コラム ディレクターズ コラム
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共同体、共異体、みかんコレクティヴ(後編)-光州ビエンナーレを巡って-
紀南アートウィーク 藪本 雄登5移ろいゆく「主権」本稿で取り上げる光州ビエンナーのテーマは「移りゆく主権(Transient Sovereignty)」である。前編、中編で述べてきた通り、20世紀の「戦争と革命」、大戦後における「他者」や「共同体」の思想を踏まえて、「主体」や「主権」を解体しながら、しかし解体し過ぎずに、この<あいだ>を包摂する共同体を顕現させてゆくこと。これは、まさに「みかんコレクティヴ」が探し求めている「果実」だ。「移りゆく主権」のステートメントによれば、
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共同体、共異体、みかんコレクティヴ(中編)-光州ビエンナーレを巡って-
紀南アートウィーク 藪本 雄登4先住民族の思想と共異体前編の「他者とは誰か」を踏まえて、メイン会場の3つ目のテーマである「祖先の声(Ancestral Voices)」について述べたい。そのステートメントを要約すると、光州の歴史的アイデンティティを継承し、世界各地の先住民の声に耳を傾け、地域の伝統を再解釈し、ローカリティに根ざした共同体的な実践を紹介する。そして、西洋的な近代性に対峙し、オルタナティブな「知」の想像力を喚起する、ということだ。(1)アイヌ/祖先=わたし?このテ
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共同体、共異体、みかんコレクティヴ(前編)-光州ビエンナーレを巡って-
紀南アートウィーク 藪本 雄登1はじめに(1)弾力性/応戦力ある果実真の芸術は、躍動する現実の具体的な反映態として結実し、矛盾に満ちた現実の挑戦を受けてそれと対決する弾力性のある応戦力によってのみ、収穫される果実である。現実同人第一宣言金芝河これは、韓国の「抵抗の詩人」として知られる金芝河(キム・ジハ、1941-2022)の言葉である。韓国の近現代美術は、政治的な抑圧を抜きには語れない[古川2018:2]。軍事勢力による市民虐殺の惨劇の場となった「光州民衆抗争(以下、「光州事
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みかんと人間の芸術人類学 (後編)
-「みかんマンダラ」展を終えて-中編はコチラ >>(3)菌と共生 / 菌根ネットワーク南方熊楠顕彰館からほど近い場所に位置する、アーティストの杵村(廣本)直子と杵村史郎が運営する古民家アトリエ「もじけハウス」。そこに隣接するSOUZOU(旧岩橋邸)では、屋内、植生豊かな庭と蔵にて、熊楠が生涯を通して見つめ続けた菌や植物などをテーマに、アジアのアーティストたちの見つめる「植物」との関わりとその多様な視点を紹介しました。私たちが肉眼で見ることのできない菌の世界は、地中の植物の根と
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みかんと人間の芸術人類学 (中編)
-「みかんマンダラ」展を終えて-前編はコチラ >>2みかんと人間の境界を越えて(1)実り / 果実を巡る旅地元農家が共同出資で設立した「秋津野直売所きてら」に隣接する「ゆい倉庫」では、地域で生産された柑橘類などが加工され、様々な加工品が販売されています。地域の生産者の方々のもとで実った果実が集められ、加工・販売されるこの場所は果実の一つの「おわり」の場所ともいえます。しかしながら、私たちが食すことで「みかんの旅」は終わるのではなく、身体を通して、人間を含めた生
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みかんと人間の芸術人類学 (前編)
-「みかんマンダラ」展を終えて-紀南アートウィーク実行委員長藪本雄登1原理を超えた「みかん」はありうるのかみかんを育てるのは楽しい。ただ、市場にいくと腹が立つことがある。割り合わないあるみかん農家の言葉和歌山県田辺のみかん農園に入る。素晴らしい景観がそこにあります。「みかん」という果実の形、大きさ、糖度等の画一的な基準に囚われず、既存の市場原理を越えた「みかん」はあり得るのでしょうか。<夏みかんの木と田辺湾を望む景観@山本みかん農園にて> 写真:筆者撮影現代において、「みかん
