コラム
湯治文化の継承を目指して
紀南アートウィーク対談企画 #9
<ゲスト>
熊野幸代
旅館しらさぎ 女将
和歌山県白浜町、椿温泉にある旅館「しらさぎ」の3代目。
女将として旅館を経営しながら、日本一女将のいる宿企画や釜飯プロジェクト等、新しい試みに次々と挑戦され続けています。
http://www.tsubaki-shirasagi.jp/
<聞き手>
薮本 雄登 /紀南アートウィーク実行委員長
湯治文化の継承を目指して
< 目次 >
1.熊野さんのご紹介
2.地域での取り組み
3.椿温泉の歴史
4.湯治場としての価値
5.温泉文化と湯治文化の違い
6.新たな取り組みと湯治文化の未来
7.紀南アートウィークを通じて
1.熊野さんのご紹介
藪本:
本日はお時間頂き、ありがとうございます。
紀南地域における温泉文化は古くからありますが、今回は椿温泉の歴史や湯治文化について詳しくお伺いできればと思っています。まずは、最初に自己紹介をお願い致します。
熊野さん:
昭和48年6月6日生まれです(笑)。
しらさぎ旅館の長女として生まれ、祖父の代から家族で旅館を経営し、私で3代目になります。地元の高校を出て、東京の専門学校へ進学し、卒業後はそのまま東京のホテルに就職しました。26歳頃に椿温泉へ戻ってきて、地元の自然や温泉、食べ物や季節が移ろう素晴らしさに改めて気づいて、これこそお客様が求めているものだ!と確信しました。外に出たからこそ、感じられた椿温泉の魅力だと思います。
藪本:
地元へ戻って来られてからは、そのまましらさぎ旅館の経営に入られたのですか?
熊野さん:
帰ってきたばかりの頃は仕事をセーブしつつ、生まれたばかりの娘の子育てに専念していました。子育ても落ち着いて、本格的に女将業を再開しようとした時に、全身のあちこちに痛みが出てきて。原因は分からなかったのですが、痛みに耐えながらお仕事は続けました。それから息子を妊娠し、ずっと続いていた痛みの正体である病名が全身性エリテマトーデス※という難病だと分かったんです。ただ、出産するまでは投薬治療が出来なかったので、気絶するような痛みに耐えながら、やっと息子を産みました。
その後、投薬治療を始めましたが、副作用に悩まされて、自分自身が湯治体験をすることになりました。そういう意味では、自分の身体を通して湯治の効果を実感できたので、お客様との距離がグッと近くなった気がしますね。自らの病気や体験を話すことで、より深くお客様の気持ちに共感できるようになりました。もちろん、大変なことも多いですが、この経験は湯治宿の女将として、神様が与えてくれた大切なものだと思っています。
※参考 全身性エリテマトーデスとは
藪本:
熊野さんのストーリーをお聞かせくださって、ありがとうございます。さまざまな葛藤やお体の痛みを抱えながら、女将業に携われてきたんですね。実際に湯治をし、症状は緩和されてきたのでしょうか?
熊野さん:
実際に湯治によって、良くなってきていると思っています。数値や痛みは変わってないかもしれませんが、湯治をして心が安らぐことで気持ちが前向きになり、女将としての自信も出てきました。やはり、心と身体はつながっていると感じます。湯治をして、心がリラックスすれば痛みが和らぐ気がするんです。
2.地域での取り組み
藪本:
地元へ帰って来られてからは、椿温泉を盛り上げるために何かしよう!ということで活動をされてきたのでしょうか?
熊野さん:
そこまでの気持ちは持っていませんでしたね。けれど、椿温泉を盛り上げていくためには、お客様を招き入れる私たちの中に、この町が好きで住んでて良かったと思える人を増やしていく必要があるなと思って、動き始めました。
まず、「椿わがら会」という集まりを作って、お祭りを企画したり、椿マイスター認定制度を立ち上げたりしました。特技や得意なことがある方を周りの人がマイスターとして推薦して、その方々を椿区が認定し、認定書と認定カードを送るというものです。ぼたもちを作るのが上手なぼたもちマイスターや心のほぐしマイスター等、小さい子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで多世代が関わってくれました。
自分の特技を周りの人達が認めてくれるって自分に誇りを持つことにもつながりますし、地域に元気な人を増やすことにもなると思います。今は理由があって一旦解散していますが、ゆくゆくは椿マイスターで溢れる元気な町にお客様が集まってくるようにしたいなと思っています。
藪本:
当時は地域に入っていく上で、ご苦労もあったのではないですか?
