ダイアローグ

Vol.1 テキストアーカイブ(後編)

2021年3月5日に開催したオンラインのトークセッション『紀南ケミストリー・セッション vol.1』

白熱のセッションを文字起こししたテキストアーカイブの後編となります。

※テキストアーカイブの前編はコチラ
https://kinan-art.jp/info/354

※動画のアーカイブはコチラ
https://kinan-art.jp/info/435/

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タイトル:『なぜ、いま、紀南アートウィークなのか』
日  時:2021年3月5日(金) 19:00~20:30
会  場:オンライン(ZOOMウェビナー)
参加費 :無料
登壇者 :宮津 大輔(アーティスティック・ディレクター)
     藪本 雄登(総合プロデューサー)
総合司会:森重良太(地域活性化プロデューサー)

『なぜ、いま、紀南アートウィークなのか』(後編)

【3】アートの価値とは?

宮津:
薮本さん、ありがとうございました。
ここからは私からご説明したいのですが、先ほどのカンボジア人のアーティスト、クゥワイ・サムナンの作品の話で、「籠もる」と「ひらく」、紀南の持っているローカルにしてグローバルな魅力を引き出すのに、アートがなぜ、「手段」として適しているのか、少しご想像いただけたかと思います。
では、なぜアートウィークである必要があるのか、なぜアートなのか、ということについて説明します。

翻訳不要の視覚芸術

宮津:
アートと言っても色んなアートがありますが、特徴は2つあります。
まず、最初に、翻訳不要な視覚芸術。当たり前といえば当たり前なのですが、例えば、我々が英語の文学を楽しもうと思えば、基本的に日本語に翻訳されたものを読むわけですよね。あるいは、フランス語や英語で歌われているオペラやポピュラーミュージック、ロックンロールを聞いて楽しむ場合も、音楽、旋律は別ですけれども、歌詞、言葉の場合は当然翻訳が必要になってくると。ところが、視覚芸術、ビジュアルアートは見るだけで理解できます。そしてこれはビジュアルアートに限りませんが、アート全般に言えることで一番大きなところというのは、視覚的に、見たら見たなりの理解ができる。しかもそれは、100人の方がご覧になったら100通りの見方、考え方があって、そのどれもが正解であるってところがやはり視覚芸術の持つ物凄く大きな特徴だと私は思っています。

多様な価値観や他者との共存共栄へ向けたヒント

宮津:
もうひとつは、「多様な価値観や他者との共存共栄へ向けたヒント」です。
現代アートは何かというと、一言で定義することはできないんですね。1950年代以降のアートであるとか、現代的な思想、あるいは考え方を反映したものである。色んな言い方ができますが、確固とした定義はありません。ただ、なぜ現代アートというのかというと、英語の話になりますが、現代アートとはいうのは、実は翻訳された言葉です。現代美術もそうなんですが、美術という言葉自体が元々日本でも明治時代の外国語を翻訳してできた言葉ですから、日本の中では若い言葉なんです。英語で言うとコンテンポラリーアートと言いますが、コンテンポラリーっていうのは現代のという意味もありますけども、同時代のという意味もあります。
つまり、ただ単に現代において作られただけのアートは、コンテンポラリーアートではなく、その時代に作られるべくして作られた、同時代性を帯びているものだけが、本来の現代美術、現代アート、いわゆるコンテンポラリーアートなのではないでしょうか。そうすると、そこに同時代、日本人なら日本人、フランス人ならフランス人、男性女性、ヤングシニア、あるいはトランスジェンダー、色々な環境、世相等、そういうものが反映されているはずです。

では、これがなぜ紀南アートウィークと相性が良いのかというと、この4つの絵をご覧いただきたいと思います。

宮津:
1番左端は、瀬戸内海の直島という島です。
これはベネッセグループが私財を投じた作られた、ベネッセアートサイト直島というところです。直島や豊島、犬島、そういった島々にアートの一大施設、自然とアートを楽しむプログラムの瀬戸内国際芸術祭、あるいは美術館、そういうものを作ったわけですね。
これが何を引き起こしたかというと、産業廃棄物が不法に投棄された島とか、銅精錬で禿山になった島、そしてお年寄りしか住んでいなかった過疎化が進む瀬戸内海の小さな島々を、世界中から観光客が来る島に変え、さらに、そこにおいて雇用が創成され、若い人たちも移住して、そしてお年寄り達にも活力を与えています。

