ダイアローグ

Vol.1 テキストアーカイブ( 後編)

2022年4月8日に開催したオンラインのトークセッション『 みかんダイアローグvol.1』
のテキストアーカイブ後編となります。

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4.芸術の社会的転回

このような流れの先に2000年代以降「芸術の社会的転回」という言葉が出現します。これは芸術が「美的なもの」から「社会的なもの」へと焦点を移していったプロセスを指し示すもので、美術批評家のクレア・ビショップが提示した言葉です。これは1990年代にキュレーターのニコラ・ブリオーが提示した「関係性の美学」、2000年代のパブロ・エルゲラらの「ソーシャル・エンゲージド・アート」と呼ばれる社会的問題への芸術的関与を示す概念、2010年代はシャノン・ジャクソンが唱えた社会に関与するさまざまな諸実践「ソーシャル・ワークス」といった芸術が社会と接近しつつあることを示す流れ/傾向性を指し示す言葉でした。

【社会に関わる芸術が生まれた背景】


この背景には、第二次世界大戦後のヨーロッパやアメリカを中心にさまざまな学生運動・社会運動と、それに伴うアーティストたちの社会的・政治的活動への関与の歴史があります。また、後期資本主義時代における社会構造の転換(「生産から消費へ」「工業から情報産業へ」)の中で、芸術文化による社会へのアプローチの探求と刷新がその背景にあります。

例えば、ニコラ・ブリオーというフランス人のキュレーターは、先述した「関係性の美学」(Relational Aesthetic)という言葉を用いて、「制作・鑑賞・体験のプロセスにおいてモノとしての作品ではなく、人と人、人とオブジェとの「あいだ」に「関係性」をつくりだすこと」が美的な活動に含まれ得ると述べています。

例えば、フェリックス・ゴンザレス=トレスというキューバ出身のアーティストの代表作、《無題(角のフォーチューン・クッキー)》の作品は、ギャラリーの中でお菓子のフォーチュンクッキーを山積みにしていて、見に来た人たちが1個ずつ持って帰る、というものです。ここでは、お菓子の山だけでは作品とは言えず、観客の人たちがこれを手に取って実際に口に入れる、そういったことまで含めた関係性に芸術行為を見出すという、という視点によって初めて作品として成立します。

これは、リクリット・ティラバーニャというタイの作家の代表作で、タイ風焼きそばの「パッタイ」を振るまう作品です。このようにギャラリーの中で作品を「見る」のではなくて、何かを「作って」それをギフトとして食事を提供して、それを受け取るような一連の関係性が美術の空間の中で行われる、それ自体が作品であるというものです。

ただこの「リレーショナル・アート」に対して批判もありました。「アートが社会に関わることそのものが、アートの質・批評性よりも社会性道徳が重視される」、「アートが社会的テーマやコミュニティを利用している」「アートが政治的イデオロギーの道具になる」といった批判です。

ここでは「社会関与の芸術」(Socially Engaged Art)についての2つの議論を簡単に紹介します。

「芸術の社会的展開」を論じたクレア・ビショップは、実際には「芸術の社会的転回」自体にが批判的な立場でした。芸術が社会的に転回していくことで、芸術や芸術家がこれまで政治的、経済的なものから自律した存在ではなくなってしまう。それによってアートが社会的価値に従属してしまい、結果的に芸術の持つ批判的な力、根源的なラディカリズム(*)が失われてしまう、とい議論しています。

(*)ラディカリズム・・・急進主義(Radicalism、ラディカリズム)とは、政治学において、革命等の手段による社会構造の変更や価値体系の根本的変更を主眼とする政治原理である。

参考:Wikipedia

もう1つはグラント・ケスターというアメリカの美術批評家の議論です。彼によるとビショップのような芸術の自律性、つまり芸術が社会的なものから自由だというのは実は幻想であって、いかなる芸術であっても社会的な文脈からは抜け出せない、と言っています。芸術の自立性とはその事実をあえて見ないことで守られていただけの話で、むしろ社会的な転回という過程は、人々との「対話」であったり、一緒に「協働」するという実践を通じて、これまで一部のアーティストの専売特許出会った創造性を、ある種の独りよがり的な才能や天才性とは異なる形で「民主化」する方法ではないか、と議論しています。

5.アートコレクティブとは

こういった近年の「芸術の社会的転回」の議論を背景に「コレクティブ」という考えが注目されている経緯があります。そもそもコレクティブの英語の意味は「共に行動する人々」です。「アートコレクティブ」というのは最近はある種のブームにもなっていますが、そもそもアーティストたちが集まって活動することは珍しくなく20世紀前半にもアーティストたちはいろいろな形で集まっていました。

