コラム

紀南における梅づくりの原点

紀南アートウィーク対談企画 #5

<ゲスト>

東 善彦
株式会社東農園 会長
梅農家から紀州梅専門店「五代庵」というブランドを確立。生涯現役を掲げ、幅広い知識と見解をもって紀南の梅について語り継いでいる。
https://www.godaiume.co.jp

<聞き手>
薮本 雄登 / 紀南アートウィーク実行委員長

紀南における梅づくりの原点

1.梅干しと梅酢の歴史

薮本:
今回、紀南地域における農産品メーカーの方とお話をさせて頂きたいと思っておりました。野球部の同級生である柳本さん(営業担当)にお繋ぎ頂いて、この度は、ご面談の機会を頂き、誠にありがとうございます。

さっそくですが、東農園についての歴史をお伺いできればと思います。
創業は、天保5年(1834年)。さらに遡れば、亨保8年(1723年)から続く歴史由緒あるお家だと伺っています。もともとは、農家だったのでしょうか?

田辺藩の政策から生まれた「藪梅」

東:
もともとは本家が庄屋でした。今でいう役場の税務課のような仕事です。その当時の記録もそのままありますよ。今は水田で米を作りますが、当時は陸で作る米もあったんです(おかぼという)。
紀州藩の支所である、田辺藩の安藤帯刀(たてわき)は、陸稲で作った米に関しては年貢を取らないという政策(免租奨励)をしていました。だから、この地域の人は、陸稲の米を作ろうと、竹藪を切って稲を植え、その間に梅を植えたんです。その頃の梅は、「薮梅(やぶうめ)」と言われていました。その梅を梅干しにして、田辺藩に奉納していたようです。
山林が多い紀州藩からは杉や桧の木材と共に、梅も「江戸送り300年」の歴史があるといえます。この地域は、海が近いので温暖だし、山があるから水もある、酸性土壌でやせ地という、梅にとって良い条件が重なったのもあって、梅が日本一ということになったんでしょうね。2015年には「みなべ・田辺の梅システム」として世界農業遺産に認定されました。

薮本:
梅の歴史を見てみると、平安時代に中国から入ってきているといわれています。紀州藩(徳川)の政策と紀南の気候によるところもあって一大産地化したということですね。

日本人の生活に密着した梅

東:
大きく発展したのは戦後ですね。戦争中は、兵隊さんが梅干しを持って戦地に出かけていきました。さらに遡れば、戦国時代にも、梅の果肉と砂糖、米の粉を混ぜて団子にした「息合い(いきあい)の梅」というものがありました。鎧の中に入れておき、疲れたときに食べて体調を整えていたようです。梅と日本人の生活は密接不可分の関係にあったのだと思います。

日本独自の知恵で生まれた代表的なものが「梅干と日本刀」とも言われていますね。

薮本:
「生梅の核の中には天神が寝てる」とか、「塩梅(あんばい)」、「梅はその日の難逃れ」とか、調べてみると、梅と日本人が関わる言葉もとても多いと思います。

東:
そうですね。
梅は中国から伝わったと言われています。その時の梅は、蒸し焼きのような加工をされて、真っ黒い梅だったので「烏梅(うばい)」と呼ばれていたようです。梅を塩で漬けたのは、日本独自の文化です。塩漬けしてできる梅酢を、調味料として使ったと言われています。実は、梅酢が先で、梅干しは後なんです。

薮本:
まさに!
現代では、「梅干し」というものに焦点が当たっていますが、実は、梅は、日本の交易史を彩る、塩、胡椒と同じレベルで語れるものじゃないのかと考えています。田辺浦や富田浦から、食の保存や輸送の観点からも梅が活用されていたのではないかと思います。

東:
今は調味料がいっぱいありますけど、昔は梅酢が重宝されていました。
この地域で梅干しは5~6万トンぐらい生梅を漬込んで、約1万トンの梅酢ができるんです。とある料理研究家の方も「こんなに大量にある調味料はない!」ということで商品化して販売されています。梅酢は、調味料として将来性があると考えています。

薮本:
交易史を踏まえて、「塩」「胡椒」と並んで、「梅」というのは調味料、スパイスとして全世界に輸出できるのではないかと考えています。

東:
我々の会社や産地にとっても、輸出は必要不可欠だと思います。日本だけのマーケットでは限界があると感じています。

薮本:
そういう意味でも「梅干しは、なぜ日本人にとって共感されるものだったのか」「梅干しは、なぜ日本で浸透したのか」というところを、深掘りしたいと思っています。

東:
昔は貧しく、おかずがなくて、梅干しだけでごはんを食べていました。梅干しが1番手っ取り早かったんでしょうね。
また、梅干しは薬の役目をしていたんですよね。江戸時代は、飢饉で餓死する人がたくさんいたみたいですけど、紀州藩には、餓死する人が1人もいなかったという記録があります。江戸時代、日本の薬としてシーボルトが持ち帰ったのが「梅干し」だったという説もあるんです。