それから、左から2番目の鏡のようなとても建物に見えない建物ですけが、これはスペインのビルバオという都市で、バスク自治州という自治州の中にある美術館です。
グッゲンハイム美術館というニューヨークにあるフランク・ロイド・ライトが建てた美術館の支店になりますが、フランク・ゲーリーという建築家が設計し、とても建物に見えないような奇抜な美術館の建物の中で、ニューヨークのグッゲンハイム美術館では大きすぎて展示できなくなったような大型のアート作品を設置して開館したわけです。
造船業が廃れて、独立機運が高くてテロが横行しているような寂れたバスク地方の都市が、今やスペイン有数の観光都市に生まれ変わっています。たった1つの美術館がその大きなきっかけになっているのです。

その隣、これはチームラボの作品なのですが、お台場に新しいチームラボの常設展示をする美術館ができて、開館1年たらずで230万人の人たちが訪れることになりました。しかも、その60%が世界中から来た人たちなのです。
この美術館1つがお台場を生まれ変わらせて、世界中から日本独自のテクノロジーを使った新しいアートを見に訪れ、日本の新しい技術と文化の側面を見て、SNS等で世界に発信してくれています。

1番右端、これGinza Sixという元銀座松坂屋跡に出来た新しいショッピングモールです。
これは、草間彌生さんの大きな彫刻ですが、数ヶ月ごとにこういうアート作品を、1番大きな中央の吹き抜けに展示しているわけですね。これによってデパート、百貨店というどちらかというと残念ながら衰退傾向にあった産業が生き返ったわけです。同時にルイ、ヴィトンが村上隆さんや草間彌生さんと一緒にコラボレーションするのも、ファッションというワンシーズンで死んでしまうようなものを長く寿命を持ったものに変えていくためにアートと手を取り合うということです。
衰退や何らかの問題がある産業とか経済活動をリボーンさせる、生まれ変わらせる力がやはりアートにはあります。

こういった成功事例をお話ししましたが、全てがアートを使ったからうまくいくということではないかもしれません。しかしながら、翻訳不要の視覚や、100人いたら100通りの正解という、それらを引き金にして、今回は紀南の誇る、歴史、文化、食、あるいは伝統的な産業、それから地域コミュニティとアートを掛け合わすことによって、物凄く大きな良い化学反応をここに起こすのだということなのです。

そして、過去は、富田港から船で日本、あるいは世界に輸出、繰り出していったわけですが、現代の富田港は何かというと、やはり今回ご協力いただいている南紀白浜空港さんになりますので、南紀白浜空港さんとともにアートという手段を使って、和歌山の素晴らしいものをローカルからグローバルに転じていければと考えています。

何かをあぶりだすことで普通の道具もアートに変わる

宮津:
アートについて、なぜ現代美術か、もう少しお話させていただきます。

こちらは、1917年にマルセル・デュシャンというフランス人のアーティストが作った作品です。
「泉」という作品なのですが、実は男性が用をたす便器を横にしただけの作品です。これが現代アートの始祖、起源と言われるような作品です。なぜかというと、これ実は何も作ってなくて、ただ、便器にサインを入れただけなんです。この作品がなぜ現代アートかというと、これがギャラリーとか美術館に置かれた瞬間に、そこで出会ったら「これ便器に見えるけど、もしかしたら価値があるものなんじゃないか、高いんじゃないか、貴重なんじゃないか」って思うわけです。これはこの作品というよりも、その作品、この便器を持ってくることによって、ギャラリーとか美術館っていうその場所や空間が持つ特殊性や特権性を炙り出すことを目的にしているといわれています。
これがまさに、先程申し上げた現代美術の同時代性とか、問題を視覚で単純に見せるということなのです。