熊野さん:
そうですね。大変なこともありますが、周りから無理と言われることも全部やってきましたね(笑)。止められても止まらない性格なんです(笑)。地元へ帰ってきてから5年間は未来への種まきだと思って、いろいろ動いてきました。そして、動いている中で想いを発信し続けたら、共感してくださる人や同じような想いをもった人が協力し、助けてくださったんです。なので、今現在は地域外の方と手を組んでいくことが、最終的に椿温泉を盛り上げる近道になると思って、活動していますね。藪本さんとも繋がりたいなぁと念じていたら、ご本人からお話を頂けて、とても嬉しかったです!
藪本:
それは大変恐縮です(笑)。
3.椿温泉の歴史
藪本:
熊野さんは旅館の3代目ということですが、しらさぎ旅館や椿温泉の歴史について教えて頂けますでしょうか?
熊野さん:
祖父は元々、白浜町椿に生まれ、明治期に建てられた椿温泉の発祥の宿「椿楼」の番頭をしていました。その後、1954年に始めた民宿がしらさぎ旅館の始まりです。椿温泉全体でも明治期にいくつかのお宿が建ち始め、昭和初期の鉄道の開通をきっかけに発展していきました。
藪本:
建設された当初はとても辺境だったようですね。椿温泉の近くにある白浜温泉は日本書紀や万葉集にも登場しており、歴史は非常に古いですが、椿温泉はどのような始まりだったのでしょうか?
熊野さん:
元々の伝説では、椿温泉にある普門寺の住職である湛海和尚(たんかいおしょう)さんが傷ついた白鷺を見つけ、その白鷺が何度も通って、足を治している場所に行ってみると温泉が湧いていたと。そこが椿温泉の始まりと言われています。薬師堂も1660年代に建てられたと普門寺の寺伝で明記されているので、その頃からお湯は湧いていたのではないかと思います。
江戸時代の『紀伊続風土記』には「椿谷にある水が清くて、柔らかいお湯で、身体に油を注ぐがごとく滑らかで優しい温泉」とも残されていますし、1851年の温泉番付には西前頭16番目として「大せぢ(大辺路)の湯」の名前で記されています。
椿温泉は辺境の地ではあったんですけれど、元々この地に住んでいた人々から口伝いで泉質の良さが伝わっていって、外から人が通うようになり、湯治場としての椿温泉が発展してきたのではないかと思いますね。
藪本:
なるほど。観光をメインとした白浜温泉とは別の形、つまり湯治に主眼を置いて発展し、近代になって旅館が建ち始めたというわけですね。
熊野さん:
そうですね。江戸時代は紀伊藩主の下級武士や農家の方が農閑期に身体を休める場所として使われ、時代が変わってお宿が増えて、観光面でもたくさんの人が来る場所になりました。しかし、椿温泉には温泉そのものを気に入って来て下さる方々が多いので、身体を癒す・ゆっくり過ごすことが求められている温泉地だとも思っています。
藪本:
なるほど。きっと庶民の道である大辺路らしく、田辺から降りてきて休憩するような、いろいろな人が経由する場所でもあったのかと思います。発展の仕方も白浜温泉とは異なり、質素で長期滞在できるような宿を作ってきたのも湯治場ゆえの特徴かもしれませんね。
4.湯治場としての価値
藪本:
抽象的な質問で申し訳ないのですが、湯治場の価値は何だと思われますか?なぜ、湯治場に人が集まるのでしょうか?
熊野さん:
やはり人と触れ合いたいからだと思います。昔は長屋があって、お風呂に入って自炊をして、皆が集まってご飯を食べるような感じだったようです。しらさぎ旅館も民宿をしていた頃は小さい台所で、同じような雰囲気だったと聞いています。台所を共有したり、一緒にご飯を食べたり、大家族のような感じで、古き良き時代の賑わいがありましたね。
それに、旅館という場所はお客様と女将さんという立ち位置に安心感があるのかもしれません。何を話しても受け入れてくれるような女将の存在があって、家族ぐるみの付き合いがあって、何も飾らず自然体で過ごせる場所なのかなと。それに加えて、お風呂に入って、身体を休めることが本来の湯治の目的なので、肩の力を抜いて楽でいられるのだと思います。
藪本:
なるほど。そういう意味では湯治文化には温泉効能で身体を治すことに加えて、「心」を治癒する意味合いも含まれているんですね。
心に関して言えば、最近お寺の住職さんと話をする機会があり、お寺は安心する場所という議論になったのですが、信仰と湯治場は何か関連性はありますか?