ちょっとここで「アーティストコレクティブ」と「アーティストグループ」の違いというのを少し考えてみましょう。

例えば「アーティスト・グループ」というのは、「ある思想・価値観の下に集まって活動する芸術家の集団」という意味合いがあり、理念や価値観に基づいて集団ができています。集団であっても作家としては個々に活動している、ということです。ある意味で集団への「加入と脱退の厳密さ」があります。

「アートコレクティブ」は、「藝術家の集団そのものを一つの活動主体とする考え方」や、または「複数の芸術家たちによる集団制作の場・共同体」というような、一緒に何かをするための緩やかな関係性といった捉え方があります。

特徴的なのは「理念」や「価値観」をベースにするというよりは、一緒に何かを行うときの関係性、つまり「共働関係」に基づく一時的な集まりであることです。その意味でいつ抜けてもいいし、また戻ってきてもいいというような、ゆるやかなで非ヒエラルキー的なメンバーシップが基本だと思います。

イギリスの美術のサイトによると「アートコレクティブ」というのは、「緩やかに定義すると、共通の目的を達成するために共に活動するアーティストの集団のこと」と書いています。これは理念というより、共通の目的があり、一時的に集まって一緒に何かを活動する人々の集まりだということですね。

ここで、インドネシアと香港の2つの「アートコレクティブ」の事例を紹介したいと思います。

【タリン・パディ】

「タリン・パディ」というのは、インドネシアの古都、ジョグジャカルタ市を拠点に活動する木版画集団制作のコレクティブです。「タリン・パディ」というのは、日本語に訳すると「稲の先の芒(のぎ)」という意味です。

1998年に当時の美術学生などの若者たちによって結成されたグループで、その多くは当時のスハルト独裁政権への反対運動・民主化運動に参加していました。彼らは美術学校の校舎を占拠し、一緒に生活しながら木版画やポスター制作、演劇などの芸術活動をしていました。彼らの活動の特徴は、美術を自己の内面の表現としてよりも、人々が民主主義の価値を求めて行動を促す「人々の意識の覚醒」のツールとして自らの表現を位置付けていた点です。

「タリン・パディ」の第一世代と言われる人たちは、主に「反独裁、民主化、農民、労働者運動、性差別」というようなテーマで木版画を作っています。表現様式としては抽象的な表現ではなく「社会主義リアリズム」を踏襲しつつ、そこに描かれてる物事や人物のもつ社会的・政治的なメッセージを誰もがひと目でわかる描き方で伝えています。

第二世代になると「環境問題・グローバリゼーション」といったようなより大きな問題をテーマに大型木版画を制作していきます。インドネシアの社会・経済が、グローバルな経済システムによる破壊を通じて結びついている様子を表現する方法です。制作した木版画を布に擦って、デモのバナーとして抗議のために使ってもらう、もしくはTシャツとして配布するなど、社会運動に直接つながるツールとしても活用しています。

彼らの特徴は、ひとりの作家ではなく集団の協働によって全ての作品制作が行われているという点です。テーマ設定、イメージの創出、制作のプロセス、その参加方法を含めてより開かれた集団的製作のあり方が問われ、実践されているのです。例えば絵画制作で線を描くとなるとその上手い下手が問題となりますが、木版画で彫った線というのは技術の差が出にくくむしろある種の「味」となって現れてきます。また彫り終わった後にインクを擦りつけて布に写す過程では、最後に全員で板に乗って踊るようにしてインクを擦っていきます。この過程では技法の上手い下手は全く関係なく、全員が踊ることで作品を完成させることができます。ですから木版画の集団制作においては全員がプロのアーティストである必要はないんですね、さまざまな人々の関与によって芸術制作そのものを民主化していっているのです。

このような制作の民主化は、「創造性を社会化する」とか「知識と技術のシェア」といった要素を含んでいます。そして制作された作品がある種の「教育的なツール」として伝達されたり、今の社会の状況を伝達する役割を持っているのです。

インドネシア各地にはいろんなアーティスト・コレクティブのグループがあります。これは最も有名なコレクティブ「ルアンルパ」の以前のスタジオの写真ですが、みんなで集まってワイワイとサッカーゲームをするのを楽しんだりする部屋がありました。彼らにとってはここで遊ぶといろんなアイデアがうかんでくるので、ルアンルパのなかで一番大切な場所らしいです(笑)。