デュシャンからサムナンに至るまで、現代美術の優れたアーティストたちが作品で見せてくれることは、このようなことで、こういった作品を紀南にしかない素晴らしい場所で展示することで、その場所と地域の皆さんと現代アートのパワーが掛け合わさって、もっと大きな力になるっていうのを、この紀南アートウィークで私たちは実証していきたいと思っています。

アートの定義について

藪本:
一点質問ですが、宮津さんの考えるアートの定義はどういうものですか?
私は今、アートをどう定義すべきかということに関心があります。私自身は先ほどのサムナンの作品を見て感動したという発言をしましたが、いわゆる西洋的にはアートの定義ってすごく狭く、技術論に比重が置かれている気がします。私は、アートの定義をもっと広めていくべきだなっていう風に考えていて、感動したらアートなんじゃないのか、その意味では別にアーティストはもちろんのこと、サラリーマンの方でも農家の方でも弁護士の方でもお医者さんでも総理大臣でも、みんなアーティストって言って良いんじゃないかなっていうようなことを考えているんですけど、これってどう思われますか?

宮津:
私自身、コレクターでもありながら教育者でもあるので、アートというと芸術という日本語に翻訳するとなると思います。じゃあ芸術は何かっていった時に色んな捉え方があると思います。ここが日本語と英語の解釈の難しいところですが、例えば、人を感動させるようなものっていうのは、他のものと異なった強い感動を呼び覚ますような特徴があるとか、あるいは他の人が当たり前と思って見逃している違う魅力や別の視点があったりということになるので、これをアート、芸術というべきなのか、あるいはクリエイティビティ、創造性といった方が良いのかは議論があると思います。

また、藪本さんがおっしゃっているように、人を感動させるものが芸術なのか、あるいは創造性があるものを芸術というのか、私も大きく違わないという風に思っています。今や現代アートで言うと、それがアート作品なのか、優れた革新的な、例えばビジネスだったりゲームだったりするのかというのは、多分、視点によって決定されるというぐらい両者は近づいている。まさに「籠もる」と「ひらく」じゃないけれども、1周回って気づいてみると背中合わせになっているんじゃないかという気がしています。

アートの価値はなぜ高いのか?

藪本:
ありがとうございます。
もう1つ、アートや現代アートって、べらぼうに高いと思われていると思うのですが、アートの価値がなぜ高いのかというと、これは私なりの仮説なんですが、例えば、サムナンと話をしていると、価値観の高さが、その価値の高さとリンクしている気がしています。サムナンは、元々あったカンボジアの世界観(美しい環境の中で、みんなで家族仲良く、楽しく過ごしたい)を主張しているのだと思います。それは、ものすごく普遍的なことだと思います。
その普遍的な価値観の高さから生まれる作品の価値も高くなるんじゃないかなと思っていますが、これについてどう思われますか?

宮津:
大きく違ってないと思います。
もう少し整理すると、さきほど現代アートの話をしましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチも1500年代には現代アートだったわけで、それがこうやって五百数十年経つと古典になる。印象派も当時は物凄く革新的だったわけですが、それが21世紀になったら現代でなく、近代美術になる。
つまり、優れたその当時の同時代性を併せ持った作品というのは、必ず数百年長生きして、古典になるということなんです。だから現代アートの作品で価値の高いものほど、あとになって価値が増す確率が高くなっていくわけですけども、100年、2000年、その普遍的な重要性が残っていて、未来の人たちから見て、未来の人たちに対しても、何かを示唆するようなものを持っているもの、今見ても、今の時点でも価値が高いものだっていうことになるわけです。その価値を表現するのが何かというと、ひとつはお金、貨幣になるわけで、それに早く気づいた人ほど安く買えるわけです。ですから私が、サムナンの1番目を買った時は、数十万ですけど、藪本さんが買った時はもっと高くなっていたのではないでしょうか。

