持ってもらおうと30~40代の事業主でグループを結成。有志が「桟橋マップ」を作成し、地区内の飲食店や宿泊施設を紹介している。Facebook:https://www.facebook.com/DEEP384/
< I >opportunity アーティスト・トーク
1.河野愛さんのご紹介とその作品
河野さん:
みなさん、こんにちは。私は現代美術の作家として活動しています、河野愛といいます。
2021年の秋に紀南アートウィーク芸術祭に参加させていただき、今回は再びこちらの真珠ビルで展示をさせていただくことになりました。
その時に展示した作品が、今日この会場の真ん中に展示しているものになります。
私の祖父母が古賀浦で「古賀の井」というホテルを経営していたのが、アートウィークで展示をさせていただくきっかけです。幼児のころから白浜には遊びに来ていました。
祖父母も他界しそのホテルが、2016年にわたしたち親族の手から離れることになったんです。その時に、50年以上ホテルの屋上に立っていたホテルの名を表すネオンサイン「KOGANOI」の「I」にあたるものを、閉館する時に譲り受けました。わたしが0歳のころから祖父母が亡くなってしまうまでずっと見続けていたもの、という記憶があったためです。
この「I」を何か作品にできないかなと漠然と思っていた時に「無くなっていく建物の上で輝いて、ずっと入り江を見つめ続けていた」というものが、何か1つの象徴のように感じました。
これのイメージをふくらませていくと、海のまちである白浜で輝く灯台のような海の道標であったり、祖父母の死から感じる墓石のようなイメージだったり、アルファベットの「Ⅰ」から自分自身をあらわす英語の「Ⅰ(アイ)」という意味だったりと、さまざまな記憶や価値や時間が重ねられるものなのではないかと、この抽象的な形に対して感じたのがこの作品を作るきっかけでした。
それを紀南アートウィークでは白浜の5箇所に設置しました。入り江のように何かと何かが交わる、記憶や時間が蓄積されて混じり合っていく場所に立てたインスタレーション作品になっています。こういう展示は、サイト・スペシフィック(*)な展示といわれるんですけど、外海と内海が混じりあっている入り江や、空港や、神様と人間が触れあう神社などに設置しました。
ホテル古賀の井というものも、お客さんが白浜の外から来る場所であり、白浜の人が生きていく場所でもあります。私個人でいうと、おばあちゃん、おじいちゃんがいる場所でありながら知らない人たちがたくさんいるという場所でもあったんですね。入り混じっているからこそ私の記憶が豊かなものになっていくような、混じりあった境界線に興味があってこのような作品になりました。
(*)サイト・スペシフィック
特定の場所で、その特性を活かして制作する表現。「サイト・スペシフィック・アート」という表現としては、立体物を設置したものが多いが、身体表現で場所と関わる、自然物の物理的均衡を用いて作品を構築するなど様々な方法が存在する。
参照:美術手帖
今回はこの作品を、月食の前日に写真作家の堀井ヒロツグさんに撮影をお願いしました。桟橋にネオン管を立たせた映像を作ったというのが今回の展示です。
紀南アートウィークではこのような展示もしていました。今2歳の子どもを育てているのですが、私の子どもが生後半年くらいのころに、一粒の真珠を肌にはめ込んだ様子を写真に撮ったんですね。
真珠は、貝の中で得体の知れないものとして育っていくもので、あの世とこの世をつなぐ宝石であると言われています。そういう点から、子どももお腹の中で得体の知れない異物として育っていく生き物という点で、真珠と赤ちゃんを重ね合わせ、ライトボックスの作品として完成させました。これを、真珠という名前を持つ白浜駅前の「真珠ビル」でインスタレーションとして展示をさせていただきました。
堀井さん:
このタイトルは「こともの」というんですね。
河野さん:
そうなんです。「異物」と書いて「こともの」と読みます。真珠も赤ちゃんも異物であるということをテーマにしています。
2.堀井さんのご紹介とその作品
藪本:
河野さん、ありがとうございます。それでは続いて堀井さんの自己紹介をお願いします。私が那智勝浦に泊っているときに、たまたま堀井さんと同じところに泊っていたんですよね。
堀井さん:
すごい偶然の出会いでしたね。昨年の夏休みに一人で熊野地方を旅行していたのですが、ちょうど同じ宿に泊まっていたのが藪本さんでした。