インドネシアでこのようなアートコレクティブが盛んに生まれてきていて、大きな注目を浴びている背景について、インドネシア美術研究者の廣田緑さんは「インドネシアの現代美術のワイルドなメカニズム」その理由にあるといわれています。90年代の民主化まで文化芸術制度が未完成なままだったからそこ、アーティストたちは自ら自発的に芸術文化のインフラをD.I.Y的に生み出していったというのです。システムが洗練されていないからこそいろんなことができるという、野生味と柔軟性、自発性がコレクティブを生み出す要因となっていたということです。

インドネシアのアーティストたちから話を聞いた時も、「コレクティブ」という英語は自分たちの言葉になじんでいなくて、むしろコレクティブ性は自分達の社会の伝統的価値観の中にすでに存在していて別に新しいことではない、という話を聞いたことがあって、とても印象的でした。インドネシア社会のなかには「ぶらぶら集まって話す(ノンクロン)」「他者とシェアする(ベネン)」「相互に助け合う(ゴトン・ロヨン)」といった彼らの普段の生活の中にある土着の概念/言葉がすでにあるからこそ、コレクティブという外来語を特に使う必要はないともいえます。このインドネシアの農村共同体の助け合いの精神が、木版画の共同制作の中で現代的なものとして蘇り、それが新鮮な概念/表現として東アジアの木版画グループにも広がっている動きもあります。

もちろんコレクティブというのは、ある価値観を共有するというのはあるんですけど、それは原理や強いものではないんです。むしろ重要なのは「ヒエラルキー」に対して彼らが注意深く距離を取っていることだと思います。ある集団性においてボスがいて、部下がいるということではなく、基本的には友だちをベースにした関係性なんです。もう一つはアーティストに限らない、というのもポイントです。いろいろな人たちが関わっているということです。そして、そういった人たちの関係性が自由に発揮できるような場所を同時に作っていく、という特徴があります。

【Kai Phong Pai Dong】

もう一つ香港の例を紹介させていただきます。僕の友人のマイケル・ルンというデザイナーが、香港の屋台をコミュニティの場所に変えていくような活動をしています。

もともと香港には小さな屋台街が各地にあるんですけども、免許制になったりと年々厳しくなっています。マイケルたちは使われなくなった屋台に目をつけて、そこでいろんな活動をしています。

一般的に香港は東京よりも家賃が高く、場所を借りるということがとても難しい街ですが、屋台は比較的安い値段で借りることができ、その屋台を自分たちの活動の場所にしようとする試みです。もちろん昔から商売をしている人たちもいるので、彼らの商売敵になるんじゃなくて、あえて商売をしない屋台を作ってみようということで、様々な活動をしています。ギャラリーやリサイクルショップをしたり、床屋をしたり、本屋をしたり、その時その時で屋台が変わっていくという感じです。基本的に商売の場所ではなくて、いろんな人がかかわるような場所にしていく、というのが彼らの中心の活動になります。

自分たちの住んでいる地域の話を聞く会であったり、上映会を行ったりしています。そして彼らは屋台に来る人たちだけじゃなくて屋台の周囲で仕事や生活を営む人たちとの関係性を築いているのです。「屋台をコミュニティの場所に変換していく」という活動を通じて、香港の路上からコミュニティを作り出す彼らの活動は、香港の「街坊(ガイフォン)」という概念に影響を受けています。

この「街坊」というのはもともとは中国の南部の都市の区割りの概念です。特に香港というのは戦後、中国本土からたくさんの避難民がやってきた移民の街でもありました。避難してきた人たちが新たに定住して、行政のサポートがない中で生活していかないといけない。そんな中での相互扶助、お互い助け合う関係を街坊とよんでいました。

ただ、時代がたってだんだんと行政の福祉や社会保障制度が整ってきましたが、それでも昔住んでいた人たちは街坊の感覚を大切にしていて、マイケルたちの活動もまた、この街坊という失われつつある香港のローカルなコミュニティ概念を現代と接続する活動だと言えるでしょう、

5.アートとアクティビズムとは

私は現代美術にも興味があるんですけれども、自分たちが住んでいる地域やコミュニティに文化芸術を通じて関わることに興味があります。ある種のアクティビズム(*)のように、何か行動して物事を変えていく姿勢ととても親和性があるんですね。

(*)アクティビズム・・・積極行動主義(せっきょくこうどうしゅぎ、アクティビズム、アクティヴィズム、英: activism)は、行動主義のひとつであり、社会的・政治的変化をもたらすために特定の思想に基づいて意図的な行動をすること。