藪本:
確かに、、、違いますね。

宮津:
価値が高くなるって、そうことです。レオナルド・ダ・ヴィンチを今買うと、数百億になるってことなんです。

アートを収集するということ

藪本:
なるほど。
もう一点お伺いしたいのですが、アートを保持する、収集するってどういうことなのでしょうか?コレクターである宮津さんから伺いたいです。

宮津:
それは人それぞれだと思いますが、私がなぜコレクションするかというと、今は学者、教育者ですが、当時はサラリーマンですから、当然、お金を持っているわけじゃないです。人に知られていないもので、その中に素晴らしいものがあるのを発見し、私がお金を出して、まだ有名じゃない人の作品を買うことによって、彼らの生活を支えられないまでも、次の作品の材料代ぐらいにはなるお金を払うことになる。1週間の食費や家族のお金を払うことができる。これが私には重要なことで、その彼らがサムナンのように成功したら、その海外で価値が上がって稼いだお金で地元の若いアーティストたちとかキュレーターを育てるために循環していくのではないか。
大きな食物連鎖みたいなところの最初って、不思議なことにお金持っている人が素晴らしいものを見極められるとは限らないので、そこの嗅覚を高くしておけば、食うや食わずで困っている時代に作品に買うということで、私のコレクションの充実にもなりますし、同時に、そのアーティストがキャリアを続けられて、大成していくことにも繋がってくるというのが、私の大きなポイントかなと思っています。

「天才の考えを買う」とは

藪本:
ありがとうございます。
あともうひとつ、「天才の考えを買う」という言葉が、宮津さんの言葉の中ですごく刺さっていて、すごく小さなことで悩んでいるのに「こんなこと考えるんだ、こいつらぶっ飛んでるな」ということを、少しでも吸収できるっていうことは、とても意味があるし、これって学びとか感動するということと一緒なんですけど、お金に換えられない、素晴らしいことだなって思います。

宮津:
やっぱりお金は誰にとっても必要なので重要だと思いますし、天才の考えに入場料払うようなもんですよ。アドベンチャーワールドでパンダをみる、素晴らしいシャチのショーを見る、それはもう何千円払うに値する価値というのと同じように、天才の考え方を買うのに数十万、数百万、人によっては数億円を払うってことなんだろうなっていう風には思っています。

【4】「紀南アートウィーク」の独自性

宮津:
アートの価値について、お話させていただきましたが、では、日本中にたくさんある他の芸術祭と紀南アートウィークとで、何が違うのかということについて、お話していただいてよろしいですか?

藪本:
分かりました。
私の本業は、インフラ輸出案件を主に取り扱っています。日本のゼネコンさんや商社さんと一緒に、特にアジア太平洋地域の空港、電力、道路、上下水道、鉄道等のインフラプロジェクトを多くやってきました。うちの父親が建設設備屋であることもありまして、エンジニアとか建設業のおっちゃんとすごい相性が良く、そういうおっちゃん達のサポートをしてきました。その中で「日本のインフラ輸出は、本当に競争力あるのか」と、感じることが多くなってきています。そういう意味で日本のインフラ輸出のために、何ができることがないかということをずっと考えていて。価値のあるインフラとは、アートと同様に、世界中の人達が「値段は高くても、いくらでも良いから使わせてください、買わせてください、アクセスさせてください」っていうものだと思います。

空港を核とした芸術祭

藪本:
そこで、シンガポール・チャンギ空港の研究をしました。
チャンギ空港は、比較的、非航空事業で稼いでいます。飛行機を離発着させて管理料をもらうことはもちろん、ハブ空港としてチャンギ空港を使ってもらって、色んな人たちを回遊させる。アート&エンターテインメントを軸として、物販とかテナントビジネスが非常に発達している。
日本の空港もそれに学ばなければならないと思って、色々と取り組みを行ってきました。その中で、宮津さんに相談したら、「俺そういえばアートと空港の委員会ずっとやっていたよ」ということをお聞きし、実は、ここから始まったんです。