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「みかんマンダラ」展に向けたリサーチまとめ
なぜ人間は、みかんとともに歩んできたのでしょうか。そして、なぜ日本人は、鏡餅の上にみかんを置き、お正月には自宅の玄関に柑橘を飾るのでしょうか。西洋世界では、みかんは太陽と豊穣の象徴として捉えられてきました。日本でも同様に、橘(みかんの原種)は、太陽神・アマテラスとその系譜を支える機能を果たしてきました。ただ、現代を生きる私達は、太陽神や目に見える果実、資本に頼りすぎてはいないでしょうか。他方、紀南/熊野地域は「根の国」といわれ、樹木神・スサノオを祀る場所でもあります。目に見え
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みかんコレクティヴの現座標 (後編)
-ヴェネチア・ビエンナーレとドクメンタを巡って-紀南アートウィーク 藪本 雄登前編、中編に続き、第59回ヴェネティア・ビエンナーレ(会期:2022年4月23日〜11月27日、以下「ビエンナーレ」)とドクメンタ15(会期:2022年6月18日〜9月25日、以下「ドクメンタ」)を実際に巡ったことを踏まえ、「みかんコレクティヴ」に活かすべきことについて述べる。ビエンナーレとドクメンタにおいては、特に植物と人間を題材にした作品が多く展示されていたことから、今回は、現代の動植物を巡る議
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みかんコレクティヴの現座標 (中編)
-ヴェネチア・ビエンナーレとドクメンタを巡って-紀南アートウィーク 藪本 雄登1はじめに -ルアンルパとイリイチ-前編では、第59回ヴェネティア・ビエンナーレ(会期:2022年4月23日〜11月27日、以下「ビエンナーレ」)とドクメンタ15(会期:2022年6月18日〜9月25日、以下「ドクメンタ」)を実際に巡った上で、「脱人間中心主義」、「ダナ・ハラウェイの思想」、「再魔術化」等について述べたが、中編では、ドクメンタの内容を中心に、イヴァン・イリイチ(Ivan Illich
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みかんコレクティヴの現座標 (前編)
-ヴェネチア・ビエンナーレとドクメンタを巡って-紀南アートウィーク 藪本 雄登1はじめに -再魔術化を超えて-ヴェネチア・ビエンナーレ、ドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクトの「世界三大芸術祭」のうち、第59回ヴェネチア・ビエンナーレ(会期:2022年4月23日〜11月27日[1]、以下「ビエンナーレ」)が1年延期となり、ドクメンタ15(会期:2022年6月18日〜9月25日[2]、以下「ドクメンタ」)と同時期に開催されることとなった。この2つの世界最大級の芸術祭を実際に巡
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みかん神話 -紀伊半島と橘の関係を思考する-
2022年5月8日紀南アートウィーク 藪本 雄登1はじめに -明るい闇の国・紀伊半島-―いまも私には、この紀伊半島そのものが “輝くほど明るい闇にある” という認識がある。ここは闇の国家である。日本国の裏に、名づけられていない闇の国として紀伊半島がある[1]―――中上健次『紀州 木の国・根の国物語』「紀州 木の国・根の国物語」は、紀南/熊野が生んだ偉大なるアーティスト・中上健次(1964-1992)が残した唯一の探訪記(ルポルタージュ)である。「根の国」である紀南や熊野地域は
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熊野とゾミア -アピチャッポン・ウィーラセタクンの表現を起点に-
紀南アートウィーク 藪本 雄登1はじめに−アピチャッポンは、現代のシャーマンか−―わたしは、タイ東北部にあるコーンケンという町の出身ということもあって、タイのなかで自分自身が “少数民族” みたいな気持ちで生きてきました。それは現代になっても変わらないのです。タイでは統治機構も権力もみなバンコクに集中していて、また自分がゲイということもあり、自分が中央に対して“辺境に位置している人間”だという認識を持ってきました[1]―――アピチャッポン・ウィーラセタクン『アピチャッポン、全