コラム
熊野とアート – 熊野古道と南紀熊野ジオパーク –
紀南アートウィーク対談企画 #8
<ゲスト>
神保 圭志
和歌山県世界遺産マスター(熊野)/南紀熊野ジオパークガイドの会会員
自然公園指導員(環境省、和歌山県) /串本町文化財保護審議委員
和歌山県東牟婁郡串本町出身。大学卒業後は電力会社へ就職、シンクタンクへの出向などを経て、地元和歌山へUターン。熊野の豊かな自然や文化を守り伝えるために、ガイドをしながら熊野古道の整備や保全活動に尽力している。
<聞き手>
薮本 雄登 / 紀南アートウィーク実行委員長
熊野とアート – 熊野古道と南紀熊野ジオパーク –
<目次>
1.神保さんのバックグラウンド
2.熊野古道、ジオパークのプロとして
3.「道」について
4.熊野の信仰
5.熊野古道、ジオパークの魅力
6.アートとの関係
7.遺産を未来につなげるために
8.先進の地、熊野
1.神保さんのバックグラウンド
藪本:
本日はお時間を頂きまして、ありがとうございます。
今回は紀南の重要な要素であるジオパークや熊野古道についてのお話で、私としても非常に楽しみにしておりました。
まずは、神保さんのバックグラウンドについてお伺いできればと思います。同志社大学を卒業したあと、電力会社へ就職。在職中にはシンクタンクにも出向されたと伺っています。
神保さん:
大学を卒業したあと関西電力へ入社しまして、50歳で早期退職するまで働いていました。事務系で、火力発電所の石油燃料の輸入などが主な仕事です。ちょうどオイルショックのころで、原油価格が高騰して大変な時代でしたね。
在職中には、和歌山県にあるシンクタンクへの出向も経験しました。社会経済研究所といって、和歌山県に関連する企業が出資して作った財団法人ですね。何をしていたかというと、和歌山県の経済状況を調査したり、市町村の長期計画策定等の受託をしたりしていました。ここでは4年ほど勤めまして、そのあと地元である紀南の古座に戻ってきました。
藪本:
ほかにも神保さんは「新版 生命場(ライフ・フィールド)の科学—みえざる生命の鋳型の発見」という書籍の翻訳もなさっていますよね。
神保さん:
知り合いに海外文献の翻訳をしている方がいて、その方のお手伝いをしている時に「生命場の科学」の翻訳を頼まれました。それから、リリーフ的に翻訳をする機会が増えまして(笑)。
藪本:
書籍の分野は、生体エネルギーという目に見えない概念についてですか?
神保さん:
そうです。当時は精神世界というものが流行ってきていました。1970年代、オカルトブームが起こった時代ですね。
藪本:
私は、南方熊楠や現代アートをやらせていただくのですけども、南方熊楠の「萃点(すいてん)」(※1)や「やりあて」(※2)の概念とまさに重なるところかなと思います。目に見えない概念という点では、現在の活動にもつながるところはあるのでしょうか?