宮津:
そうです。アジアの国で、コロナ前は本当に秋の芸術ハイシーズンでいうと毎週末、日本ではなく、アジアの国で講演をしていました。藪本さんがお話になったチャンギ空港もそうですし、あるいは韓国のインチョン空港。あそこにある複合巨大エンタメ施設、要するに韓流スターのコンサートから世界的なDJのクラブから、草間彌生、ダミアン・ハーストといった世界的なアーティストたちの作品から、豪華なブティックから、高級ホテルから、全てがカジノとともにあるパラダイスシティを見たりできる。
チャンギ、インチョン、そういった空港を見た時に、果たして今後日本の空港や空港を核とするその地域が、世界の人たちにどう受けられるか、と考えました。1本でも多く飛行機に来てもらわなきゃいけないですし、アジアからヨーロッパやアメリカに行く飛行機は、インチョンなのか、北京なのか、日本なのか。北京も物凄い空港ができています。新しいアジアの空港が非常に大きくなっていく中で、日本はどうなるんだと。
羽田や成田空港の委員をやっておりましたが、なかなか私の提言も実現に至らなかった中で、是非、和歌山県や紀南地域で成功事例を作りたいというところで、私も非常に熱い想いを持って、「アート」✕「空港」について取り組んでいるわけです。

藪本:
実は南紀白浜空港さんと話しさせていただく前に、日本には、地方空港含めて約100箇所ぐらいの空港があるのですが、そのうちの10空港程度とお話しさせて頂きました。反応は「アートと空港を掛け合わせることってお金にならないよね?どんな意味があるの?便増やしたほうが合理的ですね」といわれ、非常に悔しい思いをしていたんです。
南紀白浜空港さんとお話しさせていただいた時、即決でやろうということでご承諾いただいて、そういう意味では今回、アートと空港の実践、もしかしたら日本で初めてかもしれないですね。ここでノウハウを蓄積して、このノウハウを、さまざまな民営化空港にノウハウとして輸出していく。もしくは、世界の地方空港も同じような課題に直面している可能性もあり、そこに価値のあるインフラとして南紀白浜空港から輸出していきたいと思っています。
10年、20年、30年の話になるとは思いますが、そこは1つの軸にしていきます。

その地にしかない第一次産業と第二次産業

藪本:
もう1つは、私自身、紀南地域の第一次産業と第二次産業が重要だと考えています。
ワーケーション自体は非常に素晴らしいと思いますし、第三次産業の担い手を紀南地域に誘致するってことは重要だと思います。ただ、ワーケーション誘致は、今後競争は激しくなると思います。まさに今私も世界中でビジネスを展開していますが、世界中の国々では、法人税等を減税して、誘致合戦がなされていて、どこの国も同じことをやるので競争激化しています。
それを踏まえると、長期的には、紀南という土地から簡単に離れることができない第一次産業、第二次産業の担い手が、現代アーティストの方々のように、全世界中から外需や外貨を獲得できるようなきっかけを作りたいと考えています。

もちろん、ワーケーションも重要であって、長沢芦雪が当時、京にいて、紀南地域に来て、才能を爆発させたように、紀南という土地は、「ワーケーション」「アート」「イノベーション」等は相性が良いと考えています。

今、対談シリーズを地道に行っています。最近では、善兵衛農園の井上さんと対談させていただきました。この紀南アートウィークを活用してもらいながら、紀南地域の農家さんと対話をしていきたいと思っています。
アート的な発想で、「紀南って何なんだろう」「紀南ってどういう場所なんだろう」「なんで紀南の人はみかんを育ててきたのだろう」等といった根本的な問い立てを継続してやっていきたいと思っています。

次の世代を担う子供達へ、光り輝く出身地の誇りと真のグローバルを伝えたい

宮津:
第一次産業、農家の担い手さん、伝統的な農作物の話もそうですけど、もう1つはさっき冒頭で「困った息子ですという」Tシャツ着ていた藪本さんがいました。大きくなって故郷に帰って来て、教育面についてもコミットされてますね。そちらについても、お話しいただいてよろしいですか?