そのときに紀南アートウィークの草稿を見せていただいて、出展者のひとりに河野さんのお名前があることを知りました。僕は普段、京都芸術大学の写真映像コースというところで教えているんですが、実は河野さんも同じ大学の染織テキスタイルコースの先生なんです。
河野さん:
そうですね。藪本さんに「堀井さんに会ったよ」って言われて、私から堀井さんに声をかけたんです。紀南がつないだ縁のようですね。
堀井さん:
そうですね。自分の意志というよりは、流れに運ばれてやってきたような感じがありますね。
そうして河野さんと話をしているうちに、どうやらお互いの作品の背後に共通のテーマや関心があることがわかってきました。
これは「水の中で目を瞑って手を繋ぐ」というシリーズの作品です。コロナ以降、zoomなどの身体を直接対面させない状態でコミュニケーションをとらないといけないことが何か月も続いていた時期がありました。パソコン上でのコミュニケーションは主に言葉と視覚に偏らざるを得なくって、そこでの不自由さや違和感がずっと気になっていました。
その後に対面が可能になったとき、逆に視覚と言葉を取り除いたコミュニケーションをしてみたらそこにはどのようなものが現れるだろうか、ということに関心を持って取り組んだのがこの作品です。
水中という普段自分たちが置かれている場所とは違う位相で、さらに目を瞑ってお互いの意志が見えないなかで手を伸ばし合うという状態は、身体の振る舞いでありながら、まるで普段は見ることのできない心の動きをみているようでした。
3.「opportunity」
堀井さん:
河野さんからこのネオン管の来歴をお聞きした時に、このネオン管そのものが「記憶」を含んでいるのではないかと考えました。ホテルの上で光を発しながら、そこにあったさまざまな風景や音を無言で受け止めてきた存在なのではないかと思ったのです。
展示されていた入江で、物言わぬその作品に向かい合っているうちに、自分自身もまた言葉を発しなくなるような状態にスライドしていったんですね。そのことが、このネオン管がまとっていた身体性に近づいていくような実感がありました。そして、そういう身体に近づかされてしまう引力こそが、この作品のもつ重要な点でもあると感じました。それを見ている自分の目が、今ここからゆっくりと剥がれて別の何かになっていくようなことが起こるという。
また、実はこのアートウィークの期間中、河野さんのおばさまの四十九日だというお話を伺っていて、そのことにも意味を感じていました。四十九日とは現世とあの世のあいだにとどまっていられる時期で、そのこともまたひとつの境界です。
ちょうどこの撮影のタイミングは月食の前夜だったのですが、月が地球の影に隠されてしまうことなども要素のひとつとしてあって、それら背後にあるものも含めて取り込んでしまうような作品だと思いました。
実際の撮影は、夕方から夜にかけての17分間の映像なのですが、その短いフレームのなかにさまざまな移ろいがみてとれます。
河野さん:
夕方くらいから夜にかけては、景色とネオン管と月が見えていたのに、まっくらになってきて、ネオン管と月が、たった1本の棒と丸い月になっていくというものが何かの象徴のように見えてきました。見えていたものが見えなくなって、見えなかったものが見えていくというところが、映像化されて面白いものになったと感じています。
堀井さん:
月がのぼっていくのにしたがって、徐々に目に見えていた風景の解像度がなくなっていって、暗闇の中にわずかな光だけがみえる世界に移行する。月の引力に引き寄せられるように、ふっとこの世からあの世の視界に移ろうような感じも受けました。
この作品のタイトルに「opportunity」とつけようと思った経緯なんですが、今回の作品の舞台になっている入江も、静けさがある一方で、月の影響で潮の水位が変わっていきます。それで潮目というものに着目して、海や月にまつわる名前がいいんじゃないかとか考えていました。
「tide(タイド)」という言葉が潮という意味なんですけど、「opportunity」という言葉にもまた潮という意味や、他には機会という意味もあることを知りました。ちょうど僕たちの巡り合わせとか縁のようなもの、移り変わりということもテーマとして感じていたので、機会という言葉はいろんな想像力を呼び込める単語なんじゃないかと思って「opportunity」という言葉にしました。