※1 萃点・・・南方熊楠の造語。さまざまな物や事柄があつまる場所
萃点とは – コトバンク
※2 やりあて・・・南方熊楠による造語。偶然の域を超えた発見や発明、的中
唐澤太輔「ブリコルール熊楠 ―『やりあて』とブリコラージュをめぐって」
神保さん:
オカルトブームで、「変なひと」ではないですが、いろんな方と知り合って現場を知りました。そうすると真贋が見分けられるようになるわけです。
2.熊野古道、ジオパークのプロとして
藪本:
そのようなバックグラウンドを踏まえて紀南へ戻られて、今は熊野古道とジオパーク(※)のプロフェッショナルとして活動されているのですね。
※ ジオパーク・・・その地域の大地のなりたちを知るだけでなく、歴史・文化・動植物・食などを通じて、大地と人の暮らしの関わりを実感して楽しむところ
ジオパークについて | 南紀熊野ジオパーク
神保さん:
そうですね。大辺路(おおへち)は十分に研究が進んでいなくて、わからないことがいっぱいあります。その調査に研究者の方が来るので、お手伝いをしているという感じですね。なぜ研究が進んでいないかというと、大辺路はあまり主流ではないからですね。皆さんがイメージする熊野古道は中辺路(なかへち)ですよね。高貴な人はあまり大辺路を通っていないので、大辺路は忘れられた場所だったんです。
藪本:
四万十帯でしたっけ?その研究者の方とか来られてますよね。
神保さん:
和歌山県の南半分、それから四国、九州にかけてですね、これが四万十帯と地質学的には呼ばれています。いわゆる付加体ですね。四万十川の四万十に由来していて、学者が四万十付近をまず調べて、その一帯の地質がよく似ているということで最初に研究した四万十の地名がつけられました。
藪本:
四万十付加体と呼ばれる紀伊山地から出てきている地形ですよね。
神保さん:
はい。付加体というのは、南海トラフに沈み込むプレートのエネルギーによって作られた地形です。
四万十帯の歴史は古くて、ジュラ紀から新第三期までに及びます。南に成長していく地形ですから、北に行くほど古くなりますね。串本町辺りの地質が一番新しい地質のようです。
藪本:
このように熊野古道のガイドをしながら、ジオパークのガイドをしているのでしょうか?
神保さん:
熊野古道のガイドもしているんですけど、最近はジオパークガイドの方が件数は多いですね。ジオパークの方が熊野古道よりも年代的には古いので、熊野古道のベースにジオがあるんですよ。
藪本:
それに加えて、「自然公園の指導員」と「串本町の文化財団保護審議委員会」も担当していると耳にしたのですが、いろいろな活動をされていますよね。
神保さん:
安請け合いしすぎなんでしょうね(笑)。それから、研究やリサーチに興味のある人が少ないので、やらざるを得ないという事情もありますね。
3.「道」について
藪本:
今回、お伺いしたいのが「道」です。私の曾祖父、祖父等の出身地である「中辺路」や「大辺路」等、熊野古道には色々なルートがありますが、道自体に価値があるとはどのようなことでしょうか。
神保さん:
そもそも、私は大辺路が熊野古道とは思っていませんでした。熊野古道というと、大寺社のある中辺路のことだと考えていましたね。
藪本:
さらに言えば、中辺路にしても何があるわけではないですしね。
神保さん:
熊野というと、熊野三山など「世界遺産」の部分が注目されていますけど、博物学者の南方熊楠先生は「熊野の森や生態系」、哲学者の梅原猛先生は「文化」と言っています。梅原先生は、熊野は縄文文化だと言っていて、縄文文化が残っているのは、熊野、北海道、沖縄しかないと結論付けています。真偽はわかりませんけどね。
藪本:
自然と人間とをつなぐという意味で「道」が文化的な価値を持ったのでしょうか。熊野古道をパトロールされていると伺いましたが、放っておくと「道」は廃れますよね?
神保さん:
そうですね。だから「道」が文化財になるイメージはなかったのですが、巡礼者がたどった道ということで世界遺産に登録されていますね。もちろん巡礼だけじゃなく、集落と集落を結ぶ生活道としても使われていました。
藪本:
そういう意味では、「道=メディア(媒介)=アート」と言え、間接的に「道」と「アート」は繋ぐことができそうですね。
神保さん:
不思議なのは、熊野川が世界遺産に登録されていることです。道ではなく川ですが、川を船で行き来していたので道と認められたようです。川のど真ん中が世界遺産に登録されていますね。
藪本:
確かにその点は特異ですね。私は蛇に興味があるのですが、蛇がカオスな地上と天界とをつなぐように、道が人間と神との接点になっていて、それが熊野古道に存在する変わった石と関係しているのかなと思います。
神保さん:
熊野古道にある石は主に3種類あります。ひとつは付加体が形成される過程で、その力を受けてぐにゃっと曲がった石です。フェニックス褶曲などが代表的ですね。
もうひとつが、付加体の上の浅い海に降り積もってできた石です。千畳敷などが一例ですね。
それに加えて、新しい時代の火山活動で作られた石がありますね。もうひとつのチャームポイントというのでしょうかね。那智の滝とか一枚岩、ゴトビキ岩などです。
藪本:
石も一種の道なんですよね。メディアというか。
神保さん:
いわゆる、神道における磐座(いわくら)ですね。滝や巨石は信仰の中心となるケースが多いです。
4.熊野の信仰
藪本:
石、滝、道、これらは神様と接点を持つために現世に現れた象徴のようなものだと言えますからね。まれびと信仰とは関係があるのでしょうか?