藪本:
第一次産業、第二次産業も大事ですが、次にやっぱり教育ですね。

これは、田辺中学校、次は私の母校の富田中学校でのワークショップの様子です。機会があれば、このように紀南地域の中学生、小学生、高校生等と対談をやっていきたいなと考えています。
私はいま、海外に住んでいますが、東京、シンガポール、ロンドン等の世界のグローバル都市と比較しても、明らかに紀南地域が光り輝いてます。これからのグローバルな仕事は、別に海外に行く必要は全くないと思っています。

実は、私もそんなに英語が得意なわけでもないのですが、本当に価値のあるものっていうのは「どうか売ってください」と取りに来るようになると思います。紀南にいながら、誇りを持って自分たちの文化、歴史を深く深く深く紹介するだけでいい、そのことを伝える活動をやっていきたいと思います。

この10年間、カンボジア、タイやインドでビジネスやって感じたことは、とにかく日本は内需至上主義で人口が増える、GDPが増えるところでの成功体験にしがみついている。とりあえず、人口とGDPが増えるところに、それなりにいいモノを安く、大量に提供するのでいっぱい買ってください、っていうビジネスモデルで成り立ってきたように思います。それを続けるには、潤沢な資金と人材が必要となります。
他方、自国民が自国の政治家を選ぶ以上は、最終的にはやっぱり外国人が自国の内需に大きくアクセスするのに嫌悪感が生じはじめる。日本企業のアジア投資、進出等は、本当に長期的な関係を築くことができるのか、わからなくなってきました。

むしろ、それだったら紀南から、又は、日本のどこかの都市、田舎から全世界向けの輸出をやっていくことが、日本と各国を繋ぐ最良な関係なのではないかという仮説を立てています。}

技術偏重ではなく、美意識や自分の軸をもてる教育の重要性

藪本:
私自身、事業をしながら感じることは、能力とか技術能力偏重教育の問題です。
「能力技術」を突き詰めると、悪い意味で遠心力を生み出すことが多いと感じています。確かに、「能力技術」型の方は頭もよく、合理的で効率的なのですが、とても客観的で、批判的、受動的な傾向が強い気がします。結果的に、無責任で、自分だけ良ければそれで良いというような性質を帯びやすくなっている気がします。
もちろん、それも重要なのですが、アートの世界を見たときに、「美意識」に強く惹かれました。思想とか哲学は美意識に通じると思います。アジアの田舎の人たちは、時々、非合理的な、非効率的だと感じることがある一方、大小はありますが、「自分という軸」があるなと感じることがあります。そのような方は、人の話を共感的に聞く傾向があり、主体的で、全体最適な性質があると感じます。
例えば、レストランで、泣いている子供をみたときのカンボジア人の一歩目の早さは驚異的ですね。それは自分に美意識みたいなものがある結果なのではないかと思います。それは、コミュニティにおける価値観教育の賜物であるように思います。
紀南アートウィークでは、特に、美意識等の価値観教育についてコミットしていきたいと思っています。

現代の港、空港からの輸出と民間の力

宮津:
ありがとうございました。
紀南アートウィークは色々な目的を持っています。一つは、現代の「港」である南紀白浜空港からの輸出、本当に優れた紀南の様々な知恵、歴史、風土の結晶としての何らかの産品だったりするでしょうし、あるいは何かのノウハウみたいなものかもしれません。現在、薮本さんがされているビジネスとシナジー効果が高く、非常にフィットしたかたちで、単にアートウィークだけではなくて、素晴らしい紀南独自の価値輸出にも繋げていきたいということですね。

もうひとつの大きな特徴が、このような芸術祭は、地元の税金を大量に投入していたり、国税を大量に投入したりしているものがほとんどだと思います。紀南アートウィークはそういう意味で非常に小規模なところから始めています。藪本さんも私財を投じているし、私もどこまでを仕事、どこまでがボランティアかっていうのは、特に境界はあまりありません。今のところ、完全に手弁当でやっております(笑)。
多くの血税を投入した結果、果たして本当に地域に相応しいのかという、各地域で生じている問題を回避できる構造で当初スタートしているっていうところが、持続可能性の観点から、他の芸術祭と私は大きく違っていると考えています。これは今後どこでも可能なことではないと思いますし、今までと違う動きではないかと思っております。