今の時代において梅酢は、薄めることによって、うがい薬としても使えます。自然のものですから安全ですしね。これからは、梅酢を世界の人に薦めていきたいですね。
紀南には「梅」に関する歴史、文化や有効活用のための知恵、さらには原料もいっぱいありますからね。

2.五代庵の誕生とこれから

東:
長男ですから、家業を継ぐことは言われていました。大学には行かず、高校卒業後は3年間銀行で勤め、そこで培ったものが今に繋がってますね。
スーパーができ始めたのが昭和30年代、それまで農家は、梅干しを樽に入れて問屋に出していました。スーパーで梅干しのパック100gとか50gとかで売られるようになり、健康志向にのって梅干しが広まり、「青いダイヤ」と言われて梅酒も大きく普及しました。

私の家では、米づくりも牛も梅も、農業的なことをいろいろやっていました。加工から販売までする6次産業は、私の時代でやり始めたんです。銀行当時の人脈もあり、スーパーで扱ってもらえました。
今は、中国や台湾から梅を輸入している加工業者もいますけど、うちは、国産の梅のみを扱うということでブランド化したんです。私が5代目ですから、名前を「紀州五代梅、五代庵」としました。

薮本:
そういうことだったんですね!
メーカーになったのは5代目から。創業者ということですね。

中国から日本に嫁入りしてきた梅、「立派になったので里帰りしたい」

東:
農家だけではやっていけないと思っていて、性格的にも外に出たいというのがありました。単なる梅干しづくりということでは満足できず、自分の梅に付加価値を付けたいと思ったんです。失敗もいっぱいしてきましたよ。
これからの私の課題は、ゼロエミッションです。梅酢も含めて、捨てるものがないというのができて、初めて日本一の産地だと思います。

梅は、中国から日本に嫁いできて、「立派になったので中国に里帰りしたい」と言っていると思うんです。梅は世界にもっと広がる。農業遺産に認められてますけど、遺産になったらダメなんです。未来を生み出さなければ。国内だけでなく、海外にどう出していくかというところも考えないといけないですね。付加価値をつけて、ブランドを守ることが非常に大事だと思っています。

薮本:
ブランディングの観点からアートとは何かを考えたとき、東洋的なアートの発想で、「感動したらアート」だと思っています。
農家さんたちは、全体を見ながら最適化して生きられていて、まさにアーティストであり、その価値が最大限に理解される世界が望ましいと思っています。梅干しでも梅製品でも、それ自体をアートにできないかと思っているところです。

東:
品質もそうですけど、付加価値をどう捉え直すかということですね。
今の食生活を考えると、「日々の生活に、すこしばかりでも良いものを」という消費者も増えているように思います。むしろ、そういうところにリーチできれば、梅の産地として、さらに良くなると思います。

3.全世界に伝えるべき梅の本質

薮本:
根源的な問いになるんですけど、現在において梅を食べることは、人々の幸せに資するのでしょうか?
五代庵さんの志のところになってくると思いますが、ホームページに書かれている「梅を通じて社会に貢献する」とは、一体どのような意味なのでしょうか?

「梅干しは地球そのものではないか」

東:
梅」という字は、中国からきた漢字です。これは「母なる木」と解釈することができます。そこから生まれるものが「梅の実」。海という字も、「母なる水」。我々の体は海水に近く、60%は水分、さらに、人類は海から生まれてきたという説もあるくらいで、その海水の結晶は「塩」です。この「梅の実」と「塩」を組み合わせてできるものが、梅干しと梅酢、この2つなんです。もうひとつ言えば、梅は陸でできた産物、塩は海ですよね。陸と海、これが地球です。

これを考えた時にこんな素晴らしいコンセプトはないと思いまして、日本人、外国人を問わず、お客さんが来られたらこれを話すことにしています。

薮本:
とても素晴らしいじゃないですか!!!それを世界に伝えたいです!