神保さん:
海から来る人に対する信仰はあると思います。渡来神とも言いますね。あとは補陀落信仰(ふだらくしんこう ※)と呼ばれる、海のかなたに常世の国があって、そこと行き来するという神話や信仰があります。那智の浜から補陀落浄土を目指してお坊さんが船出するのですよ。
※ 補陀落信仰・・・観音菩薩の住処である補陀落山(ⓈPotalakaの音写)に対する信仰。補陀落山はインド南海岸の伝説上の山とされる
補陀落信仰 – 新纂浄土宗大辞典
一方で、民俗学者の野本寛一先生は、熊野には海のかなたの信仰もあるけれど、山にも信仰があると言っています。那智山の上に妙法山という山がありますが、ここには「人が死んだらその場所へいく」という信仰があります。人が亡くなると髪の毛などの遺品を山へ納めるのですよ。そのため、山と海の両方に対する信仰があるので熊野は複雑だと、野本先生は言っていますね。
藪本:
スサノオ信仰と海洋信仰との接点についてですが、実はそのふたつが一緒だなんてことはないでしょうか?
神保さん:
修験と聞くと、山道を歩くイメージが強いですよね。ただ、宗教民俗学者の五来重先生のように「海の縁をめぐる」ことが修験の始まりと言っている人もいますね。
藪本:
先ほど縄文の話が出ましたが、山岳にいた縄文人と海からやってきた弥生人、このふたつをつなぐヒントが数千年前に隠されているような気がしますね。
神保さん:
実は熊野では、縄文と弥生、どちらの遺跡も海辺に多く残っています。そのため、昔は山に住む人はほとんどいなかったようです。それよりは、戦国時代や室町時代に戦争が多くなって落ち武者が出ますよね。その逃げてきた落ち武者が川をさかのぼって山に住みついたパターンが多いみたいですね。
5.熊野古道、ジオパークの魅力
藪本:
紀南の価値を世界に紹介することを今回の企画の趣旨としています。未来に向けて何かできないかなという観点で、今後の活動について考えをお聞かせいただけますか?