熊野さん:
お薬の神様がいらっしゃる薬師堂と湯治場は切っても切り離せない関係性です。杖をついて湯治に来られた方が薬師堂で自分の身体がよくなるよう祈って、湯治場でお風呂に浸かって調子が良くなり、薬師堂に杖を返すお礼参りのような習わしもありました。そういう習わしをされる方は段々と少なくなってきましたが、お参りする時に「手を合わせること」も心が落ち着くことと関係があると思います。湯治文化には、そういった普段向き合わない自分に向き合う時間も含まれるのかなと思います。
5.温泉文化と湯治文化の違い
藪本:
先ほどのお話から温泉文化と湯治文化について考えてみると、温泉文化は古代ローマ時代から「社交場」として使われていますが、湯治文化は「家」のような感覚なのでしょうか?
熊野さん:
そうですね。心安らぐ湯治場でお風呂に入って、地元の人や宿の女将と話をして、美しい自然の景観に身を置いて、地域の新鮮な食材を食べること。全部が合わさって、湯治は完成すると思っています。そうすることで、免疫力や自然治癒力が高まり、本当の意味での健康を取り戻せるのだと。
藪本:
なるほど。他にも、湯治文化の独自性はありますか?
熊野さん:
まず、泊数が異なりますね。もちろん、1泊でも効果はあるかもしれませんが、本来は「湯治10日(とうじとおか)」という言葉があって、身体の回復面も考えて7~10日程の期間が適していると言われています。あとは、保温効果が高い温泉が湯治に向いているのではないかと思います。体温が高くなれば、免疫力が上がると言われていますし。椿温泉も源泉のぬるい温泉に入っても、しばらく身体がぽかぽかしている湯冷めしにくいお湯ですね。
藪本:
アーユル・ヴェーダはスパや瞑想、オイルマッサージやハーブを中心とした食事療法をすべてパッケージ化して体験し、なおかつ心も含めて整理するという自然科学療法と言われていますが、湯治文化はそれに近いのでしょうか?
熊野さん:
今、しらさぎ旅館で行っている湯治はお客様主体なんです。絵を書きに来る方や温泉三昧の方等それぞれの目的を持った方々に、お好きな時間を過ごして頂いています。これからはヨガやオイルマッサージを取り入れることも考えていますが、プログラムに組み込まれることがお客様のストレスにならないように、オプションとして選択できるようにしたいなと思っています。
藪本:
確かに、そうですね。そういう意味ではアーユル・ヴェーダのようなしっかりプログラム化されたものに対して、苦手意識を持つ方もいるかもしれないですね。
熊野さん:
特に自炊湯治をされる方の中には、決められた時間に起きられないという方もいます。好きな時間に起きて、入りたい時にお風呂に入って、自分で掃除もする。なので、生活面においても、それぞれのお客様の自由にできる部分が多く、そのこと自体が自分らしくいられることにつながっているのかもしれませんね。そして、それが湯治の良さでもあると思うんです。
6.新たな取り組みと湯治文化の未来
藪本:
しらさぎ旅館で新たな取り組みもされているとお伺いしましたが、どのようなことをされているのですか?