参考:weblio辞書

そういった人たちの活動にすごく僕は関心をもっています。そのなかでアーティストには、社会のなかに眠っている創造性をかたちにしていくとか、社会運動の中に少し違う視点を持って今の社会の問題や解決の在り方を提示できる役割があるんじゃないかと思います。

コレクティブというのは、何かの目的のために一時的に集まって協働していくその関係性そのものであって、目的ではないと思うんですね。まず何かの問題意識があって、それに対してどうやって一緒に取り組んでいこうか、ということだと思います。

コレクティブを考える場合、自分たちの足元の生活から考えていく方がいいんじゃないか、と思います。そういった意味でコレクティブという言葉は、自分たちの内側から探っていくことで1つの方向性につながるのでは、と思っています。

6.農業は芸術なのか、芸術が農業なのか?

下田
江上さんありがとうございます。

何か質問などがあればお受けしたいのですが、紀南アートウィーク実行委員長の藪本が、聞きたいことがあるとうずうずしております(笑)。

藪本
こんばんは。松崎さん、江上さん、ありがとうございます。

われわれも去年、アートウィークをやらせてもらったんですけども、ちょっとカチッとなりすぎていた部分もあったので、参考になる実践の話を聞かせていただけました。ありがとうございます。

松崎さんとは一度お話しさせていただいた際に、東南アジアのアートコレクティブの雰囲気がすると思ったんですよ。

また、江上さんが東南アジアのコレクティブについて書かれているのを拝見して、面白いことを書かれているな、と思って今回連絡をさせていただきました。今日も版画のお話を聞かせていただきましたが、わたしは浮世絵コレクターでもあるので、版画と農業とコレクティブというのには、やはり何かただならぬ関係があるのではと感じています。今日は理論的なお話を聞かせていただいて、非常に勉強になりました。

まず、芸術と農業の関係なんですが、今われわれは「みかんコレクティブ」をやりながら、農業が芸術なのか、芸術が農業なのか、あるいは、みかんが芸術なのか、芸術がみかんなのか、ということをずっと考えています。もちろん、なかなか答えは出ないんですけど、アーティストと農家さんというのは思考や特徴が近いのではないかと思っています。

無理をしない、ナチュラルでというところとかですね。わたしたちもみかん農家の寄り合いに参加させてもらって、楽しそうに話しているっていう光景をよくみるんですが、松崎さんはもともと農家のおうちの方のなんですか。

松崎さん
そうですね。実家はずっと農家です。両親は学校の先生だったんですけど、祖父の家のふすまに昔滞在したアーティストのサインがあるんです。こういう感じで昔からアーティスト・イン・レジデンスがあって、アートと関わってたんだっていうのを知った時は感動しました。

藪本
そういう意味では農家の方とアーティストの方って、そもそも境界があまりないのかもしれませんね。そういうふうに考えてもいいのでしょうか。

松崎さん
いいんじゃないでしょうか(笑)。

藪本
むしろ農家の方を交えた糸島芸農さんの活動自体が、もはや芸術活動と言えるようになってきていると、江上さんの社会的転回のお話を聞きながら思いました。現代美術の文脈においても、農業と芸術の活動にほとんど境界がなくなってきたのではないでしょうか。江上さん、どう思いますか。

江上さん
そうですね。自分で食べるものを育てるということと、表現をするということに類似点があるとしたら、どちらもお金というもののやり取りがなくてもやるだろう、ということでしょうか。貨幣を使う以前から世界中で人間がずっとやってきたことですし、成果や結果が地続きで実感をもってできる活動という意味では、どちらも似てるかもしれませんね。

藪本
本質的に作るということが普遍的と言いますか、生存すること、作ること、みたいな形で考えられるということなんですかね。

江上さん
そういうところもあるんじゃないでしょうか。

藪本
農業と芸術というのは簡単に答えが出るものではないでしょうが、今後もわれわれのプロジェクトの中でも考えていきたいと思います。

7.糸島芸農はアートコレクティブなのか?