また、語源を調べると「port」(港)という言葉に由来するということもわかって、それもすごくピッタリだと思いました。
藪本:
ありがとうございます。コンセプトと背景が非常によくわかりました。
今回の展示会に関して、「紀南アートウィーク」のホームページにコンセプト・ノートと解説を書かせていただいています。(*)少しそこからお話しさせていただきます。
(*)「紀南アートウィーク」ホームページ 「< I > – 流れていくもの –」
4.未来への遺産となる作品
現代アートって、解釈が様々だと思うんですよね。その中で私は今、神話学や芸術人類学を専攻していて、この作品を見たときに「これは未来の遺産になるな」と直感しました。
そもそも「現代アートってよくわからない」と言われる方が多いんですけど、中沢新一先生(*)は現代アートのことを「未来における遺産の形成を先取りした行為」と言われています。そして、おそらく今回の作品は未来の遺産になる作品だと思っています。
(*)中沢新一・・・思想家・人類学者。
チベットで仏教を学び、帰国後、人類の思考全域を視野にいれた研究分野(精神の考古学)を構想・開拓。参照:京都大学 人と社会の未来研究院 ホームページ
あと、もう一つ私の好きな言葉で、村上善男(*)の言葉で「民俗の最深部は、現代美術の最前線に通底する」というのがありまして、私もそう思うんですよね。この作品を見たときに、この言葉と重なるなというふうに感じました。
(*)村上善男・・・岩手県生まれ。2006年、同地にて没。緻密な計算による画面構成と抑制の効いた色彩を持つ理知的な作風に特徴をもつ。1950年代以降、生涯にわたり東北を拠点に精力的に活動し、1960年からは注射針を主媒体としたシリーズを制作。
参照:弘前れんが倉庫美術館 ホームページ
私は今回10数年ぶりに白浜に帰ってきたんですが、なんとなく地理的にも環境的にも白浜と私が長く住んでいたカンボジアのシアヌークビルという港町は似てるなって思ったんですよね。シアヌークビルは、カンボジアの中でも最南西にある観光の町なんです。この写真は10数年前にシアヌークビルで撮った写真です。
しかも、半島の南西にあるというところも一緒なんです。白浜とシアヌークビルの町って近い場所にあるように思います。意外かもしれませんが、一番似てると思ったのは、産業構造などの経済の部分です
実はシアヌークビルって、今大変なことになっているんです。すごい大開発が行われていて、中国の看板ばかりで中国の人がたくさん来る町なんです。どんどん中国向けにカスタマイズ、ローカライズされていく場所になっているんですよね。
参考: NNA ASIAアジア経済ニュース「南部で進む中国系の観光開発 シアヌークビル不動産の今」
そして、白浜もそんなふうになる可能性があるんじゃないかと思っています。大きな資本を受け入れ続けながらやっていくと、どこに戻ったらいいのかがわからなってしまうような状況になるのではと危惧しています。
左右に揺れながらも、元あった場所に戻ってこれるように、縦軸を考えていくのが重要だと考えています。白浜においての縦軸とは、小さな歴史、民俗史や神話であって、特に、神話は地上と天井を繋ぐような思考だと思います。その点で、この作品を見たときに「すごく神話的だ!」と思ったんですね。
また、「横的」「水平的な」流れに揺り動かされ続けていいのだろうかっていうことを感じるんですね。潮と貨幣、資本と人間が流れゆく場所は特に、左右の動きが強すぎてしまいます。横軸の動きは、経済合理的なので、正しいけれども特権が固定される傾向があります。
「縦的」「垂直的」な流れを白浜においてどう見直していくのか、そういったことを考えるきっかけになる場があればいいなと思って、この展示を企画しました。
5. 白浜と神話
白浜は観光的な要素が強いですが、「観光」って「光を観る」と書きますよね。「どんな光を観るのか」というと、「目に見えない光」とか、「超越的な光」とか、「圧倒的な光」を観ることが観光なんじゃないかと思っています。そういった観点から今後の観光っていうのを考え直したいですね。
これは昔の白浜の入り江の写真です。今回紀南に帰ってきて昔の話を聞く機会があったのですが、田辺と比較して、白浜の話はあまり聞かなかったように思います。昔の白浜にはどういう物語や歴史があったのかということを今日お越しのみなさんとお話しできたらな、と思っています。