東:
本当に素晴らしいものを作っていると思っています。もっと言えば、食という字を解読すると「人に良い」。人間の体のためにあるのは、農業なんですよね。農業を守ることは国を守ることになると思っています。「農は食なり」。まさしく原点は、こういうことじゃないかなと解釈しています。

薮本:
全世界の人に、共通して共感されることだと思います。

東:
梅干しと梅酢、日本の良いものを普及していくことは、我々にとっても農家にとっても良いことだと思っています。
一方で、僕らの業界では、海外で売ることに消極的になっているところもあるんですよ。

薮本:
世界各地におけるローカライゼーション(現地化)は、大企業に強みがあり、中小企業では限界があると思います。また、現地化して商売しても、日本にお金が戻ってこなければ意味がないですから。
そういう意味でも、紀南からの直接輸出が、実は、紀南の維持、発展において、とても重要ではないかと思っています。今、言われたことを世界に伝えるだけで感動する方はいるし、それ自体がアートだと思うんです。
技術ではなく、文化的な価値、文化的な物語を伝えていくことが極めて重要だと思います。

東:
これだけ「良いものですよ」と言ってる人間が病気になったらだめなんですけど。笑

薮本:
十分にお元気だと思いますよ。笑

4.100年後の紀南に残すもの

薮本:
「食と心」という言葉もホームページに書かれていますが、「心」ということをどのように捉えられていますか?

東:
良いものをお客さんに提供する、喜んでもらう、そして、それを通じて自分も満足することです。
今は、みなべ町ですけど、昔は、みなべ川村。「村に住んでいる」というのを言いたくない時代がありましたが、今は「田舎に住んでます」「山に住んでます」と堂々と言えます。梅の全てを循環させ、自分の納得できないことはやらない、そういう「心」です。

薮本:
まさに、そこは「美意識」ですね。

東:
今、日本で売られている梅干しは、そのほとんどを天日で乾燥させています。太陽の光があるから、梅干しに紫外線が入って赤くなるので、機械の乾燥ではこの色は出せないです。土用干しの頃は、とても暑くて大変なんですけど、梅を干しながら塩にまみれ、梅の香りを吸うから、外での作業も平気なんです。
五代庵では、機械での作業は梅の大きさを選り分ける選果ぐらいで、全て手作業という、ここにも良さがありますね。江戸時代も、これから100年後でも、良い梅を作るためには変わらない部分だと思います。

薮本:
100年後、300年後、どうなってるのかなという話しを最後にしたかったんです。まさに、梅干しである必要はなくて、その梅づくりの文化性、本質が残っていればいいような気がします。

東:
食生活も変わりますしね。
梅は、食生活のなかでの嗜好品、あるいは、体に良い機能性食品みたいなことになっているかもしれません。

薮本:
地球温暖化が進み、農業的に、紀南で梅を作ることが正しい選択ではない時代がくるかもしれません。そうした時に、「どうして紀南の人は梅を育てていたのか」を掘り下げることがまさにブランディングのところで、紀南の人達の在り方を価値にしていくことが重要だと考えています。

東:
温暖化による変化を、どのように受け止めていくかですよね。
どれだけ時代が進んでも、気候を左右することはできない、農業は気候の変化との闘いなんです。我々の産地は1965年、たくさんあった梅の品種から「南高梅」に品種統一が成されて日本一の産地になりました。

これからも私たちの紀州が日本一であり続けるためにもどんな環境下でも成長する「ニュー南高梅」の品種開発を官民一体となって進めています。そう遠くない時期に実現できると思います。

薮本:
コンセプトとか価値をどう伝えていくのか、かですよね。「なぜ日本人は梅干しを食べるのか!」「紀南人は面白い人達だ」ということが重要だと思います。

東:
確かに、それで十分なんですよね。

私はこれまで10年余をかけて梅の記述がある書物や古文書を約一万点集めてきました。
私自身、日本一の産地となった「梅の歴史・今と昔そして未来」を1冊の本としてまとめていきたいと思っています。

薮本:
ローカライズすることは、ものの価値を下げてしまうことになります。本当に価値のあるものを売っているプレーヤーは、全世界の人に向けて、そのままの本質的な価値を売っています。
五代庵の約400年近いの歴史や物語、それを踏まえて、なぜ、紀南において存在しているのかということを伝えることで、感動する方は絶対いると思います。アートを買うのと一緒で、文化を保持できるというのは、人間にとって最高の喜びなんだと思います。

今日は、特に「梅」という漢字の意味に興味を持ちました。「梅」自体が、非常に普遍的なもので、それを伝えるだけで「そういうことか!」ということになると思います。

長時間ありがとうございました。とても勉強になりました。

東:
こちらこそありがとうございました。
またこちらに来られることありましたら、ゆっくりとお話しましょう。


<編集>
紀南編集部 by TETAU
https://good.tetau.jp/


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