もう1点はコレクティブについてなんですけども、さきほど江上さんに分類していただいた中でいうと、糸島芸農さんはどういうところに当てはまるのかを聞いてみたいです。アートグループに当たるのか、アートコレクティブに当たるのかどうなんでしょうか。

江上さん
いろんな人が関わっていらっしゃいますよね。

松崎さん
そうですね。いろんな人が関わって芸術祭を作り上げているんですけども、作品をみんなで作る、というのではないと思います。ただ、芸術祭のコンセプトとか、どこに何を配置してっていうのを考えるのもアートだというならば、みんなが作品を作っているといえるかもしれません。

藪本
ちなみに加入も脱退も自由なんですか。

松崎さん
それは自由です。みんなそれぞれのテンションで関わっていますよ。

藪本
別に強制はしていないということですね。

松崎さん
そうですね、でも村の決まりみたいな感じで、「そろそろどうでしょう」みたいに勝手に集まってきますね。

江上さん
コレクティブというと、「流動」とか「協働」といったよさそうなイメージの響きがあるんですけど、そんなにうまくやれるものでもないんですよね。みんなけんかとか仲たがいとかもありますよ。議論がかみ合わない時なんかはどうやって対処して乗り越えているんですか。

松崎さん
みんなで「牧のうどん」(*)を食べに行くことでしょうか。みんな「牧のうどん」を食べに行くのを大事にしているんです(笑)。アートの話はしないけど、一緒に食べに行くんです。激しい討論をする時もありますよ。「テーマが全然違う!」とか。でもみんなでアートを忘れて「牧のうどん」を食べて、また話し合うんです。

(*)牧のうどん・・・福岡・佐賀県を中心に営業しているチェーン店「釜揚げ 牧のうどん」。本社が糸島市にある。参考:ウィキペディア

藪本
なるほど。ちなみにこの「理念」や「価値観」なんかは、そんなに強く主張していない感じなんでしょうか。

松崎さん
そうですね。方向として、そんなに大きな予算でやらない、というのとかは決まっているんですけどね。あとは誰か1人呼びたい人を呼ぶ、とかが決まっているぐらいでしょうか。ただ、大きな芸術祭はイヤだ、みたいな感覚はみんな持っているように感じます。

藪本
なるほど。松崎さんがやられていることって、あまり国家とか行政とかが関与しない自由な取り組みという感じですよね。それは松崎さんがあまり器用なひとではない、ということも関係しているのかもしれませんが、市民レベルでチームを作っている、というのも理由の1つではないのでしょうか。少数意見の人が淘汰されない、多数決では決めないという感じですよね。

そこもみかんと一緒ですよね。根っこから栄養と水分が供給されていて、あとは自由に伸びていく、ある意味完璧な民主主義のように思うんですね。松崎さんのところは多数決って行われているんですか。意思決定はどうやっているのでしょうか。

松崎さん
多数決は取ってないですね。だから半年くらいずっと話が進まないですよ。本当に(笑)。「今日も話が進まなかったね〜」みたいな感じです。コンセプトが決まるまではずっと話し合ってるという感じですね。

藪本
なるほど、おもしろいですね。持続可能の観点からいうと江上さん、このあり方をどう思いますか。

江上さん
人類学者D・グレーバーは、多数決で決まるような間接民主主義というのは、実は軍事的な危機の時にとられる例外的な方法であって、ほとんどの社会や歴史上の多くの場所ではより直接的な合意形成が一般的だったと述べています。日本だって、宮本常一が記録するように村の寄り合いが何日も続くようなことをやっていました。そういった合意形成のあり方そのものに注目していくのは、重要だと思います。

さきほど藪本さんが、みかんも一つの民主主義の形だっていう話をしていた時に、僕は和歌山でミカンが広がった詳しい経緯は知らないのですが、とても面白いと思いました。

誰かがみかんの木を持って来て山に植えて、そしたらとなりの人も植え始めたんでしょうね。共有するとか、助け合うとかっていうのが根付いた結果に今の形があると思うんです。最初は「みかんと民主主義」は突拍子もないものに思えたけど、やっぱり藪本さんが育った和歌山というところで根付いているリアリティーは、重要なんじゃないかと思います。

藪本
ありがとうございます。

持続可能性についてはわれわれも考えていて、1回目だから頑張りすぎたので、今後はあんまり無理せんとこかって、今は言っています(笑)。

糸島芸農は、国家や行政とは考え方が違って柔軟性があって、直感的にずっと続く芸術祭なんだろうなって思いました。今日はその理由が少し見えた気がします。

下田
引き続きいろいろお聞きしたいのですが、そろそろお時間ですので最後に松崎さんにお尋ねします。次の糸島芸農の予定はまだ未定ですか。

松崎さん
そうですね。これから話し合います。2年に1度やりますので、また始まったら遊びに来てください。

下田
はい、楽しみにしています。長らくお付き合いくださいまして、ありがとうございます。