神保さん:
よく「熊野はいいとこだ」なんて聞きますが、熊野の何がいいのか自分でもはっきりわからないのですよ。若いころは都会の方に興味がありましたしね。梅原先生も「なぜ行きたくなるのかがわからない」と言ってるんですよね。一説では、うっそうとした「熊野の森」が人を惹きつけるのではないかという話がありますけどね。
ただ、私も昔は、熊野の山は低くて見晴らしが悪いのでつまらないと思っていました。ところが、地元へ帰ってから山へ行ってみると「ここにしかないもの」を感じるのですよ。やっぱりそれは「熊野の森」なんじゃないかと。
藪本:
熊野古道とジオパークを分割して話せないので、魅力をすべて説明するのは難しいですね。
神保さん:
信仰の観点から見ると、那智の滝や火山の噴火などの点で、ジオと接点があるとは言えそうです。
藪本:
そういった言葉にできない魅力がありますよね。この魅力をどういう風に伝えていくか、未来に残していくかが課題ですね。
神保さん:
どちらかというと、ずっと紀南にどっぷり浸かっている人よりは、外から来た人に新たな視点で見てもらうのが良いのかもしれません。
藪本:
坂本さん(※)みたいにですね。
※ 坂本さん・・・株式会社古座MORI 代表取締役/公認会計士
参考:facebook 坂本直弥
神保さん:
そうです。「熊野の何がいいの?」と坂本さんに尋ねると、「リゾートとしては、インフラが整っているからいいんだよ」と言われました。フィリピンのリゾートは、通信、道路、電気などのインフラが何もない場所に作ります。そのため、維持するのに多大なエネルギーが必要だと聞いて、ああそうなんだと。
藪本:
熊野は、基本的には自給自足で土地の文化に寄り添っていますからね。リゾートは、快適に生きるための場所というか。
神保さん:
海外でリゾートと呼ばれる場所は、頑張って作った人工的な場所だということなんでしょうね。
6.アートとの関係
藪本:
確かにリゾートは、とてもアーティフィシャルな場だと言えますね。
私が今、「アーティフィシャル」という言葉を使いましたよね。アートの話になるのですが、アートはアーティフィシャルに由来します。そのため、アートは人工物のことを指していて、自然美はアートではないと言われることがあります。ただ私は、心が動かされたらそれはアートで、ジオパークや熊野古道もアートだと思うのですよ。
神保さん:
そうですね。ただ、ジオパークは地質学者が作ったものなので、アートの要素はあまり入っていないんです。
藪本:
千畳敷などは、ある意味アートだと呼べませんか?そもそも、自然だけで作られたのでしょうか?
神保さん:
世界遺産の分類に「文化的景観」があります。自然そのものではなくて、人が自然に働きかけて作った景観が文化的な価値を持っている場合に文化的景観と呼ばれます。たとえば、自然のなかに道を整備したり、神社を立てたり、棚田を作ったりなどです。熊野古道も文化的景観に分類されますね。
ほかには、自然そのものである「自然遺産」があります。
藪本:
文化的景観は、アートと接点があると言えそうですね。
神保さん:
富士山は最初、自然遺産で登録しようとしていました。ところが、登山道はゴミや人工物が多いので審査に通らなかった。そこで、富士山そのものが神様なんだという「富士山信仰」をもとに、文化的景観として世界遺産に登録したのです。
7.遺産を未来につなげるために
藪本:
この「遺産」を未来に連結させたいですね。そのためには、経済的な価値を持たせたり、新しい文化につなげたりすることが重要なんじゃないかと思います。ガイド活動などのなかで、そのような芽は育ってきているのでしょうか?
神保さん:
遺産と聞くと過去の遺物みたいですからね(笑)。
私としては、今まで日が当たらなかったところに価値を見出す役割は果たしているとは思います。南紀熊野では107箇所のジオサイト(※)を選定しているんですよ。ジオパークでの見どころスポットを集めたもので、那智の滝や一枚岩などの有名どころだけでなく、これまであまり知られていなかったジオ的に面白いスポットも選定しています。それにより、注目が当たって行く人が増えればと思って活動しています。
※ ジオサイト・・・地質、地形、自然、歴史、文化など、そのジオパークを特色づける見学場所のこと
ジオパークについて | 南紀熊野ジオパーク
藪本:
グーグルマップで連携されてますもんね。すごい数ですね。
神保さん:
グーグルマップの表記もちょっと荒っぽくて、なかにはこんなとこ行けるもんかっていう場所もあるので、改善の余地はあるんですけどね(笑)。
藪本:
サイトでガイドさんを見ていると、若い方が少ないという印象がありますね。
神保さん:
もうちょっと若返りをしたいところなんですけども、若い人はまだ育っていません。
藪本:
それは紀南の農家さんなんかと話していても一緒で、解決には地域の小学生から育成するしかないと言っていますね。「必死に教えていると二十歳ぐらいになって帰ってきたわ」と。
神保さん:
あとは経済的な利益がないと難しいかなと。若い人が、ガイド業で収入を得られるような仕組みを作らないと続かないように思いますね。たとえば、屋久島はガイド費が高額で、ガイド業が成り立っています。高額というか、それぐらいとるのが当たり前かもしれませんが。
藪本:
熊野のガイドは完全に無料なのですか?