宮津:
続いて、展示場所は、紀南のどこでやるんですか、どんなアーティストが選ばれるのか、という話に移ります。

アーティストに関しては、世界的なアーティストの参加を予定しています。それから地元出身のアーティストも毎回1人から数名、ご参加いただこうと思っています。ただし、その場所でアーティストやアーティストの作品と場所、地域コミュニティがケミストリー、化学反応が生じる必要がありますので、ある程度場所ありきという部分があります。皆様には、場所が決定したのちに、アーティストも含め、段階的に公表していきたいと思います。
場所の話から進めていきますが、現在、決まっている場所と、逆にこのセッションを通じて私どもからのラブコール、これ是非やりたいっていうのも含めてちょっと図々しいですけれども、お話しさせていただきたいと思います。
薮本さんお願いします。

藪本:
一番目は南紀白浜空港さん。まさに我々の始まりの場所であり、今回のコンセプトの中で最も重要な、現代における港の文化の象徴である南紀白浜空港様から既にご承諾いただいて、現在キュレーションを進めているところです。

また、 私の母親がアドベンチャーワールドで、日本で初めて女性のシャチの調教師をやってというご縁もありまして、今回非常にご協力をいただいており、その中で展示をさせていただきたいという風に思っております。
素晴らしいイルカショーや、パンダの数が日本一ということもありますが、アドベンチャーワールド様については、「人と動物の関係とは何なんだろう」ということをちょっと深めながら考えていきたいと考えています。

アドベンチャーワールド創業者は、元々アドベンチャーワールドの工事請負業者であり、開発業者の工事を請け負っていました。開発業者が資金難に陥り、請負業者であった会社が、男気で引き継いだ経緯もあったりします。そういった歴史的な側面も加味しながら適切な、もしくはベストマッチする作品を提示できればなという風に考えています。

さらに、「東洋思想」、先ほどお伝えした岡倉天心、南方熊楠に非常に影響を受けていますが、こちらの写真はまさに熊楠が住んでいた家ですね。
熊楠の思想と、森羅万象のものが1つに回帰していうという多一論や東洋思想みたいなものが世界でより求められていると思います。例えば、南方曼荼羅と化学反応を生じる作品、もしくは若手の南方熊楠を研究しているような方たちとシンポジウムやワークショップ等ができたらと考えています。

こちらは、長沢芦雪の作品が収蔵されている高山寺さんですね。
実は、田辺高校の野球部時代に、ここの階段をひたすら走って、そういう意味では非常にお世話になったというか、苦しい思い出しかないんですけれども、色んな意味でお返しができればと思っています(笑)。
住職さんともお話させていただきましたが、仏教のみならずこの高山寺にはさまざまな側面があります。熊楠のお墓もこちらにあるのですが、元々こちらの高山寺さんは貝塚だったんですよね。5,000年以上の歴史を遡って、コンテクストを踏みながら、何か新しい展示の可能性を模索できればと思っています。

それから、最後にやっぱりホテル川久さんですね。ギネスに登録された、世界一の金箔天井があります。まさに紀南が誇る贅を尽くした重要建築物ですので、何かコラボレーションができたら良いなと考えています。
宮津さん何か補足ありますでしょうか。

宮津:
南紀白浜空港さんとアドベンチャーワールドさんについては、どの場所でどういうものを見せるかっていうのはまだですけども、展示会場としてご承諾をいただいている状況です。
他の場所に関しては藪本さんも私もこんなことしてみたい、こんなことできないだろうかという夢を膨らませてラブコールの最中でございますので、1箇所でも多く、こういうところで展示ができていけたらと思っています。
作品をただ見せるということじゃなくて、お伝えしている通り、場と作品を掛け合わせることによってそこでしか見られない作品体験をしていただきたいなというのを考えて、今交渉を含めた準備をしているところでございます。

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森重:
さて、お時間がきましたので、最後になります。参加者の中で白浜町長の井澗さんからコメントをいただいております。

「本当に楽しみで今からワクワクしています。今日のセッションもとても良く、分かりやすかったです。紀南広域で取り組みたいですね」

という温かいメッセージを頂いております。

宮津:
本日は、ありがとうございました。

藪本:
本日は、ありがとうございました。

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◆コラム「なぜ紀南アートウィークを実施するのか」