私自身は神話学の中でも「スサノオ」に一番関心を持っていて、リサーチを行っています。じつは紀南・熊野地域って、「根之堅洲国」(ねのかたすのくに)と言いまして、熊野本宮大社もそうですが、スサノオを祀っている場所だといわれています。
まさにこの<Ⅰ>という作品には、墓石とか灯台という意味がこもっています。実際に人が集まっている灯台、これからの未来に向けた目印や道しるべということでもあると思います。そして、この桟橋ですね。桟橋って、昔の列車のない時代はみんなここから出発していました。うちの父親もこの辺りに住んでいて、この桟橋から高校に通っていたそうです。現在はほとんど港の機能を果たしていなくて、いろんな人の記憶がここに眠っています。実際に墓石のように見えますね。
スサノオというのはもともと海の神様なんですよね。「死の神」「地中の神」「水の神」「暴風の神」「破壊の神」とも言われています。夏至もそうですが、12月の末に冬至がありますが、冬至って昼夜のバランスが一番崩れるタイミングなんですね。昼夜のバランスが崩れると何が起こるかというと、霊が現れるんです。お盆祭りは死者とダンスをする祭りで、正月っていうのは死者を迎えるための行事だと思うんですね。
そういう観点から白浜の水辺を見ていると、夏の暑い時期とか冬の寒い時期って何となく霊的なものが出てくるんじゃないかというふうに感じてきました。
それで今回いちばんおもしろいのが月なんです。月の神様はツクヨミといわれていて、象徴的に女性や子宮の意味を持っています。周期が一緒で満潮とか干潮、水を扱うものとして生と再生の象徴として神話で扱われています。
そういう意味で、「下から上がってきた霊的なものが生と再生を司っている月に向かっていく」というのは目に見えない垂直軸が見えるような気がします。目に見えないのだけれども、この作品は、そのようなことを可視化してくれるように思います。
<Ⅰ>という作品は細長いものになっています。細長いものって「龍」とか「蛇」であって、このあたりの地域で言うと熊野古道も同じ文脈にのるかもしれません。熊野古道というのは、おそらく天地をつなぐ道であって、龍や蛇と同様に、水面(地面)と天がつながぐ細長いものとして信仰されてきたものではないかと思うんです。そういうものとして、まさにスサノオとツクヨミを繋ごうとしている<Ⅰ>という作品が、神話的に見えました。
冒頭お伝えした「未来への遺産」の制作として適切に説明できる作品で、私自身非常に感動したというところです。といっても、これは私の勝手な解釈なんですけどね。皆さんもこんなふうに考えたり、本を読みながら現代アートを楽しんでもらえたらいいなと思っています。
それでは次は真鍋さんと小山さんからコメントをいただきたいと思います。お二人は白浜桟橋地区の「ディープ桟橋実行委員会」のメンバーです。まず、この桟橋という場所に「ディープ」とつけた経緯を知りたいです。
6.ディープ桟橋実行委員会
真鍋さん:
初めまして。真鍋と申します。私と小山は生まれも育ちも桟橋地区です。その桟橋で事業を行っている30代、40代のメンバーが集まって「ディープ桟橋実行委員会」というものをつくっています。
自分たちは桟橋エリアで商売をさせていただいているのですが、自分たちが子どものころに見てきた風景と違って、人が減って衰退している感じになっています。ただ、一時はお店の数もすごく減ったんですけども、ちょうど自分たち30代、40代の年代の人たちが、新しく桟橋地区にお店をオープンするというようなことが5、6年の間に重なりました。その人たちが今委員会を作っていて桟橋地区を変えていけたらな、という想いで集まっている有志達です。
この会の名前の「ディープ」ですが、どうして「ディープ」なのかといいますと、メンバーの1人の女性の方がポンと出したワードだったんです。もともと「桟橋実行委員会」だったんですけど、インパクトが弱いよねっていう話がありました。桟橋という地区は他にもあると思いますので、クセのある名前がいいなっていうことで、覚えてもらいやすいようにっていう意味でもあります。
桟橋という地区は自分たちが生まれ育ったエリアでもあるんですけども、その自分たちから見ても、そこに住む漁師のおじさんたちとか小さなお店なんかも、いい意味でも悪い意味でもクセが強いですね。そういう意味も含めて「ディープ」とつけました。まあ、あまり洗練されていないという意味での「ディープ」でもありますね(笑)。
藪本:
「表の白浜」に対して「裏の白浜」というようなイメージでしょうか?