神保さん:
ジオパークセンターの館内ガイドは無料ですね。外でツアーを組んでガイドをする場合は、有料で受けるようになっています。
藪本:
ガイドさんにも収入が入るということですね。ただ、これも仕組化が必要な部分で、直接輸出したり、テクノロジーを活用したりして新しいやり方を実践していきたいですね。
8.先進の地、熊野
神保さん:
近年、紀南地域の戦国時代ごろの研究が進んできています。海賊が活躍していた時代ですが、高い船の技術を持っていたことがわかって、熊野がかなりの先進地だったのではないかという話が出ていますね。
藪本:
古座は、まさに造船所でしたもんね。
神保さん:
和歌山大学に海津先生という方がおられます。先生が言うには、熊野には古くから造船技術があって、明治以降に西洋から蒸気船が入ってきても修理できたそうです。そして、海賊は無国籍で、日本人や熊野の人という意識よりも国際人だという意識が強かったと言っていますね。
また、熊野の人は、明治時代に入ってからは外国にも行ってますしね。
藪本:
司馬遼太郎先生の「木曜島の夜会」等に代表されるような海民の世界感ですね。当時の紀南の人達は、オーストラリアにアメリカによく出ていったなと思います。
神保さん:
山ばかりですから、海へ出るしかなかったのかもしれないですね。
藪本:
山と海しかないからこそ、「籠りの文化」「港の文化」が醸成されたのかもしれません。また、熊野古道とジオパークに共通しているものは何でしょうか?
神保さん:
熊野の特徴としては、バリアを設けないことですね。昔は、女性は聖地に入ってはいけないと言われていましたが、熊野詣では女性の参拝が許可されていたようです。ほかに、小栗判官伝説というものがあります。小栗判官がハンセン病にかかって、熊野の温泉に入って蘇るという物語ですね。
こうした、一般的には忌みされるような病気を持った人にも温泉や本宮を開放していたようです。熊野の文化的な背景に、よそ者の落ち武者が山を開拓して発展した経緯があるので、いろんな人が入ってきても差別をしなかったと聞きますね。
藪本:
確かに。司馬遼太郎先生の「街道をゆく」でも「紀南地域は敬語がない」と紹介されていますね。
神保さん:
そうですね。宗教も、日本古来の神道、高野山の仏教、山岳信仰などいろんな宗教を受け入れる素地があり、神仏習合のメッカだと言われています。熊野が世界遺産に登録された一因でもありますね。
藪本:
この受容的な考え方はどこから生まれたんでしょうか?
神保さん:
それがわからないんです(笑)。ただ、梅原先生は「日本の原郷」だと言っていますね。
藪本:
梅原猛先生の「日本の原郷 熊野」ですね。同書はまだ読めていないので、読んでみるようにします。ヒエラルキーを作らずに外のものを受け入れて統合することは、全世界的に価値のあるコンセプトだと思います。そして、そのエッセンスをどう世界に伝えるかが重要かもしれませんね。
お話を伺うと、やっぱり南紀熊野ジオパークや熊野古道自体が、人と自然が作り上げてきた複合芸術なんだと思いました。最後に、神保さんから紀南アートウィークへのご期待があればお伺いしたいです。
神保さん:
現代アートでも何でも、とにかくのびのびとやってもらえればと、それだけです。そこから、熊野古道の魅力が世界に伝われば、さらに素晴らしいですね。
藪本:
今日はありがとうございました。大変勉強になりました。
<編集>
紀南編集部 by TETAU
https://good.tetau.jp/
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