熊野さん:
今、動いているのは「日本一女将のいる宿企画」です。最終目的は椿温泉で湯治文化を継承していくこと。そして、そこに辿り着くまでにいろいろなプロジェクトを立ち上げながら、47都道府県にしらさぎ旅館のサポート女将を置いて、外から湯治文化を広めることができたらいいなと思っています。ちなみに、今は全国に8名ほどのサポート女将がいます。
その最初の取り組みが「釜飯プロジェクト」です。前料理長と前社長が湯治のお客様に食の面からも健康的になってもらおうと考案したしらさぎの名物釜飯。それに並ぶ「新しい釜飯」をサポート女将と共に作っていこうと考え、提案しました。けれど、最初は料理長も周りのスタッフからも不安の声が上がりました。でも、同じ想いをもった人や応援してくれる人を大切にして、一緒に何かを作り上げることが今後の経営の柱になると確信していたので、絶対やる!と決めていました。
もちろん、最初は周りの戸惑いもあったのですが、段々とサポート女将の熱意に影響されていきましたね。回を重ねるごとに、彼女達自身も湯治文化に興味を持ち、最終的には湯治文化を広めたいっていう使命感も持ってくれました。完成した釜飯には郷土料理に使われるウツボを入れたり、美肌効果のあるクコの実やドライトマトを入れたり、湯治に来られたお客様を元気にしたいという想いの詰まったものが出来上がりましたね。今後もいろいろな企画の中で、ファンを増やして、湯治の知名度を上げて、椿温泉の湯治文化を広めていきたいと思っています!
藪本:
まさしく、人を巻き込み、作り上げていく活動をされている熊野さんご自身がアーティストのようですね!
熊野さん:
メディアで取り上げて頂いたり、いろいろな企画を立ち上げたりして、これまでも湯治文化の良さは感じてはいたのですが、コロナ禍になってからより一層、湯治が社会に求められているなと感じることが多いです。湯治に興味を持って来て下さる方や最初から湯治目的で来られる若い方々も増えてきていますし。コロナで分断されてから、人との触れ合いの大切さに気づいたり、自分が大事にしたいことが明確になってきたり、健康のありがたさを知ったりした人がたくさんいると思うんです。なので、今こそ湯治を伝えていく1番いい時期だ!とメラメラ燃えていますね(笑)。
7.紀南アートウィークを通じて
藪本:
湯治場について、お話をお伺いして、世の中の不合理なものや人々の感情を受け止めて、再整理して、また新たなもの・美しいものに変換していくことについて、アートと近い関係性を持っているなと感じました。椿温泉は、現代アーティストと連携して、もっと発信できるのではないかとも思います。
熊野さん:
そうですね。今まさに、社会全体が原点に戻って、考え直す時期に来ているような気がします。湯治は温泉に浸かって身体を健やかにすることに加えて、人との触れ合いや自分と向き合う時間等、大切なことが凝縮されています。
藪本:
そうですよね。その価値観や思想に共感する方はたくさんいらっしゃる気がします。
さらに欲を言えば、言語化はまだまだ難しいかもしれませんが、温泉と湯治のコンセプトや言語の違い等もっと深堀していきたいですね。アートも湯治文化も法律も、人の生活をより豊かにするための手段であることは共通だと思いますので。
熊野さん:
私は湯治場が日々の忙しさから少し離れて安らげる場所であることとか、湯治を通して何かしらに気づくきっかけになればいいなと思っています。現代アートと湯治、それぞれで響く人は限られるかもしれませんが、それらが合わさった時に届けたいものは同じなので、より響きやすい人は増えるかもしれませんね。
あとは、地元に帰ってきてから絵を見に行く等の、アートに触れる機会が少なくなったなと感じていて。なので、地元の人にもアートに関心を持って頂く意味でも、温泉等の親しみやすいものと合わせるのは良いですね。難しく考えずに、自分なりの解釈で良いというところが浸透すれば、入っていきやすいですし、湯治と組み合わせることでアートへの扉を少しでも開きやすくしてあげたいなと思います。
藪本:
そのための活動の一環でもあるので、ぜひお力添えを頂けると嬉しいです!
熊野さん:
私にできることがあれば、言ってくださいね!女将さん、あれしてよ!とか(笑)。藪本:
例えば、アーティストにしらさぎ旅館に長期滞在してもらう等もできそうですね。
熊野さん:
湯治しながらできる作品、本当にリラックスして本来の自分でいられる状態で作ってもらったり、描いてもらえたりとか。
藪本:
若手のアーティストさんとか、呼べたら良いかもしれませんね。今年は第1弾なので、展示地域も決まっていますが、今後、さらに関わる地域を増やしていきたいと思っていますので、ぜひ何かご一緒にできれば嬉しいです。
長くなってしまいましたが、ありがとうございました!
<編集>
紀南編集部 by TETAU
https://good.tetau.jp/
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