真鍋さん:
そうですね。観光に来られたお客さんはだいたい白良浜のほうをイメージされる方が多いと思います。桟橋地区はちょうどそこの真裏になりますね。白浜に来られたら日帰りではなくてぜひ一泊していただいて、次の日には全然違う特色のエリアが真裏にあるのでこちらにも遊びに来てくださいっていう発想になればいいよね、というところから委員会がうまれました。
藪本:
私はカンボジアやベトナムに住んでいたことがあるのですが、メコン川の下流の方に小さな「港」と「市場」のような場所があります。そこにどんな人が集まるかというと、網野善彦先生がいうような「無縁」の人たちなんですね。別の場所にいた人たちが港町である水辺にやってきて、街をつくっているんです。そういう無縁の人たちって、ある種パワフルで、サバサバした感じの方が多い気がするのですが、桟橋地区の人たちもそのような世界観をもっているのではないかと思ったんですけども、どうでしょうか。「昔の桟橋はこんなだった」というのがあればぜひご紹介いただけると嬉しいです。
真鍋さん:
これは昭和30年代の連絡船竣工式の写真ですね。この汽船乗り場というのが、作品が展示されていた桟橋です。「玉姫丸浸水祝賀会」って書いてある旗があるじゃないですか。たぶん僕らの時代の先代の船だと思います。もともとは白浜は陸路からは入れなかったようで、水上飛行機が飛んできてそれが桟橋について白浜に入っていました。ここが白浜の玄関口だったんですよ。大正時代の赤レンガ造りの待合所がまだ健在してます。
この噴水は桟橋からすぐ近くの噴水です。今はもう少し立派になってるんですけど、噴水公園という名前で今も残っています。僕たちが子どもの時は水が上がってましたけども、当時は温泉の噴水だったそうです。
堀井さん:
そうなんですね。写真に写っている鳥居は神社ですか。
真鍋さん:
そうです。今もそこにある喩賀神社ですね。
河野さん:
真鍋さんと小山さんにお尋ねしたいのですが、突然私と藪本さんがこの作品を設置したことについてどう思われましたか。
真鍋さん:
僕は事前に藪本さんから情報をいただいてましたよ。アートはわからないですけれどね。
河野さん:
アート作品と聞いて、見に行かれたら「あれ?」って思いませんでしたか。
真鍋さん:
いや、ディープ桟橋のメンバーで写真を撮りに夜に見に行ったんですけれども、すごくきれいだな、と思いましたよ。ぼんやり黄色くて。今日意味をお聞きしてより深く知ることができたと思います。
小山さん:
僕は熊野三所神社(*)で総代をやらせてもらっているんですけれども、月並祭で拝むときに総代さんたちが気づいて、神社の宮司さんたちと「へー」っていう感じで見てました(笑)。ライトアップはしていない時間でしたが、白浜の砂が白いので景色と一体化している感じでしたね。ここは今は立ち入り禁止で、何かアート的なことをやってるんだろうなと思いました。
(*)熊野三所神社
参照:和歌山県神社庁
河野さん:
とっても嬉しい感想です。作品を展示したときに知ったのですが、灯台のような海への信号って、光の色の種類として赤と青と白はあるらしいんですけど、黄色っていう信号はないらしいんです。海に向かって新しいサインをこちらから放っていたというのが、おもしろいなと思いました。
藪本さん:
堀井さんは、今回地元の方にインタビューされているんですよね。
堀井さん:
そうです。僕が桟橋で河野さんの作品を撮影している時に、おばあさんが通りがかって「あれは何をやってるの?」と話しかけてきてくれたんです。芸術祭の撮影をしていると説明をしたところ、その時に桟橋の昔の話を語り始めてくれて、急いで動画を回したんです。30秒くらいの動画にまとめていますのでちょっとご覧ください。
「ちょうどあそこの光をおいているところに(昔は)灯台がついとった」
「私が結婚してもう50何年やから、50年くらい前かな」
「イカとかエビをぐるぐるって巻いて釣ったら釣れたよ」
「(外灯の)調子が悪くなったから、もうここは貸さんということになった」
「いつもいつも花火だったりのときはここが一杯になるさかいね、船とか」
「で、(現在は入れないように)囲いをした」
「この辺みんなね、外灯がついてたんよ、昔は」
「今はお風呂してないけども、(あそこは)お風呂場だったんです」
「ほんでお土産もん屋があってね、賑やかだったんよ」
「ここはこんなじゃなくて、開いていた」
「もうここを開ける言うたら、祭りの時くらいかな」
「獅子舞をしたりとかそういう習わしが」
「10月の16、17日」
「やけどこの2年はしていないね」
「9月くらいから、もうそこのお風呂の2階でね、獅子舞の練習をしてはったけど、もうこの頃は全然」
「大分変ったけどね、ここら辺も」
「会社とかの保養所とかがあったんやけど」
「もうだいぶ色がついてきたな、お月さん」
堀井さん:
お風呂屋さんとか土産物屋さんとかそういったことをよく覚えておられるおばあさんでした。
真鍋さん:
保養所は結構多かったですね、昔は。白浜全体も多いですけどね。
堀井さん:
昔はにぎわっていたけれど今は入れなくなってしまった場所に光が灯されていて、またそのことによって記憶が灯されたのだとも思いました。
藪本:
そうですね。ところで、この地区にはお祭りがあるんですか。
真鍋さん:
はい。10月16日、17日とで行われる熊野三所神社の例大祭っていう秋祭りのことですね。最近のお祭りは人不足で曜日に寄せることが多いんですけども、このお祭りは16日と17日でやります。
河野さん:
このお祭りは真鍋さんも小山さんも関わっていらっしゃるんですか。
真鍋さん:
関わってますよ。熊野三所神社の青年団に所属してますし、小山さんはお宮さんの総代さんとして参加しています。子どもの神輿の行列がありますが、結構長くて先頭が熊野三所神社に到着していても最後尾はまだ桟橋くらいの長さがあります。
河野さん:
長いですね。
真鍋さん:
そうですね。でもこの2年間は神事だけで子ども神輿はやってないんですよ。熊野三所神社の中で、僕たちと総代さんだけで粛々と神事ごとだけをやっています。
藪本:
そういえば、この辺りには真鍋さんという名字が多いと聞きました。
真鍋さん:
このあたりの真鍋姓は平家の末裔と言われていまして、日本各地の真鍋性は血がつながっているんじゃないかと。千葉県にも真鍋姓がいるんですけど、白浜や勝浦という地名が向こうにもあるんですよね。千葉の真鍋さんがいうには白浜から千葉に流れて行って向こうで土地に名前をつけて居住したということです。
藪本:
この土地が敗者を受け入れているという、1つの特徴が見られるような気がしますね。
あと、せっかく皆さんが今日こちらに来ていただいているので、「昔の桟橋って、こんなところがおもしろかった」というお話を集めたいと思います。何か桟橋の記憶についてコメントをいただけるとありがたいですが、どうでしょうか。
お客様:
桟橋から高校生が、自転車を船に乗せて登校していましたね。それから、桟橋の古い住民の方たちが町おこしをしようと取り組んでいたことがありましたよ。その頃のお話も聞いてみたらいいのではないでしょうか。
藪本:ありがとうございます。うちの父親もこちらで育っているので、昔の桟橋のエピソードを聞かせていただこうと思います。
藪本父:
あ、父親です(笑)。
私はもともと桟橋の生まれじゃないんですけども、小学校から高校生まで桟橋で育ちました。それで、先ほどの船の写真を出してもらえますか。巡航船の写真です。
藪本父:
先ほどのお話にありましたように、船に自転車が乗っているのが写っていますね。私も桟橋からこの船に乗って、高校に通っていたんです。船から下りたらまた自転車に乗って走っていたんです。
河野さん:
私の母もそう言ってましたよ。船で田辺まで通ってたよ、って。
藪本父:
夜は灯台に集まってやんちゃして遊んだりした思い出がありますよ。若い人たちが盛り上げて頑張ってくれているのは楽しいし、嬉しいです。
藪本:
今日は、皆様、ありがとうございました。私は今「グローバル-ローカル」、「中央-周縁」、「都市-地方」という言葉を極力使わないようにしています。その意図は、個別の「場所」に可能性を感じているからです。ローカルとか、周縁、地方等という文脈から離れて、その場所を見直すことに集中したいと思っています。その意味で、今回「桟橋」という場所や小さな物語、記憶について深めることができ、大変貴重かつ有意義な時間だったと思います。